プーチンが圧勝したロシア大統領選挙

― 政経分離の断行と欧米型資本主義の登場 ―

(インターナショナル第143号:2004年3月号掲載)


▼プーチン圧勝の背景

 3月14日に投票が行われたロシアの大統領選挙で、プーチン大統領は71・2%の圧倒的な得票率で再選された。
 投票率は64・3%と前回選挙の68・86%を下回り、「全ての候補に反対」は3・4%と前回の1・88%から倍増したが、共産党々首・ジュガノフが立候補を辞退した代わりに共産党系統一候補となった農業党の党首・ハリトノフの得票率も13・7%と奮わず、プーチンは文字通りの圧勝で再選された。
 プーチンの再選は、昨年12月の下院選で与党「統一ロシア」が大勝したことで確実視されてはいた。平均年率7%という経済の高成長が国営企業の給与と年金の遅配や欠配を大きく改善し、共産党を押し上げてきた大衆的不満を吸収したためだと言われる。
 たしかにプーチン政権の下で、ロシア経済は国際石油価格の高騰による原油輸出の好調に支えられて高成長を達成した。だがプーチンが、絶対得票率換算でも45%を越える支持を得るほど大衆的な不満を吸収し得たとすれば、それは給与や年金の支給状況が改善されただけではなく、エリツィン政権時代に怨嗟と憎悪の的であった「オリガルヒ」を屈服させたという、もうひとつの要因が大きく作用していると思われる。
 日本では「新興財閥」と報じられるオリガルヒは、むしろ「政商」と訳すほうがふさわしい「政権と癒着した新興資本家」のことだが、プーチン政権の最初の4年間は、政権に強い影響力を持つオリガルヒとの抗争の期間だったと言えるかもしれない。

▼設備投資の増加と政経分離

 モスクワ中心部の巨大ショッピングセンター「アトリウム」には、1200ドルのシャンパンセットやダイヤをちりばめた1800ドルの女性用下着などの高級ブランドが多数陳列されている。平均月収が200ドル程度のロシアでは高根の花であるこれらの商品を購入するのは、ロシアに進出した欧米の外資系企業などで働き、2000〜3000ドルの月収を惜し気もなくつぎ込んで消費ブームを牽引する、「ロシアのヤッピー」と呼ばれる若い高学歴のニューリッチ層である。
 実はプーチンが正式に大統領に就任した2000年3月、ロシア経済は98年通貨危機の後遺症に悩まされながらも着実な回復過程に入っていた。通貨危機翌年の99年には、通貨危機によるルーブルの大幅切り下げ効果が促進した原油輸出の好調に助けられ、鉱工業生産の拡大を中心に実質GDP成長率は6・4%に回復し、翌2000年、今度は国外からの固定投資を含めて、鉱工業生産の伸びに期待する設備投資が牽引車となった10%もの実質GDP成長率を達成した。
 ところで「ショック療法」なる無政府的な資本主義化を推進したエリツィン政権の下では、設備投資はまったく影を潜めていた。政治の迷走と社会的混乱が増産意欲を削いで設備投資を停滞させ、それが生活物資の欠乏を深刻化し、代わって闇市が横行する悪循環がロシアを覆っていた。しかし98年通貨危機の引き金になった「逃げ足の早い」金融投資ではなく、固定投資を中心とする外資の流入を含めて設備投資が牽引車となった2000年の高い経済成長率は、国内設備投資と消費が連動した拡大再生産のはじまりを予感させるものだったのである。
 そして2001年以降、都市部に限定的ではあれ、設備投資と消費が牽引する欧米型の経済成長が始まるのである。それは中国の改革開放政策の初期に見られた、経済特区の成長と消費ブームを彷彿とさせる。
 旺盛な消費意欲でブームを担うニューリッチ層は、エリツィン政権の時代までは高収入を得るには不可欠だった官僚とのコネではなく、語学力や学歴、職歴で外資系企業に評価されて高収入に手にした、ロシアに初めて登場した「中産階級」であり、もちろんプーチン政権の強力な支持基盤である。
 プーチンの大統領就任と軌を一にするように増加した固定投資は、もちろん鉱工業生産の急回復という経済的要因が誘発したが、そこにはもうひとつ、エリツィン時代に繰り返されてきたオリガルヒ相互の利権抗争とこれに連動した政争が沈静化するという、投資をする側の安心感が強く作用したことも見逃すことができない。
 エリツィン時代のロシアが「ギャング資本主義」と呼ばれ、設備投資には二の足を踏む不安定状態だったとすれば、プーチン政権は「法による独裁」を掲げてオリガルヒの政治介入を排斥し、「政治と経済の分離」を強権的に遂行したと言うことはできる。プーチンが大統領就任の当初から、政治と経済の分離によって固定投資を促進しようとしたとまでは言えないが、プーチン政権によるオリガルヒの弾圧=政治からの排除は、結果として設備投資と消費を牽引車にした欧米型の経済的好循環を生み出し、アメリカ型資本主義の基盤となる「中産階級」をロシアに登場させることになったのである。

