日産自動車の大量首きり合理化反対
国際的な自動車産業再編に抗し、労働者の国際連帯による反撃を
「資本の国際基準」に「労働者の国際基準」の対置を


合理化は既成事実なのか

 フランスの自動車メーカー・ルノーに事実上吸収合併された日産自動車は10月18日、そのルノーから派遣された最高執行責任者(COO)で、「コストカッター」(経費削減屋)の異名をもつカルロス・ゴーンが主導した大合理化案を発表した。
 「日産リバイバルプラン」と銘打たれた合理化案の詳細は、次頁の表「プランのポイント」にあるとおりだが、その中で階級的労働者が最も関心を寄せざるをえないのは、日産グループ全従業員の14%にあたる2万1千人もの人員削減を、2002年までの3年間で実現するという大量首切り計画と、購買コストの削減を名目にした下請け中小企業の半減計画、つまり下請け企業切り捨てによる倒産や解雇に伴う大量失業の発生である。と同時に日産の大合理化は、東京都武蔵村山市の組み立て工場や京都府宇治市の車体工場の閉鎖をはじめとする5つの工場閉鎖によって、日産の企業城下町であった自治体と地域にも重大な経済的打撃を与え、日産との直接的取引関係にはなくとも、企業城下町の経済に依存してきた多くの小売業や飲食店といった零細事業体をも窮地に陥れるであろうことも見逃すことはできない。
 もちろん発表された合理化案は、ゴーン自身も記者会見で表明したように「実行できるかどうかにかかっている」のであって、その決着は、ゴーンを先頭とする日産経営陣と、日産グループおよび下請け企業の労働者大衆、さらに零細事業主を含む日産企業城下町の地域住民の相互の力関係によって決まる。その意味では、日本資本主義を代表する基幹産業部門の日産資本と労働者民衆の闘いは、まさにこれから始まるのである。だがもちろん実情は少しばかり違う。
 18日に合理化案が発表された直後から、東京都や武蔵村山市など関連の自治体や経済団体などで取り沙汰されたのは、この合理化案の実現を前提にした対策や要請ばかりであったし、多くの報道も「2年後の閉鎖が決まった村山工場」などと、合理化が既成事実であるかのように扱うものが大半である。それはいうまでもなく、この闘いの主体的中核となるべき日産労連(540組合、18万人)と全日産労組(5万6千人)のみならず、同労組を傘下に抱えるナショナルセンターたる連合が、こうした合理化に対抗しえないことを誰もが承知しているからである。合理化案の発表をテレビ中継で見た日産労組の萩原委員長は、「この7、8年間再建に取り組み、座間工場も閉鎖したのに。その結果がこうとは・・・・」(朝日:10/19)と肩を落とし、同労組村山工場支部の馬場委員長も「閉鎖は納得はできない。しかし不景気のなかで、会社再建の必要性は理解しなければならない。難しいところだ」(同:10/28)と困惑して述べるようでは、労組側の敗北、つまり合理化案が既成事実と受け取られるのも当然であろう。
 だが繰り返して言うが、日産の合理化をめぐる闘いは10月18日の合理化案の発表によって始まったのであり、問われているのは、企業社会にどっぷりとつかり、いまや雇用を守ることすらおぼつかなくなった連合労働運動に代わるイニシアチブである。日産労組村山支部が全組合員を対象に行ったアンケート調査でも、「会社がつぶれては元も子もない」と、なお企業社会の防衛に固執して活路を見いだそうとする意見もみられる一方で、「ばかやろう」との殴り書きをはじめ「職場はどうなるんだ」「閉鎖はゆるせん」など、怒りと不満の声も少なくない。あるいは組合員40人と圧倒的な少数派組合ながら、全金プリンス自動車工業支部が前身という、総評左派組合の伝統を継承する全日本金属情報機器労働組合(JMIU)日産支部は、ただちに工場閉鎖反対の闘争方針を決定してもいる。
 もちろんこうした労働者個々の怒りと旧来的な左派の伝統が、そのままで新たなイニシアチブたりえないことも明かだが、階級的労働者は可能性のあるすべての条件を結合し、労働者の人権と社会的公正のために全力を挙げるだろう。なぜなら、日本資本主義の基幹産業で始まる大規模な生産設備破棄と首切り合理化は、失業や地域経済の没落を伴う大きな社会問題に他ならず、だからその合理化との闘いは、勝敗のいかんにかかわらず、社会的規制力をもつ労働運動の必要性を当の労働者のみならず、社会的運動を担うあらゆる自立的な市民運動や住民運動にも認知させうるか否かをめぐる、社会的労働運動の復権のための一里塚だからである。

