IMF演出・エリツイン改革の破産
ロシア通貨危機と世界同時株安

(インターナショナルbX2 98年9月掲載)


●通貨切り下げと全閣僚解任

 ロシア政府と中央銀行は8月17日、通貨ルーブルの対ドル目標相場圏を6・0−9・5ルーブルの範囲に拡大するとの共同声明を発表し、それまでの目標平均レート1ドル=6・1ルーブルプラスマイナス15%から、一挙に約50%という実質的なルーブルの大幅な切り下げに踏み切ると同時に、ルーブル下落に伴う市場の混乱回避を理由に、民間対外債務の一部についても90日間の支払い延期(モラトリアム)を発表した。
 この突然の通貨切り下げをうけてロシア下院は21日、数日前までは「通貨切り下げは絶対にない」と言明していたエリツィン大統領の失策を激しく非難し、法的拘束力がないとはいえ、大統領の辞任を勧告する決議を賛成245、反対32の圧倒的多数で可決した。ところがこの下院決議に対するエリツィンの回答は、つい4カ月前に当の下院の反対を押し切って強引に首相に据えたキリエンコ首相ら全閣僚を23日になって解任し、さらには「経済政策の失敗」を理由に、キリエンコの首相抜擢に合わせて更迭したチェルノムイルジンを臆面もなく新たな首相候補に指名し、彼をしてエリツィン政権の後継者であるとまで持ち上げて見せたのである。
 当然のことだが、こうした経済危機の顕在化とエリツィン政権の迷走は、昨年のアジア通貨危機以降、国際金融資本の間で一段と強まっていた新興市場(エマージング市場)への不安をかきたて、国際金融市場における負の連鎖を引き起こす引き金となった。

●世界を駆けめぐる負の連鎖

 8月26日、モスクワの銀行間為替取引所は、ルーブルの対ドルレートが8ルーブル台にまで急落したことで2度にわたる一時的な取引停止に追い込まれる事態となった。さらに翌27日には、取引開始直後に1ドル=9・5ルーブルと、拡大した目標相場圏の下限をもあっさりと突破されたことで全面的な取引停止へと追い込まれ、これと連動して欧米の株式市場は全面安の展開となった。
 こうした負の連鎖に歯止めをかけうる「最後の砦」と期待されていたニユーヨーク株式市場も27日、ダウ工業株30種平均(ダウ平均)が前日比357・36ドルの大幅な下落となり、翌28日も全面的な続落となって、ダウ平均はさらに114・31ドル安の8051・68ドルにまで急落した。さらに週末の休日明け31日には史上2番目の下げ幅となる512・61ドル安を記録し、ダウ平均は7539・07ドルと、ついに8千ドルを割り込む事態となった。このニユーヨーク株式市場の続落はそのまま東京市場にも連動し、28日には前日比498・16円安の13915・63円と、実に86年3月以来12年半ぶりの1万4千円台割れとなったのである。
 日本の金融不安が直接の発端となった「日本発」ではなく、ロシアの通貨危機を発端とする「ロシア発」ではあったが、昨97年10月の香港市場の暴落を契機とした世界同時株安以降、国際金融資本が不安げに予測してきた世界同時株安の第2ラウンドが改めてその威力を垣間見せた8月末の1週間は、世界的な金融自由化の推進によって生み出されたグローバル経済なるものが孕む、極めて不安定でリスキーな構造を繰り返し暴くとともに、国際通貨基金(IMF)の対ロシア政策の破産を暴露することになった。

