●沖縄・普天間基地「移設」問題【上】

沖縄の民意を踏みにじる早期決着のキャンペーン

―親米派官僚による「不安の扇動」に踊るマスコミ―

(インターナショナル第193号:2009年12月号掲載)


▼辺野古見直しの政府方針

 鳩山政権は12月15日、与党3党基本政策閣僚委員会で沖縄・普天間基地問題の政府方針を協議し、移設先を名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブとした06年の日米政府間合意はそのままに、新たな移設先を探す政府方針を決定し、急遽行われた鳩山首相とルース駐日大使の会談でアメリカ側にも正式に伝えられた。
 この政府方針は前日の14日、鳩山首相が岡田外相、北沢防衛相、前原沖縄担当相、平野官房長官の関係4閣僚と協議し、@移設先を連立与党3党で決める、A普天間移設関連経費を来年度予算に計上する、B来年5月までに移設先を決めるとした方針を基に、Bの期限を曖昧にすることで、普天間基地の県内移設に強く反対している社民党に一定の配慮をしたものと報じられている。
 私は、この政府方針が普天間問題に関する「結論の先送り」であることを確認したうえでなお、沖縄の「過剰な基地負担」の軽減もしくは解消に向けた一歩前進であると評価したい。それは今回の方針が、辺野古への移設を否定はしないものの、事実上は「日米の政府間合意」を白紙に戻して「普天間基地の移転先を改めてアメリカと協議する」という方針であり、いわば沖縄米軍基地に関する日米協議の「やり直し」を意味するからである。つまりこの方針の延長上には、沖縄駐留米軍基地に関わる日米交渉を一から見直し、基地の「整理・縮小」を形式的にではなく実質的に進展させるという、自民党政権下では絶対にありえなかった可能性がはらまれているからである。
 と同時に注目すべきは、日米両国の「安保マフィア」と親米保守派による恫喝や不安の煽動にもかかわらず、鳩山政権が「沖縄県民の思い」に添う姿勢に踏みとどまり、ついには日米の政府間合意を事実上白紙撤回する決定に至ったことである。
 もちろんこの決定に至る過程は迷走と言われても致し方ない足取りだったが、沖縄米軍基地の存続を不動の前提にして、日米政府間合意の遵守「だけが」安定した日米関係を保障すると声高に主張する「抵抗勢力」の中枢のが、後述するように、日米交渉の実務を担うべき外務省の主流派すなわち「アメリカン・スクール」と呼ばれる親米派官僚たちである現実を考えれば、むしろ「鳩山政権の健闘」と評価しても不当ではない。
 だがこうした、普天間移設問題の背後にある激しい諸勢力の攻防はマスメディアでは報じられないし、米軍の沖縄駐留が必要とされる根拠つまり「中国と北朝鮮の脅威」なるものの実態が検証されることもない。そればかりか本土では、沖縄県民の多数が県内移設に反対している事実さえほとんど無視され、「日米関係の危機」ばかりが大々的に報じられ、文字通り主要全国紙が足並みを揃えて「日米同盟のために、沖縄は普天間基地の辺野古移設を認めよ」と迫るがごとき一大キャンペーンが展開された。
 だが少し冷静に考えれば、普天間移設問題が日米間の懸案であるとしても、それが日米関係を根底から揺るがすような重大問題ではないのは明らかである。と言うよりもアメリカは、後述するように戦略的にも重要とは言えなくなりつつある海兵隊の前方展開基地の移設問題で、日本の政府と世論が「反米」とまでは言わないが「非米」や「親中国」へと傾斜する危険を犯してまで、普天間移設の現行案に固執するとは考えられない。
 ではなぜ普天間基地問題でこれほどのキャンペーンが展開され、鳩山政権が強い抵抗に直面することになったのか。以下、その問題を検証してみたい。

