【北朝鮮の核実験と弾道ミサイル防衛】

露呈したブッシュ外交の破綻

−米中連携を促進した「瀬戸際外交」の皮肉−

(インターナショナル第168号:2006年10月号掲載)


▼「国際社会」の外交的破綻

 10月3日、核実験を予告する外務省声明を発表した北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は9日午前、朝鮮中央通信を通じて、核実験の実施を発表した。
 その後、韓国やロシアなど周辺国で観測された地震波が、これまでの核実験との比較ではかなり小規模であり、空中に飛散するはずの放射性物質もなかなか検出されなかったことから、一時は「偽装実験」との疑惑まで持たれたが、10月中旬までには、プルトニウム型圧縮核爆弾の未熟爆発であろうこと、つまり核実験として成功とは言えないまでも、実験そのものが実施されたことが、放射性物質の検出によって確認された。

 わたしは、北朝鮮の核実験に至る外交的プロセスが、ブッシュ政権による無謀とも言える挑発外交の帰結であることを確認する。だがその上でなお、北朝鮮による核実験の強行を強く非難する。
 なぜなら今回の核実験は、アメリカと日本のタカ派による好戦的扇動に格好の口実を与え、北朝鮮自身を国際的な経済的軍事的包囲という苦境に直面させると共に、米日両国政府の外交を批判し、北朝鮮の経済的苦境に対する人道的援助を訴えてきた、日本と韓国の反ブッシュ・反自民党勢力に重大な政治的後退を強いるからである。それはまた核兵器廃絶運動を含む反戦平和運動にとっても、大きな打撃となるだろう。
 現に今回の核実験の強行は、米日が主導する国連安保理の制裁決議が満場一致で採択される結果をもたらし、自民党の対北朝鮮強硬派が、海上自衛隊による船舶の臨検を可能とする「周辺事態宣言」を声高に求め、「対抗的核武装は合憲だ」とまで騒ぎ立てるのをおおいに助長している。
 それはまた北朝鮮が、1945年に崩壊した旧大日本帝国の国際戦略の焼き直しとも言える外交によって、つまり「先軍政治」と称して「暴力装置としての国家」の強化を追求し、いわば「軍国主義」によって自らの国際的地位を確保しようとする外交が、戦後資本主義との対抗において全く無効であることを、改めて確認する事態でもある。
 もちろん、米日タカ派による対北朝鮮強硬策の空騒ぎは、極東の戦禍がもたらす韓国と日本の被害を著しく軽視した無責任極まりない扇動であり、後述するように、「新たな軍拡」に利権を見いだそうとする動機不純なご都合主義である。だがそれでも「軍国主義」の北朝鮮が、「核実験の実績」を背景にして外交的優位を実現しようと躍起になるであろう事態は、日本を含む周辺諸国の政府と民衆にとっては、「深刻な不安定要因」の出現であるには違いなのだ。
 その意味では、小泉の対アジア外交と安倍新政権のタカ派傾向を批判し、アジア諸国との真摯な協調を求めてきたわたしたちも、今回の核実験が東アジアにもたらしたこの「不安定要因」を直視し、まさにこの観点から、北朝鮮の核実験に対する批判を明確にする必要がある。
 だがそのうえで、ついに北朝鮮による核実験を阻止できなかった6カ国協議を含むいわゆる「国際社会」の外交的失策、とりわけアメリカの対北朝鮮政策の失策と破綻を跡付けておくことは、厄介な隣国・北朝鮮と否応無しに向き合い、今後ますます難しくなるであろうこの国への外交的対応を可能な限り危険な誤謬から遠ざけるための、必要な教訓となるはずである。

