【岡田外相のアフガン訪問】


「米国追従」の日本外交は新たな一歩を踏み出せるか

−政策理念と支援の目的をこそ論じよう−

(インターナショナル第191号:2009年10月号掲載)


▼外相アフガン訪問の意義

 10月11日、就任からひと月たらずの岡田外相が、大統領選後の混乱と治安悪化が報じられるアフガニスタンを訪問した。
 カルザイ大統領と会談した岡田外相は「今日は自分の目でアフガンの現状を見たいと思った。日本がなぜアフガンを支援する必要があるのかを(国民に)理解してもらいたい」と述べたが、9月の就任直後から、外務省幹部にアフガン訪問の検討を指示た岡田外相には、アフガン現地を自ら視察し、その実情に即した支援策を打ち出したいとの強い意欲があったと言われる。
 「紛争地域への支援」と言えば、現地政府よりも欧米諸国、とりわけアメリカ政府の意向と要請に沿って支援策を考えるのを常とした自民党外交と比較すれば、9月末にはニューヨークで、アメリカ、イギリス、パキスタン、アフガンなどの外相と会談してアフガン支援を協議した岡田外相が、改めて自ら現地を視察し、その上で新たな支援策の実効性を確認しようとしたのは、大きな転換の試みと言うことができる。
 もちろん、海上自衛隊(海自)による給油活動を「単純に延長はしない」としてきた民主党は、鳩山政権の発足によって新たなアフガン支援策の早期策定が最重要課題の一つになったという事情はあるが、岡田外相のアフガン訪問は、少しおおげさに言えば、戦後日本の外交が、はじめて自らの判断で支援を行おうとする試みだからである。
 しかしだからこそ岡田の前には、大統領選後の混乱や治安の悪化というアフガン現地の厳しい情勢と、「一国的平和」に慣れ切った日本的常識=「犠牲者を出さない支援」が、厚い壁として立ちはだかる。
 明らかなことは、海自によるインド洋での給油活動が、アフガンの治安悪化をくい止めるためにはほとんど何の「貢献」もできなかったという現実である。と同時に、自民党政権の閣僚や御用学者たちが、「犠牲者を出さない支援」としては「安全な給油活動」以外の選択肢がないかのように強弁し、「治安回復にとって効果的な支援」を考えようともしないことで、結局のところ「持てる力を限定的にしか行使しない日本」(本紙149号『経済援助という国際貢献の道』を参照)という日本外交への国際的批判を、なお顧みよともしないことであった。
 しかも、こうしたアフガン支援の目的や効果を公然と検証しようとする試みは、あらゆるマスメディアを含めてほとんど皆無であるばかりか、多くの論調は鳩山政権の「民生支援」の困難さを強調するばかりで、支援の中心を「軍事から民生へ」と転換する意義やその政治理念の是非を問うともしない。それは戦後長きにわたって、「親米外交を外交戦略の代替品」にしてきた歴史を対象化し、今後の日本外交を公然と論議する好機を自ら閉ざすかのようである。
 日本政府の外相自身が、「戦後日本政治の常識」を破ってアフガン現地を訪れたのだとすれば、今日のアフガンの実情を検証し、民生支援への転換の意義とそのための効果的な方策こそが議論されるべきだと、わたしには思えるのだ。

