●パレスチナ評議会選挙とイスラエル総選挙

虚構と化した「暫定自治」と敵意に包囲されるイスラエル

− 囚われの共犯者・ファタハの没落 −

(インターナショナル第165号:2006年5月号掲載)


▼ハマスの勝利、カディマの辛勝

 今年1月のパレスチナ評議会選挙における「ハマス」(=イスラム抵抗運動)の勝利と、3月に行われたイスラエル総選挙での「カディマ」(=前進)の勝利とは、投票前から予測されていたことだった。
 だが同時に2つの選挙結果は、欧米諸国とロシアそして国連といった、「国際社会」と称する関係諸国や国際機関の期待を大きく裏切るものでもあった。
 なぜならハマスの勝利は、PLO(パレスチナ解放機構)の揺るぎない主流派であったファタハ(=パレスチナ解放運動)とアッバス議長の主導する路線が、パレスチナ民衆自身によって公然と拒否されたことを意味したし、他方カディマの勝利は、入植地拡大に固執する「大イスラエル主義」のリクード(=団結)と決別して結成された「中道右派」の路線が、必ずしも期待されたような広範な支持基盤を見いだせないことを露呈する結果に終わったからである。
 つまり1993年9月の「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」いわゆる「オスロ合意」に基づいて、イスラエルとPLOの交渉を通じてパレスチナに「ミニ国家」を建設し、これによって「和平」を達成するという構想を承認し、これを支持する「国際社会」の要求を受け入れる勢力がイスラエルとパレスチナの双方に形成されるという期待は、結局実現されなかったのである。
 しかもハマスの勝利は、「唯一現実的な打開策」として、「国際社会」とファタハのアッバス議長らが追求してきた「パレスチナ国家」の建設が、パレスチナ民衆自身にさえ見放されたという衝撃的な事実を暴き出すことにもなった。
 こうした、パレスチナ評議会とイスラエル議会に同時に現れた政治的変動は、2つのことを確認することになった。
 ひとつは、オスロ合意に端を発し、以降10年余に及んだ「中東和平構想」が、9・11テロ事件を契機とした国際情勢の大きな変化にも翻弄されて、最終的に破産したということである。そして2つ目は、まさにオスロ合意の破産の結果として、「和平」の主要な障害として「国際社会」が非難してきたPLO内部の政治的分岐が公然と姿を現した一方、イスラエルでも〃右派・リークド対中道左派・労働党〃という、旧来的枠組みの根本的再編をはらんだ政治的流動が、いやおうなしに始まったことである。

▼オスロ合意の破産とファタハの没落

 ところでオスロ合意は、「端から虚構だった」と言う訳ではない。1982年のベイルート撤退以降、PLOは長期の国際的流浪によって疲弊していたし、他方のイスラエルも当時、安全保障コストの高騰という難題に直面していたからである。当時の対イスラエル投資の減少は、治安に対する不安が原因となったイスラエル経済の低迷を招く危険だった以上、両者には妥協を模索する必然性があったのは確かだからである。
 だが9・11テロ事件とブッシュ政権によるイラク戦争の強行が、中東全域に大きな変化をもたらした。とくに「テロとの闘い」を追い風にしたイスラエルのシャロン政権は、強硬派の反対を押し切ってガザ地区から一方的に撤退するなど、「パレスチナとの妥協」を演出する反面で武装抵抗運動には容赦のない軍事報復で応え、難民キャンプに対する度重なる軍事攻撃を行うことで、オスロ合意に基づいた「暫定自治」を繰り返し崩壊の危機に直面させてもきた。
 こうした条件の下では、交渉による「和解と共存」は、パレスチナの一方的屈服以外の何物ももたらしはしない。だがオスロ合意に固執する「国際社会」とファタハのアッバス議長は、これに代わるいかなる展望も提起することはなかったのだ。

