【世界同時株安と円高】

新たな債務危機を呼び起こした金融危機克服の財政・金融政策

―日米の経済不均衡と円安誘導の限界―

(インターナショナル第202号:2011年8月号掲載)


▼欧州とアメリカの債務危機

 8月の下旬になって小康状態を保っているとはいえ、2008年のリーマンショック再来の悪夢が、世界の金融市場を徘徊している。アメリア発の世界同時株安と「機軸通貨・ドル」のとめどない下落である。
 世界同時株安のそもそもの震源は、財政危機に陥ったギリシャ支援をめぐるEU諸国の協議が難航、そうしているあいだに「スペインやイタリヤにも信用不安がひろがるのではないか」との懸念が広がったことである。昨年5月、ギリシャ政府が財政危機に陥ったときも、EU諸国政府関係者は「ギリシャのGDPがユーロ圏に占める割合は3%足らずで、全体への影響は軽微」と繰り返したが、ユーロ圏GDPの10%を占めるイタリヤやスペインに信用不安が広がれば、そんな楽観論はひとたまりもない。
 この欧州の政治と経済の混迷と並行して、アメリカでは債務残高の上限引き上げ法案が野党・共和党の激しい抵抗で迷走、アメリカ国債のディフォルト(債務不履行)の不安が、公認格付け機関(NRSRO)=いわゆる格付け会社による「アメリカ国債の格付け引き下げ」への言及も相まって、市場の不安を増幅した。
 こうした状況を背景にして、7月11日のニューヨーク株式市場ではダウ平均が一時170ドル超の大きな下げ幅を記録、翌12日のロンドンでは為替市場でのユーロの急落をきっかけに円高と株安が進み、円は対ドルレートで79円18銭と4ヶ月ぶりの高値をつけ、東京株式市場の日経平均も1万円を割り込むなど株安と円高が進展した。
 これに、アメリカ国債のディフォルト不安が追い討ちをかける。「ティーパーティー(茶会)」と呼ばれる議会共和党の4分の1を占める最強硬派は、ディフォルトの可能性そのものを真向から否定して一切の増税案に反対、債務残高上限の引き上げ期限である8月2日にむけ、オバマ政権のみならず共和党指導部との〃チキンゲーム=肝だめし〃のような駆け引きに奔走し、金融市場の緊張をいやがうえにも高めたのである。
 攻防の焦点は、「金持ち優遇」と言われたブッシュ減税の行方であった。ティーパーティー派の「あらゆる増税に反対」は、「ブッシュ減税の廃止」にも反対することだったからである。だが実はブッシュ減税こそが、政府の借金を着々と増やしてきたのだ。
 00年に3兆4000億ドルだったアメリカ政府の借金は、今では11兆ドルに膨れ上がっているが、それは税収の落ち込みによって膨れ上がったと言って過言ではない。例えば最後にアメリカ政府の財政が均衡した01年には、政府にはざっとGDPの19%の税収があったが、同年にブッシュ減税が実施されると収入と歳出の乖離は一気に拡大した。支出はGDPの25%に急増し、税収は15%に激減したのである。それは第二次大戦後で最低の税収水準だったが、こうしてアメリカ政府は3兆ドル、09年の景気対策の実に3倍規模の税収を失い、さらにこのままブッシュ減税が延長されれば、次の10年間でさらに5兆4000億ドルの税収が失われると言われている。結果として、ブッシュが大統領に就任した01年にはGDPの32%だった政府債務は今ではGDP比72%にまでになり、それが債務残高上限の引き上げをオバマ政権に強いることにもなったのである。
 それでもオバマ政権は議会共和党との妥協を求めて2・4兆ドルの歳出削減を受け入れたほかに、ブッシュ減税の廃止を「年収25万ドル以上」の世帯に限定せざるを得なかったのである。オバマはまたしても、ルーズベルト大統領が経済格差を縮めるために断行した「大圧縮」(富裕層への大幅増税政策:09年4月号:No186参照)のイニシアチブをとる事はできなかったが、現在の膨大な政府債務を減らすには、歳出の削減以上に税収を引き上げる「富裕層への増税」こそが有効であることは、いまや富裕層にとっても明白である。
 アメリカの投資家にして大富豪であるウオーレン・バフェット氏は、「私のような億万長者にもっと増税すべきだ」とニューヨークタイムズ紙に寄稿しているほどだ。
 ところでこの〃チキンゲーム〃に幕が下りたのは、7月31日の夜つまり日曜日の午後8時過ぎである。議会の採決日程などを考えれば、これは文字通りタイムリミット寸前の合意であった。しかしだからまた「世界同時株安」という本当の恐怖は、「公認格付け機関(NRSRO)」によるアメリカ国債格付けの引き下げの動向を含めて、週明けの株式市場に姿を現すことになった。