▼危機の発端=「悪の枢軸」演説

 多くの人々にとって、現在の朝鮮半島危機の発端が何であったかは、すでに忘れられている事かもしれない。
 もちろん、核開発をめぐる今回の朝鮮半島危機がアメリカのイラク侵攻と直接関連しているとの指摘は多くあるし、その発端となったのが02年1月の「悪の枢軸」3カ国を非難するブッシュの一般教書演説であることも明らかである。
 国際世論の圧倒的な反対を押し切って、アメリカがイラクのフセイン政権を打倒した現実を「教訓」とした金正日が、核武装の必要を痛感したと論評することができるのなら、その金正日が、まさに自らの運命と重ねて合わせてイラク戦争を注視せざるを得なかったのは、イラン、イラクと共に「悪の枢軸」3カ国として名指しされていたからに他ならないからである。
 だが当時から指摘されていたように、イラク、イランと並んで北朝鮮が名指しされたことは、かなり唐突ではあった。というのもイランとイラク両国は、世界最大の原油供給地帯である中東における最大の「反米拠点」であり、イランは20年以上にわたって「核エネルギーの平和利用」の権利を主張して核兵器開発に関して疑惑の目を向けられてきていたし、イラクは言うまでもなく、フセイン政権を排除するイラク戦争の口実として名指しする必要があったのは明らかである。だが北朝鮮を、あえて名指しで非難すべき理由は当時、必ずしも明確だった訳ではない。
 現にブッシュが「悪の枢軸」に言及した02年1月当時、北朝鮮は、1994年6月の米朝二国間の「枠組み合意」にもとづき、核拡散防止条約(NPT)加盟国として国際原子力機関(IAEA)による核施設の査察を受け入れており、同国の核開発は差し迫った問題ではまったくなかったのである。だが事態は「悪の枢軸」演説を契機に急転し、ブッシュ政権が国際世論の反対を押し切ってイラク戦争へと突進し、フセイン政権を打倒したのと軌を一にして深刻化した。
 イラクに対する国連査察要求から「査察妨害」への非難、さらには「査察妨害の排除」を口実にして「武力行使」を主張するアメリカ・イギリスと、これに反対するフランス・ドイツが安保理決議をめぐって対立を激化させた02年後半から03年初頭にかけて、北朝鮮は核開発の権利を主張してその意図を公然化させたからである。

 ことの発端は02年10月4日、北朝鮮は米朝二国間会談の席上、前月9月17日の日朝首脳会談で表明した「核開発の『国際合意』の受け入れ」を反故にし、核開発の意志を表明したことであった。そしてこの2つの会談に挟まれた9月21日が、米英両国がイラクに対する最後通帳と言うべき安保理決議案を公表した日なのである。
 だがこうして、北朝鮮が核開発断念を撤回したのを受けて、前述の「枠組み合意」にもとづいて北朝鮮に原油を供給してきた朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)理事会は、11月14日、原油供給を11月で打ち切る決定を行うと、17日には北朝鮮が、電力確保を名分に核開発の再開を宣言し、今回の核実験にいたる「朝鮮半島危機」が始まった。
 以降、北朝鮮は02年12月に核施設の封印を解除してIAEA査察官を国外に退去させ、翌03年1月にはNPTを脱退、いわゆる瀬戸際外交へと転じてゆくのである。

 しかし問題は、これに止まらない。以上のようなイラク開戦と北朝鮮による核開発との因果関係に、「弾道ミサイル防衛」(BMD)推進というブッシュ政権の重要政策を重ね合わせると、もうひとつの思惑が浮かび上がってくるからである。