▼主要全国紙と沖縄地方紙の落差

 まずは、主要メディアが「日米関係の危機」を声高に論じた「不安の煽動」と言うべき実態と、これとは隔絶した沖縄地方紙の論調の違いを確認しておこう。それは主要全国紙と呼ばれるヤマトの巨大メディアが、「沖縄の基地負担軽減」を語りながら本音では「良好な日米関係にとって沖縄米軍基地は必要不可欠だ」という、歴代自民党政権と外務省の説明やら解説に完全に取り込まれてきたことを暴くからである。
 主要全国紙による「不安の煽動」は、11月13日のオバマ大統領の来日と日米首脳会談に照準を当て、鳩山政権に「普天間問題の早期決着」を迫るかたちで展開された。
 例えば親米派を自認する読売新聞は、11月6日朝刊の一面トップで米国上院が沖縄駐留海兵隊のグアム移転費を大幅に減額したと報じ、それは鳩山政権が普天間基地の移設問題を先送りしているからだという「憶測」を掲載、さらに翌7日朝刊では「普天間先送り重いツケ」「年内決断迫る」なる見出しの解説記事で、前日の憶測記事を補強してみせた。そして日米首脳会談翌日の15日朝刊には、「『普天間』解決迫ったオバマ氏」なる特ダネ記事を掲載、「オバマ大統領自身が普天間移設の早期決着を鳩山首相に強く迫った」との「主観的評価」を一面で報じる熱心さであった。
 また同じく親米派、正確に言えば対米輸出依存型の経済成長戦略にしがみつく多国籍資本の意を体現する日本経済新聞は、日米首脳会談当日の13日、普天間移設に関する日米協議の米国側責任者だったローレンス元国防副次官が、「普天間移設ができなければ合意はすべて白紙に戻さざるを得ない。普天間移設は日米同盟のエンジンだ」というインタビュー記事を掲載し、普天間移設が実行されなければ「日米同盟そのものが白紙に戻る」がごとき印象を読者に与えようとした。
 だが何と言っても日経報道の極めつけは、12月8日のシンポジウム「オバマ政権のアジア政策と新時代の日米関係」で、元国務省副長官のアーミテージ氏が鳩山政権の普天間移設決定の先延ばしに懸念を表明したことを受けて、「米側出席者からは、・・・沖縄米軍基地問題を早期に解決しなければ、日米関係が危険な状態に陥るとして、現行案に基づいて早期に解決すべきだとの意見が相次いだ」と、大々的に報じたことだろう。実際にはこのシンポには、オバマ大統領の政権移行チームの共同議長を務めたジョン・ポデスタ元大統領主席補佐官も出席し、「日米関係は相互依存関係にあり、共同の行動と努力なしには気候変動や経済再建、感染症防止など世界的規模の課題を克服できない」と述べ、普天間問題と日米関係を短絡的に結びつける発言をやんわりとけん制していたのだが、こうした発言はもちろん、日経の報道では片隅に追いやられた。
 読売と日経のこうした報道は「いつものこと」と言えるとしても、普段は何かと立場を異にする朝日と毎日の両紙もまた、普天間問題の早期決着と日米関係悪化の危機感をほぼ完全に共有していたところに今回のキャンペーンの特異さがあった。
 朝日新聞は、読売が米上院でのグアム移転費減額を報じた翌7日、2面の半分以上を使ってワシントンと東京の合作記事を掲載したが、その見出しは「会談目前 きしむ日米」であり、脇見出しにも「普天間 いらだつ米」「先送り発言『無責任』」といった不安を煽る文言が踊り、日米首脳会談を報じた14日の記事でも「蜜月の裏 日米に火種」の見出しにつづけて「普天間 深まるミゾ」と、不安を助長する文字が並んだ。
 読売や朝日と比較してトーンは幾分低かったとはいえ、毎日新聞もまた日米関係の危機を強調する記事を多く掲載した。11月10日から「日米漂流 オバマ大統領来日を前に」と銘打って連載された記事の見出しは「岐路に立つ同盟」とあり、「普天間移設迷走」「『冬の時代』『危険水域』」「続く対日不信」となっていた。
 もっとも毎日は、他紙がほぼ完全に無視していた「沖縄の民意」について「琉球新報」と合同で世論調査を行い(10月31日、11月1日)、現行案通りの辺野古移設容認が4・6%、県が求める辺野古沖への移転支持が13・4%、県内の別の移設先を探すが6・7%と、県内移設容認は合計でも24・7%と4分の1に満たないのに対して、国外か県外への移設で米国と交渉すべきだが69・7%もある事実を報道してはいた。琉球新報の詳しい報道(11月6日朝刊の特集記事)と比べて扱いが小さかったのは確かだが、最も肝心な「沖縄の民意」をいち早く報じたという点は評価していいだろう。
 だが以上のように、主要全国紙と呼ばれる巨大メディアの報道は総じて「日米関係の危機」を強調し、その原因は鳩山政権が普天間移設の日米合意の履行を先のばししているからだと断じて不安を煽動するものだった。しかもその多くは、かつてブッシュ政権の下で日本の軍事的貢献を強く要求した「元」政府高官や、米政府よりも国防総省と米軍の利害を代表する「政府関係者」など、いわゆる「安保マフィア」と呼ばれる「知日派」系の人々からの伝聞をもとにしていたのだ。そればかりか、こうした米側の懸念と言った情報を提供した日本の「政府関係者」らは、すべて匿名の陰に隠れていた。
 これら日本の「政府関係者」とは、アメリカ側の情報を容易に手にできる外務省の官僚たちである可能性が強いが、この問題の検証は後に行うことにして、ほぼ7割の人が国外か県外移設を求める沖縄の地方紙の論調を見ておこう。

