●拡大するアスベスト被害
企業社会が切り捨てた被害と社会的監視・告発機能の登場
−繰り返される不作為の違法にどう立ち向かうか−
(インターナショナル第158号:2005年9月号掲載)
▼アスベスト被害の深刻さ
大手機械メーカーの「クボタ」が、兵庫県尼崎市の旧神崎工場に勤務した元従業員ら78人がアスベスト(石綿)の吸引で起きる中皮腫で死亡したことを公表したのは、6月29日のことだった。
クボタの旧神崎工場では1954年から75年までの20年間、毒性の強い青石綿を使って上下水道や電線用のパイプ管を製造しており、さらにその後も95年に青石綿と茶石綿の使用が禁止されるまで、白石綿を使った住宅建材を製造していた。
このクボタの労働災害(以下:労災)公表の後、同様にアスベストに関わる労災被害を公表する企業がつづき、これと同時に労災の認定を受けた死亡者が849人に上ることも明らかになった。だがこの数は労災の認定申請をした死亡者の1割にも満たないわずかなものであって、実際にアスベストによって中皮腫を発症し死亡した人はこれを大幅に上回るのは確実である。それは後述するように、いち早く被害を予測しながらその使用規制をすることもなく放置してきた、この国で繰り返されている政治と行政の「不作為の違法」の結果であった。
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だがアスベスト被害の本当の深刻さは、労災認定を受けた被害者以外への広がりにあると思う。つまり「企業社会」という排他的な閉鎖社会の外側にあって、極めて不十分だとは言え労災保険のような補償の対象からさえ除外されている被害者がどの程度居るかさえ判然としない現実こそが、最も深刻な問題に他ならない。
実際に建設現場やビル解体現場の下請けとして働く個人事業者や工場周辺住民の被害者は何の救済措置も講じられることなく放置されてきたのであり、アスベスト被害が大きな社会問題となり始めているのもまさにそのためであろう。
▼政治と行政の不作為のツケ
アスベストの吸引から肺がんの一種である中皮腫を発症するまでには10数年から50年という長い潜伏期間があり、発症後は効果的な治療法がないこともあって短期間のうちに死に至るという。「静かな時限爆弾」と呼ばれるゆえんである。
だがそうであれば、今日まで労災認定を受けた849人にも上る死亡者は、1950年代の後半以降にアスベストが盛んに使用された時期にそれを吸引し、今日までに次々と中皮腫を発症したと言える。つまりアスベスト被害の死亡者は今後、労災であるか否かにかかわらず毒性の強い青石綿の使用がようやく全面禁止された95年までの40年ほどの間に、これを吸引した人々の間で急増するのが容易に想像されるのである。
現にこれまで判明している中皮腫の年間死亡者は95年は500人だったのが2003年には878人に増えており、今後40年間で10万人に達するだろうとの報告もあると言う。日本でアスベストが多用された時期が1960年代から80年代であり、石綿輸入のピークも74年の35万トンだったことを考えれば、2050年頃まで被害者が爆発的に増加するというこの予測は十分に説得力がある(『世界』9月号「アスベスト災害の衝撃」)。
しかもこの被害の広がりは、旧厚生省や環境庁によって70年代前半には予測されたものだった以上、それは文字通りの意味で政治と行政の「不作為の違法行為」、行政が「あえて積極的な措置を取らないことによって現実となった犯罪」なのだ。
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そのアスベストの危険性が認識され始めたのは70年代初頭、アメリカで被害が急増したからであった。これを受けて72年には国際労働機関(ILO)が、翌73年には世界保健機関(WHO)が相次いでアスベストの発がん性を指摘するのだが、実は日本では71年、国際機関に先駆けて特定化学物質等障害予防規則(以下:障害予防規則)による規制対象にアスベストを入れていたのである。だから問題はその後の不作為にある。
国際的にもかなり早い段階でアスベストの危険性を認識した旧厚生省や労働省は、75年に障害予防規則を改正して「建設現場での石綿吹き付け作業」を禁止するが、一方で「製造工程での吹き付け作業」等は規制外として放置し、毒性の強い青石綿と茶石綿の使用を全面禁止にしたのはそれから実に20年も経った95年だったのである。
