吉野川可動堰反対票が推進派を圧倒
住民投票の台頭がしめす、徹底的な民主主義の要求
代行民主主義の機能マヒと戦後保守政治の破綻


戦後保守政治の破綻

 建設省が推進する吉野川の可動堰建設計画の是非を問う徳島市の住民投票は、1月23日に実施されたが、投票率50%以下の場合は不成立で開票もしないという、住民投票条例制定には賛成ながら可動堰建設は推進する公明党会派の条例案に盛り込まれた不当な条件をはねのける54・995%の投票率を達成し、さらに投票総数に占める可動堰建設計画への反対票は90・14%の高率を記録して、不況対策や地域の公益を名分にして強行されつづけてきた国家の「公共事業」にたいして、地域住民による明確な反対の意志がしめされる結果となった。
 今回の徳島市の住民投票は、96年8月に新潟県巻町で原発設置の是非をめぐって実施された住民投票を皮切りにして、以降は沖縄や岐阜県御嵩町など全国へとひろがり、今回でちょうど10回目をかぞえる住民投票運動のながれの中で、ひとつの画期をなすものであると言えるだろう。
 その画期的意義のひとつは、いわゆる「迷惑施設」と呼ばれる、周辺住民に直接的な被害をもたらす可能性の強い軍事基地や廃棄物処分場といった、もともと周辺住民の抵抗の強い施設建設の是非をめぐってではなく、すくなくとも日本の経済成長の時代には広範な民衆にも是認され受けいれられてきた河川整備という国家主導の「公共事業」が、その推進主体である行政(建設省)ばかりか、利権にむらがる業界団体も一体となったネガティブキャンペーンや投票ボイコットなどの妨害にもかかわらず、絶対得票率でも49・57%が反対票であったことに端的にしめされたように、地域住民のほぼ過半数におよぶ反対の意志表示に直面したことである。
 それは日本資本主義が経験する戦後最大の不況下ですら、いいかえれば内需拡大や景気対策の名目で公共事業費のうわ積みが声高に要求されている条件下でも、「箱物」や「土建偏重」の公共事業が、その大衆的支持を完全に喪失しつつあることを雄弁に物語る事態である。しかもそこには、箱物行政批判にとどまらない、戦後日本の保守政治の破綻が顔をのぞかせてもいる。
 もうひとつの画期的意義は、この戦後日本の保守政治の破綻と関連して、住民投票条例制定の直接請求が市議会で一旦は否決(99年2月)されながら、それから2カ月後の統一地方選では住民投票の是非を焦点にした市議選が闘われ、結果として人口27万人という中核的な地方都市で、前述した公明党会派(5議席)の中間的態度を含めてではあれ住民投票賛成派が市議会の過半を制し、それが今回の住民投票の実現と可動堰建設反対勢力の勝利にむすびついたことである。
 ではこの2つの画期的意義は、今日の情勢をどのように映し出し、また階級的労働者に何を提起しているのだろうか。

議会の社会的正統性の危機

 われわれは昨年の統一地方選挙直後の本紙5月号(99号)で、その結果をふりかえりつつ、東京都知事での石原の当選という「デマゴーグの登場」を可能にした社会的基盤を解明しようとする問題提起とあわせて、こうした動向に対置されるべきひとつの事例として、住民投票条例賛成派が勝利した徳島市議選の重要性を指摘しておいた。「そこには、戦後日本の代行民主主義の『機能不全』に対して、直接民主主義の要求がひとつの突破口として支持されはじめていることが示されている」のではないか、と。
 つまり石原のようなデマゴーグに対する大衆的支持と、住民投票による国家政策への関与すなわち大衆的な自己決定の要求の台頭は、ともに議会制民主主義という戦後ブルジョア民主主義の代行主義の機能不全を共通の条件にして、前者は強いリーダーシップに依存して機能不全状況の打開を期待する労働者民衆の挫折感や絶望感の屈折した政治的表現であり、後者は、機能不全に陥った代行民主主義に「大衆自治と自己決定」の要求を内包する大衆的な直接民主主義を対置する、労働者民衆の運動の萌芽形態としてとらえられるだろうという問題提起である。
 実際に今回の徳島市の住民投票結果は、国家官僚機構(建設省)や保守的政治勢力が、住民投票を「議会制民主主義の破壊だ」とくりかえし攻撃し、地方議会は地域住民のあらゆる利害を反映できるという代行的民主主義を頑迷に擁護したにもかかわらず、現実には議会と地域社会の大衆的要求が大きく乖離しつつあり、その乖離のぶんだけ議会の社会的な正統性が揺らいでいることを暴きだしたのである。しかもこうした議会の社会的正統性の動揺は、保守系の大物議員などの地域ボスが差配する談合や利益誘導を通じて地域社会を支配する、かつては地域社会に対する絶大な統制力を発揮してきた政官財の癒着構造が、その利害を代行する政治的機能を大きく低下させている現実をまざまざと見せつけたのであり、それはまさに、「戦後日本の保守政治の破綻」を象徴する事件と言って過言ではないだろう。
 「中立」を標榜していた小池徳島市長が、圧倒的な反対という投票結果を受けてただちに反対の態度表明をしたのも、投票直後は住民投票に法的拘束力がないことを理由に建設推進への固執を表明していた円藤徳島県知事が、1月31日の記者会見で「ほかに素晴らしい案があれば、可動堰にはこだわらない」と態度を変え、あるいは計画の白紙撤回をかたくなに拒否していた中山建設大臣が、2月2日に同省をおとずれた「住民投票の会」のメンバーらとの会談では、「白紙撤回はしないがゼロから話し合いをはじめる」と強硬姿勢の軌道修正を余儀なくされたのも、議会制民主主義という代行的民主主義の社会的正統性が揺さぶられるまでに、保守政治の機能低下が明白になったからにほかならない。

