【フランスの「移民」暴動】

誰のためのEU統合なのか

―暴動とEU憲法否決から見えてくるもの―

(インターナショナル第161号:2005年12月)


 2005年のヨーロッパはEU統合に暗雲が掛かった一年であった。5月、6月にはフランスとオランダの国民投票においてEU憲法批准が否決され、7月、8月にはイギリスでイスラム系「移民」の若者による地下鉄爆破事件が相次ぎ、10月にはドイツにおいてEU統合に伴って新自由主義的政策を推し進める野党と与党の二大政党のどちらも過半数の議席が取れない事態が生まれた。戦後60年に渡って綿々と積み重ねられてきたEU統合の波は、ここに来て、大きな壁にぶち当たったと言えよう。
 問われているのは「誰のためのEU統合」なのかということ。
 この小論は、10月末から11月にかけてフランス全土を震撼させた「移民」暴動を主として取り上げながら、このテーマについて私見を述べるものである。

▼「移民」暴動の爆発

 フランスの暴動は10月27日から11月の半ばまでフランス全土で荒れ狂い、報道されただけでも全土で1万台以上の車が放火され、さらには学校、幼稚園、教会、役所などの一部も破壊され、逮捕者は2000人以上にのぼった。事件の直接のきっかけは、10月27日の夕方、パリ郊外のサンドニ県クリーシーで、警官の職務質問から逃れようと変電所内に逃げ込んだマリ系とチュニジア出身の少年2人が午後6時ごろ感電死したことだ。そして同日10時ごろ、事件を聞きつけた若者が集まり「追い込んだのは警察だ」と路上に駐車してあった車に火を放ち、機動隊数百人に投石。これが、大規模暴動の発火点となったわけだ(11/7:毎日新聞)。
 サンドニ県クリーシーはパリ北郊に広がる「移民」の集中した地域の一つ。パリ北郊一帯には「移民」むけの安い公営高層住宅が立ち並んでいる。
 パリ北郊で起きた「移民」暴動はただちに同様に郊外に「移民」地域を抱える南部のトゥールーズ、ニース、マルセイユ、ボルドー、オルレアン、北部リール、北西部レンヌ、東部ストラスブールなどに拡大した(同前)。フランス政府は11月8日、暴動頻発地域に限定して緊急事態法の発動を布告し、各県当局に夜間外出禁止令などの権限を付与することを決め、翌9日の午前0時から同法は発効し各地に治安部隊が配備された。以後暴動は多少減少はしたが依然として継続し、14日に緊急事態法の3カ月延長を閣議決定して以降、ようやく静まった。
 さらにこの「移民」暴動はフランス国外にも波及し、ベルリンでは7日未明、移民ら貧困層が集まる中心部で短時間に乗用車5台が放火され、ブリュッセルでは6日夜、周辺に移民が多く住む南駅周辺で車5台が放火された(11/10:毎日)。