自動車産業再編の正体

 周知のように今日の自動車産業は、国際規模での過剰生産に陥り、その生産台数はここ数年、連続して低下をつづけてきた。労働者大衆自身を巨大な消費市場として資本主義に組み入れたフォーディズムのもとで、かつては家庭電化製品とともに、戦後資本主義の恒久的経済成長と労働者大衆の生活向上を象徴する花形商品であった自家用乗用車生産は、重大な転機を迎えた。これが、豊田自動車と並んで日本を代表する自動車メーカーである日産が、フランスのルノーとの合併を選択せざるを得なかった、自動車産業の国際的再編の根本的背景である。
 この自動車産業の再編は、ネット販売、モジュール生産、環境技術の「三大革命」を焦点に展開されていると言われる。ネット販売とは、これまでの自動車販売会社を介した販売システムからインターネットを活用した直接的販売システムへの転換と確立をめぐる競争であり、モジュール生産とは、自動車製造の最終工程である組み立てラインの縮小や簡略化を可能にする、つまりこれまでバラバラに納入されていた部品をすでに組み立てられた部品として下請けに納入させる総合部品の開発と技術をめぐる競争であり、環境技術とは、言うまでもなく地球温暖化防止を名分とした排ガス規制の国際的基準を達成する、ガソリンエンジンに代わる次世代エンジンの開発競争である。
 中でも二酸化炭素(CO2)を排出しない次世代エンジンの開発競争は、深刻な環境問題を背景にした国際世論の後押しもあって、巨額の開発費の捻出を口実に自動車産業の大再編を正当化する絶好の宣伝材料とされている感があるが、その実態は新技術の一日でも早い開発とその独占をめぐる、国際自動車市場の覇権をかけた競争なのである。それはパソコン中枢技術を独占することで国際的覇権を手中にしたマイクロソフト社の、自動車業界版の再現と言って過言ではない。しかもその結末は、マイクロソフト社が独占禁止法違反で告発されたことに象徴されるように、独占を背景に不必要な機能や機械までもセットにして押し売りをする、言い換えればより大規模だが目には見えにくい無駄と浪費の拡大再生産が、こうした独占体にだけ富を集中させる不合理の常態化である。
 その意味で自動車産業の国際的再編の推進力である「三大革命」とは、総じて自動車生産と販売にかかわるコストダウンを旧来とは隔絶した水準で実現し、併せて新技術を独占的に支配して高い利潤率を確保することを目的にした資本主義的競争に他ならないのであり、結果として世界規模の自動車独占資本の台頭を促すだけであろう。
 ルノーの軍門に下った日産資本は、この技術開発競争の以前に、巨額の開発費調達を担保する国際的な販売競争の段階で「敗者にされた」とも言えるが、その敗北のツケを労働者と地域経済に付け回しするのが「リバイバルプラン」なのである。
 そうであれば、私的資本の生き残りや国際的独占に成り上がるために犠牲を強いられる労働者の側にも地域社会の側にも、自らの利益のために「リバイバルプラン」の全面的見直しを要求する当然の権利がある。だがこうした労働者民衆側の当然の権利の主張の前に立ちはだかるものこそ、「会社が潰れては元も子もない」という、連合労働運動の成立以降ますます強化されて定着した企業社会防衛の意識であろう。
 したがって階級的労働者の闘いは、なお労働者大衆の多数の中にある企業社会防衛の意識を踏まえ、しかしその内在的な変革を促すことを追求しうる、具体性を備えた対抗的提起を求められることにもなる。それは端的に言えば、経理の全面公開や賃金と労働時間のスライディングスケールの要求から出発し、国家もしくはその経済的基盤たる基幹産業をめぐる、階級的ヘゲモニーのための闘争へと労働者大衆を誘(いざな)う過渡的綱領の方法論に基づく提起であり、あるいは権力と階級的ヘゲモニーの問題を組み入れた構造改革的方法論とも言える提起であろう。

