●分裂する欧米世界

新自由主義と排外主義という不毛な対立
―「国際貿易機関(ITO)」の頓挫と色褪せた「EUの理想」―

(インターナショナル第227号:2017年5月号掲載)


▼注目される欧州主要国の選挙

 5月7日に行われたフランス大統領選挙の第2回投票で、オランド前社会党政権の経済・産業相を勤めたエマニュエル・マクロンが、第1回投票で2位となったマリーヌ・ルペンに32.20%、おおよそ1000万票余の大差をつけて新しいフランス大統領に選出された。ちなみに両候補の最終得票数(率)はマクロンが2075万3798票(66.10%)、ルペンは1064万4118票(33.90%)であった。
 この選挙の2ヶ月ほど前の3月15日に行われたオランダ総選挙でも、第1党への躍進が懸念されていた極右政党・自由党(PVV)が5議席増の20議席としたものの、中道右派の与党・自由民主国民党(VVD)が8議席を減らしながらも33議席を確保してかろうじて第1党の座を維持し、つづくフランス大統領選挙でも極右・国民戦線(FN)の党首・ルペンが敗れたことで、安どの声が世界中に広がった。
 昨年6月のイギリス国民投票が「EUからの離脱」を選択し、11月には移民排斥を声高に唱えるトランプがアメリカ大統領に選出されるなど、欧米世界ではナショナリズムの台頭に対する懸念が一段と強まる中で、欧州主要国の国政選挙が重なる今年2017年は、今後の欧米世界の動向、とりわけ欧州とEUの将来を展望する上で大きな意味をもつものとして注目されてきた。中でも3月のオランダ総選挙と今回のフランス大統領選挙は、前述した自由党(PVV)や国民戦線(FN)といった極右勢力の台頭が著しいだけでなく、欧州の「進歩主義」を標榜してきたオランダとフランスで、EU離脱や移民排斥を主張する極右勢力が政権を握るか否かに世界の注目が集まっていた。
 その注目の選挙で、「トランプショック」を再現するような極右勢力による権力獲得が回避されたことを歓迎する論調が多数を占めているのだが、オランダの極右勢力の議席増と与党の退潮が象徴するように、今回の選挙結果が欧州とEUが抱える政情不安を克服する「欧州リベラリズムの勝利」とは到底いえないのが現実であろう。
 現にフランスでは、6月に行われる総選挙でマクロン新大統領の与党「アン・マルセ(共に前進)」が第1党になるのは難しいと見られ、むしろ大統領選第1回投票では21.30%だった国民戦線が、決戦投票では33.94%と得票を伸ばした勢いそのままに第1党に躍り出る可能性も否定はできない。しかも同じ6月には、EU離脱を推進する現政権の信任を問うイギリス総選挙も予定されており、ここでメイ首相率いる保守党が勝利すれば、EU離脱を掲げる右翼勢力がふたたび勢いづく可能性もある。
 さらに今年後半の9月にはドイツ、イタリアの総選挙が予定されており、今も厳しい緊縮財政を強いられているギリシャでも総選挙が予定されている。
 そして言うまでもなくこれら一連の選挙の最大の焦点は、やはりトランプ現象を追い風にした右翼勢力がどこまで伸張するのかという点である。

