韓国大統領選挙

歴史的変化を映す「廬風」の勝利

主流交替を望む新世代の台頭

(インターナショナル132 2003年1・2月合併号掲載)


 韓国次期大統領選挙は昨年12月19日に投開票がおこなわれ、金大中(キム・デジュン)大統領の与党・新千年民主党の廬武鉉(ノ・ムヒョン)候補が12、014、277票(得票率48・91%)を獲得し、最後まで接戦を演じた野党・ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の11、443、297票(同46・59%)を僅差で制して当選した。
 投票率は70・8%で、前回97年の大統領選挙の80・7%を10ポイント以上下回り、71年の大統領選挙の79・8%をも下回る史上最低を記録した。ちなみに絶対得票率は廬候補が34・33%、李候補が32・70%である。

 ブッシュ大統領の「悪の枢軸」演説を契機に政治的緊張が高まる朝鮮半島情勢の下で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する金大中大統領の対話と懐柔路線(いわゆる太陽政策)の継続を唱える廬武鉉候補と、北朝鮮への強硬策と対米協調を訴える李会昌候補の事実上の一騎打ちとなった選挙戦は、拮抗した支持率で投票日を迎えた。
 したがって大統領選の結果は、どうしても対北朝鮮政策をめぐる対立を焦点にした評価にかたよりがちにならざるをえないが、廬武鉉候補の勝利の背後には、韓国社会の大きな歴史的変化、言い換えれば冷戦の終焉とグローバリゼーションに対応した社会再編が投影されているように思われる。
 以下ではこうした歴史的変化に焦点をあてて、今回の韓国大統領選挙の意味を考察してみたいと思う。

        廬大統領は「反米」なのか

 軍事を全面に押し立てたブッシュ政権の国際戦略と対北朝鮮強硬策を唱える李会昌の組み合わせは、朝鮮半島の政治的緊張をさらに高め、戦争の危機さえ現実となりかねないものである以上、太陽政策の継続を掲げる廬氏の当選は、朝鮮半島の緊張緩和を望む韓国と周辺諸国の労働者民衆にとっては歓迎すべきことである。
 だが反面それは、過去には在韓米軍の撤退を主張し大統領選でも対北朝鮮政策でアメリカとは違う立場もありうると表明してきた廬氏の当選が、ブッシュ政権には期待はずれだったことも明らかである。ブッシュ政権が公式には廬氏の当選を歓迎する声明を発表しながら、東アジア太平洋地域外交の担当者であるケリー国務次官補が「廬氏と彼のチームとは、何が合意できて何ができないかをはっきりさせる必要がある」と語って米韓協調への不安をのぞかせたのは、その端的な現れに他ならない。
 しかし「歴史的変化」という視点から見たとき、韓米両国間の最も際立った認識のズレは、アメリカの各メディアが一様に「反米感情が次期大統領を決めた」といった論調で廬氏の当選を報じたことであろう。
 アメリカメディアの指摘した「反米感情」が、昨年6月13日に起きた在韓米軍車両による中学生轢殺事件に対する大衆的抗議運動を指しているのは明らかだが、たとえこの大衆運動が廬氏当選の追い風になったとしても、これを「反米感情」と断じる報道には、むしろ9・11以降アメリカ国内で醸成され、だからまたブッシュ政権が強く意識してもいる「反米感情への苛立ち」が色濃く反映していると考えられるからである。
 他方で在韓米軍に対する大衆的抗議の性格は、「ヤンキー・ゴーホーム」といったプラカードの登場や星条旗を引き裂くといった形態ほどに「反米的」とも言えない。
 大衆的抗議の最も広範な共通項は、米軍兵士による事故や犯罪について韓国側には捜査権も裁判権もなく、在韓米軍の法会議では業務上の過失すら認めない無罪評決がまかり通り、「犯人」が平然と帰国するなど不平等の是正を求めるものであり、必ずしも在韓米軍の撤退要求と直結しているわけでもないからである。具体的には現行韓米地位協定改定の要求であり、この点に限れば、廬、李の両候補は共に協定の見直しを公約しブッシュ大統領による謝罪を求めたのであって、大統領選の行方を大きく左右した争点とまでは言い難いと見た方が妥当だろう。
 にもかかわらず、この在韓米軍への大衆的抗議運動は、やはり廬氏当選の追い風になったのである。そしてこの一見矛盾する評価を結びつけるキーワードが、「世代交替」なのだと思うのだ。