▼アフガン情勢−軍事的抑止の限界

 まずは、治安が悪化しつづけているアフガンの現状を見ておこう。
 この数カ月間、アフガン情勢の最大の焦点は、8月20日に投票が行われた大統領選挙をめぐって、選挙そのものを認めないタリバーンと、選挙が実施できる治安を維持しようとするISAF(国際治安支援部隊)およびアフガン治安部隊との攻防にあった。
 たしかに不正選挙の告発で、9月中旬の集計結果発表が大幅に遅れ、選挙の正統性も揺らいでいるが、それは結局「利権をめぐる権力内部の抗争」であり、治安悪化の大きな要因のひとつが、利権まみれの旧軍閥が牛耳るアフガン政府の腐敗にあると言う現実を見せつけることで、タリバーン台頭の要因のひとつを露にした過ぎない。
 そのタリバーンによる選挙妨害は、多数の治安部隊が展開する首都・カブールでは投票に影響はなかったが、タリバーン勢力の強い南部カンダハル州では投票所周辺に少なくとも13発のロケット弾が打ち込まれ、うち1発は民家に命中して7から12歳の子ども7人が死亡、同じく南部ヘルマンド州でもロケット弾で男性1人が死亡し、投票所に並んでいた人々は逃げ帰ったという。また中部ガズニ州では投票前日の夜、「投票に行かず家にいろ。さもなければ殺す」と書かれた脅迫文がモスクや民家の壁に大量に貼られ、多くの人々が投票を断念した(8/21:朝日)。
 こうした「棄権」がどの程度あったかは定かではないが、少なくともタリバーンの勢力が強い南部諸州を中心に、かなりの人々が投票断念に追い込まれたのは確かであり、選挙妨害はそれなりに効奏したのだ。つまり大統領選挙をめぐる攻防を通じて明らかになったことは、約10万人のISAF駐留軍では、タリバーンの攻勢を軍事的に抑止するのは不可能だということであった。
 この事態は、イラクからの撤退を進める一方、アフガンに2万1千人規模の米軍を増派して治安回復を図ろうするオバマ政権の政策にも影を落とし始めた。
 アフガン大統領選直後の8月23日、米軍のマレン統合参謀本部議長は、アフガン情勢について「深刻で、しかも悪化している」と懸念を表明、米軍増派について「駐留米軍のマクリスタル司令官が今後2週間以内に提出する予定の評価報告を受けて、検討する」と述べ、一説では4万人規模とも言われる増派兵力の上積みの可能性を示唆した(8/24:朝日)からである。
 実際にアフガンでは、今年8月中旬までの駐留軍兵士の死者が295人に達し、01年のアフガン戦争以降最多だった昨年1年間の死者数(294人)を上回ったが、それ以上に深刻なのはテロや戦闘に巻き込まれた犠牲者の急増であり、とくにISAFつまり「外国軍」の誤爆による民間被害の急増である。
 国連のまとめによれば、テロや誤爆による民間人の犠牲者は、今年上半期は1013人と昨年同期より195人(24%)も増加し、このうち誤射や誤爆による死者は310人と30%を超えている(8/14:朝日)。
 こうしたアフガンの治安悪化は、いわゆる「民生支援」にとって、だからまた鳩山政権と岡田外交にとっても、重大な障害になると思われる。自民党政権も、学校建設や道路整備などインフラ関連を中心に「民生支援」を行ってきたが、その実働部隊である国際協力機構(JICA)がアフガンに派遣している約70人の職員と専門家たちも、その9割は強力な治安部隊が展開する首都・カブールに駐在し、活動範囲が極めて限定されている現実がそれを物語っている。
 と言うことは、鳩山政権の「民生支援」も治安悪化の壁に阻まれ、十分な効果を発揮できない可能性は、確かにある。さらに鳩山政権が民生支援の柱と考えているプログラム=タリバーンの元兵士を対象に、生活費を支給して職業訓練を行い社会復帰を促す=は、国内産業が壊滅状態にあるアフガンの現状を考えると、その効果には疑問符がつく。現にアフガン政府が05年から実施してきた同様の職業訓練プログラムは、近年のタリバーンの攻勢と治安悪化に対して効果的だったとは言えないからである。
 こうした意味では、日本のマスメディアが指摘する民生支援の困難さは事実ではあるのだが、「治安回復にとって効果的な支援」を考えるには、「なぜ今、タリバーンが台頭するのか」という、治安悪化の背景を見ておく必要があろう。

