●第44回総選挙総括

小泉はいかに押し上げられ期待はいかに裏切られるか

−公的再配分の破壊に対置される公平と自治の要求−

(インターナショナル第159号:2005年10月掲載)


 本紙前号【158号】の総選挙総括(速報)でわたしは、「選挙で吹き荒れた小泉旋風は、戦後日本の再配分システムであった自民党の弔いの鐘ということになる」と断じ、「都市と地方を貫く改革幻想が間もなく(と言っても2〜3年を要するかもしれないが)裏切られるのは、これまた断言できる」と述べた。
 では何故、そう言えるのか。以下、選挙結果の分析を通じてその根拠を明らかにしたいと思う。

▼投票率を急上昇させた若年層

 まずは、前回03年11月総選挙の59.86%から67.51%へと7.65ポイントもの急上昇を記録した投票率について検討することからはじめてみたい。
 総選挙の投票率が前回比7ポイント超の上昇率を記録したのは、戦後日本では初めてのことである。たしかに投票率そのものは70%を挟んで推移していた1990年までの総選挙と比べれば高率とは言えないが、戦後最低の投票率を更新した93年7月(67.26%)と96年10月(59.65%)の総選挙以降の投票率は、それまでの選挙より10ポイントほど低下した60%を挟んで推移してきた。
 それが今回、80年6月総選挙で記録した前回比投票率上昇率6.56ポイントを一挙に1.09ポイントも更新したとすれば、それはやはり新しい注目すべき現象であろう。そしてこうした投票率の変動を考えるにあたって重要なことは、この間、つまり93年以降の投票率低下の主要な要因と言われてきた若年層の動向である。
 若い世代の〃選挙ばなれ〃による投票率の低下は度々指摘されてきたが、前回03年総選挙に関する総務省のデータによれば都市部では20歳〜39歳の、旧い共同体意識が残って比較的投票率の高い農山漁村部でも20歳〜29歳の投票率は50%以下であり、投票率が急激に低下する80歳以上の50%さえ下回っている事実が確認できる。
 今回の総選挙の年齢別投票率に関するデータはまだ集計されていないと思うが、こうした投票率の推移と傾向から推測すれば、若い世代の投票率アップが記録的な投票率の急上昇をもたらしたと考えるのは的外れではないだろう。しかもその若い世代の多くが、小泉自民党を支持したというエピソードも多いのである。
 金子勝・慶応大助教授と言えば小泉政権の構造改革に容赦のない批判的論評を加えてきた経済学者であり、彼のゼミには当然のように批判精神の旺盛な学生たちが集う。ところがそのゼミに所属する複数の学生が「先生、今回は自民党に入れます」と表明したと言うし、それは各種マスコミが報じたインタビューなどで「小泉さんは何かやってくれそう」とか「ホリエモンは有言実行だから期待できる」といった若い世代の回答がいくつも紹介されたこととも符号する。
 ところで自民党は今回、全国の小選挙区得票率を前回比4.0ポイント、比例区でも3.2ポイント増やしたが、これを圧勝が顕著だった都市部、言い換えれば過疎に悩む山村部とは対照的に若い世代が多く暮らす都市部の小選挙区に限ってみれば、東京ブロックで9.6ポイント、東海ブロックで6.6ポイント、近畿ブロックで6.7ポイントと全国平均よりも大きく得票率を伸ばしており、それはまた都市部の若い世代が小泉を支持した気分とも合致するであろう。
 こうして今回の総選挙のいまひとつの特徴を指摘することができる。それは〃選挙ばなれ〃の著しかった若い世代がとくに都市部において積極的に投票所に向かい、その大半が小泉の構造改革に「何か期待できそう」との理由で支持を与え、自民党の圧勝に大いに貢献したということである。