しかも当時の行政の被害予測では、労災保険の対象外である家族や周辺住民への被害もあり得ることが明確に認識されていたことも暴露された。
▼認識されていた労災外被害
企業による労災被害の公表とあわせて周辺住民の被害実態と見舞金支払いなどが明らかになったのを受けて、7月20日の衆院厚生労働委員会は石綿問題の集中審議を行った。ここで「厚労省の不作為」を追求したのは、社民党の阿部知子議員である。
阿部議員が指摘したのは「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」と題する1976年の通達で、旧労働省が都道府県労働基準局長宛てに出したものである。この通達には1965年にイギリスで発表された中皮腫患者の追跡調査が紹介されており、それによれば76人の中皮腫患者の内51人が石綿に関連する人々で31人が工場労働者と関係者、9人はその家族や親類、11人が周辺住民だったという内容である。
阿部議員は「地方に通達を出しているのに国の施策として取り上げられなかったのは不作為だ」と厚労省の西副大臣を追求、同副大臣は「労働行政では労働者以外眼中になく、環境としては確たる事象ととらえず、健康という厚生行政でも拾えなかった。三者の谷間の状況にあったのでは」と縦割り行政の弊害を示唆し、「事実をわかりながらフォローができていなかった。決定的な失敗だったのではないかと個人的には考えている」と不作為を認めた(7/21:朝日新聞)。
ところがである、この集中審議では実は旧厚生省自身がさらに4年も前の72年に、周辺住民への被害の可能性について言及していたことも明らかになった。
それは1972年の衆院科学技術振興対策特別委員会で、大阪の石綿製造工場の従業員に肺がんが多発している問題が取り上げられたとき、周辺住民への被害について「問題がそういうように発展する可能性は防がれていると思うが、(被害が)あれば一般住民の検診について考慮する必要がある」と、当時の公衆衛生局長が答弁していたのである。この問題を指摘した共産党の吉井英勝議員は、当時のこうした政府答弁を踏まえ、国が周辺住民の検診を実施するよう改めて要求したのは当然であった(同:前)。
さらに行政による不作為の証拠は、これだけに止まらなかった。
集中審議から2日後の22日、今度は環境省の小池大臣が記者会見で、旧環境庁が公害研究調査の一環として72年に労働衛生研究所に委託した調査報告で、前述したイギリスの調査報告と同様の論文(同じ論文の可能性もある)の存在を指摘していたことを明らかにしたのである。旧環境庁もまた72年には、周辺住民のアスベスト被害の可能性を認識していたのである(7/22:朝日夕刊)。
つまり旧厚生省と旧労働省そして旧環境庁は、アスベスト被害が労災の範疇を越えて家族や周辺住民にも広がる可能性を遅くとも72年には認識していながら「あえて積極的な措置を取らず」、その後20年以上もアスベストの使用規制や災害の警告を怠ってきたのであって、「縦割り行政の弊害」と言った釈明が通用するはずもない。それは文字通りの意味で行政が「積極的な措置を取らなかった」ことで現実となった「不作為犯罪」として断罪されるべきである。
▼業界寄り行政と企業内労組
ではなぜ行政は、十分に予測されたアスベスト被害について「あえて積極的な措置を取らなかった」のだろうか。
ひとつの典型的な事例がある。それは1992年12月、旧社会党が「石綿規制法」を臨時国会に提出した際、業界団体である「日本石綿協会」は「今後は健康障害は起こり得ない」などと主張し、自民党もまた法案に反対して廃案になったことである。青と茶の石綿が禁止される3年前のことである。
そして改めて薬害エイズ問題を思い返すまでもなく、この国の政治と行政は常にこうした業界団体や企業側の声に耳を傾け、それによって被害を被る民草の基本的人権を不当に軽く扱ってきたのであった。そしてこうした政治と行政の不作為犯罪の結果は、極めて理不尽で長期に及ぶ苦痛で被害者を苦しめることになった。
つまり現在ようやく明らかになりつつあるアスベスト災害は、議会(政治)と行政(官僚機構)と業界(財界)の癒着構造のために、被害を被らずに済んだはずの数万人もの被害者が加算されたと言って過言ではない。実際にアメリカでは現在もなお年間4千人を越える死者が出ており、被害補償の負担に耐えかねて破綻した企業は70社に上っている。それは今後40年間に、日本に現れるであろうアスベスト被害の深刻さと悲惨さとを予測させるには十分過ぎる。