▼誤爆被害と「新しいタリバーン」

 01年12月、多国籍軍の侵攻でタリバーン政権が崩壊して以降、カンダハルなど南部の数州を除けば、その勢力は取るに足らないまでに衰退した。旧政権最大の基盤だったパシュトゥン族の大半も、04年の大統領選挙では同族のカルザイ氏を大統領に押し上げて新たな国家建設が始まった、はずだった。
 だが最近のタリバーンの活動範囲は、全国34州のうち、比較的安定していた北部の州も含め、少なくとも25州に広がっていると言われ、その中心勢力は、旧タリバーンとは直接関係を持たない「新しいタリバーン」と呼ばれている。「新しいタリバーン」の多くは空爆の被害者で、「本当のタリバーン」とは連携してもいなければ、その指令で行動している訳でもないという。
 オバマ政権でパキスタン・アフガニスタン問題を担当するリチャード・ホルブルック特別代表は今年4月、東京都内で行われた会見で、タリバーンを3種類に分類してることを明らかにした。
 @イスラム原理主義の徹底をめざす少数の中核メンバー、A戦闘などで家族を殺され、政府の腐敗や貧困に憤り、タリバーンを支持するようになった住民、Bタリバーンが政府軍を上回る賃金を払うので、出稼ぎとして参加した雇い兵の3種類で、半数以上はBの雇われ兵だというが彼の、つまりオバマ政権のタリバーン分析である。
 岡田外相と会談したカルザイ大統領が、元タリバーン兵士への職業訓練プログラムへの意見を求められ、「イデオロギーに関係なく(タリバーンに)加わっている人たちとの和解は十分可能だ。職業訓練は、生活のすべてを与えることになり、重要だ」と答えた(10/12:朝日)のは、この分析をアフガン政府も共有していることを物語る。
 しかしアジアプレス・メンバーである白川徹氏の現地レポート(=『月刊世界』9月号掲載の「アフガン人は何に怒り、何を求めているのか」)では、こうした分析を真っ向から否定する、旧タリバーン政権「外務省」のトップだったワキル・アフマド・ムトワキル氏のインタビューが紹介されている。「ムトワキル氏は、現在、外国人がアクセスできるなかで最もタリバンをよく知る人物」というのが、白川氏の評価である。
 ムトワキル氏は、アラビア語で「学生」の意味しかなかったタリバーンは、今や「アフガニスタンの自由と独立のために戦う者」に変わったのだと述べ、オバマ政権の「穏健派タリバーンとの対話」というアフガン政策についても、「戦わないタリバンと交渉してもしょうがない。彼らはタリバンではないのだから」と、にべもない。
 トムワキル氏の見解は、前述した誤爆や誤射による民間人の被害の拡大、とくに大統領選挙を控えた今年前半、治安回復を意図したISAFのタリバーン掃討作戦の強化が、誤爆被害を急増させたと言われる事態を根拠にしている。つまり「外国兵による〃アフガン人〃の殺害」が、これに復讐を誓う「新しいタリバーン」志願者の増加を助長し、治安悪化に拍車をかける悪循環を引き起こしていると言うことである。
 9月4日、タリバーンに奪取されたISAFのタンクローリー車を米軍機が爆撃し、付近の住民ら90人近くが死亡した事件は、こうした事態の象徴であろう。空爆されたタンクローリーの周辺に集まっていた住民らは、タリバーンに銃で脅され、タンクローリーから抜き取った燃料を住民に配る列に並ばせられたと証言するが、ISAFは「被害者の大半はタリバーンの支持者だ」と、強硬姿勢を崩さない。だが今年5月、西部ファラ州では米軍機の空襲で140人が死亡するなど民間被害は拡大しており、アフガン議会も8月下旬、米軍に空爆の制限を求める決議をせざるを得ないほど事態は深刻なのだ。
 もちろん、「ただで燃料をくれるなら、相手がタリバーンでもだれでもいい。それくらい村は貧しいんだ」と言う声もあるが、「外国軍はハイテクがあるのに、なぜ銃を持たない子どもたちとタリバーンの区別もつかないのか。彼らは無実の市民を殺している」という、親類の子どもたち9人を亡くした住民の憤りが、「新しいタリバーン」の心情を映し出している(9/13:朝日)。

