混乱を助長する米軍増派とブッシュ政権の危険な賭け

−「イラク研究グループ」提言にそった米軍の撤退を−

(インターナショナル第171号:2007年3月号掲載)


▼3つ目の「新しい敵」

 アメリカのブッシュ大統領は1月10日、約2万1千人の米軍をイラクに増派する「新戦略」を発表した。
 首都バグダッドに陸軍5個旅団約1万4千人を、反米武装闘争で有名になったファルージャのある西部アンバール県には海兵隊2個大隊約4千人を増派し、「権限委譲チーム」を中心にイラク政府軍による治安維持活動を支援し、「11月までにイラク全土でイラク政府が治安責任を負う」目標を達成する、と言うのがその骨子である。
 この増派計画は、「イラク研究グループ」が昨年12月6日にイラク政策の変更を求めた提言、すなわち18カ月以内の米軍戦闘部隊の段階的撤退や、シリア、イラン両国を巻き込んだイラクの復興と安定化の環境づくり等々の提言に背を向けるものである。しかも「一時的増派」による治安回復は昨年夏にもバグダッドで試みられたが、米軍が制圧に成功しても、撤退すれば元のもくあみになったという失敗の経緯もある。その限りで「新戦略」は、何の目新しさもない。
 しかしひとつだけ、注目すべき新しい要素が加わえられた。
 それは、これまで一貫して治安悪化の要因として非難してきた「アルカイーダなど国際テロ組織」と「旧フセイン政権支持者」つまり「スンニ派武装勢力」に加えて、「イランに支援された過激なシーア派分子が特攻攻撃を行うようになった」と指摘、これを「新たな敵」に加えたことである。
 そしてこの、イラク治安情勢に関する新しい認識は、1月23日の一般教書演説でも改めて確認された。演説でブッシュは、「イランに支えられたシーア過激派、アルカイーダ、旧イラク政権の支援者」の3つの過激派を敵と宣言したのである。

 イラク占領4年目になってなお、戦線の縮小ではなく拡大に踏み切らざるを得なかったことは、イラク占領政策の破綻を象徴するものである。しかも新たに「シーア過激派」を敵に加えたことは、イラクの米軍が2正面作戦から、さらに困難な3正面作戦に直面するという以上に、イラク情勢を一段と不安定化させる道にブッシュ政権が踏み込んだことを意味している。

▼フセイン処刑とシーア過激派

 今回の2万人程度の増派は、純軍事的には「焼け石に水」である。ボスニア・ヘルツェゴビナなど過去の内戦の経験則からは、いわゆる「宗派間抗争」を食い止めるには人口40〜50人に兵士1人が必要だとされているからであり、人口500〜700万人と言われるバグダッドに換算すれば、数十万人の兵力が必要とされるからだ。
 したがってバグダッドに増派される米軍1万4千人は、特定地域に重点配備されることは明らかであり、その特定地域が、シーア派とスンニ派の報復テロの応酬が激化している首都東部の貧困層居住地区・サドルシティーであることも確実である。
 以上ことから、ブッシュの言う「イランに支えられたシーア過激派」を、具体的に特定することができる。

