【読売はなぜ、靖国参拝を批判するのか】

多国籍資本の桎梏となった皇国史観のナショナリズム

−国家像をめぐる保守内部の抗争−

(インターナショナル第162号:2006年1・2月合併号掲載)


 昨年9月の総選挙で小泉自民党が大勝した直後とは様変わりの感があった。通常国会を前にして、耐震設計偽装問題が社会的問題に発展し、ライブドアに証券取引法違反容疑で強制捜査が入り、輸入再開からわずか1カ月で米国産牛肉への危険部位混入が発見され、防衛施設庁の官製談合事件が露見するなど、小泉自民党を窮地に追い込む事件が相次いだからである。
 もっとも実際の与野党の攻防は、「ガセメール」問題という、政権奪取を公言している政党としては実にお粗末としか言いようのない前原民主党の〃自損事故〃のおかげで、小泉楽勝の展開になってしまった。

 しかし今年9月、自民党総裁任期の終了に合わせて辞任すると公言している小泉の最大の懸案は、「逆風4点セット」といった、小泉改革の歪みやほころびが露見しはじめたことにある訳ではない。それはいまなお関係改善の兆しさえ見えない中韓両国との外交的緊張の持続であり、これを大きな要因として、今日、世界で最も経済的な活況を呈するアジアにおいて、日本が孤立しはじめている現実なのである。
 実際にも小泉後継を焦点にして、政府間ではなく政党幹部や議員団の交流や会談が動き始め、とりわけ中国はポスト小泉をにらんで情報収集や意見交換を活発化させており、自民・公明両与党関係者もまた、これに積極的に応じようとしている。
 ポスト小泉をめぐって外交問題がこれほど焦点化するのは、昨年末の東アジア首脳会議(サミット)で、日本の外交的孤立があらわになったからに他ならない。

▼東アジアサミットの「衝撃」

 昨年の12月14日に開催された第1回東アジア首脳会議(サミット)は、〃日本の孤立〃を際立たせることになった最初の国際会議となった。それは「一連の会議を通じて靖国問題への中韓両国の懸念が、(日本を除く)15カ国に共有されることになった」と言う、サミットに参加した外交官の弁が示すように、小泉のみならず資本主義・日本にとって衝撃的な事態であった。
 そもそも今回の東アジアサミットは、東南アジア諸国連合(ASEAN)がイニシアチブをとり、これに日本、中国、韓国の3カ国を加えたASEAN+3によって「東アジア共同体」を形成することを念頭に置いた首脳会議として構想されたが、地域共同体の形成が世界の一元的支配を挫折させるのではないかとの疑念を隠そうとしないアメリカへの配慮から、アメリカとの関係を重視する近隣のオーストラリア、ニュージーランド、インドの3カ国を加えて開催されたものである。
 長期不況に苦しむとはいえ今なお世界有数の経済大国である日本と、国際通貨基金(IMF)の「再生プログラム」の強制という苦難を経て経済再生を果たした韓国、そして文字通りアメリカと共に今日の世界経済を牽引する中国は、アジアという地域で共同体を展望しようとすれば、それぞれに欠かせない存在であることは明らかである。
 こうして第1回東アジアサミットは、その共同宣言の中に、「サミットが、この地域における共同体の形成に重要な役割を果たし得るとの見解を共有した」と明記し、ASEAN+3を軸にした東アジア共同体を具体的な目標とした諸国間協議の基礎を確認した。だがまさにそうした画期的な国際会議で、日本は他の参加15カ国が「懸念を抱く国」として、スタートから大きな懸案を抱え込むことになったのである。
 しかも、中韓両国が強く反発し繰り返し抗議もしてきた靖国参拝問題は、言うまでもなく戦後日本の保守勢力の歴史認識を鋭く問う問題ではあるのだが、ある意味ではそれ以上に深刻な問題を含んでいる。それは戦後の日米関係を基礎づけたサンフランシスコ講和条約(1951年9月)を否定しかねないという、保守親米派にとっては絶対に無視できない危惧なのである。
 戦後タカ派の大長老たる中曽根元首相や、戦後保守勢力を代弁しつづけてきた読売新聞までもが、小泉の靖国参拝を批判し始めているのは、こうした親米派保守勢力の危機感の現れなのである。
 では、サンフランシスコ講和条約の否定とはどういうことか。