資本と労働者の「国際基準」

 こうした対抗的提起は、階級的労働者の全国的で緊密な協働ばかりか、当然のことだが日産労働者自身の肉声を反映するものとして練り上げられなければならないし、そのためには、日産の職場と労働者の現実が正確かつ詳細に把握されなければならない。そうした必要にもとづく最初の試みが、12月19-20日の2日間、全国一斉の電話相談活動として計画されているが、これにとどまることなく、日産労働者とのあらゆる相談や対話の可能性が、3年という合理化推進の全期間を射程に入れて、今後も持続的かつ系統的につづけられなければならない。
 だがこうして、日産労働者の肉声を反映する、具体性を兼ね備えた対抗的提起が練り上げられるには、まだ時間がかからざるをえない。この主体的立ち遅れは現実の力関係の反映であり、一朝一夕に克服されるものではない。しかし一方でその間、階級的労働者は、企業内の密室で進められ、しかも日産労組と日産労連の敗色濃厚な日産資本との交渉を傍観することもできない。その意味では直ちに、日産の合理化攻撃に反撃するキャンペーンが、可能な場所から可能な内容で始められる必要があるだろう。そうした緊急キャンペーンのひとつとして、カルロス・ゴーンの「コストカッター」としての〃実績〃を徹底的に暴き出し、同様の手法で犠牲を強いられた世界各国の労働者、とりわけまだ記憶に新しいルノー・ベルギー工場の閉鎖で、当のゴーンと対決した経験をもつヨーロッパの労働者や労働組合との連携を訴えるキャンペーンが考えられるであろう。 と同時に、ゴーンを糾弾してヨーロッパ労働運動との連帯を訴えるキャンペーンは、自動車産業にとどまらず、すでに金融再編の過程でも避け難い現実となりはじめている国際的規模の金融・産業再編という現実に対して、企業社会内部での、あるいはせいぜいが資本系列グループや地域経済の範囲でしか対案を考えられない硬直した労働運動や官僚機構の対応策を越えて、産業再編のレベルと同じ国際的レベルでの対決をも選択肢に含める新たな運動上の道筋を、日産大合理化という社会的事件を通じて多くの労働者民衆に示すことにもなるだろう。
 しかもこの国際的労働者との連帯を実現する運動は、ある意味で「資本の国際基準」を外圧として利用し、リストラと称する首切りや合理化の必要性を労働者に信じ込ませようとするブルジョアジーに対抗して、日本の労働運動の現状との比較では、なお労働組合の社会的規制力として影響力のある国際労働機関(ILO)や労働組合の国際産別組織などを活用した、「労働者の国際基準」の対置に道を開く可能性をもつだろう。
 現に、日産の大合理化計画が発表されてからちょうど1ケ月後の11月18日、国労組合員の採用差別事件をめぐる昨年5月の東京地裁判決に対して、ILO結社の自由委員会は、事実上この判決がILO98号条約違反であることを強く示唆し、解決交渉の奨励と引きつづく情報提供を日本政府に勧告する報告を理事会に提出、同日の理事会本会議がこの勧告を採択した
【5頁参照】。このILO勧告は、東京地裁での不当判決以降、戦術的後退を強いられた国鉄闘争にとって新たな転機となる可能性をもつが、それは同時に、日産大合理化との闘いと国鉄闘争が、国際労働運動の諸機関や国際産別組織を活用する労働者の国際的連帯を共通の基盤にして、当面する労働者運動の大きな焦点において連携しうる客観的可能性を示しているのである。
 われわれは階級的労働者との協働と連携を一層強め、日産資本の大合理化案「リバイバルプラン」に対して、労働者の人権と社会的公正を対置する運動と要求のために全力で闘うであろう。

        (ふじき・れい)


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