【JR宝塚線脱線事故】

労働者と利用者の安全を担保する無謀な業務命令を拒否する権利

―利益優先主義を変える「上下分離方式」という対案―

(インターナショナル第155号:2005年5月号掲載)


 悲惨な事故だった。凄惨な事故現場のTV中継を凝視しながら、さらにその後も4日=78時間にもおよんだ困難な救出活動と増えつづける犠牲者の人数に圧倒されながら、幾度も目が曇るのを押さえきれなかった。同情なのか哀しいのか憤りなのか判然とはしない、だがどうにもやり切れない辛い思いが込み上げつづけた。
 だからまず何よりもこの事故で犠牲となった方々に深い哀悼の意を表すと共に遺族の皆さんにお悔やみを申し上げたいし、同じく事故に遇われて心身に癒しがたい傷を負われた負傷者の方々とその家族、そして犠牲者と負傷者の友人や知人のみなさんに心からのお見舞いを申し上げたい。

 4月25日午前9時18分ごろ、JR福知山線(以下:宝塚線)の尼崎−塚口駅間で発生した快速電車の脱線事故は、107人の死者と461人にものぼる重軽傷者を出す、日本の鉄道史上に残る大惨事となった。
 ここで事故の模様を繰り返し確認する必要はないだろう。凄惨な現場の様子と電車が激突したマンションの住人を含めた犠牲者や被害者の苦悩と衝撃は、事故から1カ月以上も過ぎた今もなお多くの人々が鮮明に記憶しているだろうからである。
 だからわたしはこの事故の原因、しかも技術面や個別的な原因に止まらない広範な背景をもつ事故原因の究明を、わたしなりに追及してみようと思う。それは重大事故のたびに繰り返される「二度とこうした事故を起こさない」という儀礼的な決意表明を越えて、社会的に有用なだけでなく社会的信頼にも応えようとする「労働の在り方」を求め、わたしたちもまた一人の主体として、こうした事故を防止し克服したいと考えずにはいられないからである。

▼利益優先主義と労組の社会的責任

 すでに多くの報道で明らかなように、JR西日本は「利益優先主義」としか言いようのない経営によって運送事業者としての、とりわけ旅客運送事業者としての安全確保をないがしろにしてきた。それは今回の脱線事故や91年5月の信楽鉄道衝突事故ばかりでなく、山陽新幹線トンネル壁の崩落があってもおざなりの点検で「安全宣言」を出して運行を再開し、その直後に再びトンネル壁崩落が起きた事件でも明らかであった。
 幸いにもこのトンネル壁崩落は走行中の列車に軽微な被害を与えただけで大事には至らなかったが、それは文字通りの意味で幸運に恵まれただけだったのにまったく教訓化されはしなかったのである。そしてもちろんこうしたJR西日本の経営姿勢は、国鉄の分割民営化の直接的結果である。
 だがそれだけでは、同じように分割民営化された東日本や東海あるいは北海道、四国、九州のJR各社と比べ、西日本が「突出した」利益優先主義に邁進した原因を説明することはできないだろう。
 現実にJR西日本の利益優先主義の背景には他のJR各社と比べて「脆弱な収益構造」の問題が横たわっており、それはまた国鉄の6分割が経済合理性にもとづいてではなく、政治的かつ恣意的に行われたことの証である。JR西日本が利益優先主義に走った真の要因はここに潜んでいるのであり、この要因を取り除くことなしに利益優先主義から安全重視へと経営姿勢を転換するのは、結局は非現実的な決意の表明だけに終わる可能性が強いと言わざるを得ない。
 だからわたしはJR西日本の脆弱な経営基盤という、経済的合理性を欠いた国鉄分割の実態を明らかにし、鉄道輸送の安全を確保できる公共交通の在り方を検討することが是非とも必要だと思う。