 一昨年11月、パレスチナ解放闘争のカリスマであったアラファト議長が死去し、翌05年1月の評議会議長選挙で、PLOの改革とイスラエルとの対話によるパレスチナ自治政府の正式発足に意欲を見せるアッバス氏が当選したとき、「国際社会」はオスロ合意の進展に強い期待を表明した。
 武装解放闘争の指導者だったアラファトではできなかった妥協が、「改革派」のアッバスによって行われるのではないかとの期待が高まったのである。
 だがその後の1年間、「国際社会」とアッバス議長が交渉進展の期待を繰り返し表明したにもかかわらず、事態は全く進展しなかった。前述のようにシャロン政権は、ガザ地区とヨルダン川西岸の占領地でパレスチナ抵抗運動への武力弾圧を強め、パレスチナ指導者の暗殺を繰り返しつづけた。そしてついにヨルダン川西岸の主要な入植地を長大な「分離壁」で囲い込み、それを国境にする政策を公然化するに至ったのである。
 もし近代国家の存在意義が、自国民の生命と財産の保護にあるなら、「パレスチナ国家」の前身というべき「暫定自治政府」は、イスラエル軍による「自国民」の蹂躙と土地のさん奪を傍観してきたと非難されても仕方がないだろう。
 まさにこうしてパレスチナの民衆は、シャロン政権の理不尽な軍事攻撃に手をこまねくばかりで、「国際社会」の援助で支えられる暫定自治政府の地位に安住し、それを利権として私腹を肥やすファタハへの不信を募らせたのである。厳格なイスラーム主義を掲げるハマスへの支持は、武力解放路線への支持という以上に、堕落したファタハへの厳しい批判を含んでいるのだ。
 ところが、オスロ合意の破産を絶対に認めようとしない「国際社会」は、イスラエルの国家テロを阻止するでもなく、パレスチナ人のテロばかりを非難し、「ハマスが勝てば援助を止める」と脅したのだ。それはハマスの勝利を決定づける、「国際社会」の傲慢さを自己暴露する失策であった。
 つまり評議会選挙でのハマスの勝利は、パレスチナ解放運動の展望を喪失して悲観主義に陥り、実態の無い「パレスチナ国家」にしがみつくファタハの路線的破産の帰結だっただけではなく、この「旧い主流派」を財政援助という鎖で囚人のように繋ぎ止め、「中東和平」という取引の〃共犯者〃に仕立てようとした「国際社会」の戦略が、根本的に崩壊したことも暴いたのである。

▼中東の民主化とイスラエルの孤立

 ところで、こうしたパレスチナ側の主体的混乱は、イスラエルが有利な状況をつくる好機となりそうだが、これがまたそうでもないのだ。むしろイスラエルも深刻な危機に直面していることで、両者の緊張が高まりつづけていると言える。
 イスラエルが直面する最大の危機は、イラク戦争を契機に中東全域で強まった反米感情であり、その米国に支援されるイスラエルに対する大衆的敵意の増大である。
 もちろんアラブ世界の反米・反イスラエル感情は、1948年のイスラエル建国以来ある感情だが、今日のそれは「民主化」によって、つまり欧米諸国が要求してきた普通選挙が、パレスチナをはじめアラブ諸国で実施された結果として顕在化した、まさに合法的に台頭したという意味で、これまでとは異質なのである。つまり今日の反米・反イスラエル感情は、「新たな質と広がり」を獲得しつつある分だけ、イスラエルにとっては深刻な事態なのである。
 イスラエルが直面する危機が深刻化する反面で、PLO内部の混乱と「ファタハの堕落」というパレスチナ側の主体的混迷がそれを覆い隠している。これが現在の中東の、偽りのない現実である。
 しかも、「選挙によって増幅される反イスラエル感情」の評価をめぐって、イスラエル政府とその後ろ盾である「国際社会」、とくにイラク戦争以来「中東の民主化」を戦略目標に掲げてきたアメリカのブッシュ政権との間に重大な認識ギャップのあることが、現状を打開する方策を見い出すには、最大の障害となっている。そしてこの現状認識ギャップは、1月のパレスチナ評議会選挙の予測の違いに現れていた。
 イスラエルの情報機関・モサドは、選挙でハマスが勝利するだろうとの予測に危機感を強め、アッバス議長らパレスチナ自治政府に圧力をかけ、選挙を延期させるよう政府に進言していたと言う。現にシャロン政権は昨年12月、治安維持を理由に「パレスチナ評議会選挙では、東エルサレムでの投票を許可しない」と発表し、アッバス議長が選挙延期を宣言する格好の口実を提供した。
 ところがブッシュ政権は、「選挙を実施しなければ(自治政府への)援助を打ち切る」と全く逆の圧力をかけ、結果として選挙は予定通り実施され、モサドの予測どおりハマスが勝利したのである。
 ブッシュ政権が「テロと闘う」大義名分として掲げた「中東の民主化」戦略が、その思惑とは全く逆に、アラブ民衆が反米・反イスラエル感情を表明する格好の機会を提供することになる事態は、イラクの選挙で勝利したシーア派勢力が、反米傾向を強めるイランとの連携を深めつつあることでも十分に予測されたことであった。
 だとすれば問題は、欧米型の自由主義や民主主義のドグマに囚われ、パレスチナで増幅される敵意と報復の応酬という悲惨な現実を傍観し、結局はすべての厄災を中東地域に押し込める「和平」を上から押しつけようとする、「国際社会」の傲慢さとその戦略的破綻にあるということになる。
 こうした「国際社会」の、現実を直視しない傲慢さに業を煮やすように、シャロン政権はガザ地区入植地を一方的に放棄し、ヨルダン川西岸の入植地は整理・統合して囲い込むという、「究極の安全保障」とでも言うべき新たな政策を推進するために、ネタニヤフ党首らリクード強硬派と決別して労働党を取り込む連立政権を目指して、「中道右派」を標榜するカディマ結党に〃追い込まれた〃と言うべきかもしれない。
 なぜなら「パレスチナ分離」政策というカディマの公約は、中東で増大しつづける敵意に囲まれた孤塁=イスラエル国家と入植地を維持するには、「物理的な立て籠もりしか方法が無い」と公言するに等しい、絶望的な孤立の確認だからである。そこには「ロードマップ」や自治政府との交渉が入り込む余地さえない、シャロン前首相らの強い危機感が表明されている。