▼「県外移設」の可能性はあった

 琉球新報は11月7日、訪米中の松沢・神奈川県知事が行った講演で、「辺野古移設しか解決できる選択肢はない」と述べたことに対して反論の社説を掲載した。その社説では「米軍再編協議で、米側が日本政府に北海道移設を打診したことが分かって」おり、この「打診は、少なくとも米側としては『県外移設』も可能だったことを示している」と指摘、しかしこの打診に対して「北海道が地元の町村信孝外相(当時)は、『地元(北海道)知事が反対』という理由ですぐ断り、真剣な検討をすることもなかった」と述べ、むしろ当時の小泉政権が県外移設を真剣に検討しなかった実態を批判した。そして「確かに、全国どこでも移設案が上がれば反対するだろう。世論の反発でむずかしいというのは理解できるが、それなら沖縄も同じだ」と主張したのである。
 さらに琉球新報は日米首脳会談当日、朝刊一面にオバマ大統領宛の社説を掲載し、沖縄では米駐留軍によって人権が踏みにじられ、普天間の現在の移設計画も「危険の『たらい回し』にほかならない」だけでなく「普天間問題は『全面返還』から『県内移設』にすり替えられた経緯がある」と指摘、冷戦終結から20年を経ても沖縄にこれだけ大規模な米軍基地が必要かどうかを、政治主導で徹底的に洗いなおして見るべきだと訴えた。
 琉球新報の2本の社説だけでも、本土(ヤマト)の全国紙との落差は明白だが、沖縄のもうひとつの地方紙「沖縄タイムス」も12月8日、「普天間大詰め」と題する社説を掲載し、「鳩山首相に早期の決断を迫る意見がある。しかしそれは名護市辺野古への移転をためらうな、と迫っているに等しい。急ぐ理由が分からないし、むしろそれこそ無責任だ」と早期決着を迫る論調に反論、「年内決着を迫れば、県外・国外の可能性を調査する余裕はなく、唯一の日米合意案である辺野古に限定される。それでは・・・デリケートな基地問題に対応できなくなる。/日本は米軍駐留にどう向き合っていくべきか、深い議論をしなければならないはずだ。『地理的優位性』という言葉を免罪符に、米軍基地の過重負担を沖縄に押し付ける時代は終わったからだ」と述べて、「1)普天間を使う海兵隊が日本に駐留する必然性はなにか、2)海兵隊は県外で機能しないのか、3)県外移転を不可能とするのはなぜか―などの問いからもはや逃げられない。/冷戦型の対脅威論は友愛精神に基づく「東アジア共同体構想」になじむのか。日米同盟の深化と沖縄基地問題の解決をどう両立させるのか将来ビジョンを示してほしい」と、米軍の沖縄駐留そのものを俎上に上げた議論を求めたのである。
 「冷戦終結から20年を経ても沖縄に大規模な米軍基地が必要かどうか」あるいは「普天間を使う海兵隊が日本に駐留する必然性は何か」を問うこともなく、「米側から打診された沖縄県外の移設先」などの過去の経緯や事情まで完全に無視して「辺野古移設」と「年内決着」ばかりを強調するキャンペーンの異様さは、何かしら隠された意図があってのことと考えて当然だろう
 では安保マフィアと親米派によって展開された早期決着キャンペーンの背後には、どんな事情が横たわっているのだろうか?