 だがより重要なことは、わたしたち自身にも今回の大惨事の責任の一端があるという、辛く苦しい現実を直視することでなければならないと考えている。
 なぜなら、運転経験がわずか11カ月という若く未熟な運転手に「曲芸的運転」を強いた安全軽視と利益優先主義の経営がJR西日本を覆い、事故後はすっかり有名になった「日勤教育」などの不当労働行為の横行を許したのは、わたしたちもまた全力で闘った国鉄の分割民営化反対闘争(以下=国鉄闘争)が、手痛い敗北を喫した結果なのだとの思いを打ち消し難いからである。
 そうだとすればわたしたちが解明しなければならない事故原因は、敗北の結果としてJR職場から何が失われ、だからまたそれを取り戻す闘いとは何かということでなければならないと思うし、それはまたわたしたち自身の自己批判のうえに、つまり事故で命を奪われた107人の犠牲者と重軽傷を負った461人もの被害者の方々への真摯な謝罪のうえに、安全確保のための協働が提起されなければならないのだと思う。
 こうした立場からすると、死亡した高見運転手の所属労組であるJR連合と、JR西日本の労務政策をいち早く告発してみせたJR総連の事故に関する声明は、事故の責任が挙げてJR西日本経営陣にあり=それはそれで事実ではあるが=自分たちにはまったく責任が無いと言うような、つまりこれほど悲惨な重大事故に対する「当事者の自覚」が欠けているとの印象を拭えない。
 さらに国鉄闘争の主体であった国労(国鉄労働組合)と国労の西日本エリア本部の声明は、「闘う闘争団を支援する京都の会」会長の野坂氏に「『人の命』と『財産』を輸送するという交通産業の特性に直接関連している労働者を組織している労働組合としての自覚のなさ、現場で働く労働者の『うめき』とも『悲鳴』とも聞こえる労働実態を改善しようとする闘う決意を感じ取ることができなかった」(http://www.h4.dion.ne.jp/~tomonigo/news2005/050516nosaka.htm)と指摘されたように、解雇撤回を闘う闘争団員を切り捨て、企業内労使協調へと先祖返りした労働組合の堕落を印象づけて余りある。
 それでもわたしの知る限り、ひとつの例外がある。それは5月10日発行の「労働情報」誌の号外『時速108km現場から見る』に収録されている鉄道産業労組(鉄産労)の5月1日づけ声明である。
 この声明は冒頭で「被害者とその家族、親戚、友人知人の人々に対して…謝罪する」と明快に述べ、「我々は鉄道労働者としてその責任を痛感している」と、労働組合の社会的責任に言及した唯一の労働組合声明であった。そしてあえて言えば、労働組合がこうした社会的責任を引き受けなければ、「二度と事故を繰り返さない」という空々しい口先だけの約束を越えて、鉄道輸送の安全を確保する労働者の主体的闘いを作り出すことはできないのだと思う。