▼若者に鬱積する不満

 事件の背景には第二次世界大戦後に、戦後復興のための労働力として旧植民地の北アフリカや西アフリカから大量の移民を受け入れたにも関わらず、彼ら「移民」とその2世・3世はフランスにおいて「二級市民」としてしか扱われてこなかったことに対する、「移民」の若者たちの鬱積した不満がある。
フランスには多数の「移民」がいる。99年国勢調査によると、人口5852万人中431万人が「移民」とされている。仏国立統計経済研究所によると、「移民」とは「仏国外で生まれ、出生時に仏国籍を持っていなかった人」である。さらにフランスで生まれた外国人が51万、合計すると482万人の「移民」がいる。
 しかしフランスの「移民」はこれだけではない。フランスでは長い間「フランスで生まれたものはフランス人」とする伝統があったために、「移民」の2世・3世でもフランス国籍を自動的に取得でき、93年に国籍の取得が申請制になる前にフランス国籍を取得した2世・3世が多数いる。さらに近年東欧や他の国から流入している正式な滞在許可証を保持していない「サン・パピエ」と呼ばれている人々が100万人はいると言われ、フランスの「移民」は人口約6000万人の1割以上に及んでいるのである。
 この「移民」たちの少なくとも3人に1人以上がフランス国籍を持っているのだが、問題は彼らが実際にはフランス人としては扱われていないことにある。
 移民が暮らす郊外の団地での失業率は仏全体(約10%)の2倍以上とされ(地区によっては4倍以上の40%にのぼる所もある)、1人当たりの年収は1万500ユーロ(約147万円)で平均よりも40%低い。さらに16〜24歳の23・1%、4人に1人が失業中(05年8月現在)。他の年齢層で失業率が下がる中、若年層だけ前年より0・5ポイント上がった。移民層では平均以上に失業率が高い(11/8:毎日)。
 これは「移民」1世の多くが故国でも貧しい生活の中で高等教育を得られず、フランスに渡ってからも賃金の低い肉体労働にしか従事できず生活が貧しいために、2世・3世の多くも高等教育が受けられないことにも原因はある。しかし「移民」2世・3世の世代で苦労して大学教育を受けたとしても職を得るのは容易ではない。
 国立人口問題研究所によると大学入学資格保持者以上の学歴のものに限ってみると、若者の全体の失業率は9%であるのに、アルジェリア系では34%、「郊外」の移民地域全体では50%にも達しており、学歴が高くても「移民」の若者は職を得られない状態にあることがわかる(ミュリエル・ジョリヴェ著『移民と現代フランス』集英社新書)。
 つまり「移民」たちに対しては明確な就職差別があるということだ。企業の求人広告にも「アラブや黒人っぽいタイプでないこと」という条件が堂々と載せられ、就職するに際して名前が一目でアラブ系とわかるものだと面接すら受けさせてもらえないという例が多数あるという(前掲書)。
 さらに貧しい「移民」たちのためにフランス政府が都市郊外に安い高層住宅を建設したため「移民」たちはこの地に集住することとなったわけだが、60〜70年代に建てられた高層住宅も築40年を経過して老朽化し、地域全体が「移民」のゲットーと化している。これに多くの職のない若者達があり余ったエネルギーのはけ口を求めて日々暴行をくり返すため、警察は郊外地区を「熱い地帯」と呼んで警戒するだけではなく、移民の若者に対して「何もしていないのに外見だけで身分証明書を見せろとしつこく迫る」(11/22:日経新聞)という差別的対応をする。そして就職の際に提出する履歴書に、郊外の住所を書いただけで面接を拒否されるという事態にもなっているのだ。
 今回のフランスの「移民」暴動のきっかけは、警察の職務質問を受け変電所に逃げ込んだ移民系少年2人が誤って感電死したことであったが、これに怒って行動した「移民」の若者たちを、治安当局最高責任者のサルコジ内相が「ゴロツキ」と呼んだことが彼らの怒りの火に油を注いだ側面もある。そしてこれにはさらに背景がある。
 今年6月、移民地区での殺人事件に絡んで内相は「シテ(郊外団地)を放水車で片付けてやる」と発言、人権団体が「差別的だ」と反発したが、内相は強硬姿勢をくり返した(11/8:毎日)のだ。
 彼ら「移民」の若者が日常的に差別を受け、職もなく警察官に不当な扱いを受ける中で、直接的には警察官に対して、そしてその背景にあるフランス政府とフランス社会に対する不満を鬱積させていたことが暴動の背景にあるのである。だから彼らは暴動の最中「昼はゲーム機で遊び、夕方になったら集合する。火炎瓶を手に機動隊との対決に出かける」(11/7:毎日)という行動に出たのだ。