▼名護の民意と沖縄自民党の動揺

 まず確認しておきたいのは、「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という連立合意にもとづいた民主・社民・国民新党連立政権の誕生が、米軍基地問題をめぐる県内の分断と対立に悩まされてきた沖縄に大きな変化をもたらしたことである。
 そのひとつは去る11月18日、普天間の移設先とされた辺野古地区の地元・名護市の市長選挙にむけて、移設反対派が稲嶺進氏(前市教育長)擁立で一本化され、移設容認を掲げて自民、公明両党の支援を受ける現職・島袋吉和氏の再選がにわかに不透明になったことである。来年1月24日の市長選で、民主、社民、国民新、共産の各党が推薦する移設反対派の稲嶺氏が当選すれば、辺野古への普天間移設は文字通り暗礁に乗り上げ、親米派が望む「辺野古移設」は完全に白紙に戻ることになる。
 つまり年内決着キャンペーンの意図は、名護市長選の結果として辺野古移設が不可能になり、06年の日米政府間合意が最良とは言えないことが暴かれるのを回避したいがためだと断言できる。なぜなら辺野古移設案の破綻は、県外移設の可能性を真剣に検討することなく、地元の反対の声をあらゆる手段で押しつぶし、沖縄に過剰な基地負担を押しつけつづけてきた日本政府の欺まんを暴くからである。具体的には、外務省や防衛省の親米派官僚と、これと癒着して米軍基地関連利権に群がってきた各種業界、そしてこの癒着構造に寄りかかって沖縄に分断を持ち込んだ歴代自民党政権の利権政治が暴かれれば、沖縄の自民党支持基盤は崩壊の危機に直面するに違いないからである。
 そもそも移設先として「辺野古が最良」とされる理由は、地元・名護市が受け入れを表明しているというただ1点に尽きるが、この名護市の姿勢自体が、97年12月の住民投票で移設反対が過半数を占めた事実を強引に捻じ曲げた結果であった。当時の比嘉鉄也市長は住民投票の結果を無視して唐突に移設受け入れを表明して辞職、その後継に指名されて移設容認派に担がれた故岸本建男市長は、99年末に受け入れを表明したものの飛行時間の制限や15年の基地使用期限など米軍が受け容れ難い「7条件」を提示、住民投票で示された「名護の民意」にギリギリまで応えようとしてきた経緯がその証拠である。
 そして現職の島袋市長が、7条件をうやむやにした現行の「修正案」で政府と合意したのは、岸本前市長の死後11日目の06年3月のことだった。
 こうした経緯を考えれば、1ヶ月後の名護市長選を前に、いわゆる親米派が強い危機感を抱くのもうなずける。だが沖縄の現実は「名護の民意」にとどまらず、歴代自民党政権が米軍基地関連利権のバラマキで扶養してきた沖縄の政治構造の動揺にまで広がりつつあり、それがまた親米派の危機感を一層つのらせている。
 これまで辺野古への移設を支持してきた自民党の沖縄県支部連合会(県連)は11月20日、「県内移設容認」から「県外移設要求」へと基本方針を転換する検討に入ったと、報じられた。8月総選挙で小選挙区の全敗を喫した同県連は、文字通り支持基盤の崩壊の危機に直面し、生き残りをかけた転換の模索が始まったのだろう。だが沖縄県議会(定数48)の最大会派(16名)が県外移設要求に転じれば、沖縄県議会はほぼ県外移設一色となり、沖縄駐留米軍基地問題はこれまでとはまったく違った様相を呈することになる。
 現実に、15日に決定された普天間問題に関する政府方針に対する移設容認派の反応は、一段と歯切れの悪いものになった。条件付移設容認の態度を堅持して「早期決着」を求めつづけてきた仲井真知事も、「政府できちっと、詰めるだけ詰めて、なるべく早く方向を決めて具体案に近いものを提示してもらわないと、言いようがない」と慎重な受け答えに終始し、「3党できちっと、おやりになった方がいいという感じになり始めた」と、具体的な方向性が出るまで静観する態度を滲ませたし、逆に県内移設に反対してきた普天間基地の地元・宜野湾市の井波市長は、「米側の強い圧力に屈せず、鳩山政権が(県民の思いを)理解し、新たな移転先の検討も含めて取り組むという一歩を踏み出したことは大いに評価する」と政府方針を歓迎したのである。

