日朝国交正常化交渉と拉致被害の賠償責任

2002年9月27日

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 小泉と金正日との歴史的な首脳会談によって、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下:北朝鮮)の国交正常化にむけた交渉開始が合意された。しかし同時に、日本政府が強く要求してきたいわゆる拉致問題での情報提供では、どこまでが真実かは別としても、拉致被害者10人がすでに死亡し、生存者は4人だけという悲惨な現実が明らかになったことで、北朝鮮への経済援助はおろか正常化交渉そのものに対する反発が、保守的な国会議員やマスコミを中心に強まっている。
 さいわいなことに、国交正常化交渉をも白紙に戻すべきとする強硬意見は極少数派にとどまってはいるが、拉致事件の真相解明や責任追及、そして被害者とその家族と「遺族」に対する賠償や補償については混乱した議論がつづいているように見える。とくに、いわゆる左翼の主要な論調が、日本による朝鮮の植民地支配と強制連行の歴史を理由にして、「日本もひどいことをしたのだから、拉致事件による被害は相殺されてもしかたがない」と言った調子であることに強い危惧を覚える。
 日本帝国主義による朝鮮支配がどれほど残酷なものであれ、それに直接関与したわけでもないまったく普通の日本の労働者・市民が被った被害が、どうしてその歴史的負債と「相殺」されうるのか、少なくとも私には全く理解することができない。こんな論法は、「ではなぜお前達の家族ではなく、私たちの家族が犠牲にならなければならないのか。お前達の家族は身代わりになってくれたのか」と被害者家族に詰め寄られでもしたら、何も応えられないだろう。いや「日帝の歴史的負債を血済する」と主張する人々は、逆に開き直って被害者家族を「反動」呼ばわりするかもしれない。
 だがそこには、現実の日本政府ではなく過去の日本帝国主義を教条的に批判することを「左翼の証」とし、拉致被害を所詮は他人事として「大所高所から」評価し、被害者に同情を装いながら「階級の原則」を説教する、戦後日本左翼運動の破産が刻印されていると私には思える。
 では北朝鮮・金親子政権の国家犯罪にほかならない拉致被害とその責任は、どう考えたらいいのか。

 掲示板をご覧の方はすでにご承知のように、私は日本政府(歴代自民党政府と国家官僚機構という意味の)による不作為の違法行為がこの悲劇の最も主要な原因であると主張したいし、北朝鮮の国家犯罪を徹底的に追及するには、日本の政治自身がその追求にふさわしい道義性(理念と言い換えても良いが)を先んじて示す必要があると考えている。
 不作為の違法すなわち不作為犯は、「期待された行為を行わないことによって成立する犯罪」(『大辞林』89年版)であり、薬害エイズ事件でも狂牛病問題でも暴かれた、日本政府と国家官僚機構による事件や問題の放置、もしくは対策の先送りということである。
 ここで詳細に述べる必要はないと思うが、少なくとも拉致事件が「疑惑」ではなく現実の事件であることが明になったのは、1978年8月に富山で未遂事件が発覚し、その後北朝鮮からの亡命者たちが日本人拉致を証言するようになった時である。だが日本政府はその後10年以上にわたってこの問題に取り組むことはなかった。88年9月、北朝鮮からの石岡さんの手紙で有本恵子さんが一緒であることを知った彼女の父親が、娘の帰国を実現しようと活動をはじめたときも、彼に会ってくれた国会議員はわずかに1人、外務省では「国交がないのでどうしようもない」と、事務官が名乗りもせずに答えたという。この事実が、日本政府と官僚機構の不作為の違法を雄弁に物語っており、これだけでも日本政府は拉致被害者と家族たちに謝罪し賠償をする義務がある。しかも日本政府自身の責任の所在を明らかにして事件の真相究明を迫る方が、北朝鮮政府に対する圧力にもなるというものだ。
 だがこれだけではない。日本政府は拉致事件の予防においても重大な不作為の違法を犯しつづけてきたのだ。じつは拉致事件は、韓国の沿岸でも頻繁に発生していた。ところが韓国の海岸警備が厳重になって工作員の侵入や韓国人の拉致が困難になり、「日本経由の韓国侵入」作戦の比重が大きくなったと言われている。とすれば日本政府が、韓国のように沿岸警備強化をしなかったことも立派な不作為犯と言わざるをえない。だが日本では最近の不審船事件が暴いたように、こうした「国民の生命と安全を守る」という「期待された行為」をほとんど行わず、逆に防衛庁(自衛隊)やアメリカ軍の警告(圧力)で泥縄式に不審船追及をはじめ、結果として装備の脆弱な巡視船に拿捕強行を命じ、銃撃戦から不審船の撃沈、海上保安官の負傷という惨事を招いたのだ【
本紙127号「有事法制の核心問題は何か」参照】。
 だが日本政府による被害者への謝罪と補償で、拉致事件の決着がつくわけではない。金正日が自ら認めたように、これは北朝鮮軍部による国家犯罪であり、国家犯罪としての断罪が必要である。
 しかし北朝鮮の国家犯罪を断罪するには、大日本帝国による国家犯罪に他ならない強制連行や従軍慰安婦の被害について、日本政府自身が率先して道義的責任を認め、謝罪と補償をしなければならないはずだ。過去の国家犯罪とはいえこれを自ら正す道義性(外交理念)なくしては、北朝鮮による国家犯罪に対する追及が貫かれることはありえない。
 いやそれ以上に、もしこうした道義性を率先して示すことなく、北朝鮮の国家犯罪を断罪しようと日本政府が強硬な態度にでれば、北朝鮮のみならず韓国や中国の反日感情をも刺激するに違いない。なぜなら大日本帝国による国家犯罪の被害者は、過去にではなく現在を生きているからだ。それは結果として日朝国交正常化交渉を頓挫させ、日韓、日中関係にも新たな緊張をもたらす危険である。
 問題は「外交か被害者感情か」といった対立的二者択一なのではない。被害感情に深く配慮すればこそ、安易な弱腰外交批判や国家犯罪被害の相殺論を厳しく排斥して、理念なく浮遊をつづける日本のアジア外交を正すために日本政府と外務省を批判することである。

(KS生)


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