▼日本は安保理常任理事国になれるか▼

経済援助という国際貢献の道

−「トラウマ」と「悲願」に隠れた日本外交の自己矛盾−

(インターナショナル第149号:2004年10月掲載)


▼国連創設60周年と安保理改革

 国際連合の第59回総会で、小泉首相が安全保障理事会常任理事国就任への強い意欲を見せる演説をしたのは9月22日である。
 来年、創立60周年を迎える国連ではアナン事務総長が国連の改革を諮問する「ハイレベル委員会」を設置し、同委員会が年末にも報告書を提出すると見られており、小泉の安保理常任理事国入りを表明した総会演説は、この動きを長年の外交的悲願達成の好機と見てのことである。
 もちろん今回の国連改革の核心的課題が安保理の再編にあり、具体的には常任理事国を7〜10カ国に増やすことでより多くの国を国際安全保障の最終的決定に関与させ、世界の現実に即した安全保障システムの立て直しを図るものであることは、加盟国全体の合意になりつつある。その意味では1993年、宮沢政権が当時のガリ国連事務総長に「安保理においてなしうる限りの責任を果たす用意がある」との意見書を提出し、常任理事国入りに強い意欲を表明しつづけてきた日本政府が好機到来とばかりに「立候補宣言」をしたのは、時期を得た対応ではあった。
 だが国連改革の核心が安保理再編と常任理事国の再構成にあるとしても、各国の思惑には正反対とさえ言える違いがある。そしてこの違いの背景にあるのが「テロとの戦争」、とりわけイラク戦争をめぐる国際世論の分裂なのである。

▼的はずれな日本のアピール

 アメリカによるイラク戦争の発動を国際法や国連憲章を踏みにじる行為と見なし、「法の支配の復活」(アナン事務総長の総会演説)を国連改革の最重要課題と考える諸国は、国連のいかなる決定にも束縛されない常任理事国の特権、とりわけ安保理決議に対する拒否権に何らかの制約を加え、軍事大国アメリカをコントロールできる改革を望んでいる。だが他方では、特権を維持しつつ南米のブラジルや南アジアのインドなど「地域の大国」を常任理事国に引き入れて「応分の負担」を負わせ、安保理決議の実効性をより広い地域で補完する効果を期待する常任理事国側の思惑も働いている。
 10年以上も前から常任理事国に立候補してきたとは言え、当時の日本の意見書は、91年の湾岸戦争で破綻が露呈した「札束外交」に代わる国連と安保理の権威に依存した「国際貢献」を意図したに過ぎず、今日問われている安保理再編の課題に応えようとした訳ではなかったのは明白である。そうであれば、日本が常任理事国に就任しようと本気で考えるなら、現実的課題である国連改革に対する意欲やイニシアチブを示す方が、そんな過去の経緯よりも重要であった。
 ところが、である。外務省の思惑を代弁した小泉の演説には、こうした肝腎かなめの内容が完全に欠落していた。国連分担金の高い負担率(アメリカの22%に次ぐ19・5%)に見合う地位だとか、ブラジルと並ぶ最多の8回に及ぶ非常任理事国の経験と言った主張は、銭金の見返りを求めて形式的実績を振り回す鼻持ちならない理屈であり、この論法で「全加盟国の3分の2以上の批准」という常任理事国就任に必要な条件をクリアーできると本気で考えているとすれば、政府・外務省の状況認識はまったくの見当はずれと言う以外にはない。その上「イラクでの貢献」を強調して常任理事国の「資格」を語るに至っては、安保理再編がなぜ現在の課題なのかについての認識さえ疑われよう。
 なぜならそのイラク戦争をめぐって国際世論は分裂し、それが安全保障に関する「国連への信頼」を失墜させ、だから安保理再編を最重要課題とする「国連改革」が問題なのだというのが、国連と加盟諸国の大半が共有する認識だからである。
 こうした日本政府・外務省の実に滑稽なまでの的外れなアピールは、もちろん戦後日本の外交戦略の破綻の結果だが、それはまた否応なしに国際化した日本国家が直面しつつある国際的苦境を映し出す。

