グローバリズムに異議あり!
反WTO大衆闘争の登場と閣僚会議決裂の意味


反WTOの抗議行動

 12月3日、来世紀をにらんだ国際貿易ルールを決める新たな多角的貿易交渉(ラウンド)のスタートを宣言するはずだった世界貿易機関(WTO)の第3回閣僚会議は、次期ラウンドの枠組みを決める共同宣言について、アメリカ、EU、日本をはじめとする加盟各国間の合意が成立せずに決裂するという、異例の幕切れとなった。
 そもそも11月30日からアメリカのシアトルで開かれたWTO閣僚会議は、その初日から環境保護運動の非政府系組織(NGO)や労働組合の抗議デモに包囲され、出席予定者が会場に入れずに開会式が中止に追い込まれたばかりか、アナーキストを自認するグループが商店街を襲い、これを鎮圧しようとした警官隊との間で激しい衝突が繰り返されて非常事態が宣言されるなど、出だしから不穏な雰囲気のなかではじまった。本番の閣僚会議でも、合意内容をめぐる米欧日など「先進国」間相互の対立、あるいは「先進国」と「途上国」間の対立、そして両者入り乱れての対立と駆け引きの激化で調整は難航し、新ラウンドに関するなんらの合意も得られないまま閉幕したのである。こうしてWTOは、93年末のウルグアイ・ラウンド妥結の際に次期交渉テーマとしてすでに決まっている農業・サービス分野の交渉が年明け早々から始まる予定だという以外は、交渉予定の見通しすら立てられない事態に陥ったのである。
 もっとも今回の閣僚会議にむけて、開催国政府としてホスト役にあったクリントン政権は、「NGOに開かれたWTO」を標榜して環境保護団体などのシアトルへの結集と政府との対話集会への参加をおおいに歓迎し、EUもまた様々なNGOとの対話を積極的に展開したが、それは各々の国益にかかわる問題を「市民の要求」で補完し、以降のラウンド交渉を少しでも有利にしようとする思惑と打算にもとづくものであった。そしてもちろんNGOが掲げる多様な要求が、こうした帝国主義ブルジョアジーの利益に利用される側面がなかったとは言えないのだが、そこには、帝国主義ブルジョアジーの思惑には包摂されない、WTOとグローバリズムへの社会的批判が内包されてもいたのである。

グローバリズム批判

 今回のWTO閣僚会議の決裂が、ただちに国際貿易に重大な支障をもたらす訳ではないし、これを契機にして、無政府的な自由貿易の信奉者たちが懸念する保護貿易主義の台頭も、いまのところは勢いを増す可能性は小さいだろう。というのも今回のWTO閣僚会議決裂の背景になっているのは、自由貿易か保護貿易かという古典的な対立なのではなく、むしろグローバル・スタンダードと呼ばれてきた国際貿易と資本取引の基準が「先進諸国」、とりわけアメリカに一方的利益となる偏向があると考える「途上国」の不満という内部矛盾と、グローバリズムがもたらした世界規模の自然環境破壊や労働権の侵害といった否定的問題に対する外部からの批判という、WTOの内外を貫くグローバリズムへの批判の高まりにあったからである。
 前者つまり「途上国」の不満は、ある意味で「公正な貿易ルール」の要求として、アメリカが国際競争力の弱い自国製品保護のために、事実上の輸入障壁として多用する「不当廉売(ダンピング)」規制の見直しを迫る動きとして象徴的に現れたし、後者つまり環境保護団体や労働組合によるWTO批判は、「途上国」で活動するアメリカ資本を含む多国籍企業に、「環境保護の義務」や「中核的労働基準の遵守」といった規制を加えよとの要求に象徴されていた。
 そしてWTOは、文字通りグローバリズムが生み出したこうした新たな、そして世界的規模で現れている社会的問題、とりわけ化学肥料とバイオ技術を多用する大規模農業(=アグリビジネス)がもたらした深刻な自然環境破壊や食品の安全性に対する脅威、そして多国籍企業の利益のために侵害される労働権や基本的人権といった問題での対応に迫られながら、これを国際貿易と資本取引の新秩序に組み込むような多角的交渉を準備することに、少なくとも現時点では完全に失敗したと言うべきであろう。
 だとすれば階級的労働者は、WTO閣僚会議決裂が浮き彫りにした帝国主義的自由貿易に対する批判、とくに国際自由労連(ICFTU)が閣僚会議に向けた「声明」で主張し、アメリカ総同盟・産別会議(AFL-CIO)が2万人の組合員をシアトルに動員して展開したデモで掲げられた要求に注目し、その検証をつうじて、今日、日本でもグローバリズムの名で労働者に押しつけられている労働基準の侵害に対抗する〃武器〃を見いだそうと努めることは、やはり有意義であろう。