▼靖国参拝を批判する親米派の本音

 中国政府が、閣僚の靖国神社参拝に抗議するのは、いわゆる「A級戦犯」の合祀が理由であることは広く知られているし、それが日中国交回復にあたって日本と中国の両政府が共有した「虚構」にもとづくものだということに関しては、本紙154号(05年5月)の「日本近代史の負債に向き合う新たな戦没者慰霊碑の創造を」で指摘しているので、それを参照して頂きたい。
 しかしこの記事では紙数の都合で割愛せざるを得なかったが、「A級戦犯」問題は、日中間にとどまらない、戦後日本の国際関係をどう認識するかという、より重大な歴史認識問題をはらんでいる。
 というのも、敗戦後の日本がアメリカ占領軍の支配から脱して独立を回復し、国際社会への復帰を認めたサンフランシスコ講和条約は、日本政府が自ら極東軍事裁判の判決を受け入れたことを前提にした条約にほかならなかったからである。
 もちろん「東京裁判」と呼ばれる極東軍事裁判は、勝者が一方的に敗者の戦争責任を裁くという性格を色濃くもっていたことは、その後の様々な歴史研究などで明らかにされてきた。
 さらに日本の保守勢力が、「A級戦犯」とされた一握りの人々に一切の戦争責任を押しつけ、これに連座すべき多くの政治家や高級官僚がその戦争指導責任を免れ、それが戦後日本の保守勢力の没主体的な外交戦略を規定したことは、同じく本紙152号(05年1-2月)の「日中首脳会談があばいた小泉の対中国外交の破産」でも指摘したとおりである。その意味では「A級戦犯」そのものも、ひとつの虚構と言うことができる。
 にもかかわらず、敗戦後の日本は、この国際戦犯法廷の判決を受け入れることではじめて、国際社会との関係を回復したのもまた、まぎれもない歴史的現実である。
 したがってもし、「靖国に合祀されたA級戦犯は戦争犯罪人ではない」と日本政府が公言するなら、それは事実上「サンフランシスコ講和条約は不当な条約だった」と宣言するに等しいのだ。当然のことだが、それは極めて重大な国際的信義違反と受け止められるのは明白である。そればかりか、この講和条約締結を主導したアメリカの面目と威信を大いに傷つけ、「日米同盟」の基盤を揺るがしかねない危惧さえある。
 中曽根や読売新聞と言った親米派が、靖国参拝を強い調子で批判し始めたのは、こうした論調が、小泉の頑ななまでの靖国参拝の繰り返しによって助長され、戦争を知らない世襲議員たちが無思慮にも靖国と「戦犯」を擁護する発言を繰り返す事態に、強い危機感を抱いたからに他ならない。
 つまり戦前の皇国史観をそのまま継承するナショナリズムの台頭は、親密な日米関係を機軸にしてグローバリゼーションの進展に対応しようとする日本の多国籍資本にとって、「国益」を危うくする黙過できないものになったと言うことである。
 だがこうして始まった戦後日本の保守勢力の分岐と抗争は、グローバリゼーションの圧力に押され、急速な国家社会再編を進めてきた資本主義・日本が直面する、一層深刻な矛盾の露呈の始まりに過ぎない。