      在韓米軍への抗議と「廬風」

 もちろん世代交替は、今回の大統領選挙を左右する大きな要素として当初から注目されてきたし、廬陣営はこれを全面に押し出して選挙戦を展開してきた。
 選挙後に公表された「東亜日報」の世論調査によれば、廬、李両氏の世代別の支持率は20歳代では59・0%と34・9%、30歳代では59・3%と34・2%と廬氏が高いが、40歳代では48・1%と47・9%と拮抗し、50歳代は40・1%と57・9%、60歳代になると34・9%と63・5%と李氏への支持率が高くなっている。しかもこの傾向は、あらゆる世論調査に共通する傾向だったのだから、廬氏の当選は、若年層の高支持率が接戦を制した結果だと言える。
 だがこうした若年層を中心とした廬氏への追い風は、選挙本番以前にもその威力をみせつけていた。
 それは昨年春、「廬風」と呼ばれるブームをつくり出して廬氏を民主党公認の大統領候補に押し上げた「ノサモ(廬武鉉を愛する集い)」が、インターネットを駆使した宣伝活動と、廬氏の活動を支える小口の募金活動を全国で展開した時である。当時は最有力と見られていた李仁済(イ・インジェ)氏は、この廬ブームで立候補辞退に追い込まれ、その後は民主党を離党して自民連に入党、大統領選では自民連総裁権限代行として李会昌候補の支援に回ることになった。
 ところで、在韓米軍への抗議運動を象徴する犠牲者追悼の「ろうそく集会」は、ある女性が昨年11月、新聞社のインターネット掲示板に「ろうそくを持って2人を追悼しよう」と書き込み、それがネットで瞬く間に広がって定着したと言われている。李氏との接戦を制して廬氏を当選させた若い世代は、彼らの媒体であるインターネットを介して、在韓米軍への抗議運動でも重要な役割をはたしたことは明らかである。
 「反米」とは言えない在韓米軍への抗議運動の高揚が、にもかかわらず廬氏への追い風だったと評するゆえんである。
 なによりもこの若い世代は、旧態依然たる政治姿勢に強い反感を示すという政治的特徴をもっている。しかもそれは、廬氏対してさえ例外なく発揮される。例えば廬氏が大統領候補に決まった直後、金泳三(キム・ヨンサム)前大統領の支持を求めて接近すると、「廬風」はたちまち失速してしまった。
 以降の廬陣営は「古さとの決別」に焦点を絞り、廬氏が大統領候補に決まった後の一斉地方選挙(02年6月)と国会補欠選挙(同8月)で民主党が大敗を喫し、党内でも廬氏批判が強まり、金大中政権の汚職や腐敗への批判から逃げるように離党する議員が相次いだ時も、むしろ党内の保守的勢力を他の政党に押しつけるかのように、「さる者は追わず」の態度に徹したのである。
 つまり若い世代が廬氏に託す期待は、「三金政治」などの旧い権威主義や保身のための変節、あるいは「地域対立」などの旧弊と決別し、「有権者こそが国の主人公だと実感できる政治」(02年12/20:赤旗)である。そしてその歴史的背景には、東西冷戦の最前線で反共の砦として中国・ソ連そして北朝鮮と軍事的にも対峙していた軍政下の時代と、冷戦が終焉した一方で、金融グローバリゼーションがもたらした経済危機と「IMF統治」をへて、これを克服する過程で顕著になった貧富の格差是正など、より公平な社会正義の実現を期待する〃今〃という、大きな歴史的変化があると言えよう。

       主流交替−反権威主義

 大統領選直後から、韓国では「主流交替」論が盛んに語られはじめている。
 野党のハンナラ党では、中堅・若手層が指導部の総辞職をふくむ構造改革を強硬に主張しはじめ、与党・新千年民主党でも、当選した廬氏を支持してきた「新主流」と呼ばれる議員たちが、党の発展的解消という大胆な再編を提案し始めている。
 こうした政党再編の胎動は、大統領選挙の結果を「韓国社会の中心軸やパワーが大移動している」と分析するメディアの論調と軌を一にした動きでもあるが、この「大移動」が前述の世代交替つまり新しい世代の台頭であることは明らかである。ではこの台頭しつつある新しい世代は、どんな政治的社会的性格を持つ世代なのだろうか。
 ひとつの特徴は、権威主義や変節に強い嫌悪を抱き、主権者意識を持っていることは前述したとおりだが、その背後には、「IMF統治」の過程で暴かれた旧財閥や国家官僚機構の無能と無責任、その結果として民衆に押しつけられた貧富の格差や生活難が、伝統的な権威主義の社会的基盤を急速に掘り崩したという、韓国社会の歴史的再編があったと言えるだろう。
 新興市場としてもてはやされていたアジア諸国を通貨危機が襲った97年、韓国経済はなお堅調さを保ち、所得格差は上位20%と下位20%が4・49倍であった。だが翌98年4月にはタイ、インドネシアにつづいてIMF(国際通貨基金)の援助を受け入れざるを得なくなり、発足したばかりの金大中政権は、いわゆる「IMF統治」の下で財閥の解体・再編など産業社会再編を強力におし進め、それとともに所得格差も急速に拡大した。企業淘汰が促進され、「勝ち組企業」と「負け組企業」の格差が労働者の所得格差としても跳ね返ることになったからである。
 こうして昨年02年の所得格差は、上位20%と下位20%で5・36倍にまで広がったが、とりわけ国際競争の激しい最先端産業の企業淘汰の嵐が、30歳代以下の若年労働者層に大きな打撃を与えることになった。
 この過程は、民主化運動の歴史を通じて確立された金大中の政治的権威を著しく傷つけただけでなく、「三金政治」と言われた政治的権威主義にも致命的打撃を与え、同時に軍事独裁の下で「漢江の奇跡」と呼ばれた高度経済成長の立役者であった、財閥や国家官僚機構の経済的権威をも決定的に失墜させることになったのである。
 その意味で、「儒教的伝統」として説明されてきた韓国社会の権威主義は、90年代に全盛を極めた金融グローバリゼーションに翻弄され、その物質的基盤を失ったということができる。代わって、経済危機を克服したことで自信を回復し、だからまたIMF統治下で強いられた経済的犠牲の是正を当然のように求める新しい「中流・庶民」を自認する世代が、古い政治や体制の改革を求めて台頭しはじめたのである。

