国鉄闘争でILO理事会が勧告を採択
東京地裁判決は条約違反を示唆
政府・運輸省、JRを逆包囲する社会的運動の構築へ


 国際労働機構(ILO)は11月18日、国労と全動労が昨年5月28日の東京地裁判決について、結社の自由委員会に対して行った「苦情申し立て事件」(1991号事件)に関する勧告を理事会本会議で採択した。
 ILO理事会本会議が採択した結社の自由委員会の勧告は、(a)、十分な認識に基づく結論が出せるように、日本政府に追加情報の提供を求める。(b)、当該労働者に公正な補償を保障する、当事者が満足できる解決に早急に達するように、JRと申し立て組合間の交渉を奨励するよう日本政府に求める。(c)、ILO諸条約の適用を保障するのは日本政府の責任であり、国労と全労働組合員に対する裁判の判決が、ILO98号条約に沿ったものになると信じている。(d)、真に効果的な救済が行われるように、ILO98号条約に反する反組合差別に関する案件が、新たに制定された民事訴訟法の手続きで、今後迅速に審理されることを期待する、の4項目から成っている。
 それは少し分かりにくい表現ながら、とくに(c)項に見られるように、昨年の東京地裁判決が、事実上ILO98号条約に違反する不当な判決であったことを示唆したうえ、現在東京高裁で係争中の控訴審に対しても同条約の遵守を明快に求め、(d)項では、おそらく日本政府・労働省の「新民法制定で、今後は迅速な審理ができる」という、実際には何の根拠もない説明に対して、期待を表明すると同時に「この点に関する進捗状況について引き続き報告するよう」求めてもいる。

過小評価と労働省の暗躍

 このILO勧告を受けて、国労本部は同日コメントを発表し、「政府の責任により関係者の話し合いによる早期解決を図る」決意を改めて表明すると共に、政府に「ILOの勧告を真摯に受け止め、関係者の話し合いを積極的に奨励し、次回ILO理事会(2000年3月16日から31日)までに全面解決を図るべきである」と要求した。
 このコメントは、しごく当然で的を得たものではある。にもかかわらず、国家的不当労働行為と対峙する国労の闘いに大きな打撃を与え、だからまた控訴審闘争とILOへの提訴をもって反撃を試みた5・28東京地裁判決が、ILOという国際機関によって、事実上ILO条約違反であることが明快に指摘されたとうい画期的な勧告に対する反応としては、いささか物足りないとの印象は免れない。という以上に、ILO理事会で本件に関する勧告の採決が行われる日程が以前から分かっていながら、当日に備えた大衆的行動は言うに及ばず、臨時の全国会議など、労働組合としての迅速な意志一致を図る機関会議も設定していなかったとうい国労本部の対応は、国労闘争団を仲間として共に闘いつづけてきた現場の組合員や、国労の闘いを支えてきた支援戦線からはやはり不可解に見える。
 だが、この不可解なほど控えめなILO勧告への反応は、ひとり国労の態度ではなかった。国労や全労働組合員に対する差別や弾圧に抗した裁判闘争の勝利などは大々的に報じる日本共産党の機関紙「赤旗」も、このILO勧告については、「解決に積極的役割を/ILOが日本政府に勧告」と、(b)項にだけ焦点を当てたかなり控えめな表現で「内政・総合」面の中段に、10数行4段程度の記事を掲載したにとどまり、もちろん商業新聞に至っては、やはり「日本政府は交渉を促せ」と言った、間違いとは言えないまでも、勧告の核心部分を軽視した不正確な内容で、政治面や社会面の片隅に、さらに小さな記事を掲載したに過ぎなかった。
 そしてこうした事態の陰には、ILO勧告の内容に危機感を強めた労働省と運輸省の暗躍があったと言われている。
 とくに労働省は、ILOとの関係では日本政府の窓口であり、ILOの日本政府に対する要請や勧告は、そのまま労働省が行政的責任を負うことにもなる立場にある。しかも連合の成立以降とくに、欧米では異様にさえ見える労資の一体化、労働組合によれる資本の擁護と、その下での労働者の権利に対する侵害は、日本資本による輸出特化が助長した国際的な貿易摩擦ともあいまって、厳しい批判に直面してもきた。だから連合・JC派イニシアチブが依拠する日本的労資関係に不利に作用する可能性のあるILOなどの勧告を阻止することは、労働省にとって重要な外交上の任務となっていたと言っていい。
 改めて言うまでもなく、国鉄闘争は国家の定めた法律にもとづいて、労働組合を差別して所属組合員に不利益扱いを行った事件であり、ILO条約を「自由意志で批准した」(ILOの前記勧告)国の政府が、それを10年以上もの長きにわたって放置してきたという争い難い事実と、地裁とはいえ司法までが、労働委員会制度という救済制度を否定してまでその救済処置を退けた事態は、ILOという国際機関の場で容認される可能性は、ほとんど皆無であった。だから労働省は、18日の理事会本会議で採択される勧告内容に、早くから積極的な介入を続けてきたのである。この介入は一部功奏し、表現としては最も穏やかな勧告案が理事会に提出されたという。
 しかしその最も穏やかな内容でさえ、前述したように、政府と高裁そしてJRにとっては厳しい内容であった。こうして労働省は、今度は国内の関係者とマスコミに、穏便に事を運ぶよう圧力をかけることになった。今回の勧告は、政府に解決を促すように要請しているだけだという、商業紙ばかりか共産党の機関紙までが受け入れた報道基調は、労働省の裏工作の結果に他ならない。