▼「ポピュリズム」の新種「福祉排外主義」

 こうした極右勢力の台頭について、「ポピュリズム」すなわち「大衆迎合主義」を非難し、「自由主義」を擁護する、より正確には「新自由主義的コンセンサス」を擁護する議論が盛んに流布されている。だが「ポピュリズム」を「民族排外主義」や「保護貿易主義」と混同して非難するこれらの議論に欠けているのは、政治エリートたちが主導した過去20年ほどの「自由化」と称する規制緩和とりわけ「金融規制の緩和」が、金融投機を常態化して国際金融危機を繰り返し引き起こす一方で労働分配率を低下させつづけ、世界中で経済格差を拡大してきたという「現状認識」である。
 「そもそも」の話をすれば、「ポピュリズム」は「移民に反感を抱く右翼」を意味するものではなく、当初は主要に南米で、富と権力を一手に握る大地主や鉱
山主に抗して所得再分配を求める大衆的な異議申し立ての形態であった。『ポピュリズムとは何か』の著者、水島治郎・千葉大教授は、この南米で広がった動きを「解放型のポピュリズム」と呼び、その「左翼的側面」を指摘する一方、いま話題の移民排斥を唱える「ポピュリズム」を「抑圧型」と名付け、「右翼的」な
動きだと指摘している。
 しかし興味深いのは、「トランプ現象」を演出した「アメリカのポピュリズム」が単に移民排斥を唱える「抑圧型」と言うだけでなく、「没落する中間層」への
所得再分配の要求を含んでいるという意味で「解放型」でもあるという指摘である。実際にも、アメリカにおける「開放型のポピュリズム」という「左翼的」傾
向は、予備選においては、社会主義者を自認するバニー・サンダース候補への支持として現れていたと言える。
 その上で水島教授は、「欧州のポピュリズム」には第1期と第2期があると言う。
 実は欧州ポピュリズムの始まりも、既得権益でがんじがらめになっている現体制に異議申し立てをする動きだったのであり、その限りでは、「新自由主義」との親和性があったとはいえ「右翼」的性格を帯びていたとは言い難い。だが格差問題の深刻化とともに、「福祉排外主義」を伴う第2期へと移行したと言うのが水島教授の見解だ。
 「国民の福祉を守るために移民を排除しよう」という「福祉排外主義」は、グローバリゼーションの進展がもたらした経済格差の原因を「移民の流入」にすり
かえると言う意味でデマゴギー以外の何ものでもないが、人種や国籍による選別と排除という古典的排外主義を「福祉の防衛」という「国民的共通利害」を前面に押し出して主張する手法は、たしかに現代的な特長と言えるかもしれない。
 第二次大戦後、欧州モデルとして喧伝された「福祉国家」の成功体験を呼び起こしつつ「福祉の充実した(われわれの)国を取り戻せ」といった極右の煽動が功を奏しているのは明らかだが、それはグローバリゼーションの進展が破綻させた「福祉国家」を「より強力な国家(権力)で防衛する」という、経済的現実を無視した幻想を振りまくだけであって、結局はトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」と同様の「国民国家第一主義」へ、そして「強力な国家」に望みを託
す「国家主義」へと帰結する以外にはない。
 かつて欧州に乱立した「国民国家」の頑迷な自己防衛が2つの大戦を引き起こしたという歴史的総括に立脚し、国家主権の一部を地域経済共同体に「委譲」することで地域と国家の繁栄を両立させようとしてきたEU(欧州共同体)の理想が、文字通りの意味でいま、歴史的な挑戦を受けているのである。

▼EUの「緊縮財政」と「構造改革」への反感

 ではルペンの右翼ポピュリズムに対抗し、EUの維持と融和的移民政策の継続を唱えて新大統領に選出された自称・中道派のマクロンは、フランスが直面する経済的停滞や政情不安を克服できるのだろうか?
 すでに様々な報道があるように、マクロンの勝利は、移民排斥やEU離脱を掲げる極右・国民戦線が政権を握ることへのフランス民衆の強い懸念の結果であり、「マクロンの勝利」と言うより「反ルペンの勝利」であるのは明らかである。
 実際に第2回投票でマクロンに投じた人々の中には、ロスチャイルド銀行出身の彼を「国際金融資本の手先」と断じる人も少なからずいるだけでなく、なによりも第1回投票でのマクロンとルペンの差は、わずかに2.71ポイント (24.01%と21.30%)に過ぎないのだ。アメリカ大統領選挙でトランプと不人気ぶりを競ったヒラリー・クリントンの不評要因のひとつが、国際金融資本の雄ゴールドマン・サックスから巨額の講演料を受け取ったと言うものだったように、ロスチャイルド銀行という文字通りの「世界金融財閥」を出身母体とする政治エリート・マクロンが、新自由主義に批判的な人々に強い警戒感をもって迎えられているのは当然であろう。
 しかも「EUの理想」が色褪せ、その信任が大きく揺らぐ事態を招いたのは、前述のように、ここ20年ほどのグローバリゼーションの進展と軌を一にした金融規制緩和など一連の経済政策がEU域内の経済格差を拡大しただけでなく、共通通貨・ユーロの価値を維持するとして厳しい緊縮財政を加盟各国に強制して景気低迷を長引かせ、さらに高い失業率を改善すると称して「企業による解雇の自由」や「残業手当の減額」といった「構造改革」が推進されてきた結果に他ならない。
 現職のオランド大統領が大統領選挙への出馬断念に追い込まれたのも、結局はこうしたEUの緊縮財政や構造改革に代わる経済対策を提起できず、景気回復と失業率低減という公約を全く達成できなかったからだし、オランド後継として出馬した社会党のブノア・アモン前教育相が第1回投票で9.2%しか獲得できず、左翼党のジャン=リュック・メランション候補の19.58%の後塵を拝して5位に甘んじる惨敗を喫したのも、オランド政権の経済政策に対する大衆的不信を物語って余りある。
 したがって、任期途中で政策上の対立を理由に辞任したとはいえ、オランド政権の経済相を勤め、だからまたEUの緊縮財政を容認し、グローバリゼーションに対応する「構造改革」の推進派でもあったマクロンが、UEへの不信、とりわけ国際金融資本が要求する緊縮財政に対する不満を背景に「反EU」を唱える極右への共感が広がるフランスで、その状況を大きく改善し得ると期待するのは、あまりにも現実的ではない。