▼世界同時株安と長期金利の低下

 ディフォルト期限当日である8月2日火曜日の午後、議会の上下両院を通過した債務上限を引き上げる法案にオバマ大統領が署名し、同法は成立した。
 これを受けてムーディーズ・インベスターズ・サービスとフィッチ・レーティングスの大手格付け会社2社は、アメリカ国債の最上位格付け(AAA=トリプルエー)を当面維持する考えを表明したが、当日のニューヨーク株式市場は、ダウ平均株価が265・87ドル安という4ヵ月半ぶりの安値で取引を終え8営業日連続の下落を記録、翌3日の東京株式市場の株価急落へと波及したのである。
 結局この「アメリカ発の株安連鎖」は翌4日になるとロンドン、フランクフルトなど欧州の株式市場の3・4%の下落、さらにニューヨーク株式市場では10営業日連続となる512ドルの大幅な下落へとつづくことになった。
 そして翌5日には、「米政府が債務を4兆ドル削減できれば、最上位格付けを維持する」としていたもうひとつの格付け会社大手スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)がアメリカ国債格付けの一段引き下げを表明し、欧州の債務危機が、戦後最上位格付けを維持しつづけたアメリカ国債に始めて「信用不安」を突きつけたのである。
 だがここからは、08年のリーマンショックとは明らかに違っていた。というのも、最上位格付けから転落したアメリカ国債が売られて値下がりし、それに伴って金利が上昇するという相場の変動は、現実とはならなかったからである。
 現にS&Pの態度がまだ不明だった4日のニューヨーク債権市場では、10年物アメリカ国債の利回りは前日比0・21%低い2・40%と10ヶ月ぶりの低水準となり、東京債権市場でも長期金利が2日連続で1%の大台を下回り、さらには主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁が緊急電話会議を開き、「市場安定化を目指す共同声明」を出したのをあざ笑うかのように株安・ドル安=円高が一段とすすんだ8日には、10年物アメリカ国債の利回りは、前週末(5日)比で0・21%低い2・35%まで低下、アメリカ国債価格の値上がりがつづいたのである。
 あえて言えばこの事態は、格付け会社のリスク評価が投資家にとって以前ほどは決定的ではなくなったことを示唆するが、同時に格付け会社は、自ら入手したデータに基づく分析に忠実であることで、リーマンショックで失った信用を回復しようと懸命にならざるを得なくなっているとも言えよう。
 ところでアメリカ国債の値上がりは、アメリカ国債のディフォルトの可能性を全面否定した共和党強硬派の主張が正しかったかのような様相を呈する。だが今回の株安は、FRBの量的緩和第2弾(QE2)が6000億ドル相当のアメリカ国債を購入したことで生じたミニバブルが、アメリカ経済回復の弱々しい指標や欧州のソブリン危機で冷水を浴びせられ、それで増幅された不安心理が「QE2」の効果に疑問を抱き始め、ハイリスクになり始めていた株式市場から、国債や円などの「安全資産」に急速に資金シフトを切り替えたのが実態ではないだろうが。あるいはハイリスク投資を旨とするヘッジファンドに、不安に駆られた投資家の解約要請が殺到、その資金確保のために、ヘッジファンドが手持ちの株式を大急ぎで売りさばいた可能性も十分にある。
 と言うことは、今回の世界同時株安の連鎖は、QE2に象徴されるリーマンショック以降の金融危機を抑止しようとした金融緩和や財政出動が、結局はめぐりめぐって欧米の債務危機として跳ね返り、それがFRBによる国債買い支えで生じたミニバブルの虚構を吹き飛ばしたと言うことだろう。リーマンショックによる金融危機の抑止を目指した金融と財政の政策が、新たな危機を準備したのである。
 いずれにせよ、金融グローバリゼーションの展開過程で猛威を振るった格付け会社の「格付け引き下げ」にもかかわらず、株安連鎖から逃げ出した巨額の余剰資金が、結局は「安全資産」と言われる債権へ、中でも最上位から転落したとは言え世界最大にして最強の経済大国たるアメリカ政府発行の国債へと向かい、あるいは経常収支が黒字で世界最大の純債権国である日本の「円」や、同様に純債権国で今日なお世界の金融資産の最も安全な保管先と見なされているスイスの「フラン」へと流れ込み、ついには「金」という最も一般的な貴金属資産の価格を異常な高みへと押し上げた現実は、ある意味ではリーマンショック以降の金融市場の傷みがなお回復途上にあって、より高いリスクの投資に踏み出すには、つまり新しいバブル景気を創造するにはなお力不足だったからだったと言う方が、金融市場の実情に近いのかもしれない。

