●「和諧社会」と中国全人代

始まった成長戦略の大転換

−「福祉国家」への挑戦が直面する課題−

(インターナショナル第172号:2007年4月号掲載)


▼「和諧」を鮮明にした全人代

 3月5日から16日まで開催された中国の第10期全国人民代表大会(全人代)は、最終日の16日午前、07年度の経済成長目標を8%程度に設定した政府活動報告などを可決して閉会した。
 今年の全人代では、10年越しの議論を経て私有財産の不可侵を明記した物権法や、外資に対する優遇税制を廃止する企業所得税法が提案・可決されたが、2月末に世界同時株安の契機となった上海市場の株価暴落の不安にも影響されて、日本ではこれらが重要な焦点として報じられてきた。
 たしかに物権法は、04年の憲法改正で私有財産の保護が明記されたとは言え、なお「私有財産の不可侵」を保障するに不十分な現状を補完する法律であり、だからまた私的所有を廃した社会主義を掲げる中国で「なぜ私有財産の保護法が必要なのか」をめぐって、90年代半ばから議論がつづていきた懸案ではあった。今回の法案も02年以降、全人代常務委員会で7回もの審議と修正を経て今回の全人代でようやく成立したのだが、それでも物権法の成立自身は、「憲法上の権利」を保証する具体的な立法措置という以上の意味はないだろう。
 結局04年の共産党大会で私営企業家=資本家の入党を容認した時から、私有財産の不可侵を保障する立法処置は、いずれにしろ不可避だったからである。
 同様に外資に対する優遇税制の廃止も、外資側に強い反発がある訳ではなく、対中投資を鈍化させる可能性も極めて低い。そうした意味では、中国の経済と社会を激変させるような処置ではない。
 では今次全人代の焦点は、何だったのだろうか。それは中国の経済と社会に広範に、そして確実に影響を与えると言う意味で、「和諧社会」の建設が前面に押し出されたことにある。
 急激な経済的膨張にともない、中国社会が直面する様々な歪みに対処しようとする「和諧」すなわち「調和のとれた」社会建設が戦略目標として鮮明になったことは同時に、胡錦濤・温家宝体制という、理工系テクノクラートを中心とした「近代的で洗練された」国家官僚たちが、江沢民に代表されたいわゆる「革命第3世代」に代わって、党と政府における主導権を確立しつつあることを象徴してもいるからである。
 だがもちろん、物権法の成立や外資優遇税制の廃止が、胡錦濤・温家宝体制が掲げる和諧と無関係な訳でもない。そこには、経済の量的拡大をひたすら追求し、その牽引車となる外国資本の対中直接投資を呼び込みつづける経済構造の限界を見すえて、その「量から質へ」の転換をを推進しようとするねらいが込められている。
 以下、和諧という戦略目標の意味するところと、これを掲げる「近代的で洗練された」中国国家官僚指導部が直面しつつある課題について考えてみたい。

