●ギャンブル解散・総選挙のゆくえ

政界再編と小泉の思惑

−「勝ち組の都市」と「疲弊する地方」の分裂−

(インターナショナル第157号:2005年7.8月号掲載)


▼断固たる小泉と反対派の迷走

 7月末までにはほとんど確実視されるようになっていた衆議院の解散・総選挙は、8月8日午後、郵政民営化関連6法案(以下=郵政法案)が参院本会議で17票という大差で否決されたことで現実となった。
 小泉首相は参院での法案否決直後に閣議を開き、解散に反対した島村農水大臣の辞任を認めずに罷免して閣議決定を行い、同8日夕の本会議で衆院は解散された。
 その後自民党執行部は、衆院本会議の採決で同法案に反対した自民党議員37人を党の公認候補にしない方針を表明、さらに小泉自身は「郵政民営化に反対する人とは今後も一緒にはやれない」と言明し、これら自民党議員がたとえ当選しても院内会派から排除する意向も明らかにした。
 対する郵政法案反対派は、7月5日の衆院本会議で5票の僅差で法案が可決されて以降、法案反対を隠蓑(かくれみの)にして「小泉追い落とし」の圧力を強め、参院本会議での法案否決で一気に小泉を退陣に追い込み、自民党の支持基盤である既得権益=政治利権の再編を強引に進める小泉政権を清算して、例のごとく自民党内の政権たらい回しを期待して勢いづいた。
 ところが小泉の固い決意、つまり「構造改革」に反対する「実権派」の抵抗を中央突破しようとする断固たる態度が、反対派議員の非公認ばかりかその中心的議員に強力な対立候補をぶつけても決着をつけようとする姿勢として明確になると、この勢力はたちまち迷走を始めることになった。それは自民党の郵政法案反対派が、結局のところ「小泉追い落とし」の野合勢力に過ぎないことを自己暴露するものであった。

 もちろん、民営化という乱暴な手法で郵便局ネットワークが担う物流と金融の社会的インフラを「ぶっ壊す」法案の廃案は歓迎すべきことであり、法案に反対する野党と労働者の運動が「自民党の内紛」を利用したとしても非難される言われもない。ただこの小論の目的は、自民党の分裂をともなった今回の総選挙が何を意味するのかを明らかにしようとするだけである。
 ともあれこうして9月11日投票の総選挙は、小泉の思惑どおり「郵政民営化」の是非を問う、言い換えれば「自民党をぶっ壊す」小泉の「構造改革」の是非を問う選挙という見せかけの下で幕を開けた。
 だが今回の総選挙は、戦後60年の大半を政権党として君臨してきた自民党という「再配分調整システム」の分裂を決定的にすることで、社会保障問題から外交問題に至るまでその戦略的分岐の収斂を促進せずにはおかないだろう。その意味で総選挙は全面的な政界再編の始まり、数回の総選挙と参院選を経て収斂されるであろう政党再編の始まりを画する選挙と言って過言ではない。
 ではその選挙戦はどんな様相を呈し、またその行く末についてはどのように考えればいいのだろうか。以下、それを検討してみることにしたい。

▼自民党分裂の社会的基盤

 ところで小泉と反対派の解散直後の攻勢と守勢は、両者の戦略的優劣以上に、当初から中央突破の決意を固めて周到に準備してきた小泉の、喧嘩における先手必勝の優位の現れである。にもかかわらずそこには、やはり旧来的な談合政治の復活を「漫然と」期待して野合した反対派の、戦略的劣勢もまた反映されざるを得ない。
 というのも昨年の道路公団の民営化の過程では、法案は「自民党の合意」と引き換えに事実上骨抜きにされ、結局は小泉自身が任命して「七人の侍」と称賛した「推進委員会」が分裂する失態を招き、あげくに道路公団の「談合体質」すら解消できないことが暴露されていたからである。かくして小泉は、郵政法案では骨抜きを許さない手法、要するに法案作成を首相直轄の「竹中チーム」に委ねて民営化に抵抗する郵政官僚をあらかじめ排除し、「自民党の合意」の有無にかかわらず中央突破を図る決意を固めていたのは明らかであった。
 ところが自民党実権派を中心とした、いわば「政権党たる自民党」の分裂回避を何よりも重視する反小泉野合勢力は、「自民党の伝統に反する」とか「独裁的」と言った相も変わらぬ小泉批判を繰り返し、自民党(プラス連立与党)という狭いサークル内の談合で再配分を調整するシステムの復活を期待し、旧態依然たる「挙党体制」の再生を楽観していたと言わなければならない。
 この両派の対立は、結局のところ経済成長を前提にした「再配分システム」の再編をめぐるものであって、小泉が竹中流の「新古典派経済学」に沿った「市場至上主義」を強引に導入することで再編を強行しようとするのに対して、反小泉派は自民党の支持基盤である既得権益を防衛することで自民党政権を維持しつつ、斬進的な再編を展望しようとする点にある。しかしこうした両派の戦略的な対立は、具体的には両派が依存もしくは現実に圧力を受けざるをえない社会的な基盤の違いに規定されている。
 前者「市場至上主義」の最大の基盤は、いわゆる「勝ち組」と「勝ち組」になれるという幻想を抱くことのできる「都市部の保守的無党派層」にあり、後者「既得権益の防衛と斬進的再編」の最大の基盤は、自民党の伝統的な支持基盤でもある地方に、しかも「構造改革」によって切り捨てられ、現実には公的支援を最も切実に必要としている「疲弊する地方」にある。