 まずは国鉄の分割民営化によってJRの職場から失われた「モノ」と、それがどのように列車運行の安全を脅かすに至ったのかの検証からはじめたい。

▼列車運行システムの官僚化

 「戦後政治の総決算」を掲げて臨調・行革を押し進めた中曽根政権が国鉄の分割民営化を強行したのは、国鉄の膨大な累積赤字解消と「いいかげんな働き方」を許す国鉄の「親方日の丸」体質、言い換えれば「当局と労組の馴れ合い」体質を改革すると称して、実は日本労働組合総評議会(総評)の中心的組合だった国労の解体を意図したことは、今では中曽根自身も認める事実である。
 だが国労の解体は同時に、実は国鉄の列車運行システムの解体的再編をともなっていたことは、一般にはほとんど知られることはなかった。という以上に少なくともわたし自身も、国鉄分割民営化に反対する闘いの中で列車運行システムの危機を意識し始めたのは民営化直後の88年、東京の総武線東中野駅で起きた追突事故からだった。だがこの時もまだ運行システムの解体的再編というよりは、国鉄時代に培われた職場共同体が破壊され「運転技術の伝承が危機に瀕している」という認識だったと思う。
 だが事態は「運転指令の官僚化」として深刻化していた。今回の脱線事故の際に、高見運転手に列車無線を通じて呼びかけた「運転指令所」は、国鉄当時から列車の運行を管理する重要な役割を担う部署だが、民営化以降はこの運転指令と運転手の関係は完全な上意下達へと転換された。このため走行中の現場状況を自らの目と耳と肌とで実感している運転手からの情報や意見は軽視もしくは無視され、ダイヤどおりの運行指令ばかりが幅をきかせ、これに従わない運転手は例えそれが安全上の必要を感じた行為であっても乗務から外され、場合によっては懲戒処分の対象とされるなど、現場労働者の自発的判断を徹底的に排除する「運転指令の強要」が常態化していったのである。
 民営化されたJRが運転指令の強制力を強化して運転手の「自主的判断」を徹底的に抑圧したのは、ストライキ権を奪われた国労と動労(国鉄動力車労働組合)の遵法(じゅんぽう)闘争という争議戦術の制圧が目的だったのは明らかである。規則どおりの安全確認や制限速度の遵守を励行する遵法闘争は、首都圏や大阪圏ですでに常態化していた過密ダイヤの運行を事実上不可能にする「悪質な戦術」だったばかりか、労働者の自発的意志によって列車の遅延が左右される事態は、現場労働者の自発性が職場秩序を決めるという、経営側から見れば「労働現場の聖域化」とも言うべき恐るべき可能性を秘めた闘争に他ならなかったからである。
 ところが、分割民営化を推進した「国鉄改革派」(そう。当時すでにこの名称が使われていたのだ)の遵法闘争に対する憎悪と危機感は、87年にJRが発足した時点ではすでに意味を失っていた。というのもこの戦術は、国鉄当局と労組の力関係に囚われた「当局を困らせる戦術」だった結果として、利用者との連携を決定的に欠いていた。それは言い換えれば労働組合が自らの「社会的責任」に無自覚な戦術であったが故に、利用者の強い反感を買ってすでに挫折を余儀なくされてしまっていたのである。
 73年3月に高崎線上尾駅(埼玉県)で発生した乗客の「暴動」と翌4月の「国電暴動」は、こうした社会的反感の爆発だったが、この事件以降の国労と動労の闘争は「統制されたストライキ」に、つまり遵法闘争にはらまれた労働者の自発性を労組自身が抑制し、仕事を放棄して職場に立て籠もる一層内向きの戦術へと後退せざるを得なくなっていたからであり、この戦術転換はまた国労と動労で官僚主義が台頭する契機にもなった。
 したがって国鉄改革派が民営化以降に推進した運転指令の厳格化と運転手への締め付けは、行き過ぎた「運行システムの官僚化」を促進し、安全に係わる現場の対応能力を奪うことになったのである。
 安全運行のために重視されるべき運転手や車掌という現場からの情報は、遵法闘争の幻影に脅えるJR経営陣の敵意によって切り捨てられ、現場労働者の自発的判断や臨機応変な対応能力は官僚的な上意下達の運転指令に取って代わられ、運転手や車掌自身の命を守ることでもある危険を防止する現場の能力は次々と奪い取られていった。

