●イランの「核開発疑惑」と日本外交の混迷

イスラエルの核に目を塞ぐ、アメリカ追従外交の限界

―「NPT見直し会議」と「ブラジル・トルコ提案」の衝撃 ―

(インターナショナル第206号:2012年2月号掲載)


▼イラン制裁めぐる日本と世界のギャップ

 軍事衝突の危機をはらんだペルシャ湾の緊張が急速に高まり始めたのは、昨年末からである。ハワイ州ホノルルに休暇で滞在中だったオバマ大統領が12月31日、アメリカ議会で可決された「2012年会計年度の国防権限法」に署名し、原油の輸入でイラン中央銀行と取引のある諸外国の金融機関をアメリカの金融取引から締め出すという、同法に盛り込まれたイランへの制裁強化策が実行可能になったからである。
 この経済制裁強化策は、「核開発疑惑に関与した団体・個人」との商取引禁止を盛り込んだ国連安保理の制裁決議とは一線を画す強硬なものである。というのもイラン産原油の輸入に関わる決済は通常イラン中央銀行を通じて行われており、これを理由にアメリカでの金融取引を禁止されるということは、今なお世界最大のマネーセンターにして国際取引決済の大半を扱うウオール街から締め出されることで、アメリカ・ドルで決済するあらゆる取引が事実上不可能になるからである。
 要するにアメリカは「イラン原油を取るか、ウオール街を取るか」という最後通牒で世界中の金融機関を脅迫し、イランへの経済的打撃の実効を得ようというのだ。
 だが他方のイランも、強硬であった。翌1月1日にはアメリカの制裁強化に対抗するように、核開発疑惑の焦点である「自前のウラン濃縮技術」で製造した核燃料の性能試験を行ったと発表、つづいて2日には、イラン国営通信がホルムズ海峡周辺で最新の巡航ミサイル「カデル」の試射実験に成功したと報じたのである。と同時イラン政府は、アメリカの制裁強化への対抗策としてホルムズ海峡の封鎖も選択肢であると表明、アメリカに同調しそうなEU、日本、韓国などを強くけん制した。
 こうした一連のペルシャ湾の緊張の高まりと、政府高官を各地に派遣して対イラン制裁強化への同調を要請するアメリカの動きに関して、日本では政府のみならずマスメディアのほとんどが「イランの核開発疑惑」を憂慮すべき事態だと断じ、アメリカの対イラン制裁の強化を肯定的に評価する論調で足並みをそろえ、「北朝鮮の核開発」と同等の脅威であると言った論調までが流布されている。
 だが実際の世界外交の舞台では、イラン制裁に慎重なロシアと中国だけでなく、ブラジルやトルコといった台頭著しい「新興国」も交えたアメリカとの激しい外交的駆け引きが繰り広げられており、「イラン原油の必要」と「アメリカの要請」に挟まれて右往左往する日本外交の体たらくは、「日本とイランの歴史的に良好な関係」といった宣伝を、かえって虚しく響かせるばかりである。
 しかも今回の日本外交の混迷と苦境には、「既視感」がある。1991年の湾岸戦争で中東情勢に関する日本外交の無知と無策が露呈し、結果として日本の中東外交に対する国際的評価が大きく失墜したあの「既視感」である。