 したがって選挙結果は、まったく不十分なものであった。カディマは第1党にはなったものの、定数(120議席)の4分の1にも満たない29議席しか獲得できず、「分離策」に条件付で同調する労働党の19議席と合わせても、過半数にも達しない辛勝であった。
 結果として、病床にあるシャロンの後釜であるオルメルト首相は、年金党(7議席)と正統派ユダヤ教政党・シャス(12議席)を含む連立政権の発足を余儀なくされたが、労働党以外の連立与党は、福祉と宗教関連の予算という〃金〃で買収した、戦術的連携以上は期待できない勢力である。
 イスラエルにおける不安定な連立政権の成立は、イスラエル国内において入植地の再編をめぐる対立が、予想以上に深刻であることを改めて明らかにしたのである。

▼「ハマス包囲網」の破綻

 それではパレスチナは、制御不能の報復の応酬に投げ戻されるのだろうか。もちろんその危険性は十分あるし、そうした予測が「国際社会」の側で強まるだろうことも、容易に想像できる。
 もっとも、こうした「国際社会」の悲観主義は、ハマスを「イスラム原理主義」の「テロ組織」と断じ、選挙で民主的に選出されたパレスチナ民衆の代表とは認めない、欧米的ドグマの産物に過ぎない。だがそうだとすればなおさら、PLOを「テロ組織」と断じて排除を試み、結局は挫折することになった四半世紀前と同じ失策を繰り返す可能性もないとは言えないのだ。
 現実にハマスの勝利に衝撃を受けた「国際社会」は、かつてPLOに突きつけたのと全く同じ「イスラエル国家の承認」という最後通牒を持ち出し、これを拒絶すれば暫定自治政府への直接支援、つまり自治政府の職員や治安部隊に支払う給与などの資金援助を凍結すると脅したのである。
 しかもハマスが、エジプトなどを介してイスラエルに停戦を打診するという、「国際社会」の予測を越える柔軟な対応をみせたにもかかわらず、「国際社会」はこれに冷水を浴びせ、〃25年前の失策〃を繰り返す寸前にまで突き進んだのだ。