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だがもうひとつ、「石綿規制法」が廃案になって94年には旧社会党が法制化そのものを断念するまでには、労働組合自身の強い反対があったことを付け加えておく必要がある。なぜならそれは、排他的で閉鎖的な企業社会に囚われた労働組合がその社会的役割を投げ出したとき、いかに悲惨な民衆の被害が生じるかをしっかりと記憶にとどめる必要があるからである。
92年12月の臨時国会で同法案が廃案になった翌93年春、連合傘下の石綿メーカー関連労組は「石綿業にたずさわる者の連絡協議会」を結成し、社会党に対して法案反対の陳情を繰り広げたのである。ニチアス、日本バルカー、クボタ小田原、ノザワ、三菱マテリアル建材、ウベボード、浅野スレート(現・エーアンドエーマテリアル)、アスク(同)の各労組が参加した同協議会の5月18日付け要望書には、「石綿は管理して使用できる。規制法は、関連産業に働く者の生活基盤をも奪いかねない」など、日本石綿協会と同様の反対理由が記されていた。
それでも当時の社会党は再度の法案提出を目指して連合に協力を要請するが、94年1月に連合の作業部会がまとめた資料には「個別物質の単独立法が、法体系になじまない」との見解が示され、5月には「石綿使用を早期に禁止する」との方針を「使用削減・使用制限への取り組みをすすめる」に変更し、使用禁止から管理使用へと路線転換を行ったのである。そして同年9月、社会党は連合との協議で石綿規制の法制化を断念、被害の予防には労働安全衛生法の規制強化で対応することで合意したのである。
当時のニチアス労組委員長・高田典雄氏は「自主規制が進んで、被害はこれ以上でないとの意見が強かった。法規制は、代替品開発が遅れていた中小企業が大打撃を受ける心配があった」と語り、連合の担当者も「規制強化も大切だが、雇用を守る必要があった」と主張する(8/5:朝日新聞)。
だがすでに述べたように、申請の1割にも満たない労災認定死亡者でさえ1千人に迫る被害の実態は、企業の「自主規制」が極めて不十分だったことを物語っており、まして業界団体と歩調を合わせるように方針を転じた労働組合ナショナルセンターの対応は、アスベスト被害の予防措置を労働安全衛生法という「労災の枠内」に封じ込め、結果としてではあれ、家族や周辺住民そして下請け個人事業者の被害予防や補償制度の整備とをその後3年にもわたって遅らせることになった事実は変わらない。
▼行政から自立した社会的機能
こうしたアスベスト被害に対して患者や家族は昨年2月、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」を結成し、今年7月6日にも大阪で会合を開くなどして被害者相互が支えあい、行政と加害企業に対して被害補償を求めつづけている。
しかし患者や家族の相談に乗り、アスベスト被害の予防と補償のための運動をつづけている「関西労働者安全センター」の片岡明彦事務局次長が、「アスベスト被害は労災認定されるのに、ほとんど知られていない。労基署も積極的に呼びかけていない」(前掲『世界』)と指摘するように、クボタによる被害実態の公表とこれを受けて行われた衆院厚生労働委員会の集中審議を経て新聞などが大きく報道するまで、それはほとんど知られることのない災害であった。
それは閉鎖的で排他的な「企業社会」外部の被害に目をふさぎ「労災の枠内」にアスベスト災害を封じ込んだ結果だが、これを可能にしたのはアスベスト業界と労働組合ナショナルセンターが共にそれを積極的に求め、政治と行政がこれを追認するという「癒着の連携」だったのである。
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しかし一方では前出の「関西労働者安全センター」のように、患者や家族に寄りそって労災申請の手続きを行いあるいは加害企業との交渉を担う粘り強い運動が、クボタなどの加害企業が被害実態を公表する社会的圧力にもなってきた。今回のクボタの被害公表も、闘病中の周辺住民3人の相談を受けた同センターがクボタとの補償交渉をつづけてきたことが契機だった。