▼「国際貿易機関(ITO)」が目指した安定と繁栄

 こうした欧州世界の経済的低迷とEU経済政策の歪みを踏まえるなら、右翼ポピュリズムの台頭が「欧州世界の分裂を促進している」と言うメディアの論調は、まったくの主客転倒であると言わなければならない。
 つまり今、欧米各国の社会を分裂させているのは、国際金融資本が肥え太る一方、労働分配率が低下しつづけることで拡大する経済的格差なのであって、これこそが「社会を分裂させる」物質的基盤に他ならないからだ。右翼ポピュリズムの台頭は、この経済的格差が社会的格差として固定化されつつあることに対する大衆的不満の政治的反映なのであって、右翼ポピュリズム自身が「社会を分裂させている」訳ではないのだ。
 だからまたグローバリズムを批判してきた私たちは、左翼が社会党、右翼が共和党といった、フランス革命に語源をもつ伝統的な対立軸が諸勢力の政治傾向を必ずしも的確に示すものではなくなっている現実をも踏まえて、グローバリズムに対抗する「公正な自由貿易」や「諸国民の平等」等々を達成しうる、新たな国際貿易の枠組みを真剣に構想しなければならない課題に直面しているのだと思う。
 そうだとすれば私たちは、第二次大戦の直後に構想されながらアメリカなど「自由主義」諸国の反対で頓挫した「国際貿易機関(ITO)」を再度検討し直して、その現代的活用を考えてみるのも有益だろうと思われる。

                                             

