●総選挙で何が問われているのか

政権交代による政党再編と次代を構想する戦略的分岐

−「鳩山政権」には、社民党という「錨」が必要だ−

(インターナショナル第189号:2009年7・8月号掲載)


 7月12日に投開票が行われた東京都議会選挙で、自民、公明両党が過半数割れとなる惨敗を喫した翌13日、麻生首相は異例の解散予告を表明した。
 その後、予告された21日に衆議院が解散されるまで、「反麻生グループ」が要求した両院議員総会の開催をめぐって自民党の内紛が顕在化したが、21日には予告通り衆院が解散され、8月18日公示、同30日投開票の総選挙日程が確定した。
 昨年9月、リーマンショックと重なった麻生内閣の発足から11カ月、小泉政権が強行した「郵政解散・総選挙」からはほぼ任期いっぱいとなる4年近い時を経て、安倍、福田、麻生と、3人の首相の首をすげ替えて延命してきた自公連立政権は、ようやくその評価を選挙で問われることになった。
 ところで今回の総選挙は、自公連立与党の過半数割れと野党・民主党の第一党への躍進が予測され、だからまた民主・社民・国民新の三党連立による「鳩山首班内閣」成立の可能性も高い、それ自身として画期的な転機をはらんでいる。
 もちろんこうした政権交代を、保守二大政党下における「第二保守政権の登場」と一刀両断に切り捨て、理想的政治の高みから傍観することも可能であろう。
 だが、解散直前まで繰り広げられた自民党内のドタバタ劇は、総選挙向けに総裁の首をすげ替える「党利党略」どころか、個々の議員たちの保身−総選挙での生き残りに汲々とする「私利私略」に満ちたドロ試合の様相を見せ、この党が統一した政治戦略を見い出せないばかりか政党としての共通基盤すら喪失し、その歴史的役割を終えつつあることを印象づけるものであった。
 だがそうだとすれば、「政権交代」という総選挙の焦点は、半世紀におよぶ「自民党の時代」に終止符を打ち、次の数十年間の日本社会の在り方とそれを達成する戦略的展望をめぐって諸勢力が争う、政党再編をはらんだ流動化の局面を開く歴史的転機という性格を帯びるのは当然であろう。
 ではなぜ「自民党の時代」は終焉しつつあるのか、そこから考えてみたい。

▼アメリカの危機と自民党の混迷

 改めて確認するまでもないが、自民党が体現した戦後日本の政治が、歴史的転機に直面したのは初めてではない。
 「戦後は終わった」と言われた60年代以降だけでも、70年代初頭のドルショックと米中国交回復、80年代半ばのドル危機とプラザ合意を契機とする円の高騰、そして90年代は東西冷戦の終焉とバブル崩壊後の長期不況と、国際政治と経済が大きな変化に見舞われるたびに、戦後日本の政治的枠組みの「制度疲労」が指摘され、自民党の政権独占もまた試練に直面してきた。
 それでも自民党が、例外的な短期間の下野を除いて政権を独占しつづけてこれたのは、経済的には、巨大なアメリカ消費市場が日本製品を大量に飲み込むことで「輸出立国」なる日本の経済戦略が補完されてきたからであり、外交的には、アメリカの圧倒的な覇権国家としての地位が、日米安保体制をして日本外交戦略の「代替品」として有効性を担保してきたからである。
 小泉政権が、「日米同盟」を強調することでその本質を明確にした親米路線は、文字通り戦後日本の国家戦略の本質でもあったのであり、この国家戦略が有効であった限りにおいて、自民党は政権を独占しつづけることができたのである。
 だが、ブッシュ政権が始めた「テロとの戦争」がイラクで挫折し、昨年9月のリーマンショックがアメリカ経済を深刻な危機に直面させたことで、この戦後日本の国家戦略は根底から揺さぶられることになった。
 中でもアメリカが陥ったリセッション(景気後退)は、戦後資本主義の繁栄の要である「開放されたアメリカ市場」がその限界を露呈したことで、極めて重要な変化を国際経済にもたらした。
 というのもこのリセッションは、すでに70年代には明らかになっていた国際的な過剰生産(過剰供給)による不況、つまり景気循環的な不況の再来ではなく、80年代半ば以降にアメリカで持て囃された、金融主導の「新たな発展モデル」の破綻だからである。
 この「発展モデル」は、過剰供給状態を意図的な「信用膨張」によって解消できるとする、言い換えれば「需要の先食い」を意味する割賦販売(ローン)を新たな金融技術によって際限なく膨張させ、半ば強制的に消費市場に吸収させる「過剰消費」状態の創造だったが、それは結局サブプライム・ローン問題に帰結したのである。
 したがってこのモデルの破綻は、「拡大しつづける大衆消費」という戦後資本主義の幻想を解体し、同時に「輸出主導の景気回復」という自民党の伝統的な経済展望を根底から揺さぶることになった。しかもアメリカ発の世界的な金融恐慌は、これに対応すべく開催された「主要20カ国首脳会議」(G20)で、ドルを国際基軸通貨としたブレトンウッズ体制の改編が公然と提唱されたことが象徴するように、「アメリカの時代」の終焉を、少なくとも「アメリカ一極体制」の終焉を印象づけることにもなった。
 つまり今日の日本政治は、この「アメリカの時代」の終焉に対応した国家戦略の再構築に向けて、アメリカ経済のキャッチアップによって、主要にアメリカ消費市場向けの輸出に依存する経済戦略と、それを担保する「日米同盟」つまり親米一辺倒の外交戦略を見直し、これに代わる戦略的展望を構想する課題に直面しているのである。
 そして自民党は、戦後アメリカの占領政策の下で温存された国家官僚機構と癒着し、それによって達成した「過去の成功体験」の呪縛のために、こうした戦略的再構築に最も消極的な政党になったのだ。