▼見過ごされてきた差別

 しかし「移民」に対する差別は今に始まったわけではなく、「移民」たちによる暴動も今に始まったわけではない。今回の自動車に火をつけてまわるような行動は、以前から続いている。過去15年間、主要都市郊外にある移民系の団地で暴動が頻発。10月末からの暴動とは別に、今年だけでも計2万8000台の車が燃やされたという(11/7:毎日)。
 そして今回のような暴動は、1981年にも多発している。
 リヨン郊外のマンゲット地区。郊外地区に住む若者たちにとって、学校の夏休みは暇と退屈の同義語。こうして81年夏、地区の若者達は盗んだ車の上で「ロデオ騒ぎ」をし、火をつけた。被害にあった車は250台。83年には若者たちは警官とイタチゴッコのゲームに興じ、はてはゲリラ戦となった。この時、腹部に銃弾を受けた若者の一人が非暴力の行動に出る事を決めて地区で人種差別反対運動を起こしていた神父の手助けを得た。そして、彼ら「移民」の両親に10年間の滞在と仕事の許可証を与える事、毎年滞在許可申請の更新のために県警へ行く手続きの廃止を要求して運動を開始した。83年10月15日にマルセイユから10人でスタートした行進は、2ヶ月後パリに到着した時には10万人以上に膨れ上がっていた。到着の夜、大統領ミッテランが彼らをエリゼ宮に迎え入れ、すぐに10年間有効な滞在と仕事の特別許可証を一般化する法案が国民議会の満場一致で可決された(前掲『移民とフランス』)。
 しかしそれから20年。事態はまったく変わっていなかったのだ。80年代の左翼政権による手厚い福祉政策も90年代に保守中道右派政権が成立すると財政難もあって次々に廃止され、移民の制限や国籍法によるフランス国籍取得の制限がなされ、97年の「保革共住」政権下で非営利団体「アソシアシオン」に補助金を出して地域で防犯対策をする対策も取られたが、これも02年の保守政権復活によって補助金は削除。地域主体の防犯活動すら停滞した。
 今回の暴動の中で、この「アスタシオン」を中心とした地域防犯活動が再開され、大人達が夜回りを始めた地区では暴動が早期に収まったという(11/26:毎日)。一時的に対策が取られてみたものの、あいかわらず「移民」たちの多くは能力に見合った職を手にする事もできず、差別と「よそ者扱い」の中で不満を鬱屈させていたのだ。
 今回の暴動を収束させる過程で、シラク大統領も11月14日にテレビ演説を行い「どれだけ多くの履歴書が名前や住所を見ただけでごみ箱行きとなったことか」と「移民」や2世・3世に対する雇用差別の実態を嘆き、暴動の背景に失業や貧困があることを認めた(11/22:日経)。そして「困難を抱える地域の子供たちすべてに、彼らの出身がどこであろうとすべて共和国の息子であり娘だと伝えたい」と述べ、差別解消を訴えたのである(11/14:毎日)。さらにはドビルパン首相も7日夜、外出禁止令発令の意向を表明する一方、移民系の若者向けに教育資金支援策や奨学制度の充実、さらに住宅補助の増額などの不満解消策を提唱し、「責任ある態度で地域と平和的に共存してほしい」と呼びかけたのであった(11/8:毎日)。
 しかしこれでは1981〜83年の事態とその対応のくり返しに過ぎない。
 なぜ差別がいまだに解消されないのか。