 こうして普天間基地移設を当面の焦点とした沖縄の駐留米軍基地問題は、親米派と安保マフィアによる異様なキャンペーンにもかかわらず、少なくとも地元沖縄では新たな局面が開かれつつあることへの期待が高まり、県内移設容認派の動揺も広がっているが、最も肝心な問題はむしろこれからである。
 というのは、前掲・沖縄タイムスの社説が言うように「基地問題は政府間の合意があっても、それが地元の頭越しであっては実現が難しいのは、分かり切ったことだ」という指摘がまったく正しいとしても、ことは相手のある外交交渉であり、日米関係の今後を含む日本の外交戦略全体を問い直す困難な作業には違いないからだ。
 では日米関係の今後や、琉球新報や沖縄タイムスが指摘する「海兵隊の沖縄駐留の必然性」と言った問題は、どのように考えればよいのだろうか。

▼米中・日中関係悪化の10年間

 冷戦終結後の沖縄米軍基地を語るとき、常に持ち出されるのは「軍事大国化する中国」や「核開発をつづける北朝鮮」の脅威に抗して、沖縄駐留米軍という軍事プレゼンスは「必要不可欠だ」と言うことである。91年にソ連邦が解体して東西冷戦が終わっても、中国と北朝鮮という「新しい脅威」が米軍の沖縄駐留を正当化してきたのだ。
 だがもしそうだとすれば、中国を戦略的パートナーと位置づけて「戦略対話」を強化しようとするオバマ政権は、脅威である中国と戦略的なパートナーを目指すという矛盾に引き裂かれるのではないだろうか。あるいは核開発と弾道弾開発の抑止を目的に中国、ロシア、韓国、日本と共に北朝鮮との対話を追求する「6カ国協議」は、オバマ政権にとっては単なる隠れ蓑に過ぎないのだろうか。
 しかしこの沖縄の基地負担を正当化する「中・朝の脅威」は、ある時期から急速に悪化した米中関係と、これと軌を一にして険悪化した日中・日朝関係の下で誇張され、それ故に高まった日本と中国・北朝鮮との緊張関係の中で作られた「脅威」に他ならない。つまりそれは田中角栄の訪中以来つづいてきた自民党の外交路線から、日中友好を犠牲にして親米へと傾斜した「ここ10年ほどの常識」でしかないのである。
 ブッシュ政権の米国と中国の関係悪化が顕になったのは、「11・9同時多発テロ」の5ヶ月前の01年4月、米軍哨戒機と中国軍戦闘機の「接触事故」と米軍機の抑留であった。国内的には「思いやり保守」を掲げたブッシュ政権だが、冷戦後のアメリカの覇権を確立しようとする対外政策は当初から「好戦的」であり、その最大の標的が、改革開放政策を経て経済的台頭が著しい一方で、共産党独裁体制を維持することで、すでに米国系金融資本の支配下にあった国際通貨基金(IMF)や国際金融公社(IFC世界銀行グループ)の要請や「助言」を頑として受つけようとしない中国だったのである。
 そしてこの「接触事故」直後に発足した小泉内閣(第1次)は、日米同盟の強化、言い換えれば田中政権以来の自民党が継承してきた日中友好路線からの転換を意図してブッシュ政権と歩調を合わせ、「中国脅威論」のトーンを徐々に強めながら「中国は靖国問題を外交的に利用している」との口実で靖国神社公式参拝を繰り返し、ついには01年10月の小泉訪中を最後に5年以上も日中首脳の交流を途絶させたのである。