●ロシア通貨危機の実相

 キリエンコに限らず、エリツィン大統領のもとでの歴代首相たちの経済金融政策は、市場経済に移行するための改革の推進を前提として、基本的にはIMFの、だからまた国際金融資本の意図に沿って行われてきた。それはIMFへの追随と言っていい。
 そのロシア政府が、急進改革派の急激な市場経済化路線(実態はノメンクラトゥーラによる国有資産のさん奪と売りとばしだったのだが)がもたらしたインフレの抑制のために、国家財政の赤字を中央銀行からの借入れで補填する政策からの転換を実施したのは、1995年であった。中央銀行による通貨・ルーブルの増刷に代えて、国際金融機関からの借入や国債発行による資金調達、つまり借金政策への転換である。だがこの政策は、借金返済のための借金を繰り返すことで国債発行残高を雪ダルマ式に増加させるという事態を招くことになる。通貨による決済を伴わない企業間の相殺勘定が幅をきかせ、経営赤字は国の補助金で補填するのを当たり前と考えるノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの経済支配のもとでは、投入された国家資金はむしろ手間とリスクの多い生産的投資を避け、手っ取り早く利益を手にできる投機や赤字の補填などに浪費されてしまったからである。生産拡大と経済成長による税収の増加を図り、これによって対外債務返済や国債償還を賄う国庫収入を確保するというIMFの処方箋は全くの夢物語に終ったのであり、現実にエリツィンは、税を補足・徴収する行政機構の確立すらできはしなかったのである。
 こうしてロシア政府は翌96年、政府調達資金の不足を補う外国資金の流入を促進しようと、ロシア国内の国債市場を公式に外国資本に開放する一方、国内商業銀行に一定量の国債購入を義務づけるという2つの延命策を導入することになる。通貨の安定とインフレ抑制によるロシア経済の信用回復が外資の流入と国内のドル建てタンス預金の流動化をうながし、さらにヨーロッパなどに逃避している資金をも呼び戻し、投資を活発化することで経済成長が実現されるという、アメリカ的サプライサイド(供給側刺激)政策と金融自由化の機械的適用である。だが実際にはタンス預金の流動化も、国外逃避資金の還流もほとんど促進されなかった。賢明にもロシアの労働者民衆は、ノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーを全く信用しなかったのである。
 結果としてロシア政府の財政は、ロシア国債に対する投機的な、だからまた逃げ足の早い外国資金への依存を強めることになった。大量の国外短期資金の流入でバブル化した経済への依存を強めた、通貨危機直前のアジア諸国の経済と基本的には同じ構図である。事実ロシアの株式市場では、主要な製造部門の経営実績が、前述した相殺勘定や補助金のために極めて不透明な、有り体に言えば経営状態が良いか悪いか判然としない状態であったにもかかわらず活況を呈し、97年初頭から10月の間だけで株式指数が285%もの伸びを示すという異常事態が生まれていた。そしてこの国外短期資金の流入による株式市場の活況が、大幅な通貨切り下げに追い込まれる通貨危機を準備することになった。
 97年10月、新興市場に対する投資不安が現実となったアジア通貨危機を契機に、外貨を銀行経由でルーブルに換金し、これでロシア国債を購入していた外国資本が一斉に資金の回収に動き始め、これが為替市場におけるルーブル売りの圧力を急激に高めることになった。ルーブルの対ドルレートを維持しようと、ロシア中央銀行は大量のドル売り介入で防戦に努めることになるが、これによってロシアの外貨準備はたちまちのうちに半減(97年9月の240億ドルが同12月には168億ドル)し、以降のドル売り介入の体力を大きく殺ぐことになっただけでなく、国債を担保に国外資金を借入れて株式投資を行っていたロシアの商業銀行に、国債価値の下落による担保目減り分の補填要求(いわゆるマージンコール)など、資金調達コストの急上昇すなわち収益率の急速な悪化となって跳ね返ることになった。以降のロシア為替市場は、高まりつづけるルーブルの売り圧力すなわち国外資金の流出と、為替レートの維持や国債利率の急上昇に対応した公定歩合の大幅な引き上げなどで資金流出を押し止どめようとするロシア政府・中央銀行の激しい攻防の場となるのだが、IMFによる防戦用資金の供給が限界に達したとき、エリツィンとキリエンコに残された選択は、ルーブルの大幅な切り下げ以外にはなかったのである。

