新興金融産業グループの危機とプリマコフの解任
伸張する中道派、穏健改革派


圧倒的承認と直後の迷走

 ロシアのエリツィン大統領は5月12日、昨年9月に就任したプリマコフ首相を解任し、後任の首相候補にステパシン第一副首相兼内相を指名した。通貨ルーブルの大幅切り下げに端を発した金融危機に対処するために、議会(下院)の強い反発を受けたチェルノムイルジンに代えて渋々指名せざるを得なかったプリマコフの唐突な解任と、エリツィン子飼いの第一副首相・ステパシンの首相候補指名は、当初は翌日の13日から始まる下院の大統領弾劾審議によって窮地に立ったエリツィンの保身のための賭けと見られ、エリツィンと議会(下院)多数派の共産党との新たな抗争になるのではとの観測が流れた。
 しかしつい3週間前の4月21日、エリツィンが要求したストラトフ検事総長の解任を否決した下院は、共産党が推進してきたエリツィン大統領弾劾の5項目を15日までにすべて否決し、19日の第一回目首相承認投票であっさりと、しかも共産党議員の〃大量脱落〃が誰の目にも明らかな大差(301対55)でステパシン首相を承認し、予測されたような政局の混乱もなく新内閣が発足した。
 ところが、下院ですんなりと承認されたステパシンは、新内閣の主要な目標を経済改革の推進と国家財政の立て直しに据えながら、そのために最も重視された経済閣僚の最初の人選でつまずくのである。下院予算委員長であるジューコフを経済担当第一副首相にしようとしたステパシンの構想は、ベレゾフスキー独立国家共同体(CIS)執行書記の反対で挫折し、代わりにエリツィンの裁定で第一副首相に就任したザドルノフ蔵相も、わずか数日で辞任を余儀なくされた。
 このステパシンの迷走の背後には、昨年の金融危機によってIMFが演出した資本主義化の破産をうけて、新興金融産業グループが直面する大規模な再編成の始まりがあり、この再編をめぐって、エリツィン政権下で新しい支配層となったノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの死活を賭けた暗闘がある。したがって今回のプリマコフ解任とステパシン内閣の発足は、「改革派」の〃巻き返し〃という性格以上に、エリツィン改革路線の全面的な再編をはらむ、新たな流動化の局面の始まりを告げるものと言えよう。

激しい利権抗争の再燃

 たしかにステパシンは、プリマコフ内閣で重要ポストに就いた共産党や農民党の閣僚を追放し、新興金融産業グループに連なる「改革派」を多用してその利害を体現する「新興財閥内閣」(朝日新聞:5/27)のような外観を呈しており、影の中心的人物はCIS執行書記であり新興金融産業グループの頭目の一人でもあるベレゾフスキーである。だからステパシン内閣の登場は、金融危機で呼び起こされた政情不安の沈静化を優先し、改革路線を停滞させてきたプリマコフ内閣に対する「改革派」つまりノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力の〃巻き返し〃と言う評価が現れることにもなった。
 しかしこうした評価は、カムドシュ・IMF専務理事が、4月に決まったIMF融資の再開(45億ドル)について「新内閣が合意を実行すれば、予定どおり実施する」といち早く表明し、さらに「ロシアが新たに改革の道を進み始めることに疑いの余地はない」と、ステパシン内閣への強い期待とともに今回の政変を歓迎する意向を明かにしたことに象徴されるように、プリマコフ首相と共産党閣僚に不安を抱きつづけてきた国際金融資本の強い願望の反映であろう。
 なぜなら、経済担当第一副首相の人選をめぐるステパシンの迷走は、この「改革派」によるプリマコフ追い落としと言うよりも、むしろ新興の金融産業グループ相互の激しい利権争いと、この抗争を通じて推進される、金融産業グループの死活を賭けた再編成を示唆すると考えられるからである。
 実際にエリツィンとステパシンが、「中道派」のジューコフやザドルノフを経済担当第一副首相に任命しようとしたのは、アクショネンコ第一副首相に経済的権限が集中するのを牽制するのが狙いだったと言われているが、それはアクショネンコが、ベレゾフスキー率いる金融産業グループ「ロゴバズ」の代弁者に他ならず、牽制に利用しようとした「中道派」の背後には、次期大統領選の有力候補のひとりであるルシコフ・モスクワ市長との癒着を通じて、近年台頭の著しい「システマ」などの新興金融産業グループが存在しているからである。そして実はプリマコフは、ルシコフと共に、この「中道派」を代表する人物と見なされている。
 要するにエリツィンは、その忠実な子飼いであるステパシンを首相にすることで、彼の強力な支持基盤である新興金融産業グループの支配勢力との癒着と協調を復活させ、同時にチェルノムイルジンら「穏健派」やルシコフら「中道派」をも取り込んで、これら諸勢力の拮抗する抗争を利用する保身を企てたのであろう。だがそれは同時に、プリマコフ内閣の下では押さえ込まれていた、たびたび政権中枢の動揺すら引き起こしてきたノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力の、激しい利権抗争の扉を再び開くことでもあった。
 そして当然ながら、この新しいノメンクラトゥーラ・ブルジョアジー相互の抗争は、年末の総選挙と来年に迫った大統領選挙に向けた政治再編と連動して、それぞれの金融産業グループの死活的利害をかけた再編としても進展することになる。なぜなら「中途半端な資本家」であるノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーにとって、国家資産の売却をめぐる裁定や利権の保護といった政府施策のひとつひとつが、特に昨年の金融危機によって大きな経済的打撃を受けて以降は、それぞれの金融産業グループの存続を左右する大きな要因となるからであり、そうである以上政治権力との癒着は、自らの存続にとって決定的に重要な要素となるからである。