▼イスラエルの核保有と中東諸国の核開発疑惑

 世界の外交では常識だが日本では必ずしも常識ではないのが、イランの核開発疑惑問題のもう一人の主役がイスラエルだという事実である。
 核拡散防止条約(NPT)や国際原子力機関(IAEA)など、核兵器の開発や保持を規制・監視する国際条約と機関をまったく無視しつづける核保有国・イスラエルの存在抜きには、中東で、つまりイランだけでなくフセイン体制下のイラクにもかけられた「核開発」の嫌疑の背景を把握することはできない。言い換えれば、イラン制裁に積極的なアメリカやEU諸国と、国連安保理ではこれに反対はしないまでも、一貫してイラン制裁に慎重なロシアや中国の対イラン外交の本音や思惑は、到底理解はできないのだ。
 こうした観点からすると、今では「公然の秘密」であるイスラエルの核保有を野放しにしたままで、イスラエルと対立する中東諸国の「核開発疑惑」に懸念を表明してアメリカの対応を無条件で支持する日本の政府とマスメディアの反応とは、すでに十分に「バランスを欠いた中東情勢認識」を前提にした日本外交の根本的な欠陥を自己暴露しているのであって、「石油にしか感心のない日本」とアラブ諸国に見なされて侮られる、決定的要因に他ならないと言っていいだろう。
 実際に、「イランの核開発疑惑」への対応で最も強硬な姿勢を貫いているのは、ほかならぬイスラエルである。だが「イランの核開発疑惑」に関わるマスメディアの論調には、こうした視点からの記事や論評が皆無なのだ。
 しかしながらイスラエルのネタニヤフ首相は1月24日、27日の「国際ホロコースト記念日」を前に議会で演説し、前日23日にEUの外相理事会がイラン産原油を7月1日から全面禁輸すると決定したことを歓迎しつつも、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を教訓に、自国防衛のためには単独行動も辞さないとの考えを示し、自らの運命を人の手に委ねるべきではないと強調したのだが、このネタニヤフ演説は、オバマ政権とEU主要国の首脳、とりわけドイツとフランスに対する隠然たる脅迫だと、世界の外交筋には受け取られているのである。
 というのもイスラエルは、過去にヨルダン領空つまり他国領空を侵犯してフセイン体制下のイラクの原子力発電所を爆撃機で急襲した「前科」があるが、それと同様のイラン核施設に対する空爆という軍事行動を示唆することで、イスラエルによるイラン空爆を望まないのであれば、つまり中東の新たな戦争が原油価格を急騰させ、窮地にある世界経済に追い討ちをかけるような事態を回避したいのであれば、イランに対する政治的経済的圧力をもっと強め、「ホロコーストの被害者・イスラエルの安全を保障するべきだ」というのが、ネタニヤフの本音と見なされているからである。
 これが、「イランの核開発疑惑」をめぐる国際外交の舞台で繰り広げられる政治的駆け引きの前提となる、世界の外交的「常識」である。
 その上でだが、この「ネタニヤフの本音」には明らかな焦燥がある。イランの「核開発疑惑」を非難してイラン産原油の不買運動に乗り出したアメリカとEU諸国に対する「隠然たる脅迫」は、イスラエルの強い不満の表明に他ならないからだ。ではイスラエルが焦燥感を抱くアメリカとEUに対する不満とはなんだろうか。
 イラン制裁の最強硬派がイスラエルであるという「世界の常識」を前提にすれば簡単に判ることだが、EUが決めたイラン産原油の全面禁輸はなんと半年も先のことだし、実はアメリカの制裁強化策にもさまざまな特例、つまりイラン産原油の全面禁輸にまでは踏み込めない国にも金融制裁を課さないなどの抜け穴があるのがその理由である。前者は、EUによる単なる「時間稼ぎ」と見なされて不思議はないし、後者は韓国や日本など、アメリカにとって重要な同盟国の原油調達に配慮しての処置だが、イスラエルから見ればそれはイランを利する「利敵行為」に等しいであろう。
 そう!最も強固な同盟関係と見なされているアメリカとイスラエルの間でさえ、対イラン経済制裁をめぐっては、厳しい政治的駆け引きが行われているのだ。