▼「テポドン」とBMDの復活

 ブッシュ政権が掲げるBMD構想は、レーガン政権の「スターウォーズ」を継承した父・ブッシュ政権の構想を原型にしており、その意味でこの政策はフセイン政権の打倒と同様に、父・ブッシュ政権がやり残し、クリントン政権時代に後退を強いられた、もうひとつの念願でもあった。
 ところがBMD構想は、9・11テロ直後の01年10月、大幅な延期を余儀なくされた。「テロとの闘い」を優先せざるを得なかったブッシュ政権は、莫大な開発費用に比較して効果が疑わしいとの批判を受けていたBMD構想を、一時的にでも棚上げにせざるをえなかったのである。
 だが、ポスト冷戦の国際新秩序をアメリカによる世界の一元的支配として展望するネオコン(新保守主義)勢力は、アフガニスタン侵攻後の戦略として、イラクのフセイン政権打倒を突破口とする「中東民主化」と併せて、ロシアと中国の「核抑止力」を無効にしようと、弾道ミサイル防衛の開発と配備を推進しようとしたと可能性がある。
 なぜなら当時、フランス、ドイツをはじめ世界各国から非難された「単独行動主義」を貫き通すためには、ロシアと中国の核弾道ミサイルを無力化することは、是非とも必要な対策だからである。
 こうしてブッシュ政権は、「悪の枢軸」演説直後の02年2月16日、BMD開発の再開を印象づける迎撃実験を実施し、その2日後の18日、日米の外相会談で、開発費用の分担を含意するミサイル防衛の協力で合意するのである。それは98年8月、北朝鮮の長距離ミサイル「テポドン」が日本列島を飛び越えるという衝撃的な事件以降、北朝鮮の長距離ミサイルの「脅威」を盛んにアピールしていた日本政府が、莫大な開発費用の分担をふくめてBMDを推進する強力なパートナーになるだろうとのブッシュの期待が、「悪の枢軸」演説とこの合意によって実現されたことを意味していた。
 もちろん以上の分析は、状況証拠にもとづく仮説に過ぎない。だが、単独行動主義に貫かれた「中東民主化」政策とBMD開発は、文字通り平行して推進されたし、BMD開発が「朝鮮半島危機」の深化と共に加速されたのも、まぎれもない事実である。さらに言えば、「テロとの戦争」を名目に大幅に増額されたアメリカの軍事予算の大半は、実はイラクやアフガンで展開されている実際の作戦にではなく、「戦争のIT化」計画やBMD開発を含む「軍のハイテク化」計画につぎ込まれていることも、この疑惑を裏付ける状況証拠なのである。
 つまりブッシュが「悪の枢軸」として唐突に北朝鮮を非難し、ある意味で「意図的」に朝鮮半島で危機を引き起こしたのは、北朝鮮の核兵器保有が差し迫った脅威だったからではなく、挫折しかけていたBMDを再び推進するために、「テポドン」への対抗策に右往左往する日本政府に莫大な開発資金の負担をもちかけ、同時に国防総省内にも根強いBMDに対する懐疑や批判を封じる方便であった可能性は否定できないのだ。
 それは当時、外交政策の決定権を事実上握っていたネオコン勢力にとって、核兵器開発疑惑でフセイン政権打倒の口実を得ようとしたのと同様、BMD開発再開を推進する口実として、さらには日本に莫大な開発資金の分担を持ちかけることもできる、一石二鳥の妙案だったのかもしれない。

▼極東という実験場と「新」軍拡競争

 こうした、ブッシュ政権が「演出」したとさえ言える朝鮮半島危機が、謀略だったと言いたいのではない。それは、イラクのフセイン政権打倒のために、あらゆる情報操作をふくめて開戦の口実を準備したのと同様に、BMD構想を推進したいブッシュ政権が同じような情報操作を行い、金正日への挑発を仕掛け、反対派を封じてBMD開発を促進しょうとした可能性が高いということを指摘したいだけである。
 事実、「北朝鮮の核実験は、米国のBMD推進勢力にとっては追い風になるだろう」(10/13:朝日「動き出すBMD」C)との報道は、ブッシュによる「悪の枢軸」演説を機に深刻化し、ついには核実験という最悪のシナリオを阻止できなかった朝鮮半島危機の一連のプロセスを通じて、BMD開発の推進と実践配備とが、また一段と加速されることを暴くものである。
 しかもブッシュ政権は、BMDを実践配備する最初の地域として、当初からこの極東を想定していたと考えられる。言い換えれば、北朝鮮の弾道ミサイルの「脅威」を口実にしてBMD開発を推進する、これこそが「悪の枢軸」演説で北朝鮮を名指しで非難した、彼らの真意だったのではないか。
 と言うのも04年9月、アメリカ海軍がBMDの実践配備をにらんで日本海で弾道ミサイルの監視を始めたとき、北海道・奥尻島沖西方150〜230キロメートルの海域は、当初から「BMD作戦海域」と名付けられ、つづいて今年8月29日には、弾道ミサイル対応型の迎撃システムを搭載した、世界で初めての、そしてもちろんアメリカ海軍でも唯一のイージス巡洋艦「シャイロー」が、横須賀に配備されたからである。
 空母機動部隊を攻撃する対艦ミサイルの迎撃を目的に建造されたイージス艦に、弾道ミサイル追尾レーダーと海上配備型迎撃ミサイルを搭載して実践配備するブッシュ政権の構想は、北朝鮮の瀬戸際外交と軌を一にして着々と進められていたのだ。
 そして10月24日、自民党の国防関係合同会議は、今年度末に予定されていた海自イージス艦の実践配備を3カ月前倒しし、「シャイロー」と同じく弾道ミサイル対応型に改修中のイージス艦「こんごう」を、今年末までに実践配備することを決めたのである。もちろんこの前倒しは、北朝鮮による7月の弾道ミサイル発射実験と9月の核実験を受けて、米側は改修に必要な部品を早期に引き渡し、日本では改修工期を短縮するなど、日米両国政府の緊密な協議にもとづいて合意されたものなのである。
 さらに日本政府は、アメリカ本土の攻撃が可能な長距離ミサイルに主要な関心を向けるアメリカとは違って、中距離から長距離まで幅広く弾道ミサイルへの警戒が必要だとし、アメリカの技術をもとに独自の迎撃システムの保有を03年末に決定し、すでに純国産の弾道ミサイル追尾レーダーの試作品で試験を繰り返しており、08年度から全国4カ所に順次配備する計画もある。
 そして問題のもうひとつの核心は、このBMDに係わる膨大な開発費用が、おそらくは先端技術開発をめぐる巨額の政治利権をともなう、軍拡競争の呼び水になるだろうということである。