 だが改めて言うまでもなく、こうして作られた「中・朝の脅威」を煽るブッシュ政権と小泉政権の外交路線は、イラク戦争の泥沼化によってなし崩しにされ、あるいは巨大なフロンティアである中国市場への参入を競う日米両国の多国籍企業と金融資本の障害物へと転落した。北朝鮮の脅威を喧伝して小泉後継を射止めた安倍元首相が、自らの政治信条を押し殺してでも日中関係の改善を優先しなければならなかった事実は、小泉政権の外交方針が、結局は「日本の国益」を損ねる大失敗だったことの証拠であろう。
 そして昨年末の米国大統領選挙と今年8月の総選挙で誕生した日米両国の新政権は、共にこうした外交路線の転換を含めて、前政権の路線からの転換を訴えて成立したのだ。そうである以上、鳩山政権が「中・朝の脅威」を前提にした米海兵隊の沖縄駐留を見直そうとするのは当然のことであり、オバマ政権の側も、日米関係を不安定にさせてまで「中・朝の脅威」を前提にした海兵隊の沖縄駐留に固執しなければならない理由はない。普天間移設問題は、すでに13年もの長期にわたって進展していないからだ。
 事実オバマ政権は、親米保守派のかまびすしいキャンペーンとは裏腹に、15日の鳩山政権の決定について冷静な反応をみせた。鳩山政権の「新たな移設先を検討する」という決定を受けて15日に記者会見した国務省のクローリー次官補は、「この問題が日本にとって複雑なものであることは理解している。もう少し時間が欲しいというのなら協力したい」と述べ、鳩山政権との協議継続の姿勢を明らかにしたのだが、これを報じた例の主要全国紙は、またまた「米政府筋」の話として「今は合意案を実現することに専念すべきだ」という「懸念の声」を補足し、自らが煽った「日米関係の危機」という不安を裏付けようとしたのである。だから21日になって、クリントン国務長官が駐米日本大使を呼んで「現行案の速やかな履行」という米政府の態度を改めて伝えると、それこそ鬼の首でも取ったかのように「日米関係の危機」を煽る報道を繰り返すのだ。
 だがクリントン国務長官の行為は、15日の国務次官補の会見に反発する国防総省や軍の巻き返し工作が活発化し、国務長官自らがその沈静化を図ったと見ることもできる。その意味ではオバマ政権もまた、普天間移設問題について政権内部の調整に手間取っていると考える方が妥当ではないだろうか。
 これほど強烈な「日米関係の危機」という強迫観念は、もちろん「小泉劇場」に踊った巨大マスメディアが「ここ10年ほどの常識」に深く囚われつづけていることを暴いているが、その背後では、「不安の煽動」を是非とも必要とする勢力がこうした情報を執拗にリークしている可能性が極めて強い。
 そして執拗なリークをつづける強い動機をもつ勢力が、先に指摘した「アメリカン・スクール」と呼ばれる外務省の親米派官僚たちなのである。