▼政党再編を促す「政権交代」

 しかし肝心なことは、こうした戦略構想が直ちに出来上がる訳ではなく、民主党をはじめ野党各党にも、そうした戦略的準備がある訳ではないことである。
 と言うよりも新たな戦略構想の必要性は、アメリカの時代の終焉が予感される状況に押されて、待ったなしの課題として不可避的に浮上してきたのであり、新たな国家戦略もまた、今後数回の総選挙を含む、数年におよぶ政党再編の過程を通じて収斂されることになる以外にはない。
 こうした意味で、今回の総選挙の焦点である「政権交代」は、政権党でありつづけたことで「戦略的再構築に最も消極的な」自民党内の政治的流動化を促進し、戦略構想をめぐる政治再編を本格化する契機となる可能性をはらんでいるのだが、その自民党の政治的流動化は、すでに具体的な動きとして現れてはじめている。
 解散翌日の22日、自民党を離党した元経産相・平沼のグループが総選挙に15人の独自候補を擁立したのは、こうした動きの氷山の一角である。さらに言えば、麻生降ろしに奔走した自民党内の不満分子たちが水面下で様々なグループとの連携を模索しており、自民党が下野した場合は「新党」を旗揚げし、あわよくば新政権の与党へのくら替えさえ画策されている。
 ところが、「政権交代」を契機とする政治再編の推進力は、自民党の内部分解だけではない。民主党の側にも、政治再編をはらんだ流動化の芽が潜んでいるのだ。
 それは民主党が、必ずしも共通した政治戦略に基づいて結成されたとは言い難い事情による。より正確には、「政権交代可能な二大政党制」なる名目で強行された90年代の「政治改革」の結果として、民主党は政権交替をほとんど唯一の戦略的目標にして、小選挙区制の下で自民党に対抗することを主要な目的に、いわば雑多な勢力の野合として形成された事情である。民主党が、政策論争以上に政権交代を繰り返し強調するのは、この党の戦略目標が「政権交代」だったことを物語っているのである。
 つまり「鳩山首班内閣」の成立は、民主党内にも、新たな流動化を生み出さずにはおかないのだ。なぜなら最大の戦略目標であった政権交代が実現すれば、野合してきた諸グループ間の政治的対立や矛盾が顕在化するのは避け難いし、それが現実に政権を担う中では実践的な、だからまた非妥協的対立に発展するだろうからである。