▼成長戦略の一大転換

 今回の全人代で焦点となった和諧社会のグランドデザインは、昨年公表された「第11次5カ年計画」である。
 1953年以来、社会主義経済の根幹として策定されてきた経済計画だが、「11・5」と略称される今回の計画は「規画」と名づけられ、目標数値の達成に重点が置かれる経済計画というよりも、市場経済下のガイドラインであることが強調されている。
 さらに「11・5」は、必達目標とされる数値が明示された「約束性」項目と、同じ数値目標でもガイドラインとしての性格が強い「予期性」項目とに区分けされ、「約束性」項目のいずれもが、省エネなど環境対策と年金や医療保険などセーフティーネット構築に関する内容である一方、国内総生産(GDP)の成長率などは「予期性」へとトーンダウンしいるのが最大の特徴である。
 その「11・5」は、いまブレークダウンされて具体化されている最中だが、例えば2006年から2010年の5年間の必達目標つまり約束性として、「GDP一単位当たりのエネルギー消費量20%削減」「工業生産増加額一単位当たりの水使用量30%削減」「主要汚染物の排出量10%削減」など省エネ・環境対策が並び、さらに「都市部の養老保険(年金)カバー人口を1億7400万人から2億2300万人へ(年率5・1%増)」「農村人口の医療保険カバー率を23・5%から80%以上に」など、セーフティーネット拡充政策が並んでいる。
 そして他方、GDPの成長率7・5%増や都市化率4%増などは、達成目標と言うよりは経済動向の予測や見通しといった性格が強い予期性とされているのである。
 明らかに「11・5」は、成長一辺倒の経済政策からの転換を意図した「規画」であり、しかも省エネや環境に関して数値を設定した目標化は、最終的には温家宝首相の決断で決まったと言う。
 ところで約束性項目である省エネ・環境対策は、もちろん鉱工業の急激な発展が中国各地で引き起こした大気や河川の汚染など、深刻な公害への対策である。だが同時にそれには、工業生産の急膨張にともなって急増した原油輸入など、国際的懸念が強まっている問題を緩和するために、石油などのエネルギー消費を抑制し効率化を図る、「産業構造の高度化」へと経済を誘導しようとする意図も込められている。
 現に「11・5」のブレークダウンにともなって、中央政府は、地方政府と党の幹部の評価基準であった「担当地域のGDP成長率」を見直し、環境保護・省エネの進捗度を評価項目に加えている。これは単なる評価基準の変更という以上に、GDP成長率を追い求める地方幹部が「国有」の農地や企業用地を強制的に接収し、そこに外資を呼び込むといったビジネスモデルからの転換を促進せずにはおかないだろうからである。
 つまり全人代で成立した物権法も、国営企業を凌駕しつつある私企業や個人の私有財産の保護と共に、地方政府による外資誘致のための「土地の安売り」に歯止めを掛ける意図を含んでいると考えられるのであり、それは昨年末、工業用地払い下げの最低価格を中央政府が設定し、地方政府の独断による外資誘致の「安売り合戦」を規制しはじめたこととも符号している。
 外資系企業と国内企業の税率を一本化する外資優遇税制の段階的廃止もまた、外資の誘致に過度に依存する、これまでのビジネスモデルの転換を促進する政策という側面を持つと考えられるのだ。
 かくして、胡錦濤・温家宝体制が目指す和諧社会は、中国国内で急速に広がった公害や経済的格差を是正し、社会の不安定化を回避する上で必要な対策というだけでなく、「大量の安価な労働力」を武器に、労働集約型産業を外国から誘致する成長戦略を抜本的に見直し、加工輸出産業に大きく依存する経済産業構造の一大転換を図ろうとする、きわめて野心的な挑戦であると言っても過言ではないだろう。
 だがもちろん、こうした大転換は容易ではない。何よりも現実の中国は、経済規模の巨大さで世界経済に大きな影響を与える存在である一方で、国民一人当たりの総生産と所得とはなお発展途上国の水準であることを、当の政府自身が強調しなければならない矛盾を抱えているからである。

▼都市化と消費市場の拡大

 「量から質へ」の大転換を進めようとする中国の基本国策は「四つの化」、すなわち工業化、情報化、都市化そして国際化として打ち出されている。
 工業化と情報化は、前述のような労働集約型産業から高付加価値型産業への転換や、省エネ技術をはじめとする先端技術の導入を含む「産業構造の高度化」の追求である。そして国際化は、胡錦濤国家主席による活発な外交が象徴するように、蓄積された巨大な生産力が要求する原材料の調達先と、新たな輸出先を確保しよとする対外戦略であり、これを実現しよとする外交も「和諧」、つまり世界貿易機構(WTO)などを通じた国際協調が掲げられている。
 もっとも国際化については、米中関係やアジア経済圏の展望など、論じなければならない課題も多いが、それは本稿のテーマではないので別の機会にゆずりたい。
 そして本稿のテーマである成長戦略の大転換という観点からすれば、最も大きな課題は「都市化」である。