▼外務省内の抗争とマスコミの癒着

 ブッシュ政権による「中国敵視政策」の中に、自民党「守旧派」の外交路線つまり田中角栄以来の日中友好路線からの転換と、これに絡む円借款などの「中国利権」を削減する好機を見出した小泉政権の下で、日中関係の見直しと親米路線の強化と言う同様の利害を見出したのがアメリカン・スクールであった。
 この親米派官僚たちの基本的目標は、いわゆる「湾岸戦争のトラウマ」を口実に日米同盟の軍事的協力関係を拡大し、国連安保理の常任理事国入りを目指すことだったが (本誌149号:04年10月参照)それは当然ながらに日中関係を重視する、こちらは「チャイナ・スクール」と呼ばれる日中友好を担ってきた官僚の強い抵抗を受けることになった。そしてこの外務官僚の路線闘争が権力抗争へと転化する契機が、02年5月の瀋陽日本領事館への「脱北者駆け込み事件」(本誌127号:02年6-7月参照)なのだ。
 亡命を希望して領事館に駆け込もうとした脱北者を、領事館側があっさりと中国公安当局に引き渡したことが非難の的になったが、これがアメリカン・スクールによるチャイナ・スクール追い落としに大いに利用されたのである。
 だが前述のように、ブッシュ政権に追従した小泉政権の対中国政策は、台頭する中国市場への参入が資本主義・日本にとってますます重要な戦略的課題であることが明らかとなり、他方の米国市場がその限界を露呈するに至って、もはや誰の目にも転換されるべき路線と映るようになった。こうして小泉政権以降に一段と強まった「親米一辺倒」の外交路線の転換が重要な課題として浮上し、それと共に外務省官僚機構内部の勢力図の再編、つまり「アメリカン・スクールの優位性」が失われる可能性が高まった。
 しかも、新政権の外相・岡田が指示した「日米密約疑惑」解明の動きが、アメリカン・スクールが深く関与してきた「核密約」や「沖縄密約」の暴露を通じてチャイナ・スクールの逆襲の好機になりはじめており、「米中等距離外交」を含意する日米中の「正三角形」の関係を公言する小沢民主党幹事長の存在も、彼らアメリカン・スクールにとっては自らの官僚機構内部での優位性を揺るがす「脅威」に違いない。
 瀋陽領事館事件を大いに利用してチャイナ・スクールを追い落とし、その後の親米・追従路線を強力に推進したアメリカン・スクールの官僚たちが、強い危機感を抱いて「日米関係の危機」を煽動しようと、偏った情報を「政府関係者」なる匿名に隠れてリークしなければならない理由が、ここにある。
 こうした外務官僚の外交戦略をめぐる激しい抗争が背後にある以上、主要全国紙の足並みを揃えた普天間キャンペーンが、実はマスメディアの堕落と言える重要な問題をはらんでいることを浮き彫りにする。
 それは主要全国紙の情報の多くが、実は外務省などの国家官僚機構との癒着、しかも当時の主流派との癒着関係の中で得られた情報に深く依存しているという問題である。そうでなければこれらのマスメディアは、これほどまで足並みを揃えることはなかっただろう。 
 答えは明瞭である。主要全国紙が展開した普天間キャンペーンの情報源は、ほぼ全てが小泉政権以降の10年間に強力な権勢を得た外務省のアメリカン・スクールにあり、それは権力すなわち国家官僚機構の監視役を自認するマスメディアが、最も権勢の強い勢力と癒着することで著しく偏った情報に依存することになったことを示唆している。「不偏不党」の建前の陰で国家権力と馴れ合う日本のマスメディアの姿は、堕落以外の何物でもない。

 日本そしておそらくはアメリカでも、新自由主義と「テロとの戦争」一色に塗りつぶされた観のあるほぼ10年間の国家戦略の転換が、根本的な課題として両国の新政権に突きつけられている。つまり沖縄駐留米軍基地の「整理・縮小」の課題は、まさにこの歴史的転換期という現実を見据えて再検討されなければならない。
 したがってこの論考の最後は、米中・日中関係を中心にして次代の展望を検証することで締めくくるつもりだったが、残念ながら時間も紙数も尽きてしまった。残された検証の課題は、新年最初に発行される本誌でつづけることにしたい。

(12/23:きうち・たかし)


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