▼労資に欠落していた社会的視点

 この「運転指令の官僚化」こそは、高見運転手をはじめJR西日本の運転手たちに「無謀な回復運転」を強いてきたシステム上の核心問題である。つまりこの官僚化した運行システムを抜本的に再編し、現場の労働者たちの自発的判断と対応を活かすような運行システムを再構築することなしには、「安全重視の経営への転換」を現場で具体的に担保することはできない。
 しかもJR西日本の官僚主義は、実は民営化されたJR各社の経営陣が旧国鉄時代から引き継いだ官僚主義の「肥大化」であり、国労や動労という対抗勢力が失われ、JR連合のような文字通りの会社側労組との馴れ合いで助長されたものに他ならない。国家官僚機構に他ならない国鉄の高級官僚が、民間鉄道会社の経営陣に転身しただけで官僚主義が消滅する訳もない。むしろ政治がそれなりに監視・統制する官僚機構が、体質はそのままで何の監視も受けない民間企業に変身すれば、官僚主義が助長されて当然だろう。
 しかも国鉄官僚機構は、実は鉄道運行のノウハウに関しては労組である国労に依存してきたと言える。当時の国労はある意味で国鉄当局以上に列車の運行に責任を持っていたのであり、国労が無自覚のうちに引き受けていたこの「社会的責任」と、その責任を「組合員として果たす」ことが国労組合員の誇りと団結の基盤だったのである。
 今でこそ強い統制力を持つ運転指令も、当時は運転手や保線員そして駅員らが長い経験によって培った状況判断を無視することなどできなかったし、たとえ当局がこれを排除したくとも、実質的な運行責任を担う国労が組合員である運転者や保線員の判断と行動を擁護し、それがまた「運転指令の官僚化」を抑止してもいたのである。JR西日本の運転手が懲戒処分や日勤教育に脅え、「誰も守ってくれない」という精神的圧力のもとで上意下達の運転指令に無謀を承知で従う状況など、当時は想像すらできなかった。
 こうした国労の労働現場における強力な統制力は、ストライキ後の運転再開時に遺憾なく発揮された。運転再開に向けた線路の点検は国労の指令で労組員である保線員によって行われ、運転再開に必要な駅や操作場に労組員の運転手や車掌を配置できたのも同様に国労や動労であり、国鉄当局にはその能力がなかったのである。
 だからあえて言えば、国鉄という「戦前からの国家官僚機構」は列車運行の責任を事実上国労という労働組合に「丸投げ」し、現場労働者の自発性や職人的労働に依存することで膨大な鉄道網の安全運行を確保していたのであり、その見返りに現場協議制(=現協)の交渉では労働組合の諸要求に譲歩し、もって官僚機構の保身を図ってきたと言っても過言ではない。
 だが国鉄改革派は、こうした労働組合員の現場自治と当局の相互依存関係を「非効率な経営」の元凶と見なし、60年代後半の生産性向上(マル生)運動への抵抗闘争を通じて「現場自治機関」の性格を強めた現協を、労働組合による「経営権への容喙(ようかい)」として嫌悪したのだ。彼らはこれを解体して「労資の馴れ合い=国鉄一家体質」を清算し、国鉄経営の中央集権化を実現しようと臨調・行革を利用したのである。
 だが彼らの最大の誤りは、鉄道輸送の安全を担保していた労働現場の自治を嫌悪するあまり、〃産湯(現場の自治)とともに赤子(安全)を流す〃愚を犯したことである。宝塚線の脱線事故という大惨事は、その誤りの重大さを暴き出したのだ。
 だが「労働現場の自治」と「鉄道輸送の安全」の相互関係は、国鉄改革派の側だけではなく国鉄分割民営化に反対して闘っていたわたしたちも、そして国労も認識していた訳ではなかったと思う。
 少なくともわたし自身は、反マル性闘争の成果でもある現協と「労働者の大衆自治」をほとんど混同し、国鉄改革派が「労資の馴れ合い」と断じた現協の企業内主義的限界という弱点にはほとんど気付いていなかった。だからまた現協を清算しようとする分割民営化攻撃を政治的側面に切り縮めてとらえ、「公共交通の安全を担保する現場の力(=意識と能力)をいかに防衛するか」という、労働者と利用者とを貫く社会的視点から闘ったとはやはり言い難い。
 こうしてわたしたちの国鉄闘争は、1047人を不当に解雇した国家的不当労働行為と対決する政治的側面においては鋭い闘いを展開しながら、鉄道輸送の安全が根底から脅かされるという今回の事故に繋がる「重大な社会的問題」については、一般的な危険の指摘と警告以上のことができなかったのだと思う。しかも現場労働者と利用者を貫く社会的視点の確立なしには、言い換えれば労働組合が自らの社会的責任を自覚しなければ、「労働現場の自治」もまた企業内労使の取引と馴れ合いが支配する「企業社会の壁」をこえることはできないし、社会的共感を得ることもできないだろうと思うのだ。
 「労働者の大衆自治」という、社会的生産や公共サービスを担う人間労働を基礎におく新しい社会統治の理念と、当時の国鉄現協が体現していた「企業内労使の取引」を基盤とする「労働現場の自治」の混同を悔やむゆえんである。

