【速報】第44回総選挙について

都市と地方を貫く小泉圧勝の意味

−「強いリーダー」幻想と自民党基盤の最後的崩壊−

(インターナショナル第158号:2005年9月号掲載)


▼結果を誤認したのは何故か

 9月11日に投開票が行われた第44回総選挙は、小泉自民党の歴史的圧勝と民主党の惨敗という結果に終わった。
 ところで私はこの選挙の様相について、本紙前号でこう指摘した。『自民党支持基盤の分岐を伴う分裂選挙は、一般的には以下のような選挙戦の様相を推測させるだろう。(中略)地方において反小泉派が善戦する一方、都市部では反小泉派が蹴散らされるということである。だがそうだとすれば今回の総選挙の最大の焦点は、都市部得票率で自民党を凌駕する民主党と小泉派自民党の攻防に、自民・民主両党の公認候補による都市部の「保守的無党派層」の争奪にあるとは言えないだろうか』と。
 さらにつづけて以下のようにも言及した。『もちろん都市部の支持基盤が長期にわたって衰退する自民党に民主党が大差の得票で負ける可能性はほとんどないが、前述のように「競り合い」になれば都市部で強いはずの民主党候補が「思わぬ僅差の敗戦」を喫し、議席数では大敗する可能性すら無いとは言えない』と。
 だが選挙結果は、最大の焦点が都市部における民主党と小泉派自民党の攻防にあり、また都市部では反小泉派が蹴散らされるなど的を得た指摘があったとしても、『地方において反小泉派が善戦する』あるいは『都市部で強いはずの民主党候補』といった点では、小泉自民党の都市での圧勝と反小泉派の苦戦という結果が示すように私の予測を裏切るものとなった。
 ではなぜ、選挙戦の様相としてはある程度的確な予測が選挙結果では大きな誤認へと帰結したのか。
 それは自民党という戦後日本の再配分システムの解体が私の想像を越えて進展し、「都市対地方」という対立の構図は失われていたからであり、「都市内の格差」も、この間の選挙で繰り返されてきた「強いリーダー」幻想に吸収されたからである。つまり反小泉派「善戦」の条件である「伝統的な自民党支持基盤」はすでに地方でも解体していたのであり、一方の都市では「伝統的支持基盤」の崩壊を察知した小泉が、分裂選挙を厭わず対立候補を擁立して「利権がらみの組織選挙」を公然と否定し、いわば民主党型のイメージ選挙に転換して「自民党の変化」を印象づけ、「強いリーダー」の仮面を手にすることに成功した結果であた。
 したがって私はこの[速報]で、都市と地方を貫く社会規範の崩壊状況と「イメージ選挙」が横行する都市の現状の大枠を描き、次号(10月中旬発行予定)で詳しい分析を踏まえた総括を述べたいと思う。その意味で以下の問題提起は、総選挙総括のための枠組みとスケッチである。

▼小泉旋風という自民党の弔鐘

 いわゆる大都市圏が、総選挙の帰趨を決する攻防の焦点だったのは事実である。しかし都市部の典型である東京の25小選挙区中23を自民党が制し、民主党はたった1議席を確保するにとどまったという結果だけなら、『都市部で強いはずの民主党候補が「思わぬ僅差の敗戦」を喫し、議席数では大敗』をしたと言えなくもないし、実際に多くの小選挙区では接戦が演じられもした。
 にもかかわらず東京小選挙区全体の自民党と民主党の得票率は、民主党が2%の優勢で勝った前回03年から一挙に13%の自民党優位に逆転し、比例区でも同様の逆転が現れた事実は重要である。それは「都市部得票率で自民党を凌駕する民主党」という固定観念を排し、「それでも民主党は自民党に代わる社会的基盤を獲得していない」という、これまで私も指摘してきた社会的基盤の認識を踏まえて再検証し、都市大衆の投票行動を規定する社会的変化と大衆的意識の有り様を解明する必要を明らかにしている。
 その手掛かりとなるのが、過去2回の都知事選で石原を押し上げた「強いリーダーへの幻想的期待」(本紙99号「デマゴーグの登場と直接民主主義の要求」)の傾向である。それはいわば没落する大衆の追い詰められた心情であって、格差が拡がる厳しい現状を変えてくれそうな強いリーダーを待望し、選挙ではその幻想に付和雷同することで「選挙の風」をつくり出すという、90年代末以降顕著になった現象である。
 だがこの現象が「民主党型のイメージ選挙に転換」した小泉を圧勝させたのであれば、それは自民党の社会的支持基盤の崩壊を示す証拠であるばかりか、小泉自民党が、支持基盤とは呼べない都市の「浮遊する大衆」に依存する政党へと決定的に移行したことを意味するだろう。つまり小泉が作り出した「絶対安定多数」は、イメージ選挙で浮沈を繰り返す民主党と同様に社会的な基盤の脆弱な不安定極まりないな砂上の楼閣であって、選挙で吹き荒れた小泉旋風は、戦後日本の再配分システムであった自民党の弔いの鐘ということになるのである。