▼NPT見直し会議の「最終文書」

 改めて言うまでもないだろうが、「イスラエルだけ」がNPTやIAEAなど、核兵器の開発や保持を規制・監視する国際条約と機関を無視しつづけ、かたやイスラエルの核兵器に脅威を覚える周辺の中東諸国には「一方的に」核開発の嫌疑が懸けられて繰り返し経済制裁を課される事態は、歴代アメリカ政府の歴史的なイスラエル擁護政策によって作り出された恣意的な構図に他ならない。
 そうした歴史的事実は、1987年に機密が解除されて公表されたアメリカ会計検査院(GAO)の報告書で、すでに確認されていることでもある。公表されたGAO報告書では、アメリカ政府は1957年からの10年間に22トンものウラン235をイスラエルに与えて核兵器開発を支援した事実が明らかにされており、1957年にはイスラエルで最初の核実験が行われてもいるからである。
 しかしそれ以降、イスラエルの歴代政府は核保有を否定も肯定もしない姿勢を固持し、だからまたNPTにも加盟せずIAEAの査察も受け入れない政策を貫いているのだが、こんな特別扱いが許されてきたのも、アメリカとヨーロッパ諸国がイスラエルの姿勢を支持しつづけてきたからに他ならない。アラブ諸国が繰り返し批判する欧米諸国のダブルスタンダード(二重基準)の原型が、ここにあるのだ。
 だがようやく、こうしたダブルスタンダードが崩れつつある。その歴史的転機を象徴するのが、一昨年の5月に国連本部で開催された「NPT見直し会議」で採択された「最終文書(final document)」であろう。
 「NPT見直し会議」は5年に一度、NPT加盟国が一同に会して条約内容を見直す国際会議で、もちろんアメリカも参加していた。その会議で採択された最終文書にインドとパキスタンそして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と並んで、イスラエルに対してNPTへの加盟とIAEAの査察を受け入れるように求める項目が盛り込まれたのである。しかもこの文書には、「核開発疑惑」で国連安保理決議に基づく制裁を受けているイランについては、まったく何の言及もされていないのである。
 つまり一昨年5月にNPT加盟国が共有した認識は、北朝鮮と並ぶ「核の脅威」はイランではなくイスラエルなのであって、それを払拭するにはイスラエルが自らNPTに加盟しIAEIの査察を受け入れるべきであり、それが欧米諸国が掲げる「中東非核化」を実現する前提であるというものだったのだ。蛇足ながら付け加えれば、イランは今回もIAEAの査察の受け入れを表明、1月29日にはIAEAのナカーツ事務次長が率いる調査団がテヘランに到着し、核施設査察の準備を進めている。
 だがもちろん、イスラエルを非難する項目を盛り込むことに対するアメリカをはじめとする欧米諸国の抵抗は強く、その採択を要求するアラブ諸国との対立は最後まで予断を許さないものだったが、結局アメリカもアラブ諸国の要求を受け入れて「最終文書」は採択されたのであった。
 もっともオバマ大統領は、直後に「イスラエルを名指しで非難する最終文書に強く反対する。イスラエルの国家的安全を脅かす動きには、強く反対する」との声明を発表してイスラエルの苛立ちをなだめるのに躍起だったが、世界の非核化を訴えた【オスロ演説】でノーベル平和賞を受賞してしまった為に、オバマはこの最終文書を潰せなかったのだろうと揶揄される始末であった。
 しかしご承知のように、わが日本政府と日本の主要なマスメディアは、「中東の非核化」という、日本外交にとっても大きな意義をもつテーマが焦点となった国際会議が、イスラエルの「隠れた核保有」を公然と批判する画期的な内容の文書を採択したことを文字通り平然と黙殺したのであった。