 ところでサドルシティーは、フセイン政権によるイラクの近代化政策に伴って、貧しい南部農村地帯からバグダッドに出稼ぎにきた労働者が集住したことからそう呼ばれるようになったらしいのだが、それは南部農村地帯で大きな影響力を持ったシーア派イスラム運動の開祖、ムハンマド・バーキル・サドルの名に由来していた。
 バーキル・サドルは、現イラク政権の主流与党であるダアワ党の創設者であり、フセインによるシーア派弾圧によって1980年に殺されたが、そのダアワ党は湾岸戦争直後の91年3月、イラク全土を席巻した「反フセイン暴動」の中心的勢力であった。この限りで、ダアワ党を中軸としたシーア派連合を基盤とする現マーリキー政権は、「脱フセインのイラク」を体現している。
 だがシーア派連合体である「統一イラク連合」は、本紙153号に掲載したイラク国民議会選挙の分析でも指摘したように、16もの政党・団体の寄せ集め選挙共闘組織であり、その内部には世俗派と理念派の対立がはらまれている。なかでも占領軍にとって厄介な存在は、バーキル・サドルと同じサドル家の出身であるムクタダ・サドル師が率いる「サドル派」と、その民兵組織である「マフディ軍」である。
 サドル派は03年のイラク占領直後から、外国軍の撤退や早期の直接選挙実施を求めて占領軍と衝突を繰り返してきたが、05年1月の国民議会選挙への参加を契機に「イスラム主義政党」として存在感を増し、新憲法下で実施された12月の国民議会選挙では、「統一イラク連合」が獲得した128議席中30議席を占め、新政府で6人の閣僚を擁する有力な勢力となったからである。
 そして実はサドルシティーは、宗派間の分断と対立の進展によって、首都バグダッドにおける「サドル派の拠点」となった。そこに「シーア過激派」を「新たな敵」と見なす米軍が重点配備されるということは、ブッシュ政権が、サドル派とマフディ軍を「イランに支えられたシーア過激派」として攻撃するという宣言なのだ。
 そしてもちろんサドル派の方も、米軍との全面衝突を避けるために、マフディ軍の主要司令官にシリア、レバノン、イランへの一時避難を命じている。
 こうしたブッシュの選択が、サドル派の支持によって成立したマーリキー政権に深刻な動揺をもたらすことになるのは当然だが、その問題を論じる前に、どうしてもフセイン前大統領の死刑執行について触れておかなければならない。
 というもの昨年12月30日、フセインが処刑された際の映像が隠し録りされて報道されたが、そこにはバーキル・サドルとムクタダ・サドルを称賛する処刑立ち会い人の言動が映っていたからである。
 この映像は、「イラクの民主化」を唱えてきたブッシュ政権と、「国民的和解」を説くマーリキー政権に大きな衝撃を与えた。なぜならブッシュ政権は、報復的な刑罰を禁じる「欧米的な近代刑事裁判」を「民主化されたイラク政府」に期待してきたし、マーリキー政権もまたスンニ派武装勢力の活動を押さえ込むために、「思想、信条、信仰の自由」を保証する「欧米的な近代民主主義」を看板にして、スンニ世俗派との交渉と和解を試みてきたからである。
 ところが報道された映像は、「シーア派政権によるスンニ派前大統領の処刑」という報復の構図を強く印象づけ、宗派間対立の火に油を注ぐことになった。
 こうしてフセイン処刑から12日後の1月10日、ブッシュ大統領はサドル派を統制できないマーリキー政権に業を煮やしたように、米軍増派を発表したのである。

▼占領政策が生んだ宗派間対立

 ブッシュ政権が、「イラク情勢を一段と不安定化させる道に踏み込んだ」と最初に述べたのは、「新しい敵」とされたサドル派が、現マーリキー政権の有力な支持基盤に他ならないからである。
 だが最も肝心なことは、ブッシュ政権のイラク情勢の認識が、「イラクは宗派と民族を寄せ集めたモザイク国家だ」という、占領政策を破綻させた根本的な誤りを今もなお修正できず、「敵の増殖」を自ら招いていることなのである。
 この「モザイク国家イラク」という固定観念が、現実のイラクとはいかに乖離した欧米諸国の主観的産物であるかは、本紙144号掲載の「イラク占領統治の破綻が暴く/一元的世界支配の野望の破産」を参照して戴きたいが、この固定観念こそが、むしろ今日の宗派間対立の激化を招いた決定的な要因と言って過言ではない。