        主流交替−対米感情

 この世代のもうひとつの特徴は、在韓米軍車両による中学生轢殺事件に対する抗議運動の高揚として示されている。
 それは前述した「犠牲の是正要求」という意識と連動して、企業や国家そして民族の間に厳然と存在する不平等や不公正に対する憤りと、これを克服しようとする強い欲求という傾向であろう。そしてこの傾向の背景にこそ、朝鮮戦争の記憶と在韓米軍の存在に対する世代間の認識の落差、つまり大統領選挙を制した世代間ギャップが横たわっていると言うことができる。
 かつて韓国では、在韓米軍の存在が中国とソ連を含む「北の脅威」から国家を防衛する抑止力とされ、それがまた軍事政権による強権支配を正当化する口実だった。冷戦の最前線・反共の砦は、この脅威に一致団結して立ち向かうべきだということだが、そこには半島全体を戦場にした朝鮮戦争の悲惨な記憶が、まだ生々しく残ってもいた。
 しかし朝鮮戦争から半世紀を過ぎた現在では、「米国は韓国のために役だっているか」との問いに、過半数の52%が「ノー」と答える世論調査結果が出る。「韓国の反米感情が史上初めて反日感情を超えた」(2/13:朝日)とアメリカの研究者に言わしめる歴史的変化が起きているのだ。
 こうした傾向は、当然ながら戦争の生々しい記憶を持たず、親の世代からもそれを聞くことの少なかった若い世代に強い。彼らには在韓米軍に「守ってもらっている」実感はない。むしろブッシュ政権になって以降は、南北首脳会談で高まった朝鮮半島統一の期待、言い換えれば半世紀に及ぶ民族の分断を克服しようとする「民族の悲願」を、アメリカが阻害しているとさえ受け取れる事態が次々と起きているからである。
 それでも抗議運動が掲げる韓米地位協定の改定要求は、韓米間の地位協定上の不平等を是正したいという新しい世代の欲求を反映しているのであり、それは彼ら新しい世代の公平で透明な社会正義の実現を望む傾向とも一致している。
 これを「反米感情」と断定するアメリカのマスメディアの論調こそが、韓国の歴史的変化を見誤っていると指摘したのはこのためである。

 廬武鉉大統領の登場は、冷戦の終焉から10年余、IMF支援の受け入れから3年余をへて、韓国では新しい運動スタイルと共に新たな世代が台頭しつつあることを示すことになった。もちろんその政治的性格はなお未定形であり、軍事独裁政権下の民主化闘争のような権力闘争や「社会主義」といった目標をもっているわけでもない。
 しかし日本の階級的労働者は、この新しい世代が金融グローバリゼーションの荒波に翻弄された韓国社会の再編の中から台頭し、その過程でかつての民主化闘争や経済的成功に基盤をもつ政治的経済的権威主義を拒否し、自らを主体とする民主主義や社会的公正の実現を強く望んでいるという事実に注目する必要があるだろう。
 それは80年代までの経済的成功がつくり出した日本の政治経済的権威、つまり自民党政権と自動車・電機に代表される基幹産業を担う日本の多国籍資本の権威が動揺し、代わって「企業忠誠心」や「働きバチ」の世代に幻滅した新しい世代が、しかし直面する不正や不合理に立ち向かうような近未来の日本の予見にとって有意義であるだけでなく、反独裁民主化運動と韓国進出日系企業の横暴への抗議に連帯する運動にとどまってきた、日本における日韓連帯運動の歴史的限界を越えて、日韓投資協定や二国間自由貿易協定などの動きに抗して、新しい時代の日韓労働者民衆の連帯運動を再構築するうえでも有意義だからである。

(きうち・たかし)


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