▼反米ナショナリズムへの危機感

 この矛盾の核心は、グローバリゼーションを補完すべき日本的ナショナリズムが、歴史的に破産した皇国史観の復権に帰着する以外になかったということであり、しかもそれは論理的には「反米」思想を内包しており、反米民族主義を助長することさえ危惧されるものだということである。
 どういうことなのか?分かりやすい例を上げてみよう。
 戦後日本の民族主義的右翼は、「押しつけ憲法」や東京裁判を一貫して非難してはきたが、少数の例外を除いては決して「反米」を掲げてはこなかった。東京裁判を主導し、憲法を押しつけた張本人であるアメリカを非難することなしに、「A級戦犯」を称賛し、自主憲法を制定すると主張するのは、それ自身として戦後民族主義者の堕落を示して余りある。つまり戦後日本の民族主義的右翼は、この程度のシロモノだったのだ。
 だが小泉の靖国参拝によって助長された、とくに若い世代のナショナリズムは、こうした戦後右翼思想の堕落とは無縁であり、皇国史観の論理的必然として、「反米民族主義」へと転化する可能性さえ持っている。「自虐史観」を非難してきた「新しい歴史教科書をつくる会」と袂を分かち、沖縄の米軍基地問題を介して反米傾向を強めている漫画家の小林よしのりは、そうした論理的帰結を象徴しているのである。
 もちろん、小林に象徴されるこうした傾向は、第二次大戦が、帝国主義列強が競い合う「主権国家の時代」を完全に過去のものにしたという、戦後世界の歴史認識を欠いた妄想に過ぎない。それでも、日米関係を機軸にしたグローバリゼーションへの順応を補完すべき日本のナショナリズムが「反米」であることは、それ自体が緊密な日米関係の障害となる危惧である。親米派の危機感は、まさにここにある。
 それではグローバリゼーションへの順応を補完するナショナリズムとは、どんなものなのだろうか?
 グローバリゼーションは、好むと好まざるとにかかわらず国家主権のある種の制約を伴って進展するが、それは国民国家の内部においては、国際的競争に敗れて没落する多くの国民が、「自国民を守らない国家」に不満と不信を募らせることでもある。関税という国内産業を防衛する主権が制約されれば、国際競争力の弱い分野で、多くの自国民が没落を強いられるからである。
 こうして国家は、没落する自国民の不満や鬱憤を糾合し、国民国家として統合するイデオロギーとしてのナショナリズムを必要とすることになる。その意味では、グローバリゼーションとナショナリズムは一対の関係にあると言える。
 だから核心問題は、近代日本のナショナリズムが、明治維新で便宜的にかつぎ出された天皇制の伝統に縛りつけられ、敗戦後もなお皇国史観に代わるナショナリズムイデオロギーを再構築できなかったという、戦後日本の保守勢力の「没主体性」にある。
 しかも小泉は、こうした日本的ナショナリズムの伝統に対する自覚もなく、おそらくサンフランシスコ講和条約と「A級戦犯」の関係さえ考慮することもなく、ただただ自らの政権基盤を強化するためだけに、タカ派に媚を売ってこれを扇動し、日本の国際的孤立という、極めて危機的事態を呼び起こしたと言わねばならない。
 だがこうして日本の保守勢力は、女系天皇を容認する皇室典範の改訂問題を含めて、日本という国家の在り方をめぐる深刻な抗争に直面することになった。
 明らかなことは、戦前から継承した皇国史観は、グローバリゼーションへの順応を補完するナショナリズムとしてはまったくの役立たずだということであり、それに代わる新たな日本の国家像や国民的アイデンティティーを担保するイデオロギーは、靖国参拝を公然と批判しはじめた中曽根や読売新聞の側にも、準備がないことである。

▼アジア情勢に立ち遅れる日本

 かくして小泉政権の対中国と対アジア外交の破綻は、戦後日本の国際関係史の再確認をふくめて、日本の国際的な孤立の危機へと深化した。それはグローバリゼーションが進展しつづける時代において、致命的な失策と言わなければならない。
 だがこうした問題は、靖国参拝問題での読売新聞の「突然の変身」と言った程度の話題にしかなってはいない。
 始まっているのは、グローバリゼーションの圧力に押されて後追い的に推進された戦略なき規制緩和の果てに、日本という国家と社会の在り方をいかに構想するかという保守勢力内部の論争と抗争であり、戦後革新と左翼勢力は、「もうひとつの世界」を掲げる国際潮流との結合を含めて、この事態に対応できていないという現実である。
 東アジア共同体が短期間で形成されるとは考えられないとしても、この地域の経済と政治が緊密度を増し、共同体形成の方向に向かうことはすでに趨勢となった。
 これを促進する最も中心的力は、言うまでもなく急成長をつづける中国経済であり、だからまた中国といかに良好な関係を維持するかが、サミット参加諸国の最大の関心事であるのは明らかである。だが日本の経済規模と対アジア投資は、共同体形成にとってはなお決定的に重要なことも明らかである。
 ところが、その経済力において中国に対抗しうる唯一の国であり、だからまた共同体形成のいまひとつの推進力であるべき日本が、これら諸国の期待に反してアジア戦略を描けないまま漂流し、戦後の歴史を戦前に逆戻りさせるがごとき歴史認識を繰り返し披瀝する事態は、アジア諸国の不信と苛立を募らせるに十分である。
 小泉政権4年間のアジアにおける外交的停滞は、もはやあらゆる意味で我慢の限界を迎えているのだ。
 そしてもし小泉後継首相が、靖国参拝に固執して外交的停滞を打開しようとしないとすれば、日本は経済的な意味だけではない、新たな「失われた10年」を経験することになるに違いない。

(2月25日/きうち・たかし)


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