▼個人的選好による政党選択の増加

 もっとも、小泉自民党圧勝の最も顕著な要因であった自民党と民主党の得票率の逆転、とくに民主党の得票率の減少は、こうした若い世代の投票行動と投票率の上昇だけでは説明できない。なぜならそこには、前回総選挙では民主党を支持した層が今回は自民党支持に「くら替えした」という総選挙のもうひとつの特徴が示されており、それは特定の選挙で〃風〃を起こして政治に衝撃を与えてきた無党派層の新しい動向を反映しているだろうからである。
 自民党と民主党の得票率の逆転は一部の例外を除いてほぼ全国的に現れたが、それが顕著なのも、もちろん都市部である。中でも政党それ自身を選択する比例区での民主党の得票率の減少は、前述の東京ブロックでは10.3%減(小選挙区は5.7%減)、横浜・千葉など首都圏過密地帯がある南関東ブロックでは自民7.8%増に対して10.5%減(小選挙区は自民6.6%増に対して5.7%減)、大阪・神戸のある近畿ブロックは自民6.1%増に対して8.1%減(小選挙区は6.7%増対0.9%減)と、投票率の上昇分を大きく上回る得票率の減少を記録しており、都市部における〃民主党ばなれ〃が確認できる。
 もちろん今回の選挙における〃民主党ばなれ〃はすでに投票日の出口調査などでも明らかになっていたが、ではなぜ多くの有権者が支持政党をあっさりと変更したのだろうか。ここにこそ最近の「支持政党なし層」の動向、つまり自民・民主という二大政党が共に安定した社会的支持基盤を持てない現実が映し出されているのである。
 というのもこれまでの無党派層は、90年代の政界再編の過程で自民・社会の二大政党の支持層から流出し、この二大政党に象徴される既成勢力とは相対的に別の勢力、つまり新党や無所属候補を押し上げる一方で争点の見えにくい選挙や既成勢力以外の選択肢が無い選挙では棄権に回るなど、いわば既存の政党に対する消極的拒否を表明する有権者層を意味していたし、その年齢構成も、高齢者ほど高率になる自民党支持層とは対照的に、若い世代の比率が圧倒的に多いというのが一般的な認識であった。
 ところが今回の民主党から自民党へのくら替えは、「政党支持の流動化」とでも言うべき現象が世代を超えて広がっていることを示唆するからである。

 投票日を目前にした9月8日、松本正生・埼玉大教授の「『そのつど支持』の時代」と題する論稿が朝日新聞に掲載された。この論稿の要旨は、95年統一地方選挙の「青島・ノック現象」に象徴される「無党派の時代」の終焉である。どういうことか。
 松本教授が01年以降の世論調査にもとづいて指摘しているのは第1に「無党派層の減少傾向」であり、第2に「政党支持が短期間で急激に変化する傾向」であり、その背景には無党派層の年齢構成の変化、つまり若い世代に多かった無党派層がほぼ全世代を貫くフラットな年齢構成に変化したことである。しかも近年の無党派層は、「支持する政党はどこか」というこれまでの質問形式を「支持する政党があるか・ないか」に、つまり本来の意味での支持政党を問う質問に変更すると、選挙期間中であっても「ない」の回答が7割を超えるという。
 ここから明らかになるのは、政治と選挙への関心は高いが支持政党を持たない新無党派層とよばれる有権者層は、本籍は「支持政党なし」だがその時々の政党リーダーのキャラクターやイメージあるいは政治課題によって各政党を横並びで比較し、選挙では支持する政党を選択する「そのつど支持」になったことだと言うのである。
 それは「自民党政権を前提にした有権者の政治的社会化過程」、要するに年功序列型社会で加齢と共に上昇する収入や社会的地位の投影として自民党支持層が増加する傾向に代わって、党首のキャラクターやイメージに大きく左右される個人的選好で支持政党を決める「軽くて柔らかい政党支持」が、より一般的な政治意識になり始めているのではないかと結論づけている。

 この松本教授の分析は、これまでわたしたちが指摘してきた「自民党の社会的支持基盤の崩壊」を裏づける。なぜなら「軽くて柔らかい政党支持」が一般的政治意識になったとすれば、それは国家資金を使った利益誘導で業界団体などを社会的支持基盤として組織し、その組織的力に依拠した選挙で政権を独占してきた自民党型政治が機能しなくなっただけでなく、それに替わる組織された社会的基盤を民主党も、そして選挙で圧勝した小泉自民党も持ち得なていないことを明らかにしているからである。「軽くて柔らかい政党支持」層である新無党派層が全世代を通じて4〜5割を占めるようになったことも、自民党の社会的支持基盤の崩壊が全世代に貫徹され始めた証しと言える。
 そうであれば、守旧派と戦う改革派のイメージで若年層と「軽くて柔らかい政党支持」層を動員した小泉旋風は、いわゆる「大物反対派議員」に刺客を差し向けて自民党の社会的陣地=保守の岩盤もろともこれを切り捨てたという意味でも、「戦後日本の再配分システムであった自民党の弔いの鐘」と呼ぶにふさわしいのである。