国際自由労連の「声明」

 WTOの開会式が予定されていた前日の11月29日は、シアトルに集まったNGOや労働組合によって「環境と健康の日」と名づけられ、当日はシアトル市内各所で集会やパネルデスカッションなどの多彩な催しが行われた。その中でこれらの催しに参加した全米鉄鋼労連のベッカー会長は、「労働権をはじめとする人権や環境保全の合意が、WTO協定の中軸にすえられない限り、WTOを拒否する」と発言、他にも「WTOは企業中心だ」などという批判の声があがり、それぞれの集会やパネルデスカッションは「公正な貿易」を一致してを要求し、デモ行進に合流した。
 また反WTOデモが警察の対応の遅れも手伝って大荒れとなった30日には、AFL-CIOが主催した「WTOに公正な貿易を要求する集会とデモ」にメキシコや南アフリカの労働者活動家も参加し、国際的な最低賃金制の導入など、世界的な労働条件を引き上げる処置を要求し、デモ行進では「NO MORE NAFTA」(北米自由貿易圏を繰り返すな)のプラードが掲げられた。それはNAFTAの成立によって、アメリカ多国籍企業が賃金の安いメキシコなどに主要な生産拠点を移し、他方ではアメリカ国内の工場が閉鎖されて大量の失業者が生まれ、さらに「途上国」で実現された低賃金がアメリカに「逆輸入」されて賃金の低額平準化が進行したという苦い経験が、アメリカの労働者と労働組合をして、WTOに新たな協定を要求する大きな動機となっていることを象徴するスローガンなのである。
 実はWTOへの抗議行動は、開催地のシアトルだけでなく欧州各地でも行われたが、その欧州でも統一通貨・ユーロの登場によるEU域内貿易の自由化の拡大によって、フランスやドイツなど労働基準の引き下げが困難な地域から、そうした労働基準が比較的弱いスペインなどに生産拠点を移転するなどの資本移動が活発化しはじめており、フランスの自動車メーカー・ルノーのベルギー工場の閉鎖は、こうした生産拠点のEU域内移転を象徴するものであった。その意味では、欧州の労働組合にとっても、NAFTAの成立によるアメリカ労働者の苦い経験は決して他人事ではなくなっているのであり、WTOの新協定に労働基準の遵守を盛り込むなどの要求は、まさに一致したものに他ならなかった。
 こうして国際自由労連(ICFTU)は11月26日、シアトル現地で執行委員会を開き、「国際貿易制度のなかで、中核的な労働基準の取り扱いに関する手続きと、基準を提案することができる常設機関の設置」を求める声明を発表した。そして29日、WTOとILO(国際労働機関)による共同フォーラムの設置を求めたEU、日本、トルコ、スイス、韓国、ノルウェー、ハンガリーの共同提案(「EU案」)が発表されると、これの強化が現実的であるとして(1),共同フォーラムは2001年の閣僚会議に、討議の成果を勧告つきで報告する、(2),フォーラムに参加する関係者に使用者団体を明記、(3),フォーラムは、WTO総会で報告できるように組織的位置づけを明確にする、(4),貿易制裁についても課題とするなどの補強を各国政府に要請することを確認したのである。