 もっとも、それはまだ先のことである。むしろ現在の民主党は、目前に政権奪取の可能性がぶら下がっていることで、自民党的な政治、つまり「政官業の癒着」と呼ばれる政治スタイルと一線を画すことに躍起とならざるを得ないだけでなく、連立政権を想定して選挙協力をすすめてきた社民党と国民新党の政策を取り込み、あるいは「旧い自民党」に対抗して掲げた小泉政権ばりの「構造改革」については、その弊害と破綻が明白になったこともあるが、かなり自制することにならざるを得ない現実がある。
 結果として民主党の選挙戦術は、自民党の国家官僚機構への依存と癒着を批判し、あるいは業界団体とのもたれ合いを非難して、自民党との違いを強調することになる。この傾向は、「政治主導」を掲げて中央官庁主導で編成された国家予算の「全面的組み替え」を主張したり、あるいは自公政権が衆院の3分の2以上の再可決で復活させた道路特定財源の廃止を打ち出すなど、「官僚主導政治」からの脱却を前面に押し出したマニフェストにもよく現れている。

▼脱「経済成長」と直接的再分配

 では、こうした政党再編の胎動をはらんだ選挙戦には、いったいどんな政治的分岐がはらまれているのだろうか。
 あらかじめ断っておくが、ここで取り上げる分岐は、必ずしも自民党と民主党の争点と同じではいない。
 その意味で第1に挙げなければならない分岐は、「小泉改革」とマネタリズムの清算をめぐる分岐である。
 一昨年(07年)夏の参院選挙で自民党が歴史的大敗を喫したのは、当時の安倍政権が改憲を掲げて「空中戦」を挑んだこともあるが、小泉政権による「構造改革」の幻想が、地方経済の疲弊に象徴される内需低迷と、不安定雇用の急増による貧困の深刻化によって崩壊し始めていたからである。そしてこの状況を民主党への支持として獲得したのは、当時の代表・小沢が、「生活が第一」を前面に打ち出したことであった。
 この転機、つまり小泉改革への幻滅と民主党への期待の高まりは、小泉改革が人々の我慢の限界を越える経済的疲弊をもたらしたことを暴いているが、同時に貧困の社会問題化が、人間の生存に不可欠なセイーフティーネット=社会保障の意義を、改めて認識させることになったからでもある。
 この分岐がはらむのは、経済成長を優先しつづけるのか、それとも人々の「生存権」を保障し得る経済と再分配のシステムを再構築するのかという、今後の日本社会の在り方をめぐる戦略的分岐である。

 したがって第2は、いわゆる業界団体や地域ボスを介した「間接的」社会保障への回帰か、個人や世帯を対象にした「直接的」社会保障への転換かという分岐である。
 戦後日本の社会保障は、地方では業界団体や地域ボスを仲介装置にして、都市では「企業社会」を介して担保されてきたし、この中間的受け皿が「イエ・ムラ」と呼ばれてきたのだが、それは日本の近代化の過程で解体された「村落共同体」や「家父長的家制度」を経済的恩恵によって再編した、つまり利益誘導で再組織した「疑似共同体」に依拠する、実に日本的な再分配システムである。
 欧米的な「社会契約」ではなく、「上からの恩恵」という日本的な社会保障の認識はこの構造が助長したのだが、国際的な資本主義的競争の激化で「企業福祉」切り捨ての圧力が強まったことで、中間的受け皿の偏在が加速された。住宅購入を含む大衆消費財の購買意欲を支えてきた「企業内金融」や「企業年金」が切り捨てられる一方で、大企業が少ない地方の再分配装置、つまり業界団体や地域ボスの配下にある「福利厚生」システムは維持されざるを得なかったが、これが「地方の特権」に対する都市住民の反感を呼び起こすことにもなった。
 小泉の「構造改革」は、主要に公共事業を通じた地方の再分配システムを切り捨て、都市住民の反感を吸収して人気を得たが、その結果は、「輸出立国」を担う基幹産業には資金が集中する一方、社会保障は都市と地方とを問わず、「自助努力」なる名目で切り捨てられただけであった。
 こうして、改めて社会保障制度の再構築が問題になるのだが、ではそのシステムを旧来的な「間接的」再分配に戻すのか、それとも社会契約的な「直接的」再分配に転換するかが、新たな分岐となる。
 07年参院選で、民主党が打ち出した農家への個別所得保障が、自民党の牙城と呼ばれた地方1人区でドラスティックな勝利をもたらしたのは、すでに地方でも、業界団体や農協など旧来的な再分配装置が機能不全に陥っていることを示唆している。それは仲介装置の不透明さが利権と汚職の温床となり、経済的非効率をも助長している現実が広く認識され始めた結果でもあろう。

