●中国・藩陽での亡命事件

何が日本外交をここまで堕落させているのか

(インターナショナルNo.127/2002年6-7月掲載)


 サッカー・ワールドカップのニュースがテレビや新聞を占領する直前まで、連日のように報じられた最大のニュースは、中国・藩陽市の日本総領事館に5人の亡命希望者が駆け込んだ事件をめぐるもだった。
 テレビに写しだされた亡命者たちの必死の形相と対照的な領事館職員の間の抜けた対応もさることながら、その後の中国当局と食い違う亡命者の連行状況や阿南大使の「侵入者排除」の指示など、日本の在外公館の緊張感の欠けた実態が思わぬ事件によって暴露されたかたちだ。
 しかし田中前外相の更迭から鈴木宗男衆院議員の側近たちの逮捕にまで発展した数々の政府開発援助(ODA)疑惑といい、藩陽事件で暴露された在外公館の大使や職員たちの緊張感の欠如といい、外務省の動揺と転落は目を覆うばかりである。
 だからこの事件は、主要に主権侵害に対する駐中国公館の鈍感さや、亡命に対する人道的対応の立ち遅れを非難する、与野党を問わぬ外務省批判を巻き起こした。だが在外公館における主権問題や亡命事件への対応の立ち遅れなどの問題は、小泉の戦略なき改革路線が引き起こした外交的混乱と密接に関係していると言わねばならない。

混乱ふりまく小泉外交

 中国外交の主要な人脈やパイプが、日中国交回復の立役者である故・田中角栄の基盤を引き継いだ橋本派に連なっていることを考えれば、藩陽総領事館の失態と小泉の「外交音痴」ぶりを関連させるのは不可解に思えるかもしれない。
 しかし逆説的だが、この日中国交回復以来の伝統的な対中国外交の基本方針と、靖国参拝や歴史教科書問題で中国や韓国の対日感情を不用意に刺激しつづける小泉の国内向けパフォーマンスのギャップが、中国外交の第一線を担う外交官たちに事なかれ主義を蔓延させたのである。
 例えば本誌121号【参院選自民大勝の実態】で指摘したが、小泉が自民党総裁選で掲げた公約である8月15日の靖国参拝問題が日中・日韓関係の外交的危機に発展しそうになったとき、これを参拝日を早めることで回避したのは、橋本派の野中らが訪中して中国側の意向を測り、これをYKKのひとりである加藤を通じて小泉に伝えたからであった。
 ところが小泉政権は、この問題が突き出した外交上の問題をまったく自覚しないばかりか、グローバリゼーションが日本経済に突きつけている日中・日韓の経済的結びつきの急速な進展にも思い及ばぬように、旧態依然たる親米路線を踏襲しつづけている。しかもその相手であるブッシュ政権は、クリントン前政権の対中国融和路線を対決的強硬路線へと転じた張本人でもある。
 こうした小泉の態度が、中国駐在外交官たちにどんな影響を及ぼすかを理解するには、ほんの少しの想像力があればいい。
 彼らは、小泉という公然たる反主流派政権の登場によって、実権派・橋本派の伝統的対中国外交を堅持すべきか、あるいは小泉政権が追随するブッシュ政権の転換にならって軌道修正をすべきかの岐路に立たされることになった。この背景には、日中国交回復以来の対中国外交の限界の露呈もあるのだが、これについては後述する。
 ところが肝心の小泉政権は、新たな外交戦略を提示する訳でもなく、外務省の内部混乱も手伝って、対中国外交に関する具体的な指示もしない。むしろ小泉は、昨年の靖国参拝が醸成した日中、日韓の不信をぬぐうために中国と韓国を訪問し、盧溝橋の抗日戦争記念館と朝鮮独立運動家が多く投獄された刑務所跡地の独立公園を訪れ、過去の侵略戦争と植民地支配への「お詫び」を述べた一方で、今年4月には再び唐突に靖国参拝を強行し、中米関の緊張に対応するかのような有事法制3法案を強引に提出するなど、混乱を助長する行動を繰り返すだけであった。
 基本的方向性を喪失した官僚機構が、自己保身と事なかれ主義に走るのは当然すぎるほど当然である。藩陽の日本総領事館の職員ばかりか、阿南大使以下対中国外交の第一線を担う外交官たちに共通する緊張感の欠如は、すでに冷戦の終焉によって動揺し破綻した日本外交を、小泉政権の対アジア外交の不在と混乱がさらに増幅した結果だったという以外にはないのである。

漂流つづく日本外交

 だがこの事態は、伝統的対中国外交を維持すれば解決できる訳ではない。というのも自民党実権派の対中国外交もまた、改革開放政策に転じて以降の中国経済の拡大とグローバリゼーションの圧力を受けて、その安定的基盤が揺らいでいるからである。
 この基盤の揺らぎを象徴していたのが、中国産の輸入ネギやイグサに対するセーフティーガード(緊急輸入規制)の発動と、本格的輸入規制の見送りであった。しかも、日系総合商社が日本産種子を中国に持ち込み、経済格差を利用して安く量産した農産物を逆輸入することで莫大な利益をあげた中国産農産物の輸入問題は、日中間がかかえる貿易摩擦のほんの一部にすぎない。
 むしろ今後は、日本の数十分の一という安価な労働力を求めて中国大陸への生産拠点の移転を進めようとする日系資本の増加にともなって、国内製造業の空洞化やあらゆる分野におよぶ逆輸入の増加、そしてこれに比例して増加するであろう失業率など、深刻な問題が懸念されている。そのうえ高成長をつづけてきた中国経済も、国営企業の民営化問題というアキレス腱をかかえ、公表されない膨大な不良債権の存在や潜在的財政赤字が指摘されるなど、今後も同様の成長が必ずしも期待できる状況にはない。
 つまり自民党実権派の対中国外交もまた、拡大しつづけるであろう日中貿易の新秩序の確立や直接投資された日系資本の擁護など、新たな事態に対応する中国との外交関係の再編成を突きつけらているのだ。

 中国の警備員に取り押さえられた女性のかたわらで泣き叫ぶ少女の映像は、たしかに衝撃的なものであったし、日本が亡命希望者の人権をほとんど配慮しない「人権小国」であることも事実である。
 しかし藩陽の日本総領事館でおきた駆け込み亡命事件が暴いた本質的問題は、冷戦の終焉と湾岸戦争以降、急激に変化した国際情勢に対応できない日本外交の危機的現実が、これをまったく自覚しない小泉政権の下で一層深刻化してしているという、日本資本主義の国際戦略の破綻であった。
 在外公館で外交の第一線にたつ外交官たちの士気の低下にまで貫徹された日本の対中国外交の混迷は、グローバリゼーションに翻弄されつづけ、いまなおその打開策すら見いだせない日本資本主義の混迷の姿そのものでもあったのである。 (ふじき・れい)


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