 「核兵器が戦争を抑止する」という、「武装平和」の論理に支えられた冷戦時代の核軍拡の連鎖は、冷戦が終焉するはるか以前に、米ソ両国の国家財政を圧迫しつづける莫大な管理コストを軽減する「核軍縮」なる糊塗策綻を必要としていたし、安保理常任理事国による核の独占が、イスラエルやインド、パキスタンなどの核保有によって打ち破られた時点で、「戦争抑止」論は破綻を余儀なくされたのであった。
 だがこうした「核軍拡の終焉」は、他方では、第二次大戦後の経済的拡張の牽引車でもあった、国家による軍事技術への莫大な投資の代替えの必要を明らかにもした。なぜなら、国家の投資で開発された最先端の軍事技術が次々と民間に移転され、その技術革新が新たな経済的拡張を牽引するという戦後経済の発展モデルは、アイゼンハワー大統領が1961年の告別演説で「軍産複合体」を批判しようがしまいが、戦後経済に組み込まれた現実だったからである。
 レーガン政権が「スターウオーズ」計画を唱え、父・ブッシュ政権が戦略ミサイル防衛構想を推進しようとしたのは、アメリカの軍事的優位の確保という動機とともに、この核軍拡に代わる、国家による膨大な軍事技術への持続的投資を正当化するという経済的動機も隠されていたのである。
 ミサイル技術の開発に限界がない以上、BMDの技術革新にも終わりはない。いたちごっこの弾道ミサイル開発と迎撃システムの開発競争は、軍産複合体に新たな莫大な利益をもたらさずにはいないし、日本の軍需産業にとっても、それは乗り遅れることのできない国際競争の一環なのだ。

▼イラクの破綻とBMDの未来

 こうして、ブッシュ政権の「悪の枢軸」演説以降の対北朝鮮政策は、BMD開発と実践配備の推進という「本当の目的」を、北朝鮮による核実験という最悪のシナリオと引き換えに達成したのである。
 だがそうだとすれば、戦争によってフセイン政権を打倒する「本当の目的」は達成したものの、「中東の民主化」や「テロリストの封じ込め」といった戦略的目標の達成という意味では完全な失敗に終わったイラク戦争と同様に、ブッシュの対北朝鮮政策も、BMD開発の推進と実践配備という目先の目的を達成できたに過ぎまい。
 というのも、中国とロシアの核抑止力を無効化するという戦略的目標を達成できる可能性は、ほとんど無いからである。「ミサイル技術の開発に限界がない以上、BMDの技術革新にも終わりはない」からだが、逆にこうした「終わりなき開発競争」こそは、実は軍産複合体が期待する長期的な経済的拡張モデルと言えるかもしれない。
 だが最も肝心なことは、こうした軍産複合体の利益は、何の生け贄もなしには実現できなかったことである。つまり「終わりなき軍拡競争」という軍産複合体の利益は、結局は極東の不安定化、すなわち朝鮮半島における「戦禍の危機」と引き換えに達成されたと言うべきである。
 ということは、BMD開発への協力と莫大な投資を決めた日本政府は、日本を戦禍の危機に直面させるリスクを犯してでも、アメリカの軍産複合体と連携して国際競争力を確保しようという、勇ましいナショナリズムとは裏腹な、無謀で危険な道を進みつつあるとは言えないだろうか。