●IMF対ロ政策の破綻

 ルーブルの大幅切り下げは、IMFの対ロシア政策の破綻を確認するものである。それはまた緊縮財政、金融引き締め、通貨安定を柱とする伝統的なIMFの処方箋が、世界的な金融自由化の進展によって生まれたグローバル経済の下で、脆弱な経済基盤しかもたない新興市場諸国に適用するのは、世界的な金融恐慌を引き起こしかねない危険を孕むことを暴露するものでもあった。
 と言うのも、実際の生産と消費という実態経済を倍する巨額の資本が、瞬時にして世界中を移動する国際金融市場の成立という条件の下では、脆弱な経済的基盤しかもたない新興市場のような諸国の通貨の安定は、その数パーセントが移動するだけでたちどころに損なわれるばかりか、それが直ちに金融不安となって引き締め政策をあっさりと破綻させ、果ては対外債務の急膨張が実態経済そのものにも打撃を与えるからである。ドグマ化された市場経済理論によれば、実態経済を反映している「はず」の金融市場で、わずかばかりのだが急激な資本移動が、実態経済に破壊的作用を及ぼし、醸成された金融不安が、これまた瞬時に世界に伝搬するのである。
 こうした事態のもとでは、緊縮財政によるささやかな成果などは全く意味をなさなくなる。そして事実、昨年のアジアと今回のロシアの通貨危機は、それを契機とする世界同時株安という世界恐慌すら引き起こしかねない威力とともに、グローバル経済が孕むこうした不安定性と危険とを証明した。その意味では今回のロシア通貨危機では、IMFやアメリカが打つ手は、すでになかったと言っても過言ではない。そしてそれはルーブル切り下げ直前の8月15日、キリエンコによるルーブル防衛用資金の緊急支援要請をアメリカのサマーズ財務副長官が拒絶した(8/31朝日)したことに象徴的に示された。この時点でルーブルの切り下げは決定的となり、エリツィンとキリエンコはIMFとアメリカによって見捨てられたのである。
 かくして、金融自由化を含む市場経済への急速な移行と、これに伴う国家社会構造の改革というIMFの政策基調に追随してきたエリツィン政権に対する不信は決定的に増幅され、その権威は文字通り失墜することになった。IMFの信任厚きチェルノムイルジンの首相就任が、共産党を中心とするロシア下院野党勢力の抵抗によって挫折し、「国益重視の外交手腕」が高く評価される外相・プリマコフが新たな首相候補に指名されたのは、これまでのIMF主導の経済政策への反発、したがってエリツィン流改革路線からの転換をはらむ最初の反応である。

●ハイパーインフレの再燃

 プリマコフを首班とするロシア新政府が、これまでの改革路線からの転換を図ろうとするのに対して、IMFが従来通りの改革路線を要求しつづけることは、すでに不可能であろう。通貨危機を受けたロシア新政府の政策転換は、チェルノムイルジンが上下両院各会派と大統領府を含む「四者協議」で合意した内容でさえ、銀行の国家管理の強化や戦略企業の一時的国有化、あるいはルーブルの増刷や外貨持ち込み規制を含む金融市場の規制と管理を強化しようとするものであり、IMF主導のこれまでの経済政策の大幅な変更を伴っている。しかも共産党閣僚を含む連立政権ともなれば、こうした規制が強化されることはあっても、4者協議の合意から後退することはほとんど考えられない。そしてすでに資金援助という切り札を使い果たしたIMFに残された選択は、これを「一時的な措置」として容認し、「できるだけ早期に自由な市場経済に復帰すること」を要求しつづけることだけであろう。
 すでに昨年通貨危機に見舞われたアジア諸国でも、例えば香港の金融管理局は、自由放任主義の伝統を捨てて株の買い支えを実施したし、マレーシアでは外国人による株式の短期売買の締め出しが図られるなど、金融市場の規制と管理を強める政策が採用されはじめているが、これを牽制するIMF幹部たちの発言もかつての厳しい響きを失っている。そして9月はじめにロシアを訪問し、エリツィンとの首脳会談を終えたクリントン・アメリカ大統領の発言も、かなり穏当なものにならざるを得なかったのはこのためである。
 ところで経済的基盤の脆弱な諸国が、強力な国際金融資本による投機から「国民経済」を防衛するには、こうした国家による規制と管理はむしろ不可欠の道具ではある。だが他方でそれは、新たな経済的困難となって「国民経済」に襲いかかることにもなる。ロシアの場合は、ルーブルの大幅切り下げによる輸入品の値上がりを契機にして、激しいインフレが始まるのは不可避である。つまりロシアの「国民経済」は1995年以前の状態にまで投げ戻され、ロシアの改革路線は、文字どおりの意味で振り出しに戻ることになる。
 必要なことは、激しいインフレに耐えながら、労働者民衆の日常的必要に応える生産活動を復興することであることは明らかだが、ノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーにその能力のないことは、10年に及ぶ改革路線の経験が実証してきた。したがって客観的には自らの必要を自ら満たす、労働者の大衆自治にもとづく生産管理が求められるのだが、はたしてロシア労働者階級は、これまでの経済的社会的混乱の経験を通じて、そうしたイニシアチブを発揮する主体として形成されているだろうか。未払い賃金の支払いを要求する自立的闘いを繰り返し組織してきたロシア労働者大衆の歴史的経験が、ハイパーインフレの再燃という厳しい局面において、どのような運動を生み出すかを注意深く見守る必要があることだけは確かである。

(みよし・かつみ)


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