アメリカ経済の危機はどこまで「現実的」か

迷走する経済予測の深層と経済学の「危機」

(インターナショナルbP51号:2004年12月掲載)


▼悲観論と楽観論の交錯

 世界経済の見通しが揺らいでいる。原油価格の高騰、アメリカと中国経済の減速、アメリカの双子の赤字拡大と中国の潜在的不良債権の増加、ドル暴落とアジアの対米輸出減少などの悲観的予測が、イラク戦争の泥沼に足を取られるブッシュ政権の危機と併せて繰り返し指摘される一方で、アメリカ経済のファンダメンタルズ(経済の基礎的実態)の強さ、中国経済の持続的成長の可能性、米中両国経済の好調に牽引される世界経済の拡大局面という楽観論が拮抗している。
 悲観論の根拠となるドルの下落、原油価格の高騰、米国財政赤字の巨額化はもちろん事実である。しかしだからと言って楽観的見通しに根拠がないとは言えないし、それが的外れだと断じることもできない。悲観的予測が世界の金融市場を駆け巡る事態は否定しようもない現実だが、楽観的予測の論調には、本来考慮すべき経済的現実を軽視する悲観的予測が実態経済に与える悪影響を懸念し、これに警告を発しようとする強い意志が滲み出てもいる。

 しかも、利潤率の極大化を求めて投資家たちの主観的思惑が渦巻く各種市場の動向は、純粋に経済的な諸条件によってだけ変動する訳ではないし、逆にその思惑が市場を混乱させることも多々ある。
 例えば悲観的予測の重要な根拠とされる原油価格の高騰の背景には、長期に及ぶ投資の停滞がもたらしたOPEC諸国の原油生産余力の不足や中国の原油輸入の急増という経済的要因と共に、イラクとパレスチナを震源地とする中東情勢の不安定化が原油供給リスクを増大させる危険性という「地政学的リスク」に対する主観的思惑があり、アメリカの双子の赤字の巨額化という不安の背景には、アメリカ金融市場の相対的な地位の低下に伴う投資(投機)資金流入の減少といった経済的要因と共に、イラク戦争の長期化による戦費負担の増大という不確定な要因や主観的な不安がある。さらには「世界の多数派」が期待したアメリカの政権交代が実現しなかったことで、「ブッシュ政権の危機」を経済的側面から主観的に期待する傾向が潜んでいる可能性も否定はできない。
 たしかなことは、国際金融市場がある種の不安心理に囚われつつあり、それが世界経済の見通しを混乱させるひとつの要因となっていることである。以下、悲観論と楽観論の交錯する現状が世界経済の何を物語っているのかを検証してみたい。

▼伝統的思考と新しい現実

 世界経済の先行きに関する悲観論が顕在化しはじめたのは今年5-6月、アメリカの長期金利が急騰したのがきっかけだった。高値を更新しつづける原油価格もこうした金融的な緊張感を助長し、アメリカ経済の好調を支える大衆消費とくに住宅販売が、金利の急騰で頓挫する「住宅バブルの破裂」が懸念される事態となった。ブッシュ政権が経済政策的に窮地に追い込まれる可能性が、これまでになく高まったのである。
 ところが6月末から10月にかけて、原油価格の引きつづく高騰にもかかわらずアメリカの長期国債(10年物)の利率は0・7%も下落し、大統領選挙直前には4%程度で落ち着きを見せ、短期(2年物)国債のそれに至っては2・5%前後で横ばいであった。おかげで住宅建設の好調は持続し、10月になるとグリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長が「住宅バブル」という認識そのものを否定するに至るのである。ブッシュ政権は間違いなく「救われた」のである。

 いったいなぜ、長期金利の急騰という事態から推測されたブッシュ政権の危機は現実にならなかったのだろうか?
 これまでの主流的な近代経済学の理論に従えば、火がついてしまった「インフレ期待の膨張」は、その後3回にわたってFFレート(金融機関同士で一時的な資金の過不足を調整する市場利率、日本の「コール市場」利率に相当する)を引き上げた金融引き締め策ではいずれにしても止めようがなく、アメリカの好景気を頓挫させる長期金利の高止まりは避け難いというものであった。
ところが現実の金融市場の反応は、長期資金の需要が低下し、長期金利の高止まりはないというものだったのだ。つまり金融市場の側には、原油価格の高騰と金利上昇は世界一の石油消費国であり純債務国であるアメリカからの資金漏出であり、中長期的にはアメリカ自身の経済的活力を減退させて長期資金の需要が伸び悩み、金利はそれほど上昇はしないだろうとの思惑が働いた可能性が強い。というのもこれと平行してドルの為替相場は円とユーロに対して値を下げ(ドル安)、アメリカの長期金利が落ち着きを見せた10月以降は、日本政府が大規模なドル買い介入で「円高の阻止」を余儀なくされる局面さえ現れたからである。
 一国的経験にもとづく実態分類の予測では不可避と考えられたアメリカの高金利は、金融であれ商品であれ、あらゆる市場を自由に行き来する国際市場が形成された世界経済と、これと一体化したアメリカ経済の現実の下では違った形で現れたのである。しかもドル安はアメリカの対外債務を膨張させる負の側面がある一方で、アメリカ製造業の対日・対欧輸出には有利に作用するのだから、それは必ずしも「危機」とばかりは言えない現象として現れたのであった。