 ハマスによる停戦の提案が明らかになった4月7日、アメリカとEU(欧州連合)は暫定自治政府に対する直接支援の停止を決定し、改めてハマスに路線転換を要求した。ハマスのハニヤ首相は「米国とEUの目的は自治政府を脅すことだ」と反発、「われわれは脅しに屈して政策を変更することはない」と強い調子で支援凍結を非難した。
 こうして、「国際社会」の兵糧攻めと、その「包囲網」に抵抗するハマスの攻防が緊迫の度を増すただ中で、ハマス「内閣」発足後はじめての、イスラエル国内での自爆テロが起きたのである。
 4月17日にイスラエルのテルアビブで起きた自爆テロは、「イスラム聖戦」という小さな抵抗運動組織によるテロだったが、この事件を契機にして、パレスチナ暫定自治政府内でハマスとファタハの、治安部隊の指揮権をめぐる対立が顕在化した。
 しかしそれ以上に「国際社会」を慌てさせたのは、ハマスに対するアラブ民衆の同情を背景にして、イランがハマスへに対する5千万ドルの緊急支援を表明したことだった。なぜならそれは、今日の中東における欧米諸国とアラブ世界の「新しい対決の構図」を示唆するものだったからである。しかも政教一体のイスラム国家建設を掲げるイランのシーア派政権と、イスラムの教義に厳格に従う社会生活を説きはしても、イスラム国家の建設とは一線を画す「世俗派」であるスンニ派のハマスが、反米・反イスラエルで連携することは、これまでの宗派関係では考えられないことでもあった。
 なによりも決定的だったのは、原油価格の高騰で経済的にも回復基調にある産油国のイランが、核開発問題で欧米諸国との対立を深める一方で、その潤沢な資金でハマスを全面的に支援して暫定自治政府の運営を支えることになれば、ハマスが「国際社会」の要請に耳を傾けなくなるのは、あまりにも明白なことであった。
 こうして「国際社会」は、ハマスを「イスラム原理主義」として排除し、ファタハとの〃腐れ縁〃に寄り縋(すが)る路線の軌道修正を余儀なくされたのである。
 米国とEUの援助停止の決定から1カ月後の5月9日、「中東和平4者協議」は、パレスチナ暫定自治政府の財政破綻と暴力の拡大を防ぐための「国際的連携」で合意した。さらに1週間後の15日、今度はEU外相理事会が、直接援助の停止によって悪化するパレスチナ自治区の経済状況に「重大な懸念」を表明し、パレスチナ住民に直接支援を行う暫定的な枠組みづくりを「最優先課題」とすることで合意したのである。
 イランの「介入」によって、「国際社会」による「ハマス包囲網」はわずか1カ月でほころび始めたのである。

▼柔軟なハマス、したたかなイスラエル

 この2カ月余りの間に繰り広げられた、暫定自治政府の新たな主流派・ハマスと「国際社会」の攻防は、もちろん第1ラウンドの攻防に過ぎない。
 だがこの最初の攻防を通じて、パレスチナの抵抗運動を「テロ」と断じ、ファタハの堕落を埋め合わせるようにハマスが実践してきた、病院や学校運営などのイスラム的相互扶助を「イスラム原理主義」として頭から否定するのは、パレスチナ民衆の反欧米感情を助長し、それと共にイスラエルに対する敵意を増幅するだけであることが明らかになったと言えるだろう。
 したがって「国際社会」は、何よりも暫定自治政府のハマス「内閣」が、他ならぬ「国際社会」の要求で実施された選挙によって選ばれた、パレスチナ民衆の正統な代表であるという厳然たる事実を受け入れることから出発しなければならない。
 「暫定国家」とは言え、選挙で選ばれた議会が承認した政府に最後通牒を突きつけ、その要求を受け入れなければ「交渉しない」と一方的に通告する行為は、例えばアメリカとEUが、選挙で選ばれた日本政府に最後通帳を突きつけるのと同じように異常極まりない事なのだ。だからこそ、この最も基本的で最も重要な前提が明確にされなければ、自爆テロなど〃抵抗運動の暴走〃に歯止めを掛けることすらできないだろう。
 だがまさにそのために必要なことが、オスロ合意の破産を「国際社会」が確認することなのである。なぜなら、オスロ合意に固執しつづけ、「93年合意の当事者」として「交渉相手」でもあったファタハとの排他的関係を維持しつづけようとすれば、パレスチナ民衆が「国際社会」への不信を強めるのは全く明白だからである。
 そもそもパレスチナ民衆がファタハに背を向けたのは、まさにその「国際社会」による直接支援を自治政府の地位や役職を利用して独占し、これを利権化して私腹を肥やしてきたからである。しかも直接支援が腐敗の温床と化したのは、治安部隊以外には何の実態もないパレスチナ暫定自治政府を、「オスロ合意に基づく交渉相手」として形式的に維持するためだけに、「つかみ金」の様な直接支援を何の基準も監査もなしに与えてきた結果に他ならない。
 つまり「国際社会」がオスロ合意に固執することは、「新たな主流派」の地位をハマスに与えたパレスチナ民衆の選択に背を向け、彼らの切実で具体的な要求を理解する、客観的な状況認識の目を曇らせることにしかならないのだ。
 だがこうして、ドグマに囚われずに当面する現実的課題に応えようとした時、4月上旬にハマスがイスラエルに示した停戦提案は、それなりの現実的可能性をもっている提案として注目に値しよう。