▼「自由・平等・博愛」の実態

 世論に大きな影響を与える政治家やマスコミ関係、そして大企業の経営者たちは、大きなマンションに住みメイドも雇う豊かな暮らしをしている。彼らには直接「移民」と触れることはないし、ましてや仕事をめぐって「移民」と競合することもない。彼ら上流階級にとっては理念としての「自由・平等・博愛」の国フランスを吹聴するだけで良いし、「法的には平等は確保されている」とだけ言っていれば済むのである。だから現内閣において「移民」出身であるサルコジ内相やベガグ機会均等相が機会の平等を確保するために「移民」に対する優遇策を取り、企業や国会、メディア、そして大学などにも一定の少数枠を設けるよう主張しても、シラク大統領やドビルパン首相など内閣の多数派は、今回の暴動が深刻化するまでそれを認めようともしなかったのだ。
 なぜフランス人の多数は「移民」に対する差別を見ようとしないのか。
 それはフランスが、公式には差別を認めない「自由・平等・博愛」の精神で運営されており、「移民」といえども2世・3世になればフランス国籍も取得でき、法的には機会の平等が確保されているからである。人種や元の国籍に対する差別があっても、それは差別をする個人の問題だという認識となり、社会的な問題とはみなされない。
 だが「フランス人」になるということの意味は、単に国籍を持つということだけを意味するのではない。それはフランス的価値観を共有するということを意味し、その第一条件はフランス語の習得である。フランス語を流暢にあやつれないのはフランス人ではない。だからフランス語を充分に話せない「移民」1世は、フランス人とは扱われない。フランスの「移民」に対する対応はフランスへの「同化」なのだ。
 さらにフランスは厳格な政教分離の国である。つまり宗教は国家の領域に干渉せず国家もまた宗教の領域には干渉しない。だから公的な空間で宗教色が出されることはなく、宗教は私的な空間での各個人の信仰の問題として扱われる。
 しかしフランスの「移民」の多くはイスラム系である。イスラム教は政教分離の原則を持たず、生活と宗教が密着している。服装も食習慣もすべて宗教的規制が掛かっている。だから1989年に、パリ郊外のクレイユという町の公立中学校に二人の「移民」系の少女がスカーフをつけて登校したとき大問題になったのだ。
 2004年初頭、国民議会は宗教と政治の分離(いわゆる世俗主義)の厳格な適用を求める法律を可決した。この法律は、イスラム教徒の信仰実践が公的領域に侵入することを頑なに拒否する事に特徴がある。公立学校での宗教的シンボルの禁止はもとより、公立病院で患者が性別を理由に医師を選んではならないとまで規定している。イスラム教徒の女性が男性医師の診察を嫌がる事を念頭においての規定である。そしてこれらのイスラム教徒の信仰実践を拒否する理由は、これらが「イスラム原理主義という政治的思想を実践するシンボル」だからとする。
 しかしイスラム教徒にとって宗教的規範の実施は、原理主義の実践と等価ではない。むしろ「移民」にとっては長い間の民族的な習慣の実践に過ぎず、イスラム教的価値に1世ほど重きを置いていない2世・3世にとってはなおさらそうである。しかも「イスラム原理主義」以外の政治思想のシンボル、例えば共産党の赤旗の使用などは思想の自由を理由に規制されない。
 こうやってみると、宗教と政治の分離を徹底化する法律の眼目は、フランス的価値観を認めないものはフランス人としては認めないと言ったのと同じことであり、とりわけ「移民」の多くが信奉する「イスラム」排除である事がわかる(以上、内藤正典著『ヨーロッパとイスラム』岩波新書刊)。
 この「イスラム嫌い」は79年のイラン革命以後激しくなり、フランスでもイスラム原理主義者によるテロ活動が95年以降激しくなるにつれて強化され、2001年のニューヨークでのテロを契機にして一層激しくなっている。これに近年の失業率の増大と東欧や他の国々からの「移民」の増大が重なり、政府・企業の新自由主義的政策の推進とも重なって「外国人に職を奪われる」という危機感を生み、その危機感を煽る右翼国民戦線の煽動とも相俟って、「外国人・移民を養う必要があるのか」「外国人は出ていけ」という風潮を強めているのである。だから「移民」1世とは違ってフランスで生まれフランス語を流暢に駆使し、服装や習慣までフランス人と変わらない「移民」2世・3世に対してまでも、その外見や姓名・住所などから「フランス的価値を認めないもの」とのレッテルを貼り、排除しようとしているのである。
 そして「移民」排斥傾向の拡大とともに、フランス国民であることの要件もかわり、1993年には、従来フランスで生まれたものは自動的にフランス国民としてきたのを改正し、フランスで生まれた外国人の子供は16歳から21歳の間に自分で国籍を選択してフランス国籍を申請することとし、申請しない場合はフランス国籍を失うとした。さらに97年の移民法では、移民の滞在許可証の更新を認めないとし、これによって大量の許可証のない人々(サン・パピエ)が生み出されたのである。そして98年の国籍法の改定ではかっての「フランスで生まれたものはフランス国籍を持つ」権利に回帰することが定められたがそれには条件がつけられ、5年間フランスで生活していることが公的文書で証明されなければならないとされた。
 従来は当然の権利とされた「移民」2世・3世のフランス国籍取得はこうして制限されたのである(前掲『移民と現代フランス』)。ここにもフランス的価値を認めないものはフランス人ではない、という価値観が貫徹されている事を見て取れる。