▼事故と経営基盤の因果関係

 もちろん現場労働者の自主性が尊重される運行システムができれば、一切の事故が防止できる訳ではない。「完璧な人間」が存在しない以上、「完璧なシステム」もまた存在するはずはないからである。
 それでもこの運行システムの方が、現場の状況を無視する上意下達のシステムよりはずっとましである。今回の事故との関係で言えば、改修のたびにカーブがきつくなる路線は計画の段階で現場から疑義が唱えられるだろうし、曲芸的運転を強いる無謀なダイヤ編成は現場労働者たちの強い反対に直面したに違いないからである。
 しかも運行システムの設計から実施に関与して自らの経験や提案が活かされたと労働者が感じれば、宝塚線脱線事故のような緊急事態に直面したとき、連絡を取った上司に言われるままに現場を離れて出勤するという非常識な行動は取りにくいだろう。なぜなら「自分たちも関与したシステム」で発生した事故には、当然ながら当事者責任を感じることになるからである。
 だが冒頭でも述べたように、経営基盤が脆弱にもかかわらず激しい競争に晒されたJR西日本は競争に勝って収益を確保する「宿命」を負っていた。国鉄6分割がJR西日本に負わせたこの「宿命」こそ、安全よりも利便性を優先する路線改修や無謀な高速ダイヤ編成の本質的要因である。結局JR西日本の脆弱な経営基盤の問題を無視しては、今後も列車運行の安全を確保するのは当然ながら困難なのである。

 JR西日本の経営基盤が他のJR各社と比較して弱いことは、分割民営化の当時すでに指摘されていたことであった。
 もっとも北海道、四国、九州といういわゆる「三島会社」の経営基盤は更に脆弱で、分割民営化を具体化した国鉄改革法策定の過程ではこちらの方が重大な問題だった。結局は三島会社に「経営安定化基金」と言う〃持参金〃を持たせるることで6分割案が決まり、西日本の経営基盤の脆弱さは後景に追いやられたとは言える。
 だが結果としては、分割されたJR各社の中で西日本の経営基盤が最も脆弱なものになった。なぜなら、三島各社は持参金のおかげで経常収支が赤字でも基金による補填でとりあえずしのげるし、東日本には首都圏という、東海には東海道新幹線という稼ぎの良い「ドル箱路線」があったのに対して、西日本の稼ぎ頭である大阪圏は環状線を除けば私鉄各社との競合が激しかったし、その規模も首都圏とは比較にならないほど小さかったからである。そしてこの現実が、国鉄改革派をしてもうひとつの重大な誤りに踏み込ませることになったのである。
 国鉄民営化の大義名分が、莫大な累積赤字の解消と毎年のように繰り返された運賃値上げのない「効率的経営」だった以上、経営基盤の弱い西日本と言えども運賃値上げや赤字経営はタブーであり、収益を上げることが至上命令となった。これこそがJR西日本の負った「宿命」であった。
 かくして、「改革三羽烏」のひとりである井手・現JR西日本取締役相談役が西日本の副社長に就任し、その陣頭指揮の下で大規模なリストラと収益重視の徹底的なコスト管理が強行され、発足時に51,500人だったJR西の社員数は04年4月現在で32,900人にまで削減され、これによって社員1人当たりの輸送量は2倍に引き上げられて「稼ぐ体質」が作り出されるのである。だがこの大規模リストラが、過密ダイヤと「促成栽培」による未熟な運転手層、「日勤教育」などによる現場の締め付け、スピードアップと省燃費のために衝突耐性を軽視した車両の軽量化等々、今回の事故を大惨事にした数々の原因を生み出すことになったのは明白である。
 つまりJR西日本が列車の安全運行と経営の安定を両立できるような経営基盤の抜本的見直しなしには、あるいは経常赤字と運賃値上げをタブー化した「分割民営化」の自縛を解くことなしには、同様の事故が繰り返されるのは避け難い。経済合理性を無視し、国労の解体を目的にした政治的で恣意的な国鉄の6分割が抜本的に見直されなければならないのは、この為である。