 ブッシュ政権によるイラク占領政策は、フセイン政権による弾圧を逃れて亡命中のシーア派銀行家、アフマド・チャビラを軸に反体制派を取り込もうとするものだったが、それは一貫して、この固定観念に基づいた「宗派と民族の人口比」を過度に重視するものだったと言えよう。しかもその「人口比」は、過去半世紀にもわたって正確な民族別、宗派別の人口統計の調査すらなかった以上、全くの憶測にもとづく「人口比」に過ぎなかったのである
 ところが占領後、連合国暫定当局(CPA)が任命した統治評議会は、文字通りの意味でこの「人口比」を反映する形で構成された。ここに、憶測に基づいた「宗派的、民族的枠組み」に沿った、恣意的な権力構成の最初の土台が据えられたのである。
 だがこの状況を効果的に利用した勢力もあった。クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)という2つのクルド民族組織である。KDPとPUKは、武力衝突も含む激しい抗争を棚上げにして、イラク北部のキルクーク油田を「民族的に支配する」という共通の利益のために、北部における自治政府の樹立と連邦制を要求する政治ブロック、「クルド同盟」を形成して選挙に臨んだのだ。
 当然ながら、南部バスラの油田地帯に宗派的基盤をもつシーア派諸勢力は、「石油収入の宗派的支配」の要求でこれに対抗した。かくて、シーア派の大同団結を意図してシスターニ師が呼びかけた「統一イラク連合」は、「宗派によるパイ(π)の囲い込み」という新たな求心力を得る一方で、イラク国家の分裂を招くかもしれない自治政府と連邦制に同調し始めるのである。
 05年1月の制憲議会選挙以降、憲法草案に連邦制を盛り込むか否かをめぐる攻防が最大の焦点になったのは、より多くの石油収入を得たいクルドとシーア派勢力に対して、石油収入の分配で極めて不利にならざるを得ない中西部スンニ派部族出身の憲法制定委員が激しく抵抗し、宗派間の相互不信と対立が急速に高まったからであった。
 ところがこの宗派間対立の背景にも、「宗派と民族の人口比」によって歪められた憲法制定委員会の構成があったのである。というのも05年6月末、1月選挙で選ばれた議員55人で構成された同委員会の定員が70人に増員され、「議員外のスンニ派委員」15人と「スンニ派専門家」10人が、新たにこれに加わえられたからである。
 「・・・・スンニ派の有力部族は、ボイコットを貫くことで選挙結果に対する事実上の拒否権を主張し、この拒否権を盾に選挙に参加したのと同じ結果を手にしようとしている、と推測するのは的外れではないだろう。世俗派であり、だからまたフセイン政権の官僚機構の担い手を多く輩出してきたスンニ派部族の面目躍如と言った観さえある」(本紙153号)
 もちろん憲法制定委員会にスンニ派を取り込むことは、政治的組織化に関心の薄かったスンニ派部族が、選挙のボイコットで失った社会的地位を武装勢力の統制と引き換えに回復させる懐柔策であり、ブッシュ政権ばかりか、欧米諸国政府の期待にも応える「超法規的措置」であった。
 「だが仮にこうしたスンニ派勢力の戦略が功奏するなら、ブッシュ政権が強行したイラクの選挙は、単なるセレモニーであったことが暴露されるだけである」(前掲本紙)。選挙の正統性を歪めたブッシュ政権と欧米諸国政府のイラク安定化の期待は、程なく現実によって裏切られた。
 名目的とはいえ、フセインの独裁を支えた旧バース党員を多く抱えるスンニ派の政治的復権が明白になる度合いに応じて、スンニ派に対する襲撃が増加したからである。憲法制定委員会に追加的に参加したスンニ派委員の一人は、就任後わずか3週間で何者かに殺害され、新憲法承認の国民投票が行われた10月には、フセイン前大統領の弁護団が次々と襲撃されたのである。
 この抗争の背景は、石油収入の「宗派と民族ごとの囲い込み」という利権争奪戦だったが、同時に政治的見解の相違や地域的要求の差異を「宗派と民族の違い」へと収斂して固定化する、「政治の宗派化」に拍車をかけたのである。国内の支持基盤が脆弱な亡命政治家たちほど、この傾向に追従したのは必然的であった。
 そう!いまイラクで頻発する宗派間対立の激化は、現実とは乖離したイラク社会の固定観念に囚われたブッシュ政権の、誤った占領政策の帰結なのである。