▼新しいタリバーンと貧困

 もっとも、「新しいタリバーン」が台頭する直接的な契機が誤爆事件だったにしろ、その背景には、深刻な経済的疲弊と貧困の蔓延がある。
 01年の多国籍軍の侵攻後、壊滅的被害を受けた国内産業や、その後の干ばつによる農業被害の復興はほとんど進んでいない。バザールには、特産品だった国産布地に代わって中国製やインド製の布地が並び、主力輸出品だったアーモンドや干しぶどうでさえ、米国産や中国産が出回っている。
 01年の戦争終結後、アフガンは年率12%もの高成長をつづけてきたが、それは諸外国による累計3兆6千億円にものぼる「復興支援マネー」の流入と、国内総生産(GDP)の3分の1に匹敵する「麻薬マネー」によって支えられてきたと言われる。
 日本も01年以降、1691億円の支援をしてきたが、アフガン政府の要職を独占した旧軍閥が、復興マネーの利権を握って濡れ手に粟の大儲けをした一方で、肝心の産業復興や農業生産の立て直しは事実上放置されつづけてきたのが現実なのである。
 旧タリバーン政権に取って代わったアフガン政府は、部族単位の旧軍閥が私財の蓄積に奔走し、「国家の再建」には全く興味を示さない「破綻国家」の様相を呈していると言って過言ではなく、治安悪化の背景にある「政府の腐敗」と「貧困の蔓延」は、文字通り連動しているのだ。
 壊滅状態の産業を放置したまま職業訓練を施しても、40%を超える失業率は改善されるはずもない。生活費を得られなければ、政府の治安部隊に雇ってもらえない貧困層は、タリバーンの傭兵という「出稼ぎ」を余儀なくされる。まさに「金をくれるならタリバーンでも誰でもいい」のだ。アフガン政府の職業訓練が、治安悪化に歯止めを掛けられないのも当然なのだ。
 干ばつと戦禍に翻弄される農村も、事情は同じである。ただ農村にはタリバーンの傭兵の他に、干ばつに強いケシの栽培という選択肢があった。結果としてアフガンは、今やケシの栽培面積で世界の8割、アヘン生産量では約9割を占める「アヘン大国」となり、膨大な「麻薬マネー」は、タリバーンの資金源になっていると言われる。だが政府の高官たちも麻薬ビジネスに関与していることは、いわば公然たる秘密である。
 昨年、南部カンダハル州議会の議長を務めるカルザイ大統領の弟が、麻薬ビジネスに関与しているとの疑惑が報じられ、大統領は疑惑の否定に追われたが、今年7月には、カルザイ氏の選挙対策責任者である甥(おい)を含む5人のヘロイン密売業者の恩赦を実施し、米国務省がこれを強く非難したのがその好例であろう。
 政府高官による麻薬ビジネスへの関与もさることながら、ケシの栽培が拡大している背景にも、農村の復興に関するアフガン政府の無策がある。
 ケシ栽培が最も盛んな南部のヘルマンド州は、タリバーンとの激しい戦闘がつづいていることもあって潅漑施設の手入れができず、電動ポンプで畑に水をやるしかないが、その費用に見合う農作物はケシだけなのだ。この地域の農民は「政府は小麦の種と肥料を1袋ずつくれたが、全く足りない。生きるためにはケシしかない」と話している(8/18:朝日)ように、旧軍閥が割拠するアフガン政府は、干ばつと戦火で荒廃した農業を放置する一方で、麻薬ビジネスに関与して私財の蓄積に奔走しているのだ。
 こうしてアフガンの治安は、都市部と農村部を問わず悪化し、軍事的な治安の維持はその限界を露呈しはじめている。ではこの条件下で、「民生支援」を中心とするアフガン支援はどうにあるべきなのだろうか? 最後にそれを考えてみたい。