さらに言えば同センターは、かつては総評労働運動の一環として労働災害の予防と被害補償に取り組んできた団体であり、総評の解散にともなう「組織整理」の対象とされ、以降は「民間団体」としてその活動を継承してきた経緯がある。その活動が「企業の壁を越える社会的被害」を告発してその予防と補償を求めるという、企業内労組が投げ出した社会的役割を担っているのは何とも皮肉としか言いようがない。
だが労働者安全センターがアスベスト災害で担っている社会的役割は、私たちにアスベスト災害に立ち向かう方法のみならず、次代を担う社会的労働運動の内実について多くの示唆を与えてくれる。
つまり企業内労組が全体として企業社会に取り込まれ、ナショナルセンターが総評から連合へと再編されたときに「不要な機能」として切られた同センターは、むしろ「そのおかげで」企業社会と企業内労組のしがらみから「解き放たれ」、積極的に社会的役割を果たす「民間団体」として再生したと言えるからである。言い換えれば関西労働者安全センターは、企業社会からか排除されたことで、企業すなわち資本の一元的支配の強化で逆に増加した労働災害の予防や補償という「社会的需要」に応える、新たな社会的機能を担うことになったのである。
しかもその機能は、行政と企業から自立した欧米的な「第三者機関」に通じる、行政や企業の不作為を含む犯罪を監視する性格を内包してもいるだろう。
本紙155号(5月号)掲載の「JR宝塚線脱線事故」でもその必要性を指摘したが、行政と企業すなわち国家と資本から「独立した第三者機関」は、その目的が公共交通の安全確保であれ今回のアスベスト被害のような「公害」の告発であれ結局は「下から」、言い換えれば自立的人々の自発的な社会活動を通じて形成される必要があるだろう。なぜなら議会や行政が「上から」、これまた言い換えればその構成員の選任権を事実上行政が握っている機関は、いかにりっぱな看板や目的を掲げようが政治と行政の意向つまり政官財そして企業内労組の「ゆ着の連携」から自由ではありえないからである。
議会と行政すなわち国家は、こうした非政府組織(NGO)のもつ社会的機能を維持する財源と法的権限を保障すべきだが、これを代行する「上から」の機関は、社会の自立的機能が非政府組織などとして登場するまでの過渡的措置にとどめるべきだろう。
▼救済の始まりと今後の課題
ともかくもこうした粘り強い労働者安全センターの闘いによって、政治と行政は労災補償の対象外とされてきた被害者の救済を含む対応策の検討に着手した。
政府は8月26日に関係閣僚会議を開き、労災の認定を受けられないまま死亡した被害者遺族に労災保険と同等の給付をし、従業員の家族や周辺住民の被害には一時金を支給して治療費を無料化する方針を固め、来年の通常国会に「石綿新法」を提出して一体的対策を打ち出すという。
もちろんこれは「企業外」被害には一時金で対処するなどまったく不十分な内容ではあるが、とにかくも「企業外の被害者」の救済がはじまることにはなった。しかしなお問題は山積しており、中でも最大の問題は労災保険のような制度のない企業外被害を救済する財源の確保である。
26日の閣僚会議では、汚染責任を明確にする意味で石綿業界に資金負担を求め国も一部を負担することにはしたが、それは今まさにアメリカでもデッドロック状態にある問題でもあるからだ。
アメリカ上院の司法委員会は今年5月、超党派議員が提出したアスベスト被害救済基金の設立を定めた法案を可決したが、アスベスト製造企業や保険会社が1400億ドルの基金出資に難色をみせ、また被害者の側からも、基金出資企業に対する賠償請求訴訟の権利を放棄するという補償受領条件や、60〜110万ドル(6700万〜1億2300万円)という補償額が低すぎるとの声があって、本会議での採決のメドが立たない状態にある。日本の場合もすでに廃業している汚染責任企業や企業規模の違いによる負担割合をどうするか、製造から使用まである広範な業種毎の汚染責任の割合をどう決めるかなど、財源確保だけでも極めて複雑な問題がある。
したがって今年末までに政府がまとめようとする「石綿新法」は、むしろとりあえずの救済システムの出発に過ぎず、今後も社会的運動を広げその機能を強化することで改正を繰り返す必要のあるものにしかならないだろう。その意味でアスベスト被害の不作為犯罪を明確にしてその補償を求める闘いは、始まったばかりの社会的課題なのである。
(9/14:さとう・ひでみ)