新しい何かなのか

 環境と農産物貿易の完全自由化をめぐって、「農業の多面的価値」を強調して各国農業の保護を「適正な水準」で認めるEU、日本の共同提案が、「途上国」の支持をある程度集めながらも、アグリビジネスの利益のためにアメリカが強く反発して閣僚会議決裂のひとつの要因になったのとは反対に、この貿易と労働基準に関する「EU案」は、アメリカの支持は確実視されていたし、「児童労働や低賃金を理由にした輸入制限などの制裁問題は討議対象から除外する」という「途上国」への妥協も盛り込まれたが、その「途上国」の強い反対に直面したことで決裂のもうひとつの大きな要因となった。
 当然のことだが、かつて植民地だった「途上国」から収奪した富を蓄積し、それによって長期間の莫大な設備投資と技術開発費用を賄うことで高い生産性を手中にしている帝国主義諸国との自由貿易競争において、「途上国」の有力な対抗手段のひとつは安価な労働力つまり低賃金である。かつてこうした「競争力格差」の問題は、国益と労働者の利益を混同した保護貿易の要求として収斂され、ナショナリズムと結びついた反動的勢力が台頭する基盤であったし、70年代前半までのAFL-CIOも、反共主義を旗印にした保護貿易主義の牙城であったと言って過言ではない。そして大きな転換を経過しつつあるとはいえ、現在のAFL-CI0やICFTUから保護貿易主義が一掃されているわけではないし、ICFTUの「現実的対応」が示すように、その要求がブルジョア国家から自立した労働者の階級的利害に立脚しているとも言い難い。
 だが他方では今日、この低賃金を目当てに国外に生産拠点を移転し、より安い製品を自国に輸出することで莫大な利益をあげ、その利益の大半がまた自国に送金されるという多国籍資本の活動が、労働者の団結権を否定したり基本的人権を抑圧することによって低賃金を維持する、そうした「途上国」政府の政策に大きく依存しているという厳然たる事実があり、NAFTAの下でメキシコに移転した多国籍企業の工場で、AFL-CIOが労働組合の組織化に挑戦しはじめるという、労働運動の側の新たな試みも始まっている。
 そして今回の反WTO集会とデモに示された特徴が、帝国主義諸国の多国籍資本にだけ莫大な利益をもたらし、他方ではそれが世界的規模で自然環境を破壊し食料の安全性を脅かし、あるいは基本的人権の侵害が深刻化していることに主要な批判の矛先をむけ、「公正な貿易」を一致して要求することで環境保護運動や人権擁護運動を担うNGOと国際労働運動の様々な組織が連携し、大衆的なWTOへの異議申し立てを行うことでグローバリズムと対決する大衆的な反撃の可能性を示したことにあるとするなら、それは労働者階級の国際的利益に合致するに違いない。なぜならそれは、結局のところ労働基本権や基本的人権というプロレタリア・インターナショナズムの基盤となる価値観を、グローバリズムに抗して世界に押し広げるからである。
 それはたとえ小さな一歩あるいは半歩ではあっても、アメリカとヨーロッパで数万人もの労働者大衆が、環境保護運動や人権擁護運動を担う非政府系組織の活動家たちと共に、そろって踏み出した半歩なのである。

 アメリカ中道右派の有力誌といえる「ニューズ・ウイーク」(日本版)12月15日号は、シアトルで展開された反WTO行動について「襲われた自由貿易」と題する10頁もの特集を組み、環境保護派の過激な市民や学生と、かつて保護貿易主義の牙城であったAFL-CIOの連携に驚き、中道右派らしい危機感から「彼らを団結させたのは何か、シアトルでの出来事は何を意味するのか」、それは「60年代的な反体制運動の再来か、好景気のおかげで金と時間をもてあました若者のバカンスだったのか。それとも、まったく新しい何かなのか」と書いた。
 しかり。それは社会的な諸運動との積極的な連携を求め、あるいは人権や労働権についての社会的な規制力の回復と強化をグローバリズムに抗して求めはじめた労働者階級の運動が、労働組合というもっとも初歩的な団結形態を通じて表現した、「まったく新しい何か」を予感させる事件なのだ。

 (さとう・ひでみ)


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