政治決着路線の非現実性

 だがこうして、改めて国鉄闘争の主体的問題が浮き彫りになる。というのも、労働省が今回のILO勧告を意図的に過小評価するだけでは、マスコミだけならいざ知らず、争議の解決を迫られている国労や全動労を完全に押さえ込むのは難しい。その口封じを、しかもILO勧告の労働省的解釈と整合性を持たせて可能にするのは、運輸省が、解決交渉以前に全面屈服を要求するメモを国労に突きつけ、これが国労大会での左派の反発を強めて頓挫してしまった「解決交渉」を、ILOの勧告に従って「奨励する努力をする」といった類いの口約束を、国労と全動労に与えることであろうことは想像に難くない。
 しかもこうした労働省の説得に、国労と全動労の、早期政治決着を願望する右派的勢力が飛びついたであろうことも疑いない。なぜなら、早期解決を口実に国鉄闘争の幕引を画策したチャレンジグループやこれを支持した革同(共産党系)右派がそうであったように、彼らの唯一の展望は政労交渉による政治決着であり、だからその頓挫は、国鉄闘争の幕引を画策する右派的イニシアチブの危機に直結しているからである。
 ところで、仮にこうした労働省の説得が信用できるとしても、それは頓挫した対政府交渉が、自民党や運輸省の不誠実な対応として再開されるだけで、闘争団組合員が納得できる解決水準に向けた前進どころか、対政府交渉の進捗すら全く期待できはしないということである。なぜなら、自民党や運輸省の不誠実な対応とは、JR東日本とJR総連が解決交渉に強く反対している現状では、解決のための実質的交渉の成立は不可能だとの判断に立った対応だからである。それは、現実のあるがままの力関係を〃調整する〃という、官僚の政治としては極めて当然な現実的根拠に基づいた対応なのである。そして右派勢力が期待する政治決着とは、主観的願望はどうあれ、結局は運輸官僚が考える〃現実的調整〃という政治手法に依存して争議の決着を図ることであり、だからまた解決交渉のイニシアチブも、そうした官僚的調整技術に委ねることしか意味はしない。
 だから労働省の口約束は、仮に実現されたにしろ、それこそ決着の目処も立たない堂々巡りの対政府交渉がつづく、つまり8月の国労大会以前の状況に戻るだけで、いかなる打開策にもなりはしない。必要なことは、自民党や運輸省の現実性の認識を変え、彼らをして解決に向けた誠実な対応を余儀なくさせる条件をつくることであり、それはJR職場や社会の現実的力関係を変化える労働者大衆の主体的闘いによって実現する以外にはないのも明かであろう。

労働者的国際基準の対置を

 そうであれば、今回のILO勧告を、労働省的解釈ではなく文字通りに受け取り、これをテコにして東京地裁判決の不当性を広範な世論に訴え、国鉄闘争を支持・支援する大衆運動の組織化に挑戦し、政府・運輸省とJRを社会的に逆包囲する、その意味で社会的な力関係を変える戦線形成を追求する方が、はるかに現実的である。それは、労働省が正しくも認識している、ILO勧告のもつ「外圧」としての影響力を利用することであり、だが同時に今日、日本の労働者が直面しているグローバルスタンダードを掲げた資本の攻勢に抗して、労働者的な国際的基準にもとづいた資本に対する社会的規制の要求を、ILO条約や勧告を活用して対置するという、新たな闘い方の提起に他ならないのである。
 たしかにILOの活動や勧告は、国際市場をめぐる帝国主義諸国の利害関係から完全に独立的ではないし、場合によっては、特定の国や国家連合がライバルに打撃を与える道具としての側面も否定はできない。にもかかわらず、それは「奴ら我ら」と表現される欧米階級社会の歴史的伝統に培われた、労資協調といえども労働者の権利とりわけ第二次大戦以降は社会的権利として確立された人権にかかわる諸問題について、世界の労働者が活用しうる多くの条約を提案し、また様々な勧告をおこなってもきた、労働運動の国際的成果の蓄積でもある。しかもこの蓄積を基盤とした労働問題にかかわる国際的な影響力は、戦後資本主義の経済的成功の下ではブルジョアジー自身も受け入れてきた社会的規制の重要な一翼を形成しており、そうした意味でグローバリズムに基づいた「資本の側の国際規準」の押しつけに対抗する「労働者の側の国際規準」として、なお十分に機能しうる内容をもつと言えるだろう。
 事実、今回の国鉄闘争に関するILO勧告は、グローバル・スタンダードと称する資本の国際基準の押し付けに対して、旧態依然たる日本的労使関係の防衛で対抗しようとするのではないとすれば、つまり労働運動の新たな社会的規制力を再建し、それによって労働運動の劣勢を立て直し、社会的労働運動の復権を通じて国家的不当労働行為との闘いを勝利的に解決しようとするなら、自自公連立政権と中央省庁の癒着が象徴する日本政府と国家官僚機構の旧態依然を撃ち、解決交渉の実のある実現を迫る、格好の道具として活用することが可能であろう。
 こうして階級的労働者は、11月18日のILO勧告の実現を要求する大衆的運動の構築ために、国労闘争団との連帯を強めて闘うことになるのである。   

(きうち・たかし)


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