▼ブラジルとトルコの画期的な仲介案

 日本のアメリカ追従外交の驚くべき頑迷さは、沖縄の普天間基地移設問題での「日米安保マフィア」の激しい抵抗と、手段を選ばぬインフォーマル・キャンペーンで思い知らされた現実ではあるのだが、文字通りの意味で「歴史的な転機」と言うべきNPT見直し会議の動向さえ黙殺するに至っては、外務相の親米派とこれに追従するマスメディアの幹部連は、「国益を損なう不逞の輩」との謗りを受けても不思議ではない。
 あるいは、こうした中東をめぐる歴史的転機の到来という事実を覆い隠すために、普天間基地移設問題を事のほか大げさに取り上げ、当時の鳩山首相の迷走を逐一追いかけ回し、日米同盟の動揺やら日中関係の緊張やらをフレームアップしていたのではないかと疑いたくなるほどである。
 というのは一昨年つまり2010年の5月には、NPT見直し会議と並行して、ブラジルとトルコの2カ国がイランの「核開発疑惑」の外交的解決に肉薄する画期的提案を行い、アメリカとイスラエルが窮地に追い込まれていたからである。
 具体的には、イランが国外への持ち出しを拒んでいた原子力発電の使用済み核燃料(濃度3・5%程度の低濃度ウラン)を一旦トルコに運び出し、代わりに医療用原子炉の燃料(濃度20%程度)をイランに運び込むという仲介案でイランを説得するのに成功し、一旦はアメリカもこれを検討せざるを得ない事態になった事である。
 この仲介案が画期的だったのは、イランの低濃度ウランをロシアで濃縮してフランスで核燃料棒に加工するというほぼ同じ提案が09年10月、つまりブラジル・トルコ両国の提案の7ヶ月前にアメリカ、ロシア、フランスなどによって「IAEA提案」としてイランに伝えられたものの、120sの濃縮ウラン燃料を先に引き渡すべきだとするイランと、イランが保有する1200sの低濃度ウランの運び出しが先だとする欧米諸国が対立し、交渉が頓挫した経緯があったからである。つまりブラジル・トルコの新たな提案は、北大西洋条約機構の加盟国でありイスラーム圏にも大きな存在感をもつトルコが、同じく国連安保理の非常任理事国であるブラジルと共同で、イランと欧米諸国のジレンマを解く提案を行ったという点で画期的だったのである。
 ところがアメリカのオバマ政権は、ブラジル・トルコ両国の提案が公表された5月17日の翌18日、イランに対する新たな制裁決議でロシア、中国と合意した発表して対イラン制裁強化の意向を改めて明確にし、同月28日には米政府高官が匿名の電話記者会見で、ブラジル・トルコ提案には「必要なことが欠落している」とこれを受け入れない意向を示し、「根本的な問題は、イランがウランの濃縮を継続していることだ」とし、同案は濃度20%までのウラン濃縮を容認していると述べたのである。
 国際政治と経済の両面で台頭著しいブラジルとトルコだが、これまでの中東外交の枠組で言えば「新しいプレーヤー」である。だからまた両国に対して中東外交の古くからのプレーヤーであるロシアや中国の助言があったとも言われるが、少なくともイスラエルの擁護に偏重したアメリカの中東政策に転換を迫る具体的な提案がなされた事実は、この時期に並行して開催されていたNPT見直し会議に、強い政治的インパクトを与えたであろうことは容易に想像できる。
 その意味では5月28日の米政府高官の匿名記者会見は、同じ日に採択されたNPT見直し会議の「最終文書」の衝撃を多少とも緩和しようとオバマ政権が行った、文字通り苦肉の、だが惨めなパフォーマンスだったのかもしれない。
 と言うのは、自らも加わった「IAEA提案」が、ブラジルとトルコという思いもかけない新興国の参戦で実現しそうになったときにオバマ政権の安全保障担当者の脳裏をよぎったのは、イスラエルの軍事行動が呼び起こす中東の新しい戦争であり、米軍が撤退したばかりのイラクを巻き込む新たな動乱の広がりであり、これを契機に急騰するだろう原油価格がEUと世界に与える経済的打撃だったという想像は、それほど的外れだとは思えないからである。そうした「国際的惨劇」を阻止するには、イスラエルのネタニヤフ政権を押さえ込む「イラン制裁の強化」以外に道はない!
 国連安保理の新たなイラン制裁決議に合意したロシアと中国の本音も、アメリカの安全保障担当者とほぼ同じ想定に基づいていた可能性がある。ただし両国の思惑は、安保理決議を「実効性の乏しい内容」へと後退させるかにあるが・・・・。
 だがもしそうだとすれば、核保有国・イスラエルをめぐる構造的矛盾は一段と深まり、中東情勢の不安定化はじりじり進行するという事態が持続するだけである。そしてその矛盾は、新しい惨劇を生むマグマの圧力を高めつづけるだけである。

 以上述べてきたような世界外交の「常識的認識」は、もちろん日本政府や外務省が公然と表明すべきような内容ではない。こんなことを公式に表明すれば、それこそアメリカの議会と政府に対する激しいロビー活動が「イスラエルの代理人」によって展開され、思わぬ圧力に直面させられることにもなりかねない。
 だがそうであればこそ、世界中の報道に通じているはずのマスメディアは、「国際的常識」を広く人々に伝える仕事を担うべきではないだろうか。よしんばそれが気の小さい、いかなる波乱要因をも排除したい国家官僚たちのお気に召さない事実だったとしてもである。なぜならそうした複眼的で多角的な認識や評価を持つこと無しには、「生き馬の目を抜く」とまで例えられる国際外交の舞台で、「侮られることのない日本外交」は実現されるはずもないからである。
 まだしばらくは中東の原油に依存せざるを得ない日本にとって、アラブの産油国諸国との良好な関係をいかに維持するかは、依然として「死活問題」であろう。ところがその中東ではアメリカの威信が政治的にも軍事的にも後退し、アメリカと同調してさえいれば原油に関する権益が防衛できる事態は、すでに遠い過去となった。
 つまり日本外交は、アメリカの威信が衰退した中東の新しい現実に対応して、「自らの権益を守る」戦略的展望を見い出す必要に迫られているのである。その意味で今日の日本外交は、アメリカに追従して「イラン悪玉論」に寄りかかっている余裕など、すでにないはずなのだ。

(2/3:きうち・たかし)


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