 こうした社会的基盤の違いに規定された分裂は、「二大政党制」の幻想に煽られた「竹下派の分裂」と言うべき1993年の自民党分裂とは決定的に違っている。
 93年分裂もまた都市部の自民党支持基盤の衰退を背景に、連合の成立など労働戦線の再編を与件として「既得権益の再編」を意図した分裂であった。だがそれはなお理念が先行した社会的基盤の分岐を伴わない分裂、より正確に言えば、労戦再編によって政官財の連携に巨大企業労組を組み込んだ「挙国一致の95年体制」が90年代の長期不況の下ではほとんど機能しないことが露になり、結局は自民党支持基盤に、だからまた戦後日本の保守構造に新しい分岐を生み出すには至らずに、自民党(竹下派)の分裂を主導した理念はあえなく破産したのであった。
 だが今回05年分裂は、戦後日本の再配分システムが全面的な機能不全に陥ったことを与件として、「勝ち組」の牽引する経済格差を容認する弱肉強食の経済成長を追求する「痛みの伴う大転換」か、それとも疲弊する地方と都市の「格差を緩和する政治利権」を防衛した斬進的再編かという、ほとんど非和解的対立が自民党支持基盤そのものを引き裂いた現実の上に生じたと言える。
 言うまでもなく前者は小泉の「構造改革」が目指すものであり、後者は反小泉派すなわち郵政法案反対派が主観的に、しかも自らの既得権益は温存して追求しようとするものなのである。だがこの反小泉派の身勝手な主観、つまり自己の利権は手放さずに「疲弊する地方を救済する」という非現実的で虫のいい展望こそ、反小泉派の戦略的劣勢を決定的にしているのだ。

▼ギャンブル解散と都市の格差

 以上のような自民党支持基盤の分岐を伴う分裂選挙は、一般的には以下のような選挙戦の様相を推測させるだろう。
 それを端的に表現すれば、地方において反小泉派が善戦する一方、都市部では反小泉派が蹴散らされるということである。だがそうだとすれば今回の総選挙の最大の焦点は、都市部得票率で自民党を凌駕する民主党と小泉派自民党の攻防に、自民・民主両党の公認候補による都市部の「保守的無党派層」の争奪にあるとは言えないだろうか。
 なぜなら小泉が反対派を蹴散らせる都市部において民主党に競り負ければ、地方を基盤とする「伝統的自民党」が小泉を追放しても自民党自身が政権の座を追われることになるだろうし、逆に都市で小泉派自民党が民主党に競り勝てば、小泉は反対派を排除して「新生自民党」の看板を掲げ、さらに強力に彼の「構造改革」を推進する新たな基盤を手にするからである。しかも仮に小泉が都市部で民主党に辛勝すれば、それは松下政経塾出身者などを中心とした民主党の「改革推進派」を引きつける可能性さえ生まれる。
 そしてこの状況こそ、小泉が解散に賭けた本当の狙いであると思われる。つまり小泉の解散強行は「八つ当たり」や「暴挙」ではなく、ハイリスクを冒してハイリターンを求めるギャンブルなのである。
 ところが当の小泉は、リスクの全体像をリアルに認識しているとは思えない。分裂選挙が県連の反抗や分裂という組織的混乱を伴うことは覚悟の上だろうが、自民党の伝統的基盤である「地方との対決」は、実は2001年の総裁選予備選挙で、外ならぬ小泉を押し上げた「地方の一般党員」との対決でもあるという事実が無視されているからである。政権の支持基盤は小泉の主観で簡単に替えることなどできるはずもないが、戦略的構想に関心の薄い小泉はこの事実の重大さをほとんど意識もしていない。だが後述するように「疲弊する地方」は、「社会的弱者」の切り捨てという形で「都市の内部」にも貫かれているのである。