▼プーチン政権とオリガルヒの軋轢

 エリツィン政権下の「新興金融産業グループ」相互の抗争は、既存の地位を利用して国有財産を私物化して華麗に「ノメンクラトゥーラ・ブルジョアジー」に転身した旧共産党の高級経済官僚の勢力と、「担保入札方式」などの国有資産のたたき売りが幅をきかせた混乱に乗じて荒々しく台頭した、いわば「叩き上げ」の若手オリガルヒによる国有資産をめぐる利権再編抗争の性格を色濃くもっていた(本紙100号:99年6月発行「新興金融産業グループの危機とプリマコフの解任」)
 96年10月にエリツィン政権の安全保障会議副書記に任命されたベレゾフスキーに代表されるオリガルヒは、旧共産党高級官僚の保守派に対抗するようにエリツィン政権中枢に接近し、政権との癒着を利用してあらゆる利権に介入し、M&A(敵対的買収)などハイリスク・ハイリターンの投機によって巨万の富を手にした、19世紀前半の荒々しい資本家を連想させる勢力だった。
 そしてこの若手オリガルヒ台頭の基盤となったのが、IMF(国際通貨基金)がシナリオを書きエリツィン政権が推進した、新自由主義的なロシアの急激な資本主義化政策にほかならなかった(本紙92号:98年9月発行「IMF演出エリツィン改革の破産」)
 だが98年の通貨危機が、オリガルヒに大きな損害を与えた。彼らはその損失を埋め合わせようとエリツィン政権を突き上げてさらに大胆な利権介入や投機を画策し、これが後継者であるプーチン大統領との軋轢を抜き差しならないものにした。
 プーチン政権はこうしたオリガルヒの政治介入や「不法行為」に警察特殊部隊による摘発を含む強硬策で臨み、オリガルヒ配下のマスメディアが繰り広げる「政権批判」キャンペーンにも容赦のない弾圧を加え、ついにオリガルヒの代表格であるベレゾフスキーとグシンスキーは相次いで国外亡命を余儀なくされた。そして昨年10月、もう一人の代表格であるホドルコフスキーも、彼がCEO(最高経営責任者)を務める石油会社ユスコを舞台にした横領、脱税、詐欺、文書偽造など7つの容疑で逮捕されるのである。いわゆる「ユスコ事件」である。
 こうした一連のプーチン政権によるオリガルヒに対する強権的対応は、チェチェン独立運動への厳しい弾圧と並んで欧米諸国でもプーチンの「強権的体質」への批判を呼び起こしたが、プーチンはユスコ事件に対して、純然たる経済犯罪として摘発したという超然とした態度を貫き通した。
 そして事件から2ケ月後の昨年12月、プーチン政権の強権体質を非難して下院選挙に臨んだ野党各派は、予想外の敗北を喫するのである。ユスコから選挙資金の提供を受けた急進改革派「ヤブロコ」と右派連合は惨敗し、ユスコ関係者5人を候補にした共産党も議席を半減させ、逆にプーチン与党の「統一ロシア」は単独で下院の3分の2議席を獲得する躍進を見せたのである。さらにプーチン政権の後押しを受けて9月に結成されたばかりの「ロージナ(祖国)」は、反オリガルヒをスローガンに民営化の見直しを主張し、大衆的な怨嗟と憎悪に押し上げられるように予想外の支持を集めたのである。

▼プーチンはオリガルヒを統御できるか

 プーチン政権によるオリガルヒの政治からの排除は、客観的には、急激な民営化に対する大衆的不満を吸収し、前述のような経済成長の条件を整えることになった。
 しかしこれが、ロージナの主張するような民営化の見直しに発展する可能性はほとんどない。というよりもプーチン政権は発足当初に有力オリガルヒとの間で密約を結び、政治への不介入や納税義務の遵守と引き換えに、民営化の見直しは行わない保証を与えたと言われているからである。
 プーチンの狙いは、ギャング資本主義の混乱を収拾する「ビジネス・ルール」を確立する一方で、国家=政治権力が社会的矛盾の調停者にして管理人である「本来の姿」を取り戻すことにあったのだ。それは旧ソ連邦最大にして最強の官僚機構であるKGB出身の若きエリート官僚にして「国家の信奉者」であるプーチンにとっては、エリツィン時代の急激な民営化の次に必要なしごく当然の安定化政策であったに違いない。
 プーチン政権との軋轢を強め、結局は屈服を強いられたオリガルヒの一群は、ロシア資本主義の変化に取り残された旧勢力と言えるかもしれない。彼らは、社会的混乱の中で濡れ手に粟の利益を手にすることを求めつづける「エリツィン時代の寵児」ではあったが、ロシア資本主義の安定的で持続的な発展を展望することはなかったのだ。

 プーチンの強権的粛正にもかかわらず、ロシア経済の大半はなおオリガルヒの手中にある。アメリカの『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙は昨年6月、「約1ダースのメガクイーンがロシア経済の7割を牛耳っている」と報じたとおり、今やオリガルヒのないロシア資本主義は考えることもできない。
 だがプーチンも「意図的に盗みを働いた人たちが特別扱いされてはならない。(民営化に際してオリガルヒの)5人から7人が法律を守らなかった」(昨年12月)と言明、民営化の際の違法行為を今後も追及する姿勢を明確にしている。この発言はもちろん、オリガルヒに対する大衆的憎悪を意識し、設備投資と消費が牽引する経済成長を達成しつつあるという自信に裏打ちされた態度である。
 だがオリガルヒとの「密約」が示すように、プーチン政権がめざす「安定したロシア資本主義の発展」は、オリガルヒを摘発しつつ協調するという綱渡りなのである。

(3/23:みよし・かつみ)


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