▼「鉄道交通政策提言」の復権

 ところで労働組合と労働者がその社会的責任を引き受ける必要があるなら、JR西日本の経営基盤についても労働組合がその対案を提起しなければならない。だが実はそうした経営基盤見直しを含む対案は、国鉄闘争がすでに準備していたのである。

 1994年の国労第59回定期全国大会は、前年から本格化した闘争団の長期闘争体制の確立を背景に、「鉄道交通政策提言」の第1次骨子案を提案して公共交通の再生に向けた対案型労働運動へと踏み出し、さらに96年1月の国労第167回拡大中央委員会では「JR方式」の全面的見直しを求めて「緊急提言骨子」を決定した。
 もちろんこの提案はJR西日本の経営基盤を意識した訳ではなく、相次ぐローカル線の切り捨てで地方の公共交通が陥りつつある壊滅状態を打開しようとする提案だったが、いずれにしろ国鉄6分割の結果であるJR各社の経営基盤の劣化を克服しようとする積極的提案だったのである。
 国労が国鉄闘争を支援する人々と共同で練り上げたこの対案の最大の眼目は、ドイツ国有鉄道の再編策として採用された「上下分離方式」、つまり列車運行という「上」は民間会社や特殊会社に運営させて収益の向上を図る一方で、全国鉄道網という社会的インフラの整備と維持という「下」は政府が責任を持って資金を投入すべきだという、現実的で合理的な内容であった。
 実際にも、国鉄分割民営化の口実とされた莫大な累積債務は、国鉄全盛時代に跋扈した「国鉄族議員」たちが自らの選挙区に強引に敷設させた、赤字運営が明白な「政治路線」の建設費が大半であり、開通後の営業赤字は首都圏や東海道新幹線など「ドル箱路線」の収益で穴埋めし、単年度経常収支がかろうじて黒字になるというのが国鉄当時の偽らざる経営実態であった。要するに国鉄は現在の道路公団と同様に、利益誘導政治の食い物にされていたのである。
 だから当初考えられた国鉄民営化構想の眼目は、累積債務の元凶である族議員の圧力と政治路線の敷設を排除するために、「公益に資する公共企業」から「利益を追求する民間会社」に国鉄を衣替えし、民間会社の経営判断つまり経済的合理性を盾にして、国鉄に赤字を強いる政治利権と社会的財産である鉄道網を切り離すことにあった。
 つまり人々の生活に必要な公共交通の社会的インフラ整備は政治の責任で行い、かろうじてではあれ単年度収支が黒字となる全国単一鉄道網を経営基盤にして、鉄道運営を官僚機構である国鉄から民間会社などに再編する構想である「上下分離方式」は、少なくとも経済合理性を欠いた6分割方式よりはるかに現実的な構想なのである。
 しかし道路公団民営化をめぐる攻防でも明らかなように、こうした政治利権の解体は、政権基盤を危うくするとして自民党実権派の激しい抵抗に遭遇した。ところが当時の中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を掲げて社会党・総評の社会的影響力の破壊を意図し、当局と国労の「馴れ合い」を非難するキャンペーンを扇動して鉄道族議員の反対を封じ、何よりも国労組織の分断と弱体化のために経済合理性を無視した6分割を強行したのだと言わねばならない。96年1月に国労拡大中央委が全面的見直しを要求した「JR方式」は、こうした実態に「民営」の看板を掛けただけだったのである。
 だが今や、このJR方式が列車運行を担う労働者と利用者の安全にとって重大な脅威であることが明白となった。そうであればすべてのJR労働者は国労の「鉄道交通政策提言」を再評価し、改めてその実現を政府に迫る共同の闘いを真剣に検討しなければならないのではないだろうか。