▼シーア派が独占した治安機関

 だがこうした宗派間の対立が、報復テロの応酬にまで発展して急速な治安悪化をもたらすまでになったのは、イラクの治安機関がシーア派民兵組織によって担われることになったからである。
 スンニ派武装勢力がシーア派地域でテロに訴えるのは、シーア派民兵組織が看板を掛け替えただけの「治安機関」が、前述のスンニ派要人の襲撃などに関与してきたからに他ならない。
 しかも宗派間の相互不信と直結した治安機関に対する不信、とくにスンニ派勢力が抱く不信は、マフディ軍やイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の民兵組織である「バドル軍団」など、シーア派民兵組織が「公権力としての暴力装置」を独占する一方、スンニ派民兵組織は「反米武装勢力」として取締の対象にされるという、スンニ派の政治参加を阻害する占領軍とマーリキー政権の対応が助長したのである。
 05年11月に発覚した、スンニ派拘束者に対する警察による虐待と拷問は、民兵組織が担う治安機関の危うさを最もよく象徴していただけでなく、移行政府のジャファリ首相自らが事件を認め、国際機関の調査を要求するスンニ派政党に事実調査を約束せざるを得なかったように、亡命政治家たちもまた宗派と民兵組織におもねり、民兵組織の「暴走」を制御できない事態が蔓延しつつあることを示唆していた。
 そして06年2月、サマーワのシーア派モスクが何者かによって爆破された事件を契機にして、スンニ・シーア両派の報復テロの応酬が激化した。だがより重要なのは、この2月以降増加傾向にあったテロによる死者数が、マーリキー政権が成立した5月には一旦は収まりをみせ、その後7月から爆発的に増加したことだと指摘するのは、イラク研究家の酒井啓子・東京外国語大学大学院教授である(月刊『世界』07年3月号)。
 きっかけは7月1日、シーア派住民70人以上が死亡する爆発事件と、スンニ派の「イラク合意戦線」幹部が誘拐される事件とがサドルシティーで同時に発生し、サドル派とイラク合意戦線との間で報復合戦が激化したことである。と同時に7月7日、米軍がイラク軍とともにサドルシティーへの攻撃を強行したことである。
 以降サドルシティーで頻発する三つ巴の衝突は、10月にはマーリキー首相の反対で中止を余儀なくされたとはいえ、米軍がサドルシティーを一週間も包囲するまでに緊張が高まり、その後も米軍とサドル派の間で、小規模な衝突や拘束が繰り返されている。
 したがってブッシュ政権のサドル派攻撃の宣言は、06年後半に繰り返されたサドル派との衝突に決着をつける強い決意の現れとも言えるが、そのサドル派を「イランに支えられた勢力」と断定して攻撃するのは、無用な混乱と反感を助長するだけである。それはスンニ派反米武装勢力を「旧フセイン政権残党」と一括りにして弾圧し、逆に「スンニ派の反米テロ」を激化させたのと同様の過ちを繰り返すことであろう。
 なぜならサドル派とマフディ軍は、「統一イラク連合」内の主要勢力の中では、ダアワ党やSCIRIのように国外に亡命していた勢力とは違って、フセイン政権下のイラク国内で活動をつづけてきた生粋のイラク反体制派だからである。
 断っておくが、懸念される事態はサドル派を親イラン派に追いやることではない。懸念すべきなのはむしろSCIRIの動向であり、SCIRIとサドル派の衝突である。
 たしかにSCIRIは、1998年から米政権と公式の関係を持ち、02年のイラク侵攻時にもいち早く対米協力を表明して占領軍とも良好な関係を維持しているが、1982年にイラン国内で結成されたSCIRIの民兵組織・バドル軍団は、そのほとんどがイランで訓練を受けたと言われている。つまりSCIRIは、イランと最も親密なイスラム主義政党なのだ。
 現に、移行政府の下でバドル軍団が治安機関の中心的勢力となったとき、「反イラン感情」を刺激されたイラクのシーア派との衝突が起きたし、「統一イラク連合」内の主導権争いで、サドル派がダアワ党を支持してマーリキーを首相にしたのは、SCIRIのイラン寄りの姿勢をサドル派が警戒したからだとも言われている。
 つまり「イラン敵視」とサドル派の武装解除を混同することは、SCIRIの「反米感情」を刺激して「親イラン派」に追いやりかねないし、それがまたマフディ軍対バドル軍団という、シーア派民兵間の衝突を激化させかねないのである。にもかかわらずブッシュ政権は、何故あえて「親イラン派」のレッテルをサドル派に貼るのか。
 フセイン前大統領の処刑立ち会い人の言動について前述したが、ブッシュ政権は、この立ち会い人が「イラン人だった」という噂を利用して、イランとの緊張を意図的に高めようとしているのではないかとの憶測を呼ぶゆえんである。

