イスラエルの新たな反戦運動
戦争とテロの応酬をこえる民衆の対案

(インターナショナルNo.125/2002年4月掲載)


パレスチナ難民殲滅戦

 ヨルダン川西岸とガザ地区で、イスラエル軍によるパレスチナ民衆の殺戮がつづいている。義憤にかられた、いたいけない少女たちの自爆テロも、この虐殺を止めるにはあまりにも無力である。
 パウエル国務長官の停戦調停も、イスラエルのシャロンによる「テロリスト殲滅戦」に時間的猶予をあたえ、殺戮行為への国際的非難をやわらげようとしているように見える。即時停戦・即時撤退以外の要求や説得は、どう言いつくろおうとパレスチナ難民殺戮戦の黙認である。
 シャロンの戦争目的は明快である。それはパレスチナ難民キャンプをテロの温床であるとし、ここに「潜むテロリスト」を殲滅することである。テロリストをかばう者もテロリストと同罪であれば、難民キャンプ住民の無差別殺戮も当然だし、パレスチナ難民を象徴しまた代表するアラファト議長は、テロリストの親玉そのものである。これこそがシャロンの本音である。
 2つの証拠がある。ひとつは1982年のレバノン侵攻のとき、レバノンの親イスラエル民兵組織が難民キャンプを包囲して数百人の住民を虐殺するのを黙認したとして、当時国防相だったシャロンが辞任に追い込まれたことであり、もうひとつは、今回の軍事行動でもジェニン難民キャンプで大量虐殺がおこなわれたことである。シャロンはいつも難民キャンプ壊滅をねらってきたのだ。
 だがパレスチナ難民キャンプは、パレスチナ解放闘争の「大義」そのものである。イスラエル建国で故郷を追放されたパレスチナ難民の帰還権が、1948年の国連総会決議で認められた権利なら、難民キャンプはその存在自体によってイスラエル建国の不合理を世界に訴えつづけるからである。
 パレスチナ難民キャンプの軍事的壊滅を追求するシャロンは、自爆テロの頻発を格好の口実にして、公然たる難民キャンプ壊滅作戦をはじめたのである。

ユダヤ人差別のトラウマ

 もちろんシャロンの目標は、永遠の幻想である。ブッシュが宣言したテロと正義の戦争が追い風にはなっても、難民キャンプの軍事的殲滅は不可能だしテロも「撲滅」できはしない。難民殺戮戦を見せつけられたパレスチナ民衆は、テロの土壌となるイスラエルへの憎悪を強め、報復テロ志願兵の膨大な予備軍になるだけである。
 だが他方では、テロの犠牲になった親族や知人をもつイスラエル民衆も、パレスチナに浸透するテロリズムへの憎しみと恐怖にとらえられ、イスラエル国家の防衛のためにシャロンを支持することになる。
 このイスラエル民衆の心情を、「アメリカの中東支配に利用されている」と非難するだけでは事たりはしない。ヨーロッパで長い差別に苦しみ、ついにはナチスによる大量虐殺を経験した歴史を共有するユダヤ教徒の多くにとって、イスラエルはパレスチナ人を弾圧してでもしがみつくしかない、ようやく得た安住の地であるとする精神文化の伝統は、それほど軽々しくはない。
 結局今日のパレスチナ問題は、戦後のヨーロッパ資本主義もまたユダヤ人差別を撲滅できず、パレスチナの「シオンの丘」なる地域にユダヤ人問題を封じ込め、かろうじて「解決した」結果である。その意味でイスラエルという極めて人為的な「民族国家」は、ユダヤ人自身が血の代償を払って防衛する、姿を変えたゲットー(ナチス時代のユダヤ人居住地区)にほかならない。
 しかしこうして、一見しただけでは出口すら見えない、パレスチナとイスラエルで繰り返される殺人報復の応酬に終止符をうつ、民衆の側の真剣な対案が求められる。
 そしてこの対案の可能性は、金融グローバリズムに反対する国際的運動の広がりを背景に、パレスチナ解放機構とイスラエル政府の非和解的対立という構図をこえる、実践的運動として姿を現しはじめている。

イスラエルの反戦運動に注目を

 ユダヤ教とイスラム教の聖地・エルサレムから、4月10日に発せられた「最前線からの手紙」という電子メールがある。
 このメールは、「公正な和平をめざす女性連合」の代表であるギラ・シビルスキーというユダヤ人女性が、パレスチナで繰り広げられている惨劇、なかでも前述の「ジェニンの大虐殺」を告発し、イスラエル人を含む世界各地の人権活動家たちがこうした惨劇をくいとめようと、「占領地全域で人間の盾として活動」(同メールの日本語訳より)する様子を生々しく伝え、いまインターネットで世界中の反戦平和運動家たちに次々と伝えらえているメッセージである。
 彼女は「最後に、私は、イスラエルは今日ホロコースト記念日を印したということを書き留めないではいられません。/私たちがこのトラウマからついに自らを解放し、その真の教訓、toleranceという教訓を肝に銘じることができるのは、いつになるのでしょうか?」(同前)とメールを結んでいる。
 それは、トラウマに縛られた精神文化の伝統から解放されたいと願う力強い意志が、ユダヤ人自身の中から登場していることを強く印象づけずにはおかない。
 さらに本紙前号(02年3月)で紹介した、兵役拒否を呼びかけた高校生と予備役兵の運動に、改めて関心を払う必要もある。
 3月23日の朝日新聞に掲載された「兵役拒む10代の訴え」で紹介されたヤイール・ヒロイ君(18歳)は、今年1月に兵役拒否のために軍刑務所に収監され、ケガで一時帰宅を許されたものの再び収監された。3月までに、およそ100人にまで増えたと言われる兵役拒否を宣言したイスラエルの高校生たちは、このあとも次々と収監されるだろう。
 だがヤイール君がそうだったように、彼ら彼女らの意志は固い。彼の父親が、息子の行為に反対しながらも深い困惑を隠しきれない現実は、シャロンが強行したパレスチナ難民殲滅戦がイスラエル社会にもたらした、深刻な流動化のはじまりを象徴している。

 ギラさんは、1分しか時間がなければメールの転送を、10分なら(援助のために)あなたの選ぶ組織に小切手を、1時間なら地元の新聞社に手紙をと呼びかけ、「あなたができることはすべて価値あることです」と訴えている。わたしはとりあえず、この記事を書くことにした。

(どい・あつし)


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