▼中央集権から自発的互助へ

 そして第3の分岐は、中央集権的政治つまり国家官僚主導から、より分権的な、しかも人々の自発性に基づいた相互扶助システムを基盤とする社会をどう構想するのかという分岐である。
 戦後日本の中央集権的政治は、とくにその一元的経済政策によって、戦後復興や「全国的国土開発」による地域格差の縮小に貢献してはきた。だが、なお不充分な地方が残っているとはいえ日本全土を一元的市場として結合する社会的インフラの整備は一巡し、むしろ今後の高齢化を考えれば、医療と介護、教育と技能訓練など、「人に関わる産業」こそが社会的ニーズとしては増加するだろうことは明らかである。
 そうだとすれば、画一的な人材の育成やインフラ形成には有効だった一元的な上意下達の政策展開は、個々人の状況に応じた柔軟性を求められる医療や教育といった社会的ニーズとは、ミスマッチを引き起こす可能性が強いのだ。しかも前述のように、「拡大しつづける大衆消費」という戦後資本主義の展望の限界が露呈し、社会保障の原資となる国家収入の増加がますます期待できなくなるとすれば、社会保障の大半を国家に依存する「福祉国家」の展望もまた、重大な限界につきあたざるを得ない。
 こうして問題は、単に国家官僚主導の中央集権か地方分権かという選択を超えて、地域単位の自立を保障し、かつての相互扶助を参考に新たな互助システムを構築し、国家による社会保障制度も含む全体によって人間の生存権を尊重する、そうした分権的社会の構想力が問われているのである。
 しかもこうした「分権的社会の構想」は、地方の疲弊、日本農業の危機、貧困問題の深刻化といった、政策的にも緊急で実践的な課題が明らかな分野では、すでに人々の自発的な社会運動が、多様な実践的蓄積をしてきてもいるのである。
 例えば「地産地消」の取り組みは、農機具メーカーや種子産業による「農業生産の一元的支配」に抗して、地域の風土と生活文化を活かしつつ、地域の自立を模索する「地域おこし」の一環として全国的な広がりを見せており、あるいは昨年末から正月にかけて注目を集めた「派遣村」の母体にもなった「反貧困全国キャンペーン」(本紙183号:08年11月号参照)運動は、ユニオンや自活支援のNPOとも連携した「自発的な互助」を基礎に、行政を巻き込んで既存の制度(生活保護や失業給付など)や、既存の公的施設(雇用促進住宅など)も活用する運動として展開され、セーフティーネットの整備という政治的課題にも取り組みはじめている。
 ところが、戦後日本の政治を最もよく体現する自民党政権は、その目的も役割もはっきりしない「安心社会実現会議」なる諮問会議に、相も変わらず業界団体の代表やら御用学者たちを集め、彼らとの「対話」で「安心社会」を実現する政策を構想しようとしているのだ。しかもこれらの構想は「財源と支出の整合性」などといった官僚的口実のために、結局は中央省庁の官僚主導で政策化される以外にはない。
 この、悪い冗談のようなミスマッチは、現実に生存の危機に直面している失業者や、農業の未来に絶望して耕作放棄地が拡大する農村にとっては、悪い冗談では済まされない政治的無能に他ならないのだ。

 もっとも自公政権に対抗し、「官僚主導から政治主導へ」と意気込む民主党を中心とする連立政権に代わったからといって、こうした状況が直ちに改善するとは考えられない。民主党にも戦略的準備がない以上、過剰な期待は禁物である。
 にもかかわらず、これまで述べてきたように、「政権交代」が戦後日本の政治が変わる可能性を開くとすれば、私たちはより効果的な選択のために、「連立政権」についても考慮しておくべきだろう。