▼最悪のシナリオとリアリズムへの回帰

 2月19日、ブッシュ政権が、イランの核施設ばかりか、主要な軍事施設も対象にした大規模な爆撃を行う「非常事態計画」を策定したと報じたのは、イギリスのBBC放送であった。ブッシュ大統領は同14日、イランの革命防衛隊が供与した高性能爆弾で米兵が殺傷された「疑惑」に言及していた。
 だが他方でブッシュ政権が、イランに対する公然たる攻撃に踏み出す可能性は、かなり低いと考えるのが一般的である。さしものブッシュ政権も、米軍によるイランへの攻撃が中東全域に波紋を広げ、予測不能の内乱やテロを呼び起こすリスクを無視はできないだろうと考えるからである。
 だが「イラク研究グループ」という、かなり周到に準備された超党派の「圧力」にさえ背を向け、イラクへの増派に踏み切ったブッシュ大統領は、はたして「一般的な考え」に基づいたリスクの中に自制の必要を見いだすだろうか。そう、米軍によるイラン攻撃という最悪のシナリオも、無いとは断言はできないのが現実なのだ。
 「イラクでの勝利」を頑なに追い求めるブッシュ大統領が固執しているのは、「敵に最後の一撃を加え」て「名誉ある撤退」をするというシナリオだと言われるが、イランへの「大規模爆撃」を強行して一方的な勝利宣言を行い、これを置き土産にして「名誉ある撤退」を願望するブッシュの幻想こそ、最悪のシナリオの根拠なのだ。
 現にいまペルシャ湾には、米海軍の空母エンタープライズとアイゼンハワーの2隻に加えて、極東からもステニスが派遣され、イラク戦争開戦直前なみの3つの空母機動艦隊が配備されている。
 それはシーア派民兵の制圧と武装解除という、歩兵部隊による探索と市街戦が中心にならざるを得ない戦闘にはほとんど不要な、だからまた「イラクに手を突っ込んで」自国に親和的な勢力を育成しようとしているイランとシリアという隣国を、「仮想敵国」として威嚇する目的以外には考えようのない布陣であろう。
 ブッシュ大統領自身もまた、増派を発表した演説の中で、「テロリストと反乱武装勢力がイラクとの間を往来するのに自らの領土を使わせている」。「イランとシリアからの支援の流れを止めるつもりだ。イラクにおけるわれわれの敵に高度の兵器と軍事訓練を与えるネットワークを探しだし、それらを破壊するだろう」と述べ、その意図を隠そうともしていない。
 だがこうしてブッシュ政権は、固定観念による占領政策の失敗、スンニ派とフセイン支持勢力の混同、そして今回の増派に際して明らかになったシーア派と親イラン勢力の混同のうえに、イラクにおける混乱と内戦を決して歓迎はしていないイランとシリアを、「われわれの敵を支援している」と名指しで非難して敵にまわすという、4つ目の泥沼に足を踏み入れたのである。
 これは「一般的」には、収拾不能の混乱状態と呼ぶべきであり、すでにアメリカ一国の手におえる事態でもない。
 ブッシュ政権に残された道は、「イラク研究グループ」提言の実行、つまり段階的であれ何であれ米軍のイラクからの速やかな撤退を実現するために、イラク国内の諸勢力に影響力を行使できる周辺諸国を巻き込んで、内戦状態にある宗派間抗争の「休戦」と復興事業に取り組める政治的環境を整える外交的努力を始める以外にはない。
 それは結局「中東版6カ国協議」を追求する、アメリカ的リアリズムに立脚した外交への回帰でしかないが、イラク民衆とイラク占領軍兵士たちに降りかかる厄災が減少される可能性であれば、積極的に支持されるべきなのである。

(3/4:さとう・ひでみ)


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