 いま中国では、年間1500万人もの規模で農村部から都市へと人口が移動する都市化が進行中である。「11・5」でも「農村から都市への移転労働力」は、予期性としてさえ5年間で4500万人とされている。
 しかも少し前までは、都市に流入する労働力の大半は出稼ぎであり、いずれは農村に帰る「農工」だったのに対して、今や沿岸部の都市に流入する若年労働者の多くは、都市に定住して働く傾向を強めており、それが農村人口の受け皿となる都市化を急がせる圧力にもなっている。
 もちろん5年間で4500万人もの農村人口の受け皿としては、北京、上海、広州の3大都市圏だけでは全く不十分である。今でさえこれら都市圏の生活インフラ整備は、流入人口に追いついていないのが現実であり、これ以上の急激な人口移動は、都市のスラム化を招くだろうからである。
 こうして中国政府は、「11・5」を補完する都市化促進のために、「三海・三陸」という経済開放の新ビジョン、すなわち@北京、天津を中心とした環渤海地区開発、A上海を中心とする長江デルタ開発、B広州を中心とする珠江デルタ開発の「三海」と、@中国東北地方におけるロシア、北朝鮮、韓国そして日本との経済協力の拡大、AASEAN(東南アジア諸国連合)との自由貿易圏設立による中国西南部開発、Bロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンなど、中央アジアの「上海協力機構」加盟諸国と隣接する中国西部地区開発の「三陸」で通商開放をすすめる6地域の開発構想を打ち出し、受け皿の拡大を図ろうとしている。
 だがこうした中国国内の事情とは別に、ここ数年、中国に進出する多国籍企業の大きな関心は、巨大な消費市場としての中国に向けられはじめている。と同時に、輸出に依存してきた中国国内産業も、国内市場向け出荷比率を引き上げはじめている。
 もちろん「13億人の巨大市場」は、地域間と階層間の格差の大きさを考えれば絵空事にすぎない。それでも2015年までには、沿岸部を中心に9000万人に達するだろうと予測されている、年収1万ドルから4万ドルのアッパーミドル層の台頭は、サービス産業の発展をともなった新たな消費市場の拡大を期待させるに十分な規模である。
 例えば昨年、クレジットカード大手のマスターカードが中国のアッパーミドル層を対象に生活スタイルの調査を行っているが、それによれば年収が2万ドルを越えると頻繁に海外旅行に出かけ、2万4000ドルを超えるとゴルフを始め、2万8000ドルを超えると輸入車を購入するという(『週刊東洋経済』2月3日号)。こうした消費性向と人口規模は、それ自身として、総人口1億2000万人の日本の消費市場にも匹敵する。
 つまり「都市化」は、都市部そのものを増やして移動人口の受け皿を拡大することとあわせて、消費市場の拡充を中心とする都市経済の発展という2つのことが意図されていると言えよう。
 それは外資による設備投資と、そこで生産した工業製品の輸出を成長エンジンとする現在の発展モデルから、サービス産業の拡大をともなう個人消費の増大を牽引車とする発展モデルへの転換という、「野心的挑戦」の傍証でもあろう。