急進改革の寵児たちの没落

 だがこの政治勢力と金融産業グループの連動する再編成は、「ロシア資本主義」の展望をめぐる戦略的な分岐を顕在化させることになるだろう。なぜなら、昨年の通貨危機でエリツィンの改革路線が破産を宣告されて以降、これに代わる経済改革の展望が問われつづけているだけでなく、ベレゾフスキーなどの暗躍に振り回されるステパシン内閣は、この課題に答えると言うよりも、破産したエリツィン路線の再生と継続をめざすことになるからである。それはなぜか。
 プリマコフの解任以降、大統領府への強い影響力を発揮し、金融産業グループの〃巻き返し〃の印象を強めるのに一役かったベレゾフスキーCIS執行書記は、98年4月のチェルノムイルジン解任の仕掛け人とも言われる、エリツィン政権下で台頭した新興グループを代表する典型的な人物と言える。こうした新興金融産業グループの台頭を助長したのは、エリツィン政権によって推進された「チュバイス式民営化」(この用語はロシアでは「国家資産を盗む」という普通名詞として通用しているのだが)に他ならなかった。
 ベレゾフスキーの盟友と言われSBSアグログループの代表・スモレンスキーは、この民営化の時代に印刷植字工から建築協同組合を経て成り上がり、かつての急進改革派官僚と癒着することでノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの仲間入りを果たした、新興勢力を代表する典型的人物である。彼らは、旧ソ連共産党の高級官僚が民営化された巨大企業の代表に転身した、チェルノムイルジンに代表されるよなノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーとは違って、混乱の時代を利用して荒々しく台頭した勢力であった。しかしだからまたこの新興勢力は、急進的な市場経済化の過程でロシア経済に組み込まれた、政権と金融産業グループの癒着や利権をめぐる汚職と陰謀など、「ギャング資本主義」と称される「ロシア資本主義」の暗部をも象徴しているのである。
 ところが昨年の金融危機を契機にして、プリマコフ内閣の下でベレゾフスキーらの新興金融産業グループに対する厳しい汚職や陰謀の追及が始まった。それはプリマコフが共産党に引きずられた訳でも、人気取りのために始めた訳でもない。昨年の金融危機が、この荒々しい新興ブルジョアジーの無統制ぶりや悪徳商法を暴きだし、最も大きな社会的混乱の原因ともなったからに他ならない。新興金融産業グループの統制と再編の必要性は、だれの目にも明らかとなったのである。共産党の大統領弾劾を否決した議会が、他方でエリツィンの要求する検事総長の解任を拒絶したのは、こうした社会的合意が「穏健派」「中道派」「穏健改革派」まで含めて形作られていることを雄弁に物語っている。
 したがってステパシン内閣の登場は、ベレゾフスキーに代表される新興の金融産業グループが、エリツィン政権との癒着を再強化する「復権」という側面をもつが、それはまたこれら新興金融産業グループの危機的状況の反映、追い詰められた急進的改革時代の寵児たちの悲鳴とも言えよう。現に、ベレゾフスキーの金融産業グループの中核企業「ロゴバズ」は、金融危機以降の自動車販売の不振で経営危機に直面しており、石油販売会社「シブネチ」も価格低迷に悩み、盟友スモレンスキー代表が率いるSBSアグログループの中核企業・首都貯蓄銀行(SBS)アグロは、金融危機によって経営破綻状態に陥り、今は政府の管理下に置かれている。
 こうして、急進改革派の凋落以降エリツィンの政権基盤を、チェルノムイルジンなど基幹産業を支配する金融産業グループと共に形成してきた新興金融産業グループは、文字通り巨大な再編の渦中に投げ込まれ、その危機感の強さの分だけステパシンやエリツィンを振り回す強引さを露にする。政権基盤の強化のための「中道派」の取り込みにすら失敗したエリツィンが、強い危機感から強引に政権を引き回そうとうする「荒々しいブルジョアジー」をコントロールするのは、今後ますます難しくなるに違いない。