▼「冷静な計算」の思わぬ誤算

 そのひとつは、いま政府・外務省が追求する「日米同盟」強化路線が必ずしも日本の国際的地位を好転させないだけでなく、日本が頼みとする日米同盟も、アメリカによる国連の軽視という政策の下でこそ重視されているに過ぎないという現実である。
 ところが外務省は、常任理事国入りに必要な「全加盟国の3分の2以上の批准」という条件よりも「常任理事国5カ国の同意」というもうひとつの条件を優先し、日米同盟にもとづくアメリカの強い後押しでこれを達成しようと全力を挙げている。
 たしかにアメリカの圧倒的な影響力は誰も無視できないし、各国の思惑が錯綜する「5カ国の同意」はアメリカによる説得によってしか成立しないだろうことも疑いない。そして外務省も、こうした「冷静な計算」があることを隠そうともしない。つまり小泉演説の草稿を準備した外務官僚は、自衛隊の「イラクでの貢献」に加盟諸国の反感が強いことを知らなかったのではなく、「日米同盟にもとづくイラクでの貢献」をあえて強調し、なりふりかまわずアメリカによる後押しへの期待を表明したのである。
 だが「アメリカは日本の常任理事国入りを歓迎するはずだ」というこの方針の無条件の前提が、実は全く不確実なのである。外務省の「冷静な計算」が的外れになるのは、この日米間に横たわる、かなり本質的な国連に関する認識の齟齬から生じている。
 と言うのも、アメリカの歴代政権は、戦争を含む国家主権の発動についてそのほんの一部と言えども、いかなる国際機関にも委譲しようとはしなかった。それはアメリカが、政治と経済と軍事の全分野において単独で行動できる、現代世界でただひとつの覇権国家だからである。とすれば、「アメリカの統制」を含意する今日の国連改革は、アメリカが積極的に推進する理由はない。
 ましてブッシュ政権は、先の共和党大会が「国連の指揮下に入らない」と明記した綱領を採択したこともあって、国連のイニシアチブを強化したり安保理でのアメリカの比重が相対的に低下する危険をはらむ常任理事国の拡大に、何らかのメリットを見い出すはずもないのだ。現に国連総会の演説後に行われた小泉とブッシュの首脳会談では、外務省が期待したアメリカの積極的支援の表明はついになかったのである。
 こうして、経済大国にふさわしい地位=安保理常任理事国になりたいという、それ自身かなり利己的な政府・外務省の悲願を達成しようとする懸命の努力は、あやふやな前提条件にもとづく「冷静な計算」の結果として、逆に多くの国連加盟諸国の反感を助長するといった「思わぬ誤算」だけを残すことになった可能性が強い。
 それは日本が国際社会で、とりわけアジア諸国からの孤立というもうひとつの苦境を浮き彫りにする。それはかつてのような経済援助を必要としなくなったアジア諸国という環境の変化ばかりでなく、戦後日本外交の転機となった湾岸戦争で「札束外交」の破綻を語りながら、その本質的要因を解明しようとはしなかった政府・外務省の〃誤った選択〃によって助長されたのだ。

▼利己的な国益と「札束外交」

 ところで「常任理事国5カ国の同意」を優先する政府・外務省の方針は、「全加盟国の3分の2以上の批准」と言うもうひとつの条件は、経済援助という相も変わらぬ「札束外交」で容易にクリアーできると考えている証拠である。しかしここに外務省の誤算の要因が潜んでいる。
 なぜなら外務省は、湾岸戦争で130億ドルもの戦費を負担しても厳しかった国際的評価が「トラウマ」になったと語り、以降は安保理常任理事国入りを「悲願」としてきたと解説してみせる一方で、最も強力な外交的手段が今なお「札束だ」と確信していることを雄弁に物語るからである。「札束の貢献」では国際的に評価されないという「トラウマ」を克服すべく、常任理事国の席を「札束外交で買収する」戦略!
 これほど滑稽な自己矛盾に陥りながら、外務省は「アメリカによる後押し」で常任理事国入りを果たせると踏んだのだろう。だがそれも、ほとんど非現実的なことは前述のとおりである。しかも外務省が常任理事国就任に執着する理由には、国際貢献という建前よりも利己的な「国益」を追求している疑いが見え隠れしている。
 実際に外務省は、常任理事国に就任する最大のメリットが、非常任理事国には開示されない各種情報の入手だということを隠そうともしない。もちろんこれらの世界各地の情報へのアクセスは外交的優位を占める重要な条件とはなるが、そのことと日本の国際貢献は必ずしも同じではない。むしろ外務省の言い分からは、積極的に「国際貢献」を担うという以上に「常任理事国に集まる情報」に特権的にアクセスし、「安保理の重要決定に直接関与できる」地位を手にして外交的優位を確保する、あからさまな利己主義が透けて見えるだけである。