 ハマスの停戦提案は、イスラエルによるパレスチナ抵抗運動各派への攻撃を中止することを条件に、ハマスが停戦を宣言して各派にも停戦を求めるという内容である。それは、第3次中東戦争(1967年)の占領地域から全面撤退すれば、長期の停戦に入る用意があるという、ハマスがこれまで主張してきた停戦条件からの大きな譲歩である。
 もっともイスラエル政府は、「停戦は一時的なもので策略だ」とし、「イスラエルの承認」を拒否するハマス憲章を変更しない限り停戦は受け入れられないという態度に終始した。そして前述のように「国際社会」は、イスラエルの対応に同調して援助凍結に踏み切ったのである。
 ところがイスラエル政府は、一見強硬な対応の陰で、「政権」を取ったハマスは、パレスチナの代表としてイスラエルと交渉せざるを得ないので「穏健化する」、との認識を持っていると言う。こうしたイスラエル政府の認識を裏付ける根拠のひとつが、ハマス「内閣」成立後はじめてのイスラエル国内のテロ事件があった4月17日以降、これまでなら直ちに強行したであろう軍事報復を、空軍による爆撃など、比較的抑制された行動にとどめている事実である。
 〃したたかな〃イスラエルが、強硬な態度でハマスの停戦提案を拒否する一方、「国際社会」の要請に「渋々応じる」形で停戦に同意するのが得策だ、と判断している可能性があるのである。要するに今回の停戦が破綻しても、「国際社会」の要請に応じた結果ならイスラエル政府には責任が無いし、「国際社会」の要請に応じた見返りに、新たな援助や約束を手にすることすらできるかもしれないからである。
 つまり「絶望的な孤立」に追い込まれつつあるイスラエルの「中道右派」政権が、「ハマスの穏健化」に一縷の望みを抱いているなら、ハマスの停戦提案はにわかに現実味を帯びることになる。「国際社会」が停戦に本腰を入れるなら、イスラエルが「渋々」これに応じる実現的な可能性が、十分にあるとは言えないだろうか。
 だがこうした冷静で現実的な判断にとっての最大の障害が、「国際社会」とりわけアメリカの「中東民主化」戦略だと言っても過言ではないのである。

▼欧米的ドグマの清算が前提

 イラク戦争を正当化する理論として「中東の民主化」が強調されはじめたのは、イラクを占領したアメリカ軍の大捜索にもかかわらず、「フセイン政権が1年以内に核兵器を保有できる」証拠が、ついに見つからなかったから以降である。
 だが「中東の民主化」という主張が、イラク戦争を正当化する口実として突然唱えられた訳ではなかったが、事態を複雑かつ困難なものにした。本紙130(02年11月)号の『理想を実現する戦争というロジック−欧米型民主主義をアラブ諸国に移植する願望』でも指摘したように、「中東の民主化」という戦略目標は、世界最大の産油地帯である中東に「安定した親米勢力」を生み出すはずの手段として、ネオコン勢力が唱えた中東戦略の核心的課題でもあった。
 だが、欧米型代議制民主主義の中東への機械的適用は、ネオコンの願望とは全く逆の効果を生み出すことになった。戦後イラクの総選挙では南部シーア派勢力が多数派となり、反米イスラム革命で誕生したイランのシーア派政権との親密な関係に向かったように、欧米型の選挙は、中東アラブ諸国大衆が、むしろ反欧米の意志を公然と表明する格好の機会を提供したのである。
 だが欧米諸国をはじめ「国際社会」は、この事実を受け入れる訳には行かない。なぜならそれは、冷戦の終焉後に欧米諸国が展開した「中東和平」のめの努力の大半が、むしろこの地域の「不安定化」を促進したこと、言い換えれば「国際社会」が期待する国際秩序に対する不信と不満が、この地域でむしろ増加してきたことを認めることになるからである。オスロ合意以降、10年余に及ぶ自らの失策を認めるのは、確かに難しい。
 だがまさにこうして、選挙で多数派になったハマス「内閣」と交渉もせずに支援を凍結するという、ご都合主義的な二重基準が発動されることになったのだ。そしてそれは、中東全域で反欧米感情を一層増幅する以外にはなかったのである。

 ハマスが圧勝したパレスチナと、カディマが辛勝したイスラエルの関係は、間違いなく新しい局面をむかえている。
 だがこの新たな局面について、両当事者の仲介役を自認する「国際社会」は、なお旧い時代のドグマに捕らわれ、破綻した対処法以外の展望を見いだすことができないでいると言うべきだろう。
 だからなによりも「国際社会」は、中東アラブ地域に長年にわたって、無自覚のままに適用されてきた二重基準を清算するという、自らの破産を自ら自ら確認する作業から始める必要があるのだ。

(6/5:きうち・たかし)


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