退職・配転の強要をはじめた―
日産リバイバルプランの危機
グループ企業群の生体解剖とルノー資本の国際戦略


強制配転の最後通牒

 東京の村山工場などの閉鎖や2万人以上もの人員削減を柱とした「日産リバイバルプラン」(NRP)が発表された昨年10月から100日を経て、NRPはいよいよその凶暴な本性を剥き出しにしはじめている。
 例えば、来年3月に閉鎖する計画が発表された東京の村山工場では、昨年の11月に移動先希望の聞き取り面接があったが、この段階で移動先が決まったのは全体の60%ほどで、10%約300人の労働者は「移動できない」と答え、約30%の労働者が移動希望先は「検討中」と答えて保留し、12月に行われた「フォローアップ面接」でも、転勤先が決まった労働者は微々たる数にとどまった。もっとも労働者が「希望した」転勤先が半ば強制を伴う、労働者自身にとっては苦悩の選択であったことは疑いがない。
 しかし今年1月24日からはじまった第二次面接は、おもに残りの「検討中」の労働者に対して、転勤か退職かの二者択一を迫る強要の性格を一層強めたものであった。その手口は「転勤先は栃木だ」と移動先を一方的に通告、さらに「これが最後のチャンスだ」と事実上の最後通牒を突きつけ、これに従うか退職を決意するかしかないように労働者を追い詰めるもので、事実上の強制配転が実行されはじめたと言える。そして、すでにNRPの実施を前提にした条件交渉しか考えない全日産労組や日産労連は、こうした労働者の苦境に援助の手を差し伸べはしない。

NRPの危機と反ゴーン感情

 ルノー・日産資本がその本性を剥き出しにして本格的な労働者の切り捨てをはじめた背景には、NRPの、つまり日産再生を名目とした合理化計画の危機がある。
 最初のつまづきは今年1月、アメリカのナコ・マテリアル・ハンドリング社との間ですすめられていたフォークリフト部門の売却交渉が決裂、プラン推進の出鼻がくじかれる格好になったことである。それはこの事業譲渡を成功させ、宇宙航空やマリン部門の売却交渉にも弾みをつけようとした資本側の目論みがはずれただけでなく、2万1千人の人員削減計画に含まれていたフォークリフト部門の削減分1千8百人をはじめ、売却部門全体で5千人とも言われる人員削減計画が他の部門にしわ寄せされざるを得ないということであり、その分だけ強制配転や解雇が強行される可能性が強まったということである。
 しかもこの交渉失敗の原因が、強引な村山工場閉鎖計画にあるとする説が日産社内で囁かれている。事業譲渡以降も3年間は村山工場でフォークリフト生産をつづけるという、ナコ社との交渉時には前提であった日産側の約束が、同工場を来年3月に閉鎖するNRPで反故にされたため、ナコ社が買収条件を吊り上げたというのである。もちろん売却交渉失敗の真相は薮の中だが、この解説には、日産グループ企業内に広がりつつある強い反ゴーン感情が読みとれる。
 これに追い打ちをかけるように2月はじめには、昨年4月から今年1月までの連結営業利益の予測を下方修正するとの発表を余儀なくされ、ゴーンのCOOとしての手腕に疑問符がつく事態となった。
 業績予測を下方修正せざるを得なくなった最大の要因は、国内自動車販売台数の予想以上の落ち込みだが、その結果、日産自動車の国内販売シェア(市場占有率)は19%とついに20%の大台を割り込み、これを予測できなかったゴーンの「読みちがい」に対して、主要に日産系販売会社から隠然たる批判が強まりつつある。
 その批判とは、NRPで日産のイメージが悪化して紹介販売も減少し、すでに悪化しつつあった販売不振に輪をかけているというものである。「いつ首を切られるかもしれないセールスマンから客は車は買わない。ゴーンは日本の市場が分かっていない」(週刊東洋経済:2/19)といった恨み節にも、反ゴーン感情の強まりが示されている。
 こうしてゴーンCOOら日産経営陣は、NRPの最大の指標と見られている村山工場の閉鎖を予定どおり推進しなければならない、強いプレシャーに直面することになった。なによりもNRP発表直前の10月13日に昨年の最高値770円をつけた株価が、18日のNRP発表後はずるずると値を下げており、ここでさらに村山工場の閉鎖が予定通り実施できない場合は、合理化計画失敗の懸念が強まって株価の急落がおきるなど、さらなる財務上の痛手を被ることも考えられるからである。
 いま村山工場で、あるいは久里浜工場や日産車体京都工場でもはじまっている同様の転勤や退職の強要は、まさにNRPが直面しつつある危機の反映であり、事実ゴーン自身も1月11日の北米国際自動車ショーでの新車発表会で、「2001年5月かそれ以前に決算発表で具体的な成果を見せねばならない。プレシャーを感じる」(週刊現代:2/19)と、はじめて合理化推進の不安を表明した。