条例が制定された住民投票の結果

自治体
(投票日)

テーマ

投票率
(%)

得票率
(%)

新潟県巻町
(1996.8.4)
原子力発電所建設 88.29 反対 60.86
賛成 38.55
沖縄県
(96.9.8)
日米地位協定の見直しと
米軍基地の整理縮小
59.53 賛成 89.09
反対 8.54
岐阜県御嵩町
(97.6.22)
産業廃棄物処理施設建設 87.50 反対 79.65
賛成 18.75
宮崎県小林市
(97.11.16)
産業廃棄物処理施設建設 76.86 反対 58.69
賛成 40.17
沖縄県名護市
(97.12.21)
米軍代替ヘリポート基地建設 82.45 反対 51.64
条件付反対 1.22
賛成 8.14
条件付賛成 37.19
岡山県吉永町
(98.2.8)
産業廃棄物処理施設建設 91.65 反対 97.95
賛成 1.77
宮城県白石市
(98.6.14)
産業廃棄物処理施設建設 70.99 反対 94.44
賛成 3.77
千葉県海上市
(98.8.30)
産業廃棄物処理施設建設 87.31 反対 97.58
賛成 1.66
長崎県小長井町
(99.7.4)
採石場所新・拡張 67.75 新設賛成 50.38
新設反対 44.97
拡張賛成 51.90
拡張反対 43.38
徳島市
(2000.1.23)
吉野川可動堰建設 54.995 反対 90.14
賛成 8.22

 