▼世界最大の「ニューディール」

 こうした野心的挑戦は、胡錦濤・温家宝体制を支える「近代的」国家官僚が、自覚的に選択したものである。
 専門家委員の一員として「11・5」策定に関わった、清華大学公共管理学院の胡鞍鋼教授は胡錦濤のブレーンと言われるが、その胡教授は、前出『週刊東洋経済』のインタビューに以下のように答えている。
 『中国は(大規模な財政出動を伴う)世界最大の「ニューディール政策」に取り組んでいます。われわれが目指しているニューディールは、労働人口だけで7億人、総人口13億人という環境で行われています。今回打ち出した計画では都市部の養老保険のカバー人口を、1億7400万人から2億2300万人に広げたいと思っています。この規模自体、ルーズベルト時代の米国の人口を超えているわけです』『1820年からの100年間、欧州から全世界に6000万人が移民しました。年平均で60万人です。中国では過去27年間、農村から都市に年平均1480万人が移動しました。このように大規模な都市化は中国にとっても、世界にとっても未曾有の発展のチャンスであり、チャレンジでもあります』と。
 改めて数字を示されると、改革開放に転じて以降の中国が、驚異的なスピードで変化してきたことに驚かされる。ちなみに、前述の「11・5」で、都市部養老保険カバー率とならんで掲げられた「農村人口の医療保険カバー率を80%以上に」する目標も、人口に換算すれば『7・5億人から8億人の農民に医療サービスが届くようにしたい』(胡教授)と言うことになる。
 しかも「11・5」に示された「世界最大のニューディール政策」は、沿岸部先行の経済開発とは比較にならない中国全域の広範囲な地域を対象に、これまでの変化を上回るスピードで「福祉国家・中国」を建設しようとするものであろう。
 もちろん今日の中国は、戦後資本主義が生み出した最新の金融決済システムや、最先端技術を利用できる「後発性利益」を享受できるし、重化学工業という産業構造を基盤としてではあれ、短期間でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となったソ連邦の経験から多くを学ぶこともできる。
 それでも「福祉国家・中国」の前には、なお大きな壁が立ちはだかっている。
 こう言うとすぐ、民主化など政治改革を最大の課題として指摘するのが欧米や日本の論調だが、それは現時点ではそれほど切迫した問題とは考えられない。というのも、「過剰投資とバブルの懸念」という中国経済最大の不安定要因の多くは、中央集権的な経済のマクロ管理に起因するのではなく、むしろ目先の利益を追い求める地方の政府と党の幹部たちによる「独断専行」に起因しているのは、前述した外資誘致と国有地の安売りで指摘したとおりだからである。
 しかも日本におけるこうした論調は、北朝鮮の「体制転換」に過大な期待をかけるのに似て、朝鮮半島や中国大陸の政治的混乱が、日本を含む東アジア経済に及ぼすリスクを軽視する、旧態依然たる「反共主義」ドグマに囚われていると言える。
 もちろん将来的には、市場経済という物質的基盤に対応した政治改革が日程に上らざるをえないだろう。だが「福祉国家・中国」の前に立ちはだかる現実的課題は、経済的には内需の拡大がもたらす中国国内のインフレの進行と、これにともなう為替調整圧力つまり通貨(=人民元レート)の切り上げであり、政治的には、経済開発の総司令部たる共産党の権威が、反腐敗闘争の成否によっては動揺する可能性である。

▼「元」切り上げと農村経済

 中国通貨「人民元」の切り上げは、これまで「米中貿易不均衡」との関係で語られ、貿易赤字が膨らみつづけるアメリカも、元の切り上げを迫りつづけてきた。
 だが、為替レートの調整が貿易不均衡の是正に効果がないことは、85年のプラザ合意で円の対ドルレートが大幅に切り上がっても、日米の不均衡が解消しなかったことでも明らかである。そのうえ中国の対米貿易黒字の大半は、台湾やアメリカの中国進出企業の加工輸出によるものなのだ。
 一昨年(05年)、在中外資企業の貿易黒字は567億ドルに達し、中国内資企業の454億ドルを初めて上回ったが、対米黒字だけを見れば、99年以来一貫して外資の貿易黒字が内資を凌駕してきたし、品目別で言えばPC関連機器の98〜99%、携帯電話の93%は外資企業の輸出額が占めている。
 この実態は、PC関連機器や携帯電話に代表されるネットワーク機器の国際分業体制が劇的に変化したことを示しているだけであり、人民元レートの上昇は、中国に進出し、対米輸出用にネットワーク関連機器を生産しているアメリカや台湾企業への打撃になることである。つまり米中貿易不均衡は米中両国のジレンマではあっても、元切り上げの圧力の本質ではないのだ。
 むしろ重要なのは、消費財を中心とした生産価格が最新技術の導入などで低下しつづける中で、昨年から政府が「要素市場改革」に取り組んでいること、つまり賃金や土地といった「生産要素」の価格引き上げを進めていることである。