▼必要なのは産業・農業の復興

 岡田外相に同行した記者が、日本が支援する職業訓練プログラムについてアフガンの若者に聞くと、「職業訓練はいいが、タリバーンだけじゃなく、おれたちも受けられるようにしてくれないと。残された失業者が新しくタリバーンになるだけだ」という答えが返ってきた(10/2:朝日)。
 前述のように、産業復興が遅れているアフガンでは失業率が40%を超え、タリバーンとして「出稼ぎ」をする以外になくなる寸前の貧困層は膨大な数にのぼる。つまり最も肝心なことは、職業訓練を受けても仕事がないとい現実であり、事実、岡田外相に同行取材した記者にも、日雇い仕事を待つ労働者たちは「日本にはまず工場をつくってほしい」と口々に訴えた(同前)。今のアフガンに何よりも必要なのは、暮らしの糧を得る仕事であることの証拠である。
 したがって日本政府が職業訓練プログラムという支援を行うのであれば、職業訓練を受けた元兵士たちが、タリバーンに戻ることなく生活の糧を得られる「働く場所」を作る支援が、これと併せて必要とされているのである。「日本の工場」は、それを象徴する現地の期待なのだ。
 ただしアフガン労働者が望んでいる「日本の工場」は、必ずしも近代的工場を意味しない。むしろアフガンの特産品だった布地の生産や日曜必需品を生産する、小規模でも社会的に有用な生産をになう「作業場」、しかもそこで生活の糧を得ることができる「場」を作り出す資金と技術の支援を、職業訓練と併せて実施することが真剣に検討されるべきなのである。
 もうひとつ重要なのは農業生産の回復、つまり農村の復興である。というのもアフガンは圧倒的な農村社会であり、タリバーンの多くも農村出身だからである。
 かつてソ連邦の一部であった70年代のアフガンでは、社会主義計画経済の考えに沿って潅漑施設に多くの投資が行われ、それが農業生産を大きく向上させた。それは必要な農業投資に他ならなかったが、ソ連軍が侵攻する79年頃まで、アフガンでそれなりに安定した政情が保たれていたのは、この安定した農業生産のおかげだったのである。つまり最近の干ばつ被害に対しても復興事業が速やかに実施されていれば、ケシ栽培の蔓延も治安の悪化も、これほどひどくはならなかったかもしれないのだ。
 そして農村復興については、日本(人)は貴重なアドバンテージ(優位性)を持っていることを思い起こすべきである。
 2002年の日本ジャーナリスト会議賞と第7回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞した『医者井戸を掘る』(01年10月:石風社刊)の著者、中村哲医師がアフガンの現地代表を務める「ペシャワール会」は、昨年8月、現地スタッフの伊藤和也氏が拉致・殺害される悲劇にみまわれながら、今も中村医師が現地にとどまり、東部ナンガハール州で用水路の建設を指揮しているからだ。
 中村医師は「アフガニスタン最大の危機は旱魃にある」と早くから警鐘を鳴らし、現地で井戸を掘り用水路を建設するなど農村の復興に25年も前から取り組み、現地では「ドクター・サーブ」(パシュトゥーン語で「お医者さま」の意)と呼ばれて慕われてもいる。前掲の白川氏のレポートも、「ペシャワール会が用水路を拓いた周辺に、ケシ畑は一つもない。十分な水と耕作可能な土地があれば、ケシ栽培という『危ない橋』を渡る必要がないのだ」と報告されているし、近隣の住民からは、「ドクター・サーブのおかげで、また作物を作ることができるようになった。日本は外国じゃない。本当の友人だ」と歓迎されたとも報告されている。
 こうした現地の人々との信頼関係は、今後のアフガンでの民生支援に対して希望を与えてもくれるだろう。
 WFP(世界食料計画)によれば、アフガンの食料自給率は60%以下で、自給自足が基本の農村社会・アフガンではかなり危機的な状況である。だが逆に言えば、必要最低限の農産物が収穫できれば、少なくとも「兵士の出稼ぎ」を減少させ、タリバーンの闘争資金になったり、政府高官の麻薬ビジネスの温床であるケシ栽培の抑制も、十分に可能だということでもあるのだ。