総選挙と大統領選の行方

 ベレゾフスキーに振り回されるエリツィンとステパシンの迷走に対して、チェルノムイルジンらの「穏健派」やルシコフらの「中道派」は、冷めた目線を送っているように見える。いずれにしろエリツィンの任期は残り1年、事実上〃死体〃となったエリツィン政権との深い関わりを避け、年末に予定されている総選挙での高支持率の獲得にむけて、自らの支持基盤の強化と組織整備に精力を注いでいる可能性は高い。
 こうしていま、昨年末以降の新組織旗揚げブームを背景に、諸勢力の合従連衡が深く静かに進行する。しかしその中で支持率を伸ばしているのは、ジュガノフの共産党ではない。それは近年、モスクワ市長など有力な地方権力との癒着を介して台頭著しい〃新新興〃の金融産業グループを基盤とする「祖国」(中道派)と、IMFとエリツィンの改革路線を批判し、他方では共産党との対決を鮮明にする「ヤブロコ」(穏健改革派)である。
 今年1月に全ロシア世論調査センターが発表した調査結果によれば、共産党の支持率はなお高率だが、大統領候補として支持率ではルシコフ・モスクワ市長が37%で第1位となり、第2位がプリマコフの36%、共産党のジュガノフは30%で第3位に転落した。また政党の支持率でも、共産党が95年12月総選挙当時の22・3%をやや下回る21%、「祖国」は95年との比較はないが10%で、「ヤブロコ」の12%に次ぐ第3位である。ちなみに「ヤブロコ」の95年総選挙の比例区得票率は6・89%だったから、支持率はほぼ倍増した。
 またノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの典型であるチェルノムイルジンら、基幹産業の支配的グループを基盤とする「我らが家ロシア」(穏健派)は、95年の得票率10・13%を大きく下回る2%の支持にとどまり、かつての急進改革派ガイダールやチュバイスを代表に昨年12月に結成された「中道右派」(組織の正式名称は未定)は、ようやく比例区議席配分の対象となる5%であった。この世論調査に現れた傾向は、ロシア資本主義の展望にかかわる新たな戦略的分岐を示唆していると言えるだろう。
 その第一の特徴は、96年に大統領に再選されて以降のエリツィンの改革路線も、大衆的支持を全く失ったということである。つまり改革テンポを多少緩やかにしたとは言え、基本的にはマネタリズムの機械的適用を旨とする急進的改革をIMFに追随して展開してきた改革路線は、ロシアの労働者民衆によってもほぼ完全に見放されたのであり、それがベレゾフスキーら新興金融産業グループの頭目たちの危機感を増幅させる背景ともなっていることである。
 第二の特徴はもちろん、このエリツィンの没落に代わって台頭する「中道派」と「穏健改革派」だが、前者はその基盤の性格上チェルノムイルジンらの「穏健派」に近い。要するに連邦国家の高級官僚からブルジョアジーに転身した「穏健派」と、共和国や地方の高級官僚からブルジョアジーに転身した「中道派」といった違いしかない。これに対して後者は、エリツィン時代の急進的改革が生み出したロシアの「歪んだ資本主義」を清算し、ロシアに適合的な近代的資本主義のための改革を唱える、その意味では近代ブルジョア正統派とでも呼べる勢力である。だがこの「穏健改革派」には社会的基盤、中道派や穏健派の金融産業支配グループのような基盤が欠けており、彼らが政権に参画するには、現段階では共産党に幻滅した労働者階級の力を利用する以外にない。もちろんその場合の「穏健改革派」は、労働組合勢力を包含する「民主党」へと姿を変えるだろう。
 そして第三は、これまた言うまでもなく共産党の衰退傾向である。プリマコフ首相の下で経済担当第一副首相という重要な閣僚ポストを手にした共産党はしかし、予想どおりと言うべきか、エリツィン主要打撃論以外の求心力を持たず、金融危機に対しても反ユダヤ主義扇動という時代錯誤を露にし、ヤブロコ代表のヤブリンスキーには、ベレゾフスキー同様の汚職疑惑を追求され、かつてのスターリニスト党の体質そのままであることを自己暴露することになった。
 結局この党は、われわれがすでに指摘したように【本紙73号:96年8月】、最終的には教条的スターリニストの小さな政党を残して、穏健派と中道派そして穏健改革派のいずれかに解体・吸収される以外にはなくなるであろう。冒頭に述べたように、ステパシンの首相承認投票で求心力を保てなかった事実は、この党のこうした分解の必然性を証明するが、それはエリツィン時代の最後的終焉が、急進的改革にともなう社会的矛盾を基盤にして、だがその不満を「反エリツィン」としてだけ吸収する勢力が存在する必要性にも終止符を打つことになる以上当然である。
 こうしてロシアの年末総選挙は、これまでの議会(下院)勢力地図を大きく塗り替える可能性をはらむことになる。そしてそれは、ロシアの支配的階級たるノメンクラトゥーラ・ブルジョアジー諸勢力の再編を基盤に進展することになるのも疑いない。

(K.M)


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