▼改革幻想はいかに崩壊するのか

 かくして小泉は「自民党をぶっ壊す」という4年前の公約を果たすことになったが、一方では破壊した旧い再配分システムに替わるいかなる公的再配分の構想も提示されてはいない。それは小泉政権誕生以来の「戦略的展望の不在」を再確認させるだけでなく、「改革幻想が間もなく裏切られる」という主張の根拠でもある。それを明らかにするために、「戦略的展望の不在」の実情を検証してみたいと思う。
 わたしは小泉には戦略的展望がないと繰り返し指摘してきたが、正確には小泉(そして竹中)は、戦略的展望の代替品として「アメリカモデル」というドグマに固執していると言うべきであり、このドグマの正体は「すべてを市場に委ねることが、唯一正しい社会的再配分を可能にする」という、今ではかなり説得力を失ったマネタリズム信仰である。今日ではこのドグマは財界や官僚たちにも共有されているのだが、それは厳しい国際競争にさらされる日系多国籍資本も、そして膨大な財政赤字の始末を迫られる財務省など国家官僚機構も、自民党という再配分システムに替わる持続可能な再配分システムの構築を構想できない結果なのである。
 そのうえ小泉(と竹中)は、当面は格差が拡大する「痛み」があってもやがては国際競争に勝利した日系多国籍資本の利益が国内に還流し、国内景気の回復と大衆的な豊かさを取り戻せるという、基幹産業の設備投資と雇用拡大が牽引する雁行型経済成長が再生できると示唆しているが、これはグローバリゼーションに対する無知ゆえの幻想か、そうでなければデマである。
 なぜならグローバリゼーションは国内外を貫く経済格差を拡大する反面で、あらゆる経済的コストを最低限にまで引き下げる平準化圧力、すなわち賃金や原材料価格の「最底辺に向けた競争」を伴うからである。つまり日系多国籍資本が国際競争に勝ち抜くには、賃金を含むあらゆる生産コストをさらに削減せざるを得ないだけでなく、次々と更新される技術革新に乗り遅れないために膨大な持続的投資も余儀なくされるのであり、高度経済成長を実現した「貿易立国」と同じような経済サイクル、すなわち輸出の稼ぎで国内が潤う「一国経済の好循環」を再現することはないからである。
 日系多国籍資本が稼ぎ出す利益の大半は、多国籍資本の国際競争力強化に必要な極めて限られた分野に還流するだけであって、逆に特殊な技能も資産も持たないごく普通の人々は非正規雇用など差別と低賃金の痛みに耐えつづけ、多国籍資本とそれに連なる特定部門の繁栄を仰ぎ見る以外にはない。それは90年代後半以降のアメリカに現れた「雇用なき景気回復」の局面で階層分化が進展したのと同様の事態であり、新たな再配分システムの構築なしには分化した階層が固定化されて新たな下層階級となるような、社会的不公平を蔓延させるだけなのだ。
 こうした予測はわたし個人の見解というよりも、政府自身が認める現実的な可能性である。内閣府の「05年版国民生活白書」の家計内所得移転を分析した一節に、「親の世代の格差が子の世代でも受け継がれる、『世代をまたがった格差の固定化』につながる可能性もある。公的部門を通じた再配分で対応する以外に方法はない」と明記されたように、政府も予測している社会的不公平の拡大なのである。しかり!日本の官僚機構は、新たな再配分システムを構想できない無能を隠そうとして、「戦略的展望の不在」に目を塞いで小泉に追従するという無責任を決め込んでいると言う他はない。
 だがこうした、国民国家が自国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(日本国憲法第25条)を保障しない格差社会こそ小泉改革が実現するモノであり、まさにこのようにして「何かしてくれそうな期待」が裏切られる。改革支持への付和雷同は一転して冷ややかな不信に変わり、旧来的な社会的陣地を自ら切り捨てることで圧勝した自民党は、新たな支持基盤をどこに見い出すべきかをめぐって四分五裂の混乱に陥ることになる。自民・民主両党を貫く政党再編が不可避となるゆえんである。