 1995年にWTO(世界貿易機関)が発足するまで、国際貿易の基本ルールであったGATT(関税と貿易に関する一般協定)は1947年に調印され翌年発効したが、この協定は翌1948年にハバナ会議で採択された「国際貿易機関(ITO)を設立するハバナ憲章」(以下「ハバナ憲章」)に統合されるはずの「暫定協定」であった。
 その「暫定協定」に過ぎない国際貿易のルールが、1948年の世界人権宣言など第二次大戦後の進歩的諸成果を盛り込んだ「ハバナ憲章」が棚上げされたことで、WTOが発足するまでの47年の間「公式の規範」として世界貿易を統制することになったのだが、それはGATTが戦後の進歩的諸成果とは無縁な、工業的先進国が主導する経済的利害の調整に過ぎないルールへと変質する歴史的転換点であった。と同時に「ハバナ憲章」の棚上げは、諸国間の生産性ギャップに配慮した「公正な貿易」規範を求める東側諸国と、資本主義的自由競争を貫こうとする西側諸国との間の「冷戦」を決定的にもした。
 というのも「ハバナ憲章」は冒頭で国連憲章に言及し、完全雇用の実現や福祉の向上などの目標を掲げ、公正な労働規範と賃金の上昇を重視し、国際労働機関(ILO)との協力を加盟国に義務付けるなどしていたからである。
 そして現在の私たちにとって有用と思われるのは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』の著者であるケインズが構想したITOには、国際貿易の決済通貨「バンコール」を発行する国際中央銀行として国際清算同盟(ICU)の設立が盛り込まれたことである。
 トランプ大統領は、アメリカの貿易赤字と中国と日本の貿易黒字を「不公平で不当だ」と攻撃することで「アメリカ第一主義」を正当化するが、ケインズは、
債権国=黒字国も債務国=赤字国も同様に世界経済システムの動揺を引き起こし、世界の安定と繁栄を脅かすという認識に基づいてICU設立を構想したのである。
 その仕組みを簡単に説明すると、ICUが国債決済通貨「バンコール」を発行する中央銀行として、加盟各国に「当座貸越枠」を設定する。市中銀行に個人顧客が当座預金口座を持つのと同じである。そして当座貸越の限度額は「過去5年間の貿易平均額の2分の1」とし、限度額を超えた場合、赤字国は超過分について「金利の支払い」というペナルティーを課せられる。だがケインズの独創性は、このペナルティーを債権国つまり黒字の超過分についても課すことにしたところにある。その上で、赤字国(債務国)は自国平価を切り下げ、つまり輸出品価格を下げて輸出を伸ばすことを義務付けられ、反対に債権国(黒字国)は輸出を抑えるために平価を切り上げて輸出品価格を上げることを義務づけられたのである。しかも債権国が輸出超過を改めない場合は、当座貸越の限度額を超えた分をICUが没収して準備金に組み込み、その資金を「国際警察部隊」や災害時の救助活動など加盟国に有用な活動に充てるというものである。

▼「新自由主義的コンセンサス」を超えて

 「歴史にもしも・・・は無い」とは言うが、あえてもしITOとICUが設立されていれば、今日のように巨額の貿易赤字や黒字をめぐる国家間の摩擦と反目は生じ
なかっただろうし、トランプ大統領や排外主義者の煽動が功を奏することもなかったに違いない。
 さらにハバナ憲章には、外国投資が加盟国の「内政問題に干渉する口実になってはならない」と明記され、最も貧しく力の弱い国々いわゆる「最貧国」には、自国の建設と発展を目的とした介入主義と「保護主義」が認められ、「保護措置の方式による政府補助は正当化される」とも明記されているのだ。
 この条項は、TPP(環太平洋自由貿易協定)でも問題になった「非関税障壁の撤廃」や、輸出国の都合に合わせた輸入国側の法改正や規制緩和の密約など、グローバリズムの下で進展した「際限の無い自由主義」をあらかじめ封じようとしたとも取れる。
 そう!今や最も肝心なことは、右翼ポピュリズムによる「保護主義」の煽動に反対することと、食の安全や「公正な労働規範」といった基本的人権を脅かす規制緩和、あるいは「自国の建設と発展を目的とした」関税政策や輸入規制一般が非難されることは、全く違うということを明確にすることである。
 右翼ポピュリズムの脅威が現実のものであったとしても、ポピュリズムを助長した「際限のない自由主義」が促進した経済的格差などの社会的歪みを正当化していては、この現実の脅威と対峙することはできないからだ。
 「規制秩序に属する人々(エスタブリッシュメント)は、・・・ポピュリズムを悪魔化し、『ファシズム』が回帰する可能性への恐怖を煽り立てさえすれば、新自由主義的コンセンサスに疑いを投げかける政党や運動の成長をおしとどめられるはずと考えているのである」(『月刊世界臨時増刊・トランプショックに揺れる世界』2017年4月1日発行:「ポピュリズムの挑戦」より)。
 私たちは、この「新自由主義的コンセンサス」にはっきりとNO!を唱え、第二次大戦直後には、それこそ「UEの理想」にも影響を与えた「インターナショナル」という「国家間の融和」の思想を今一度見直し、諸国民の安定と繁栄を追求する「自由で公正な国際貿易の規範」を見出すための協働を推し進めなければならないと思うのだ。

【2017年5月26日:きうち・たかし】


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