▼「疲弊する地方」と国家資金の行方

 こうした都市部に特徴的だった「強いリーダーへの幻想的期待」が、地方の反小泉派の選挙区でも吹き荒れたのが今回の総選挙のもうひとつの特徴であった。
 野田聖子(岐阜)や亀井静香(広島)といった「保守の岩盤」に依拠する「大物反対派」の苦戦と僅差の当選は、伝統的な自民党の社会的基盤の分裂と崩壊状況を物語るだけではなく、「疲弊する地方」の内部でも顕在化してきた社会的経済的格差の拡大が、旧来的な地方の社会秩序や規範を崩壊させた現実を反映している。
 「格差を緩和する政治利権」(本紙前号)が不況と財政難で縮小し、その分だけむしろますます特権的性格を強め、疲弊に苛まれる地方においても人々からも敵視されはじめていたと言うことである。しかも伝統的な自民党支持層で特権を持つ者は「地方の名士」つまり特定郵便局長や農協組合長などなのだから、郵政民営化に反対する勢力が「特権にしがみつく守旧勢力」と見なされるのは当然だったし、これら名士と呼ばれる地方ボスが体現してきた社会的規範の崩壊が急速に進展するのもまた必然的であろう。
 しかもそれは『・・・2001年の総裁選予備選挙で、外ならぬ小泉を押し上げた「地方の一般党員」』(本紙前号)の中にすでに芽生えていた期待と幻想でもあった。だから小泉がこれと「対立する」と言う私の予測が間違ったのは、「地方の内部」で拡大する格差に対する認識不足にあったのである。

 だがその上で、都市と地方を貫く改革幻想が間もなく(と言っても2〜3年を要するかもしれないが)裏切られるのは、これまた断言することができる。
 なぜなら国際競争の圧力を受けて低迷をつづける日本資本主義は、国際競争力に晒される基幹産業に国家的資金を集中して「経済成長の牽引車」を強化することを望んでおり、その原資を郵便貯金と簡易保険に代表される大衆的な国家資金に求めようとしているからである。それは戦時中、下層大衆と地方から吸い上げた郵貯資金を軍備の増強に流し込んだのと同様の、「国家金融システム」の復活と肥大化の追求なのである。
 つまり郵政民営化とは、利権まみれの無駄が多かったとはいえ、これまでは社会的格差の是正に使われてきた国家的資金を多国籍資本の強化に流用しようとする戦略的転換の象徴なのであり、地方と下層から資金を吸い上げて上層に供給するサイクルを通じて社会的経済的格差をさらに拡大する結果をもたらす以外にはない。
 こうして幻想に煽られて小泉自民党を押し上げた都市と地方の「没落する大衆」の期待は、更なる格差拡大という現実によって裏切られ、彼らの小泉自民党からの離反を促進することになる。そしてこの時、社会的基盤を喪失した小泉自民党は四分五裂の危機に直面するに違いない。
 『今回の総選挙は(中略)小泉が賭けに成功しようとしまいと、自民党すなわち戦後日本の保守政治を支えてきた社会的基盤の分裂を推進力にして、全面的な政界再編の始まりを画することになるだろう。
 この政界再編は、つまるところ多国籍資本がグローバリゼーションへの対応として求める社会構造の再編が、反面で必然的に発生させる国民国家の内外を貫いた社会的経済的格差に対して、これを容認するのか是正に努めるのかを最大の争点とする戦略的分岐へと収斂されることだろう』(本紙前号)。
 グローバリゼーションの進展に抗して「もうひとつの日本」を構想しようとする「市民派」や「左派」は、この局面に間に合ってその構想を練り上げる協働を急がなければならないのである。

(9/17:きうち・たかし)


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