▼「湾岸戦争のトラウマ」なるロジック

 たしかに、91年の湾岸戦争は戦後日本の外交に重大な転換を迫り、当時の海部政権による戦費負担と掃海艇の派遣は欧米諸国の厳しい評価に直面した。だがあえて言うが、それは「札束外交」と揶揄される経済的な国際貢献を「人的貢献」に、つまり今日に連なる自衛隊の海外派兵などの分野に重点を移す必要を明らかにした訳ではない。
 もちろん「札束外交」は、経済的利益ばかりを追い求めた戦後日本外交の産物であり、国際社会の安定に寄与する経済援助にはほとんど関心を示さない一国主義と身勝手さを象徴する外交である。だが他方では、日本が軍事的関与とは一線を画す「平和的な経済援助大国」であることもまた、まぎれもない現実なのである。
 問題なのは、日本による経済援助の多くが「紐付き」と呼ばれ、日本企業の目先の利益と露骨に結び付けられていたことにある。支援を必要とする途上国に経済援助の「札束」をちらつかせ、日本企業の利益を強引に認めさせるやり方が「札束外交」と非難されたのは当然だが、日本の経済援助大国としての国際的な貢献それ自身が、全く評価されなくなった訳ではないのだ。
 むしろ湾岸戦争が日本に突きつけたのは、目先の経済的利益には過敏なまでに反応する日本の外交が、他方では日本経済の生命線である中東産油国の政治的安定や経済援助には「当然払うべき重大な関心」を払わず、こうした分野の対応はアメリカの外交戦略に全面的に寄りかかってきたことであった。アメリカで噴出した「安保ただ乗り論」などの論調は、こうした日本外交への欧米諸国の苛立ちの表現であった。
 まさにその結果として外務省は、周辺アラブ諸国の全面的支持を得て始まった湾岸戦争という事態に不意を打たれて迷走し、小出しの追加支援のはてに戦費負担や掃海艇派遣へと追い込まれ、『持てる力を限定的にしか行使しない日本』という国際的評価に直面することになったのである。
 「札束外交の破綻」と言われる湾岸戦争後の国際的な対日批判は、この『持てる力を限定的にしか行使しない日本』に対する国際社会の苛立ちと幻滅だったのだが、当の外務省の総括は違っていた。
 外務官僚たちは戦争に関する情報、つまりアラブ諸国と多国籍軍の親密な連携や開戦準備の進捗状況など、戦争とその帰趨を予測し得る情報が不足して対応が後手に廻ったという、重要ではあっても決定的とは言えない瑣末な要因を過大評価して自己弁護に終始したのである。そしてこの自己弁護の延長上に、戦争の情報を入手するには「人的貢献」が、要するに「軍事的関与も必要だ」というロジックを編み出したのだ。
 だが日本には戦争も海外派兵も禁じた憲法があり、外務官僚が期待するような軍事的関与は不可能であった。この難題こそ、外務官僚が「湾岸戦争のトラウマ」と呼んだ〃外交上の障害〃だったのである。こうして政府・外務省は、海外派兵に道を開く一連の法整備に着手する一方、国連安保理の常任理事国が特権的にアクセスできる極秘情報を是が非でも手にしたいと考え、それを「悲願」とすることになったのである。

▼経済援助大国という可能性

 前項で指摘した『(持てる)力を限定的にしか行使しない日本』という対日評価は、昨年末の『ワシントン・クオータリー』誌(03-04年冬号)に掲載されたエドワード・リンカーン氏(アメリカ外交問題評議会上級研究員)の論稿に付された表題「Japan:Using Power Narrowly」の日本語訳である。
 彼はこの論稿で、80年代後半以降に急速に増加した日本の対外援助や海外純資産の推移を分析し、「他国に影響力を及ぼす手段として軍事力行使の能力を持たない日本は、・・・・80年代の遅い時期までに、実行可能な経済力の行使をその手段として備え、米国とは対照的に、非軍事大国として地位を確立した」と述べている。
 さらにつづけて彼は、「米国の徴兵制度での良心的徴兵忌避者と同様に、日本は、米国とソ連の軍事力が意味した破壊的脅威とは対照的な存在として、社会を建設し、病を治療する国としての役割を世界に誇示することができた可能性があった。さらに、対外援助や銀行融資、FDI(対外直接投資)を諸国の国家建設に気前よく投じて、国際問題において高い道徳的地位を得られた可能性もあった」と述べ、80年代の後半以降、急速に国際化した日本がその巨大な経済力で世界に建設的な貢献をなし、国際的にも高い評価を得られた可能性に言及している。
 もちろんこうした期待は「札束外交」という現実によって裏切られたのだが、彼もその点について「日本の(対外)援助計画は諸国の経済発展の材料をはぐくむというよりも、日本の商売上の利益と密接に結びついていたようだ」と指摘する。

 リンカーン氏が指摘するように、「80年代後半以降、世界は日本を主要な経済国家と認め、・・(中略)・・気が進まないながらも尊敬と理解を示し、この新参者への認識を深めるようになったが、それは日本の経済力だけが理由だった」とするなら、日本政府と外務省は「経済援助大国」として持てる力を行使し、グローバリゼーションの進展でむしろ拡大した国際的な経済格差を緩和する援助計画でも策定する方が、「札束で常任理事国の席を買収する」よりはるかに現実的な国際貢献になるとは言えないだろうか。
 だが現在の対応をつづける限り、外務省の「悲願」はドイツ、ブラジル、インドという3カ国とのセットで、つまり常任理事会の力の均衡への配慮の結果として実現される以外の可能性はない。その場合、アメリカを無条件に支持して追従する以上の役割は、日本にはあり得ないに違いない。

(10/29:きうち・たかし)


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