 「11・5」は、「技術革新」や「自主ブランド育成」を掲げ、生産価格の低下を促進する一方、一種の要素価格引き上げ政策である環境対策を盛り込んだ。
 「技術革新」によって生産価格の下落を加速する一方、政策的に要素価格を引き上げれば、企業すなわちサプライ・サイド(=供給側)は高付加価値化や生産性向上に取り組まざるをえなくなるが、これと平行して賃金や資産(土地)価値を増加させれば、社会的購買力が高まるのは当然だろう。
 要するにこれは、消費を牽引車とする経済構造へと、経済・産業構造の転換を促進する政策なのである。
 だが問題は、この先にある。というのも要素価格を政策的に引き上げて消費を拡大し、これを牽引車に経済成長を目指す政策は、必然的に国内のインフレを促進するからだ。それは1960年代、池田内閣の下で「所得倍増政策」が進められた日本で、実際に起きたことでもある。
 もちろん内需拡大に伴うインフレは、経済的には当然の現象であり、経済的活況の推進力でもある。だが問題は、中国国内のインフレが人民元の「内外購買力格差」をいやおうなく拡大し、為替相場の調整圧力を高めずにはおかないことである。もちろん人民元レートの上昇は輸出産業には打撃だが、内需へのシフトチェンジを促進する上ではむしろ好都合だとも言える。
 しかし農業だけは、これと同列に論ずることはできない。いまなお8億人もの人口を抱える農村部の所得増加には、まったく別のアプローチが必要であろう。日本では米価買い取り価格を毎年引き上げ、農村所得の増加を促進したようにである。
 そもそも農業生産は、土壌や気候の影響が大きい分だけ、工業生産ほど容易に生産性の向上を達成できはしない。その上さらに、現在の中国農村部で好況を甘受している地域の大半は、外国の商社が持ち込んだ種子などで輸出用作物を大量に生産し、これを商社が買い上げることで現金収入を得るという、安い要素価格に全面的に依存する「輸出産業」地域でもあるからだ。
 つまり人民元レートの上昇は、輸出用農産物の競争力を低下させ、都市部の輸出産業以上に、農村部に大きな打撃をもたらす可能性があるのだ。それは都市と農村の格差をさらに拡大することでもある。
 それでも中国政府が、1月20日の緊急会議で金融市場改革と為替制度改革の実施を決定したのは、『中国がグローバルな経済、貿易と投資に参加している』(胡教授)以上、金融と為替の改革開放もまた避けることができないからである。もっともこの決定は、「今後2年間に」という条件を付けて経済的激変を慎重に回避しようとしており、先の全人代でも、農業と生活の補助金やインフラ整備など「農村対策費」は、15・3%増の3719億元と大幅に増額された。
 それは胡錦濤・温家宝政権が、インフレがもたらす農村部への打撃を覚悟してでも、なお「技術革新」や「自主ブランド育成」を推進して「自前の先端産業」を創出することで和諧を達成しようとする、強い決意を示唆している。