▼「円高恐怖症」と無益な為替介入

 ところで世界同時株安の期間中、日本のマスコミやエコノミストの関心の的は、世界同時株安と共に進展した「円高」であり、それは輸出が主導する日本の景気回復に「悪影響」がでることを懸念する論調に満ち溢れていた。
 だが以上見てきたように、世界経済が直面した「危機」は国家財政の破綻つまり政府の借金である国債がディフォルト=債務不履行に陥るのではないかという市場の不安心理が、ついにアメリカ国債にまで派及したということであり、それが世界中の金融市場をパニックに陥れ、金融恐慌の引き金になりかねないという現実であった。
 そしてこの場合の円の高値は、最上位格付けからの転落にもかかわらず価格が下落しなかったアメリカ国債と同様に、円が日本経済のファンダメンタルズ(実態)を反映する「安全資産」と見なされているという事実を意味するだけである。その意味で政府と日銀による巨額(過去最大の4兆円超)の、だが相も変らぬドル買い・円安誘導の為替介入は、為替相場の乱高下が引き起こす「経済的混乱への警鐘と激変緩和措置」以上の意味をもつことはできないし、いずれにしろ円高の流れを変えることは不可能である。
 つまり史上最悪の経常収支の赤字がつづき、世界最大の純債務国となって久しいアメリカのミラーイメージ(鏡像)が日本経済なのであり、そうした日本経済の実態と、ドルとユーロの次に取引量が多い通貨という安定感が、下落する株式市場から逃げ出した余剰資金を「円買い」に向かわせている以上、経常収支の黒字と対外純資産を減らす以外には「円高」を是正する方法はないのだ。
 そしてその核心問題が、文字通りの意味でミラーイメージの「日米間の不均衡」なのである。日本の対外純資産は2010年末で251兆4950億円で、毎年経常黒字を積み上げ、世界最大の純債権国の座を20年間保ちつづけている。円高で09年末より15兆円近く減ってなお、2位中国の純資産と100兆円もの差があるのだ。一方のアメリカは、09年末時点で252兆円の対外債務を抱える史上最悪の純債務国であり、いまも経常収支の赤字がつづいている。こうした両国通貨の金利差が小さくなれば、つまりドルの金利がリーマンショック以降の金融緩和で事実上のゼロ金利となって円と肩を並べれば、債務国の通貨が債権国の通貨に対して「安く(弱く)」なるのは不可避である。
 だが90年代後半以降の日本は、基幹産業と呼ばれる自動車や家電を中心に「アメリカ市場に輸出して稼ぐ」政策に固執しつづけてきた。結果として、「経常黒字の拡大という政策が成功すると円高になるが、それを嫌ってドルを円に換えて回収せず、アメリカにドルで貸したままにすれば、購買力がアメリカに移転して(日本では)流動性不足が生じて国内の投資・消費を減少させるので、所得と消費の減退に陥りデフレ・低成長になる」とエコノミストの三國陽夫氏が批判する(週刊東洋経済8/13-20合併号)ように、日米両国の不均衡を放置したままで、日本とアメリカは金融緩和に依存したバブル景気を繰り返すことで破綻を先延ばしにしてきたと言えるだろう。
 結局のところ日本の経済は、「構造改革」の大騒ぎにもかかわらず自動車や電子機器・部品を含む家電の輸出で稼ぐ「輸出立国」の思考から脱却できないまま、アメリカの金融バブルに依存した過剰消費経済に追従する安易な道を選択し、対外購買力が増加する自国通貨の高値を輸出企業と無関係な人々までが忌み嫌う、「円高恐怖症」とでも呼ぶべき歪んだ経済構造を引きずりつづけていると言わなければならない。
 そして今回のように、欧米を震源として金融市場に不安が広がり、安全資産「円」への資金シフトが強まって「円高」になると、「モノづくり」を標榜する大企業が、「産業空洞化による雇用の減少」を脅迫材料に円高恐怖症を声高に扇動するのである。
 だがこれは、すでに底の割れた「空騒ぎ」である。この「空騒ぎ」に終止符を打ち、経常黒字と対外資産をドルの機軸通貨体制の維持に流し込みつづける馬鹿げた政策を転換し、国内やアジアで新しい雇用を生み出す、次世代の技術や産業にその資金を投じるときがきているのではないだろうか。
 現に、自動車や家電の雇用吸収力は90年代後半から大きく減退し、非正規雇用は全就労人口の4割に達し、「大企業の男性の正規雇用」はすでに少数派である。その意味でも、輸出企業の利益しか考えない「円安願望」は、すでに非現実的なのだ。

 (9月4日:きうち・たかし)


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