直接民主主義と無党派層

 ではなぜ、戦後日本の保守政治は、議会制民主主義の正統性を揺さぶられるほどの行き詰まりに直面しているのだろうか。
 かつて日本資本主義が繁栄を謳歌していた高度経済成長時代、巨額の国家資金が投入される公共事業は、広範な民衆に経済的恩恵をもたらす「波及効果」をもつことで大衆的に支持されてきた。つまり公共事業を請け負う業界を巨額の国家資金がうるおし、それが賃金の上昇をともなって労働者家族の大衆的消費の拡大をうながし、それがまた新たな消費財生産の拡大(設備投資)を刺激して新たな活況をつくり、さらに次なる産業や業界の活況を作り出すという、大量生産と大量消費の好循環が大衆的に実感される度合いに応じて、国家資金を潤沢にばらまく公共事業は大衆的支持を得たのである。
 こうした経済的好循環が持続しているあいだは、地域ボスの談合や利益誘導による支配は地域社会の利害を代行的に行政に反映する機能をはたすことが可能であったし、それはまた解体が進行しつつあったとはいえ、なお地域社会に根強く残ってきた家父長的な地域秩序を介して、保守的政治基盤を扶養する効果的道具ともなってきた。
 だが戦後資本主義もまた、みずから呼びだした巨大な社会的生産能力が、数10年も先の需要を先食いする信用の膨張、つまり労働者大衆がごく普通に利用できるローンなどをもってしても、過剰生産におちいることを回避することはできなかった。石油ショックを契機にした70年代半ば以降の戦後資本主義の長期的停滞は、自動車や家電といった戦後資本主義の好況を牽引した産業部門での過剰生産がその根底にあったのであり、その経済的好循環の理論的背骨であったケインズ経済学が提唱した有効需要政策は、スタグフレーションという信用膨張のツケをともなって、国家財政の膨大な赤字をつくり出し、大衆的な増税や公共サービス料金の負担増加による穴埋めを余儀なくされて行き詰まった。
 こうして、国家資金を潤沢にばらまく公共事業、とくに田中政権のもとで「制度化」された社会的インフラ整備という土建業界への利権集中政策は、保守的政治勢力の最も強固な選挙基盤への集中的資金投入への偏向を強め、ますます狭い範囲の閉鎖的集団(業界団体はその典型とも言えるが)にだけ利益をもたらし、他方ではその利権からますます多くの、しかも負担増からは逃れようのない都市の労働者大衆が、企業内労働組合の無力も手伝って疎外されつづける状況を構造化した。と同時に、経済成長期に農業人口が激減し都市労働者人口が急増することで進展した社会再編が、地域社会の家父長的秩序の基盤を弱体化させ、それとともに地域ボスの社会的比重と権威が低下する事態を促進することにもなった。ここ数年の都市部における無党派層の絶えることのない増加は、そうした戦後日本の保守政治の破綻を象徴する現代日本の政治現象なのである。
 そのうえ、大衆的な大量消費を前提にした所得再分配の代行的制度であった日本のブルジョア議会制度の硬直化に対応して、欧州社民のような参加型の民主主義を体現する政治勢力(現在の民主党は、そうした意図で組織されたのだが)が未熟で未定形な日本の政治の現状が、大衆的な直接民主主義の要求をおし上げることにもなった。
 「審議会への失望が住民投票につながったことを、建設省はしっかり認識するべきだ」と、「第十堰住民投票の会」代表世話人である姫野さんも指摘するように、今回の住民投票は、97年の河川法改正で、建設省の河川整備事業に民意を反映させるためとして「ダム審」(事業審議委員会)を設置しながら、その審議会の本質は「大事なのは住民の声を聞いたというプロセスだ」と建設官僚が本音をもらすように、住民の参加や民意の反映をまったく考慮もしない形式にすぎなかったこと、さらには全有権者の49%もの連署が付された住民投票の直接請求すら市議会が否決するなど、住民の「政治参加」が拒まれつづけた結果でもあったのである。

最も広範な民主主義

 今回の徳島市の住民投票の成功をうけて、多くのマスコミは「住民投票を制度化する時期だ」と主張しはじめている。そしてもちろん階級的労働者は、こうした労働者大衆の意志を表明する制度が法的にも保証されることを支持し、その実現のために闘わなければならいし、なによりも今回明らかになった住民の意志にしたがって、可動堰建設計画を白紙撤回させるために闘わなければならない。
 とくに建設省と徳島県は、いまだに可動堰建設の推進を断念してはおらず、徳島市を含む吉野川流域の2市8町の首長らで構成される「第十堰建設促進期成同盟会」でも、会長である亀井鳴門市長は「可動堰以外の方法を議論していけば良い」と言い始めてはいるが、「徳島市長は脱会すべきだ」との根強い反感もあって、可動堰建設推進派の巻き返しや、ほとぼりの冷めたころに工事が強行される懸念も残っている。そうである以上階級的労働者は、地域住民の大衆的な自己決定を全面的に擁護して、建設省や県などがこれを無視しようとする動きに反対して闘わなければならない。
 しかしそのうえで階級的労働者がはっきりと自覚しなければならないことは、こうした闘いを担う必要があるのは、住民投票を成功させた大衆運動にはらまれている「大衆自治と自己決定」の要求を、いいかえれば最も徹底的で最も広範な民主主義の要求を発展させるためであることである。
 なぜならそれは、単に硬直化した戦後日本の保守政治を非難し、一般的な民主主義を守るための闘争ではなく、大衆自治を基礎にした労働者民衆の自己決定を実現するような実質的な民主主義を、労働者民衆自身が大衆的な運動の経験を通じて実現し、また社会的に拡大するという、新しい政治のあり方の創造を内包しているからであり、そうした地域の運動と労働者活動家たちの積極的な連携は、自らもまた代行主義や組織の硬直化を顧みなければならない現在の労働組合の中に、労働者による大衆自治という新たな可能性の種をまくことにも通ずるだろう。
                                                                                (さとう・ひでみ)


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