▼民生支援の目的と政治理念

 アフガンへの民生支援は、このペシャワール会に大いに学ぶべきである。
 鳩山政権が検討している職業訓練プログラムは、「作業場」建設の資金と技術援助をワンセットにすることではじめて、アフガンの治安回復に貢献できるだろう。職業訓練を受けたアフガンの若者たちが、自らの生活の糧を得ながら人々の必要に応える製品を作り出す「仕事場」を作ることは、農村で井戸を掘り用水路を建設して「耕作可能な土地」を作ることと同じだからである。それによってはじめて、彼らはタリバーンに戻る必要がなくなり、治安回復に大いに寄与することができるだろうからである。
 それは、アフガン情勢の安定にほとんど寄与しない海自の給油活動よりも、はるかに優れた「貢献」となるに違いない。
 だが同時にこうした民生支援は、前述したペシャワール会の伊藤氏の殺害事件の例もあるように、「日本の工場」がタリバーンによるテロの標的となる可能性を否定できない以上、「犠牲者を出さない」支援だとは言い切れないのも確かである。
 それでもこの「犠牲の可能性」は、タリバーンによる攻撃対象になるのが「確実な」軍事的支援とは、決定的に違うのだ。
 軍事支援と兵士の犠牲は、支援する側の主観的意図がどれほど善意であれ、あるいは傲慢にも「支援してやった」結果生じた「貴い犠牲者」だと強弁しようが、アフガンの人々にとっては、誤爆や誤射で兄弟や子どもたちを殺した「外国軍兵士」が、タリバーンによって殺された以上の意味を持たないだろう。「すべての人命は貴い」という倫理観も、外国軍兵士による誤射の恐怖に日常的に直面しているアフガンの現実の前では、その説得力を失うのだ。
 だが伊藤氏の拉致・殺害事件では、彼を知る現地の人々はその犯行を憎み、彼の葬儀にも大勢のアフガンの人々が集まってその死を悼んだように、「支援する側とされる側」の信頼と友好の絆を強め、日本(人)がアフガン現地で「本当の友人」と呼ばれるアドバンテージにもなるのである。
 もちろん紛争地支援に関わる「民間人の犠牲」は、無いに越したことはない。だがそれを口実にして、紛争地支援を「賭命(とめい)義務」のある兵士つまり自衛隊の派遣に短絡させるには、以上述べたような「理念」への反論と、政府が遵守すべき日本国憲法との整合性ある説明が必要である。自衛官に賭命義務があるとすれば、自衛隊は憲法が保有を禁じる軍隊に他ならないからである。
 だが、小泉以降の自民党政権とこれに同調した御用学者や評論家たちは、ただただ派兵の既成事実を積み重ね、あるいはそれを追認しただけであった。
 そして事実上の思考停止に陥ったマスメディアもまた、「政治理念のレベル」でアフガン支援の在り方を論ずることは、ほとんどなかったと言って良いだろう。

 いずれにろ、アフガンへの民生支援が目に見える成果をあげるには、数年程度の短い期間では不可能でもある。
 それは25年もの現地活動によって、ようやく人々の信頼を勝ち得たペシャワール会の苦闘の歴史が示しているし、91年から00年まで国連の難民高等弁務官を務め、01年から04年まではアフガニスタン復興支援首相特別代表として、アフガン現地の実情にも詳しい緒方貞子・JICA理事長が、「アフガンのような破綻国家の再建で、早急な結果を求めることはできない。国家づくりのプロセスは長期間にわたる」(8/28:朝日)と述べていることからも明らかである。
 だがそうだからこそアフガンへの復興支援は、長期におよぶ粘り強い活動を支え、場合によっては「犠牲」にも耐え得る、しっかりとした政治理念にもとづいて実施される必要があるはずだし、その目的や目標が明確にされるべきなのだ。そうすることではじめて日本外交は、日米の親密さを声高に喧伝し、そのアメリカ政府の意向に追従することを常として「親米外交を外交戦略の代替品」にしてきた限界を超えて、「持てる能力を限定的にしか使わない」状況を克服する第一歩を踏み出せるだろう。
 鳩山政権と岡田外相が、これらの課題にどれだけ応えられるのかは、もちろん未知数である。だが日米の軍事的同盟を強化する自民党外交を批判し、海自の給油活動に反対してきた私たちは、民生支援に転換しようとする鳩山政権の試みを断固として支持し、支援される側に「望まれる支援」の実現にこそ努力を傾けるべきではないだろうか。

(10/25:きうち・たかし)


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