 では対する民主党は、この小泉のギャンブルを迎え撃つ用意があるだろうか。わたしには到底そうは思えない。
 「棚ぼた解散」で「政権交代」と言った楽観主義としか言えない民主党執行部の見通しは、この党にその用意も自覚もないことを物語るが、最大の都市部・東京の反小泉派候補にいち早く対立候補を立てた小泉の狙いさえ見抜けないこの党は、むしろ小泉の思惑を助ける可能性さえある。
 もちろん都市部の支持基盤が長期にわたって衰退する自民党に民主党が大差の得票で負ける可能性はほとんどないが、前述のように「競り合い」になれば都市部で強いはずの民主党候補が「思わぬ僅差の敗戦」を喫し、議席数では大敗する可能性すら無いとは言えないからである。
 だが地方の基盤を容赦なく切り捨て、都市部で「改革推進派」の新しい基盤を得て「死中に活」を求めようとする小泉のギャンブルには、大きな盲点が潜んでいる。それは地方と都市の間にだけではなく、都市の内部でも広がる経済的格差である。
 いわゆる「社会的弱者」に対する容赦のない切り捨てと伝統的な自民党の基盤である地方の切り捨ては、共に小泉・竹中流の「構造改革」がもたらす最大の社会的矛盾に他ならない。しかも都市部におけるこの階層は、かつては自民党の「伝統的基盤」のひとつでありながら、再配分システムの機能不全の深化と共に大量の「保守的無党派層」を生み出した基盤でもあると考えられる。
 だとすれば民主党はこの都市部の社会的矛盾にこそ光をあてる争点=その切り口は「年金問題」でも「少子化と働く女性問題」でもいいが=を全面に押し出し、「小泉構造改革の非情」を責め立てて新たな政策的分岐を鮮明にし、「政権交代」の必要を訴えるのが最も効果的であるに違いない。
 だが民主党執行部の根拠のない楽観は、都市部における対決の構図と攻防についての自覚に欠けており、むしろ小泉の術中にはまりつつあるように見えるのだ。

▼「格差」をめぐる抗争と再編

 改めて確認しよう。今回の総選挙は戦後日本の保守政治が全面的に行き詰まり、伝統的な自民党支持基盤が引き裂かれつつあるという現実の上に、自民党の分裂選挙として行われる選挙である。
 したがってそれは、小泉が賭けに成功しようとしまいと、自民党すなわち戦後日本の保守政治を支えてきた社会的基盤の分裂を推進力にして、全面的な政界再編の始まりを画することになるだろう。
 この政界再編は、つまるところ多国籍資本がグローバリゼーションへの対応として求める社会構造の再編が、反面で必然的に発生させる国民国家の内外を貫いた社会的経済的格差に対して、これを容認するのか是正に努めるのかを最大の争点とする戦略的分岐へと収斂されることだろう。

 だがその上で現状は、これまで検討してきたようにかなり危機的である。とりわけ、すでに機能不全が明らかな二大政党制という幻想に呪縛された自民・民主両党の無能と機能不全は、グローバリゼーションの展開に対抗して「もうひとつの日本」を構想しようとする「市民派」や「左派」にとって、文字通りの桎梏へと転化している。
 だがこの与えられた条件は、小泉のような主観的信念で突破することができないのだとすれば、「社会的経済的格差の拡大を容認しない」という政界再編の最大の争点に焦点を当てた、場合によっては大胆な提携さえ厭わない最も効果的な闘いを構想し実践する以外にはないだろう。
 総選挙のスローガンに「格差是正」を掲げた社民党との連携は言わずもがなだが、場合によっては「下野」つまり政権党への固執を捨て、自らの既得権益を放棄しても「疲弊する地方」の自立と再生のために闘うという条件の下でなら、「郵政法案反対派」との提携さえ考慮しなければならないかもしれないと言うことである。
 わたしたちはまず何よりも、小泉・竹中流の「構造改革」を止めるために、小泉の都市部における野望を挫折させるために全力を挙げる必要があると思うのだ。それはたしかに、結果として民主党政権の誕生を意味するかもしれないが、その場合でさえ自民党が独占する政治利権の弱体化を促し、国家財政に依存した「上意下達のボス支配」という戦後日本の「保守の岩盤」を大きく揺さぶりはじめるに違いないからである。

(8/12:きうち・たかし)


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