▼反腐敗闘争と人材の育成

 こうした成長戦略の大転換を遂行するにあたって、もうひとつの大きな懸念材料が汚職の蔓延である。
 今回の全人代でも、昨年一年間で4万人の公務員が汚職などで立件されたという最高人民法院(最高裁)と最高人民検察院(最高検)の活動報告には、17%という大量の「批判票」が投じられた。物権法への反対・棄権が3%に過ぎなかったことを考えれば、その不満の大きさが判るだろう。
 だが4万人という数は、「例年並」でしかない。しかし「反腐敗闘争」を宣言し、民衆の不満を鎮めようしてきた胡錦濤政権の取り組みにもかかわらず、汚職が減っていないことにその深刻さがある。
 何よりも汚職の蔓延は、官僚的権威主義によって「上から」経済開発を推進してきた共産党の権威(改革開放政策の展開とその経済的期待によって勝ち得たそれ)を足元から掘り崩し、大きな格差と矛盾をかかえた路線転換に不可欠な「指導部の権威」を失墜させる危険である。
 その意味で「反腐敗闘争」は重要な意味を持つが、ここでもまた民主化などの政治改革が腐敗を無くすと言うのが、欧米や日本の論調である。政治的自由を制限した独裁体制による経済開発は、フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスハルト政権などの「開発独裁」が、汚職を蔓延させたのと同じだと言うのである。
 こうした、経済成長を達成した中国の共産党一党独裁体制を、「アジア的開発独裁」になぞらえる論調は、数年ほど前から中国人研究者の間にも見られるようになった。もっとも「開発独裁」なる用語は日本でしか使われておらず、中国の政治経済体制は、「官僚的権威主義政体」による「開発主義」という規定が一般的であろう。
 いずれにしても、生産力の脆弱な地域や国家において、工業化による経済的発展を強権的に推進しようとする権威主義と開発主義の融合体は、1917年革命後のロシアで「スターリン主義」と呼ばれた一種のボナパルチズム=権威主義的独裁にも共通するものであり、「反共」を掲げて欧米諸国の援助や投資に期待する手法を除けば、外観上は「開発独裁」の諸特徴を備えている。
 それでも前者、つまり中国の政治腐敗が官僚機構と公務員の汚職なのに対し、「開発独裁」下の腐敗は、独裁者と地縁や血縁で結びついた私人たちの不正利得と蓄財であり、同列には論じられない。と言うよりも、官僚機構に蔓延する中国の汚職は、所得格差に対する民衆の不満が政権批判に転化する可能性を増幅するという意味では、むしろ深刻な問題と言えるだろう。
 ところで、全人代直前に公表された温家宝首相の声明文には、「・・・・中国は発展途上国である。生産力を高めること、格差是正もさることながら、国民の資質向上、思想道徳を強化すべきである」との提言が盛り込まれていた。いうまでもなくこれは反腐敗闘争を意識した提言だが、「国民資質の向上」には、もっと深刻な問題意識がはらまれているように思われる。

 三菱商事中国総代表補佐の小山雅久氏は、「都市と農村」「沿海と内陸」などの中国国内の格差もさることながら、「より本質的な格差」として「国民間の知識、モラルなど『資質の格差』」こそが、いわゆる「中国リスク」の根源ではないかとする、興味深いレポートを書いている。
 彼は「中央政府の官僚は、地方の公務員、企業経営者、さらには農民などについて(表には出さないが)、資質の低さを嘆くし、悩ましく思っている」と言う。さらに、「もちろん地方にも優秀で人格も優れた幹部はいるが、交流してみるとその知見の乏しさに気がつく。また、純朴なのかもしれないが、法的観念が薄く人治で事を進めようとする傾向が強い。中央のエリートを除けば、都市でも見られる問題だ」と指摘している(『週刊東洋経済』3月24日号)。
 彼の言う「資質」は、いわゆる欧米的な意味の「近代化」に必要とされる、知識やモラルといったガバナンス(統治機能)の素養ということだが、それは情報を含む知識格差や地域と階層間の教育格差によって、経済と政治の末端指導部の知見やモラルが急速な経済発展に立ち遅れ、それが地方に限らず、行政や経営の現場で無用の混乱を引き起こすリスクへの懸念である。
 こうした、中国官僚機構の危うい現実を前提に、先の温家宝首相の声明文に盛り込まれた「国民の資質向上、思想道徳を強化」を読むなら、反腐敗闘争が、同時に「近代的で洗練された」行政と企業の現場幹部の育成と不可分だと考える、中国政府の意図が滲み出ているように思えるのだ。

 中国が直面する人材育成の課題は、技術革新や外資導入などとは違って、蓄積されたノウハウや時間を要する大事業である。それは胡錦濤政権の独力では、極めて困難な課題と言ってもいい。
 しかし現実の世界経済が、中国の高成長とアメリカの過剰消費ぬきにバランスを維持できないとすれば、大きなリスク要因である中国の「資質格差」すなわち人材難を克服することは、日本を始め、中国進出企業をかかえるすべての諸国にとって有益であろう。つまり留学や研修を通じた中国の人材育成事業への積極的支援と、前述した、新たな打撃を受けるであろう農村部への「純粋な」経済援助とは、結局は各国の「国益」なるものにも合致すると言えるだろう。
 それは、13億人の「健康で文化的な生活」を模索する中国が直面する政治と経済の核心問題に目を塞ぎ、一般的な「民主化」を声高に唱えるより、よほど建設的で「攻勢的」な対応とは言えないだろうか。

  (4/7:きうち・たかし)


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