▼公平と自治を求める主体の萌芽

 しかしこうした格差社会の進展は一方では国家に、したがって政治利権に依存しない自立的再配分システムの再構築を促す社会的運動の客観的基盤ともなる。
 もちろん今回の総選挙は、むしろこうした国家から自立した社会的運動の蓄積が戦後日本において決定的に脆弱な現実を明らかにもしたのだが、例外的ながら示された「疲弊する地方」の抵抗には、自民党という再配分システムに替わる社会的公平(互助)と自立の模索が投影されていた。
 北海道、東北、北陸・信越そして中国の4つのブロックでは自民党もまた民主党と共に比例区得票率を減らしたが、中でも四国ブロックでは、民主党が比例区得票率を1.5ポイント増やしたのに対して自民党は0.1ポイント増にとどまり、同ブロック小選挙区得票率に至っては民主党2.4ポイント増に対して自民党は5.0ポイントも減らしている。特に徳島と高知で自民党の小選挙区得票率が8.9ポイントと7.1ポイントも減少した事実は、注目すべき現象であろう。なぜなら徳島では吉野川可動堰(せき)建設に反対する住民運動が住民投票条例を成立させて00年1月の住民投票でも反対派が勝利し、いわば地域住民が官主導の公共事業を統制するという画期的な成果を挙げたことがあるし【本紙106号参照】、高知では地方分権を訴える改革派知事・橋本が、教員組合との協議を通じて地域教育運動に取り組むなど自立した地方の営みを推進することで保守派議会のリコールをはねのけるなど、小泉改革に対抗的な、地域社会と結合した主体がそれなりに在ったことが大きく影響しているのは疑いないからである。
 さらに小選挙区得票率で民主党が自民党を逆転した(44.9%対44.4%)北海道は、中国ブロックで郵政反対派が新党を結成した結果として、民主党が小選挙区得票率を2.4ポイント増やし自民党が5.0ポイント減らしたのとは様相を異にしている。中国ブロック小選挙区の得票率自身は49.4%対32.4%と依然自民党が17%も上回っているのに対して、北海道ではなお未知数だとは言え「新党大地」という新たな主体が登場したからである。
 たしかに比例区で13.4%を獲得したこの新党は、旧い自民党政治の象徴とも言える「ミニ角栄」こと鈴木宗男を代表に戴くが、現実には地域間格差を是正する社会的公平と地方自治の拡大を要求する、地方の利害を体現する自立的な地方政党=ローカル・パーティーの性格を客観的には持っている。なぜなら新党大地のこれらの要求は、多国籍資本と都市に国家資金を集中する小泉流構造改革に抗して、切り捨てられて疲弊する地方の立場から公平・分権・自治の理念を対置することになるだろうからである。
 こうした北海道と四国の選挙結果は、グローバリゼーションに対応できる国際競争力を備えた産業を持たず、だからまた今後も継続的な国家的投資を必要としているにもかかわらず小泉改革によって切り捨てられた「疲弊する地方」の抵抗を象徴するが、決定的なのは主体の存在であった。

 それは四国で典型的に示されたように、官僚的中央集権と政治利権に毒された旧い自民党政治に対抗し、社会的公平や住民自治を要求する自立的主体が大衆運動を通じて一定の社会的影響力を蓄積してきた地域では、少なくとも小泉幻想に対する付和雷同は見られなかったからである。
 それは小泉自民党の圧勝という結果に隠されて見落とされがちだが、強固な社会的基盤を持てなくなった二大政党が都市部の「浮遊する大衆」の支持を競ってポピュリズムへの傾斜を強めるであろう局面では、永遠に失われた旧い再配分システムに代わって、民衆自治と社会的公平を要求する新たな対抗的社会基盤となる可能性なのである。

(10/28:きうち・たかし)


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