日産の生体解剖とルノーの戦略

 NRPの危機が表面化しつつあった1月下旬、全労連の招きで来日したフランス・ルノーの労働総同盟(CGT)代表フィリップ・マルチネス氏は、ルノーのビルボールド(ベルギー)工場閉鎖反対闘争でゴーンと対決した経験を踏まえ、全日本金属情報機器労働組合(JMIU)日産支部の集会などでゴーン流合理化を激しく非難していた。
 いわく「ゴーンは、ベルギーのビルボールド工場閉鎖のときと、まったく同じ手法のリストラを進めています。恐らく、日産でも村山工場閉鎖の次にやってくるのは労働強化でしょうね。・・・ビルボールド工場の閉鎖によって、他の工場の労働時間が1時間以上増え、土曜勤務が30年ぶりに復活しました」。
 「日本人は、カルロス・ゴーンを企業再建のプロのように思っているようだが、とんでもない話だ。・・・彼は、従業員の生活を脅かすデストロイヤー(破壊者)以外のなにものでもない」(前掲:週刊現代)。
 こうした非難を聞くまでもなく、ゴーンに対するルノー資本の高い評価は「企業再建のプロ」としてではなく、「コストカッター」つまり有能な経費削減屋としての手腕に対するものである。しかもルノー資本が日産COOとしての彼に期待するのは、日産再建に必要な経費削減というよりもルノー資本にとっての経費削減効果、とりわけ日産の買収に要した6千億円もの投資に見合う費用対効果の実現である。
 実際に、発表の当初は不明だったNRPの詳細が中央労使協議会などでの会社側説明で明らかになるにつれて、それは日産の「再生プラン」というよりも「生体解剖」の様相を呈しつつある。例えば前述したホークリフトや宇宙航空など、売却の対象とされる事業部門のほとんどは日産グループ内の数少ない黒字部門であり、さらに株式売却が計画されているグループ傘下の情報通信各社の事業は、国際規模の自動車産業再編に勝ち抜こうとしている豊田自動車が、近い将来の事業拡大を見込んでKDD、DDI、IDO三社の合併にも関与した、いわば戦略的事業部門である。したがってNRPの内実は、日産の保有する自動車生産能力以外の部分を切り売りする計画と言っても過言ではない。
 では日産の自動車生産能力は、ルノー資本にとってどんな価値があるのか。これを象徴するのが、2001年から日産メキシコ工場でルノー車を生産・販売する計画である。
 実はルノーは、かつてメキシコでの自動車生産・販売を目論んで失敗、86年にはメキシコからの撤退に追い込まれたことがある。つまり日産の現地工場を使ったルノーのメキシコ市場への再参入は、「もっとも効率的かつスピーディーにメキシコ市場に復帰できる。メキシコにおけるルノーブランドの確立と中南米・カリブ地域におけるプレゼンスを高めることになる」(MEWS NISAN:00年1月号)のであり、それはまた北米自由貿易圏(NAFTA)域内に強力な生産拠点を持ち、欧州メーカーにすぎないルノーをして、国際的メーカーへと飛躍させる足掛かりをつくることを意味しているのである。
 ここまであからさまなルノー資本の戦略が明らかにされてなお、「会社がつぶれては元も子もない」といった、企業社会防衛の伝統に育まれた実に日本的なあきらめの境地から合理化を甘受し、ゴーンの流儀に従順に協力することで、日産労働者の誇りや権利が防衛できるはずもない。

 全日産労組や日産労連に欠けているのは、ルノー資本の国際戦略に対抗しうる労働者側の国際戦略である。それは本紙105号(99年12月号)に掲載された反WT0の大衆闘争の記事でも紹介したように、グローバリズムに抗した国際労働運動が「中核的労働基準の遵守」を掲げ、多国籍資本に対する規制の要求として始まりつつある運動の中に見いだすことのできる「対案的戦略」である。
 その意味で、国鉄・JRの採用差別の是正を日本政府に要請したILO勧告の完全実施を求める階級的労働者の闘いは、日産労働者がそうした「対案的戦略」を具体性のあるものとして認識する大きな転機を提供する可能性をもつのである。
 だがもちろんそれは、闘争主体の再組織の最も初歩的な一歩にすぎない。にもかかわらずこの主体的再組織ぬきには、例えば自動車産業労働者がこれまで蓄積された技能やシステムをベースにして、社会的に有用な生産が可能なことを示して新たな〃仕事起こし〃を提案するなどの、より攻勢的な闘いへと踏み出すことはできないだろう。
 その意味でNRP反対闘争の当面する最大の課題は、必ずしもこうした国際的な「対案的戦略」を自覚的に推進してはいない少数派労組・JMIU日産支部を、新たな戦略的展望のもとに再武装することであろう。階級的労働者はその必要があれば、この「総評左派の伝統を継承する」
(本紙104

号)少数派労組への介入をも考慮する必要があるだろう。

  (ふじき・れい)


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