▼二大政党制と連立政権

 連立政権という視点は、1994年の政治改革が「政権交代可能な二大政党制」というキャンペーンの大洪水の下で強行されて以降、ある意味で異端視されてきた。
 たしかに、日本の議院内閣制のモデルであるイギリスは保守党と労働党の二大政党制だし、戦後日本が「唯一のモデル」にしてきたアメリカも、民主・共和の二大政党の下で政権交替が行われてきた。だが実は戦後日本の55年体制、つまり左右社会党の統一に対抗した保守合同で自民党が成立して以降は、中選挙区制の下で、事実上は自民・社会の二大政党制が成立したと言える。つまり政権交替がなかったのは中選挙区制のせいではなく、東西冷戦という条件の下で、旧社会党の「親ソ連・親中国」の色濃い外交戦略が、特に財界にとっては許容できなかったことに原因があったと言うべきであろう。
 だがこうして戦後日本の政治は、政党間の論争と妥協とを必要とする連立政権や、国民的多数派をめざす「中道」を異質な邪道のごとくに扱い、一党による単独政権が、しかも「挙党体制」なる「内なる翼賛体制」を最善とするような「硬直した政党」の政治を助長し、結果として、現職と世襲議員が長期にわたって国会の議席を独占する、フレキシビリティーに欠ける政治に甘んじてきたと言って過言ではない。
 これは、厳密には「政策によって政党を選ぶ」政党政治とは言えないし、政党の外に在る有権者にとっては「政党の違い」をほとんど認識できない、だから「人柄で選ぶ」選挙が蔓延する政治でもあった。
 ところが皮肉なことに、二大政党制を目指す小選挙区制導入のために、自民党が考案した「小選挙区比例代表並立制」という妥協案が、公明党、共産党そして社民党など弱小政党の延命を助け、期待された単独政権の成立をむしろ困難にして、連立政権の可能性を開くことになった。
 実際に、小選挙区制導入以降の大半の時期は、自民党単独政権ではなく何らかの連立政権が成立してきたのであり、今回の政権交替の可能性も、民主党内の「単独政権派」が小沢らの「連立政権派」に屈したことで現実味を帯びたのである。
 確認しておきたいのは、二大政党制なる人為的な政治体制は、強力な中央集権や覇権国家が必要だと考えられた「時代の産物」なのであって、現在のような戦略的転換が問われる局面では、人為的な政党絞り込みがむしろ選択肢を狭める、これまたミスマッチだと言うことである。「二大政党制」を強調して政権交代を焦点化し、新たな戦略的構想には必要なはずの多様な見解を「死に票」の脅して排斥するのは、連立政権をあらかじめ封殺することになりかねないのだ。
 こうして「連立政権」の可能性を確認するなら、民主・社民・国民新連立政権の中に、これまで述べてきたような戦略的分岐を促進するための「橋頭堡」を確保しようとする努力は、次の時代のイニシアチブに挑戦することを意味するだろう。
 もちろんこの場合の戦略的分岐は、55年体制下のそれとは違って、これまで述べてきたように、「成長しつづける経済」が期待できず、戦後ヨーロッパを席巻した「福祉国家」が限界に突き当たり、覇権国家・アメリカの国際的地位が大きく揺らぐ時代の戦略的分岐であり、旧い政治的教条とは一線を画す時代認識が不可欠である。

 その上でわたしは、来る総選挙では社民党に投票すべきだと考えている。
 それは本紙182号(08年10月号)で指摘したように、小沢首班であれ鳩山首班であれ、安全保障政策のタカ派やマネタリズムの信奉者を抱えている民主党の政権には、錨=アンカーが必要だと考えるからだし、民主党政権の「暴走」に際して、外在的非難にとどまることなく内在的批判によって歯止めを掛ける可能性をもつのは、現状では社民党だけだということにある。
 だが同時に、土井たか子元党首の置き土産というべき幾人かの、市民的感性に優れた社民党議員たちは、これまで述べたような新たな戦略的分岐について、充分に意見の交換が可能だとも考えているからである。

(8/9:きうち・たかし)


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