 こうした悲観的な予測には、残念ながら有力な根拠がある。
 それは、アメリカの外交政策決定の「奥の院」と言われる外交問題評価会議(CRF)のリチャード・ハース会長が、イラク占領の失敗とパレスチナ和平の失敗が、結果としてアメリカの中東での政治的影響力を低下させたと結論づけた論文「中東混乱期の夜明け」(A troubling Middle East era dawns)を、10月16日に明らかにしたからである。
 イラク戦争とパレスチナに関するこうした否定的評価が、ただちにブッシュ政権の外交政策の軌道修正を促すとはもちろん言えないが、これと同様の否定的評価が今後、今回の朝鮮半島危機に関しても提起される可能性は小さくはない。
 特にBMDに関しては、02年2月に再開された迎撃実験の実績がかんばしくない事実を受けて、国防総省内でも再び批判が強まりつつある。実際にBMDの迎撃成功率は、事前に発射時間と場所が判っている実験の場合でさえ40%程度でしかないのは、推進派自身も認めているのだ。
 実は今年8月、東京都内で、米国政府高官や軍需メーカーの幹部も交えてBMD関連のシンポジウムが開かれたが、そこで元防衛庁長官・石破は「100%ではなく4割、5割でも打ち落とせるなら、効果は費用を償って余りある」と述べた。だがそれは、例えば北朝鮮が、在日米軍基地に向けてたった2発のミサイルを発射するという比較的簡易な想定の場合でさえ、1発は何らかの被害を生じさせるということである。しかもその被害は、無視すべきだと言うに等しい。
 そのうえこの場合の被害は、北朝鮮の誘導技術の精度を考えれば、米軍基地内にとどまる可能性も極めて低い。

▼米中日の連携とアジア外交

 こうして、軍事オプションに固執し、北朝鮮の対応を見くびるような対応に代わるもうひとつの選択肢、つまり北朝鮮に核開発を中止させ、「ミサイルを発射させない」ための外交的努力が、再び真剣に検討される必要が浮き彫りになるのである。
 しかもこの外交努力に関しては、北朝鮮の核実験の強行が、米中日3カ国の連携を強化するという皮肉な結果をもたらしつつある。という以上にアメリカの対中国政策は、イラク情勢のドロ沼化とともに、台湾海峡を挟んだ「戦略的ライバル」から、国際社会の「レスポンシィブル・ステークホルダー(responsible stakeholder)」へ、つまり「世界の運営に共同責任を持つ勢力」へと関係の見直しが進められ、とくに6カ国協議が開催されて以降は、ミサイル発射や核実験が現実味を帯びる度合いに応じて、極めて緊密な連携を保つに至っている。
 この変化は昨年7月、中国の軍拡を「脅威」とした国防総省の年次報告の公表が、対中関係を重視する国務省の抵抗によって4カ月も遅れたことに象徴されていた。すでにこの時点で、ホワイトハウスは国務省側を支持して「戦略的ライバル」を削除、「脅威」の表現だけを残したと言う。

 ところでわたしは、小泉政権による対北朝鮮外交に関して、経済制裁など効果のおぼつかない圧力を強めるよりも、日中韓3カ国の連携と共同歩調の実現のほうが、金正日にとってはより効果的な「圧力」となると主張してきた(本紙151号:04年12月「被害者家族を窮地に追いやる/北朝鮮への経済制裁に反対する」)
 つまり北朝鮮による核実験の強行がもたらした「皮肉な結果」は、むしろ対北朝鮮外交を抜本的に立て直し、「アジアでの孤立」状態を打開する恰好の機会を客観的には日本に提供しているのだが、「独自の制裁」をいち早く打ち出した安倍政権は、依然としてその意味を理解していなか、その意志が無いのかのどちらかである。
 日中と日韓の両首脳会談の再開という、その限りではアジア外交の「華麗な転換」を演じてみせた安倍政権だが、それさえも前述したアメリカの「対中政策の転換」という好機に恵まれた幸運の賜物であるに過ぎないのであれば、アメリカの対北朝鮮外交に追従したあげくに核実験の阻止に失敗した外交的失策の結末は、有効な手段を持たずに「北朝鮮の脅威」を煽り立てる、子供じみた空騒ぎになるしかない。

(10/30:さとう・ひでみ)


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