▼EU統合との矛盾

 では今回の暴動に際してフランス政府が表明した、移民系の若者向けに教育資金支援策や奨学制度の充実、さらに住宅補助の増額などの不満解消策の採用や、サルコジ内相らが主張している少数派に対する優遇策(アメリカのアファーマティブ・アクションに相当するもの)を実施することで問題は解消するのだろうか。
 事態はそのように簡単ではない。
 さきにも見たように、「移民」排斥傾向の強化は「イスラムの脅威」の拡大や「移民」暴動の拡大だけが原因ではない。それはEU統合に伴って従来フランスの労働者階級が保持してきた雇用条件がどんどん失われるという危機感と一体のものである。
 この危機感が如実に示されたのが、5月29日に行われたEU憲法批准のための国民投票であった。フランスでは批准支持派が今年3月までは60%を超えていたが、3月17日の世論調査で反対が51%となり、以後反対は60%前後で推移。結果的には55%がEU憲法批准に反対したのであった。
 この背景には様々な要因があり、一つにはEU統合によりフランスの国家主権が失われることへの怖れが、統合がブリュッセルのEU官僚の主導の下で行われていることとの関係で強まったこともある。しかしより広範な大衆的な雰囲気で言えば、失業率10%という水準が長く続き、その中で政府が週35時間労働制を改悪し労働強化による企業の競争力強化策を取ろうとしていることが背景としては大きい。そしてこれはEU統合に伴ってさらなる市場開放を進めろというEUの欧州委員会の方針ともからんでいる。
 04年1月に欧州委員会は「サービス市場自由化に関する指令案」を採択し、これをEU首脳会議・欧州議会にかけようとした。この指令のポイントは、加盟国のサービス業者が域内の他国で営業するときには出身国の法規に拘束されるという「出身国原則」にある。すなわち最低賃金や週労働時間、衛生・環境条件などはその業者の出身国の法規に従うと言う事だ。したがってフランスやドイツなどの加盟国にとっては、自国の基準を下回る条件と低料金でサービス業務を他国に取られることを意味し、これを「社会的ダンピング」と呼んだ。これまでEU先進国労組が獲得してきた労働条件が競争原理によって崩壊し、「救急車、葬儀社、電話会社などが新規加盟国などの低賃金労働力に奪われる」「社会福祉・労働条件水準が低い所に平準化する」「工場が国外に移転する」などの恐怖を先進加盟国に生んだというわけだ(「世界週報」05年5月3日号:山本一郎著「フランスはウィかノンか」)。
 フランス政府が週35時間労働法制を改悪しようというのも、こうした「サービス業市場の自由化」の中でフランス企業の対外競争力をつけようという動きなのである。
 だから5月の国民投票が近づくにつれて議論されたことは、EU統合によって東欧諸国からの安い労働力の移入や産業移転だった。メディアでは連日3K労働に汗を流す外国人労働者の映像や記事が流布され、東欧からの季節労働者の明るい未来に希望をもった姿は、「ポーランド人の配管工」に仕事を奪われるという危機感を煽った。
 フランスの失業率は10%に迫り失業者の実数も5月には250万人に迫る勢い。これは実数としても国民の4%が失業者という数。この中でEU統合の一層の推進で東欧からの低賃金労働者が大量に入ってくるという事態は、フランスの労働者階級にとっては現実的な脅威と映るのである(「世界週報」05年6月28日号:渡邊啓貴著「足踏み状態避けられない欧州統合」)。
 EU統合の推進に伴って労働条件や福祉水準が改悪される中で、「移民」に対する優遇策ははたして有効なのであろうか。企業の従業員数に「移民」枠を設けたとしても、企業そのものが外国企業に対抗して労働条件の水準を下げてでも必要経費を下げて競争力を高めようとしている時、その「移民」枠は有効に機能するだろうか。IT産業などの先端技術者を必要とする部門では機能したとしても、それは「移民」の選別にもつながるし「移民」でないフランス人労働者を排除する手段にも使われかねず、「移民」に対する排斥感は強化されこそなくなることはない。まして「移民」も含めて現在のフランス人労働者はさらなる東欧やトルコなどからの「移民」労働者との競争にさらされる。一層労働条件が厳しくなり失業率が高まる中では、「移民」2世・3世が仕事から弾き飛ばされる確率は高まる。
 結局問題なのは、現在推進されているEU統合が企業の活動をより自由にしその国際競争力を高めて利益率を上げるという、企業収益に寄与するための統合でしかないということにある。このことが、すでに第二次世界大戦後の「移民」の積極的導入によって「多民族化」し内部に「民族問題」を抱える欧州各国に、他地域からの「移民」の増加と他地域の企業や産業との競争激化をもたらし、欧州が戦後一貫してとってきた「福祉拡大」路線との矛盾を激化させているのである。フランスでの「移民」排斥傾向の激化も、この動きの一環である。

▼問われるべきは統合のありかた

 問われるべきは、EU統合のありかたである。統合が誰のためのものなのかということである。
 EU統合が資本のより自由な活動の促進ではなく、真の意味での社会的連帯の促進や安定した日常生活の確保であるためには、なすべきことは(労働分野に限って言えば)、先進国労働組合が獲得してきた労働条件の国際化、EU域内全体での先進国の条件に合わせた労働条件の国際化である。これを推進するためには、フランスの場合で言えば、「移民」労働者も含めた「多国籍」の労働組合の結成によるフランスにおける「移民」も含めた全ての労働者の労働条件の今の基準への平準化と、フランス企業進出先の例えば東欧での労働組合の結成や争議への援助を通じた、現在の国家の範囲を超えた労働組合結成への動きが不可欠であろう。そうすることで、EU全体の労働条件をEU先進国の水準に合わせる事によって企業の自由な活動を規制し、域内の労働者全体の生活を守ることができる。
 フランスの「移民」2世・3世の若者の「おれたちもふつうの人間としてあつかえ」という叫びは彼らだけのものではなくフランス人労働者全体のものであり、今後統合される地域も含めたEU全体の労働者の共通の叫びなのである。共通の叫びであるという認識にたった労働者の国際連帯の戦いの一環として「移民」問題が取り組まれる事がない限り、この問題の解決はむずかしいであろう。

(12・20:すなが・けんぞう)


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