▼労働者の自立と拒否権の行使

 だがその上で問題となるのは、改めて労働組合という主体であろう。どれほど優れた対案を提示してもその実現を推進する〃主体的力〃がなければ、それは「絵にかいた餅」に過ぎない。だからわたしは最後に「主体」について考えようと思う。
 実際に「上下分離方式」という対案の提起だけでは、前述した「『誰も守ってくれない』という精神的圧力のもとで上意下達の運転指令に無謀を承知で従う状況」は少しも改善されはしないだろう。94年に国労大会で提起されたこの対案が社会的に認知されないままに放置されたのも、結局は国労という闘争主体が官僚主義と企業内主義を克服できず、自らの社会的責任を自覚するには至らなかったからであった。
 では労働組合はどうやって自らの社会的責任を自覚し得るのだろうか。残念ながら現存する日本の労働組合の圧倒的多数は、それができるとは考えられない。というよりも日本労働運動の深く長い低迷は、社会的責任のすべてを企業(=資本)に依存するように企業社会にしがみつき、個々の労働者が社会的に保障されるべき諸権利の擁護以上に、企業社会の権益を防衛しまた追従してきた結果だと言えるからである。では「運転指令の官僚化」によって奪われた現場の自発性と危機回避能力を取り返すために、わたしたちは何ができるのだろうか。
 それは、実に簡単なことでもある。鉄道運行にたずさわる現場労働者が、今回の事故の背景である無謀な業務命令に拒否権を行使すれば良いだけだからである。つまり曲芸的運転を強いる回復運転指令を拒否し、それによって被る懲戒処分など不利益の不当性を社会に問えば良いだけである。だが同時にこの権利の行使は、日本的な企業社会と企業内労組との非妥協的な対決をはらむという意味で、極めて困難な行為でもある。
 しかも拒否権は、何からの法律によって守られる確立された権利ではない。にもかかわらず曲芸的運転を強要する労務政策の圧力に押し潰され、猛スピードの回復運転の末に自らも命を落とした高見運転手の例を見るまでもなく、拒否権の行使とは労働者が自らを守るための最低限の権利であり、あるいは「安全運転無視」といった企業の反社会的行為を告発し、ひとりの労働者として社会的責任を果たすことでもある。
 こうして、ひとつの可能性が現れる。拒否権を行使して企業社会で苦境に立った「自立的労働者」を擁護し支援する社会的機能が、つまり労働現場と日常社会が企業社会をバイパスして結びつき、企業や行政から自立した運送事業の専門家を含む、非営利の非政府組織(NPOやNGO)が生み出される客観的な必然性である。宝塚線の悲惨な脱線事故は、この可能性を大きく広げてもいる。
 これを少しだけ組織的なネットワークにすることができれば、それは市民と労働者による「安全輸送監視委員会」のような独立した第三者機関として組織されることも可能になるだろう。しかもこのような「新しい運動主体」の可能性は過去に経験がないということでもない。
 少なくともわたしは2つの前例を挙げることができる。ひとつは82年に会社側を控訴取り下げに追い込んで勝利をした「東芝人権裁判」闘争であり、もうひとつは昨04年6月に東京高裁で逆転勝訴判決を勝ち取った「郵政4・28裁判」闘争である。
 この2つの闘いの詳細にここで触れることはできないが、その共通項は不当な業務命令の拒否や職場の締め付けに抗したストライキで徹底したいじめや懲戒処分を受け、さらに企業社会に毒された労働組合の「説得」と称する抑圧と統制を拒否して「個人の責任」において自らの正当性を訴え、長期間の孤立を支える支援運動に依拠して闘い抜かれた、文字通りの意味で労働者個人の権利と名誉のための闘いだったことである。
 しかも「特殊な人々の闘い」と見られてきたこの闘いは、長引く不況と吹き荒れるリストラという状況下で、前者は駆け込み寺のような労働相談運動や地域合同労組を生み出したし、後者は被解雇者の切り捨てに反対して結成された独立労組が、企業社会から排除された非正規雇用労働者の受け皿となりはじめるという新しい可能性を見せはじめてもいるのである。
 そしておそらく自らの社会的責任を自覚する労働組合は、こうした自立的労働者の自発的連合として再生されるに違いない。

(6月1日:きうち・たかし)


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