【グルジア・ロシア戦争】

何がグルジアを戦争に駆り立てたか

−NATO加盟の頓挫とサアカシュビリ政権の焦燥−

(インターナショナル第182号:2008年10月号掲載)


▼サアカシュビリ政権の誤算

 北京オリンピックが華々しく開幕した8月8日、グルジアからの分離独立をめぐって緊張の高まっていた南オセチア州で、グルジア軍とロシア軍の大規模な武力衝突が勃発した。両軍が戦車や戦闘機を動員した本格的な武力衝突は、まさに戦争の様相を呈した。
 しかし両軍の戦闘では、優勢なロシア軍がたちまちグルジア軍を圧倒し、首都トビリシをはじめグルジア各地の軍事基地やインフラはロシア軍の空爆に晒され、グルジア領内に侵攻したロシア軍が主要な港湾や幹線道路を封鎖し、グルジア軍は南オセチア州全土からの撤退を余儀なくされた。
 ところが先に軍事攻勢に打って出たのも、グルジアだった。ロシアの後ろ盾で事実上の独立状態にある南オセチア州では、分離独立派の州政府と反対派が散発的に武力衝突を繰り返していたが、サアカシュビリ政権がその支配権の奪回を目指して軍事侵攻に踏み切ったのである。
 サアカシュビリ大統領が、こうした冒険主義的な決断をしたのは、北京オリンピック期間中ならロシアの反撃も抑制されるだろうとの甘い予測のうえで、ロシアとの戦争になれば、グルジアとウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加盟を後押しするアメリカは、軍事的支援をしてくれると本気で信じていたからだと報じられている。
 だがもちろんアメリカは、停戦とロシア軍の撤退を要求する以上の「支援」はしなかったし、その後もグルジアに進駐したロシア軍の撤退をめぐって欧米諸国とロシアの駆け引きが9月中旬までつづき、03年の「バラ革命」で誕生したサアカシュビリ政権は大きな痛手を被ったのである。

▼ロシアの対欧米アドバンテージ

 サアカシュビリ大統領の誤算は、グルジアとウクライナのNATO加盟をめぐって、アメリカとEUの温度差の過小評価と、アメリカの覇権を過大評価に原因がある。
 サアカシュビリ政権の中枢は、アメリカでのビジネスや留学経験があり、新自由主義を信奉する若いエリートたちが占めているが、彼らの当面する最大の目標は、NATOとEU(欧州連合)への加盟である。
 そのNATO加盟は今年4月、グルジアとウクライナが加盟の交渉テーブル(MAP=加盟行動計画への参加)につく寸前までいったが、ロシア国防相が「いかなる手段を取ろうともこれを阻止する」と、威嚇的な声明を発表したことで頓挫した。
 ロシアが、グルジアとウクライナのNATO加盟に激しく反発するのは、後述のように十分予測されたことだったが、それを承知でMAPを強行しようとしたのは、アメリカのブライザ国務次官補である。つまり両国のNATO加盟を強く後押しするアメリカの強引さが、サアカシュビリ大統領の冒険主義的決断を誘発した可能性があるのだ。
 それでも、ロシア国防相の声明がグルジアとウクライナのNATO加盟を阻止する威嚇として威力があったのは、NATOとEUの中枢であるフランスとドイツを中心に、原油や天然ガスなど主要なエネルギー供給でロシアへの依存を深めているために、欧州諸国の対ロシア外交は「腰が引けている」と、まことしやかに語られている。
 たしかに現在のロシア経済は、原油をはじめとする原材料輸出に依存するモノカルチャー経済と化し、原油と天然ガスの生産量の合計ではサウジアラビアを抜いて世界第一位となり、フランスとドイツのロシア産天然ガスへの依存度は30%に達する。また折からの原材料高騰もあって、ロシアの外貨準備も4644億ドルと、中国、日本に次いで世界第三位まで積み上がった。これは、対欧米外交のアドバンテージに他ならない。
 そしてだからこそサアカシュビリ政権は、覇権国家・アメリカが、欧州の逡巡を押し切ることを期待したのだろう。
 だがいまやアメリカの「覇権」は、イラク戦争の泥沼とアメリカ発の世界恐慌の不安の前に色あせ、新たな国際協調の枠組みが模索されはじめていたのだ。

▼新冷戦か、グルジアの焦燥か

 ところが、豊富なエネルギー資源の輸出を牽引車にした経済的再建を背景に、プーチン政権が進めた「強いロシア」の復権をめざす外交は、「新冷戦」の始まりだとする論評が欧米諸国にも広がっている。
 たしかに、プーチンの「強権的」政治手法はロシア国内と周辺諸国で様々な軋轢を引き起こしており、エネルギー供給を人質に取るような外交が現実となれば、それは欧米とくにEU諸国の脅威となる。
 だがはたしてメドベージェフ・プーチン政権は、EU諸国との間に「新冷戦」なる新たな緊張関係を望んでいるだろうか。あるいは豊富なエネルギー資源を持つだけで、ロシアが新たな覇権国家になれるなどと本気で考えることができるだろうか。
 グルジアとウクライナのNATO加盟への反発も、それが軍事同盟であることとあわせて、ウクライナを「スラブ民族の三兄弟」の地と考える「民族主義的反感」が強く働いていると言える。ロシアにとってウクライナのNATO加盟は、グルジアのそれよりはるかに大きなインパクトなのだ。
 つまりフランスとドイツを中心とするNATO諸国が、グルジアとウクライナのNATO加盟に慎重な姿勢に転じたのは、天然ガスの供給が止められる「脅威」以上に、プーチンを押し上げている「ロシアの民族感情」を刺激することで「強いロシア」の復権を掲げるプーチン外交がさらに硬化し、かつての東欧地域などにまで混乱が拡大するのを懸念したためと考えられる。
 だがこうしてサアカシュビリ政権は、南オセチア州とアブハジア自治共和国の分離独立派を支援し、平和維持部隊としてこの地域に駐留するロシア軍との「戦争」に訴えることで、NATO加盟をめぐる膠着状態を打開する焦燥に駆られたのであろう。
 旧ソ連邦地域へのNATOの拡大に対するロシアの反発を「新冷戦」と評し、「ロシアの脅威」をことさらに喧伝するのは、経済成長著しい中国を「脅威」として現実的対応を軽視する日本の評論に似て、生産的な言説とは言えないだろう。

(10/8:ふじき・れい)


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