▼「ドル暴落」の現実性

 だが当然のことだが「ドル独歩安」という事態は、今度は「ドル暴落」の危機といった悲観論を台頭させ、その要因としてアメリカ国家財政の赤字と原油価格の高騰が改めて市場の不安を助長する火種となった。
 たしかに原油価格の高騰は、生産コストを押し上げて景気を後退させる要因となる可能性が高いし、アメリカの財政赤字の巨額化もドルの価値を低下させてドル安を加速する要因となり得るだろう。事実1970年代のアメリカ経済は、石油ショックと呼ばれた原油価格の高騰と経常収支と国家財政の巨額の双子の赤字を抱え、長期にわたる経済的停滞を経験してもいる。だがここでも、70年代の類推に対する有力な反論がある。
 アメリカ経済の「ファンダメンタルズの強さ」もそのひとつだが、実際にITバブルの崩壊以降のアメリカ企業は過剰投資を抑制し合理化を強力に推進して財務諸表(バランスシート)の改善に取り組み、収益を拡大し始めている現実がある。
 04年度の連邦政府財政の収入は03年度より980億ドル増えたが、その半分以上の580億ドルは企業収益の増加を反映する法人税収の増収によるものであり、それがまたブッシュ政権による財政赤字に対する楽観論の根拠ともなる。要するにアメリカ企業の稼ぎが良くなって税収も増加傾向なのだから、景気刺激策のひとつとして財政赤字を容認するのも悪くはない、という訳だ。
 しかもその赤字の規模はたしかに巨額ではあるが、国内総生産(GDP)比で見れば04年度の赤字は3・6%(4130億ドル)であり、今年初めに4・2%(4770億ドル)の赤字が予測されていたことを考えれば、むしろ「改善された」とさえ言える。
 もちろん財政赤字問題の核心は、こうした単年度の赤字の増減ではなく何年にも及ぶ累積額の積み上げにある。ところがその累積額も、アメリカ議会予算局(CBO)の見通しでは09年度にはGDP比2・1%、2014年度には0・4%にまで縮小するという。もっとも赤字削減を主張する民主党系団体の推計では、恒久減税などブッシュ政権の公約をすべて実施すると2014年までに更に1兆3260億ドルの赤字が増えるということだが、それをCBOの予測に加算しても2014年度の連邦政府債務残高はGDP比43%なのであって、財政の累積赤字がGDP比で120%にも達する日本とは比べ物にならない水準である。
 ところで、アメリカ連邦政府債務残高の最近のピークは93年のGDP比49・5%で、75年から95年までの20年間の単年度赤字の平均はGDP比3・7%であった。「70年代の類推」をもってしても、「最悪の場合10年後に」危険水準になるというに過ぎない。こうして、「70年代の双子の赤字」は実はアメリカ企業の収益性の低下を伴った「三つ子の赤字」だったから深刻だったのであって、企業収益が回復しつつある現在の双子の赤字は、アメリカ経済の脅威とはならないという楽観論が展開されるのである。

▼原油価格の高騰と経済格差

 では原油価格の高騰と経常収支の赤字拡大によってアメリカ経済の減速が加速し、世界経済がリセッション(景気後退)に入るというシナリオはどうだろうか。
 原油価格の今年度最高値である1バレル55ドルは、過去10年間の平均的価格帯が15〜29ドルで中心値が22ドル前後であったことと比較すれば、文字通り暴騰であった。だが市場の来年度予測は、冬の需要期には60ドル台があるとしても、05年度の平均価格はほぼ40ドル前後、中心値は30ドル台後半というのが大勢である。もちろんこれでも高値であることには変わりはないのだが、その世界経済への影響となると最高値の付いた10月とは〃様変わり〃したように見える。
 つまり原油価格の急激な変動はなお続くであろうが、いやもっと言えば「ローラーコースター相場」と言われる上下動の激しい価格変動が十分に予測されるにもかかわらず、世界経済に及ぼすマイナスの影響はそれほど大きくはないとの論調が優勢なのである。この一見すると矛盾するような予測の根拠は、石油市場の規模と、バスケット価格(OPECの主要原油の平均価格)の見直しが不可避な経済格差の2つである。
 原油価格高騰の純経済的要因は、中国の輸入急増をはじめとする需要の増大に対して、産油国の増産余力が限界に達しつつあるという需給関係にあるが、同時にアメリカ経済に対する先行き不安から逃げ出して行き場を失った投機資金が石油市場に流入し、価格を急騰させたからでもあった。世界中で膨張した多彩な金融市場に比べれば商品量(産出量)の限定される石油市場は小規模であり、小さな市場に大量の資金が流れ込めば価格は簡単に急騰する。
 だがこうした急騰はまた、あっさりと下落もする。高値が高値を呼んで利潤率が低下すれば、大量の投機資金はより有利な利率を求めて移転するからである。
 さらに来年05年度の価格帯として予測されている40ドルという価格は、過去10年にわたってOPECがバスケット価格の「望ましい変動幅」と主張してきた22〜28ドルとの比較では40%もの値上がりだが、原油輸入大国であるアメリカと中国のこの10年間の経済成長と比べれば、いずれにしても「バスケット価格の見直しが不可避」である。それは拡大し過ぎた「経済格差の是正」の範囲内と言うことができるし、この是正によって増加することになる原油販売代金が油田開発資金として投資に回され、現状の原油供給能力を強化する可能性もある。
 こうして現状の原油価格の高騰は、急激ではあっても持続性がなく、需給の逼迫も長期に及ぶ可能性は小さいということになる。それが、100%超の値上がりが長期にわたって定着することになった70年代初頭の石油ショックとは違う点なのだ。

 つまり経済的条件だけを見る限り、ドル安の進行は間違いないとしても「ドル暴落」はあまり現実的ではないし、原油価格の高騰で70年代後半のような経済的停滞が起きるというのも可能性としては小さい。

▼世界市場をかけめぐる不安

 では「ドル暴落」も「原油高騰と景気の後退」も起きないのかと言えば、そうとは言えない。むしろ世界経済に重大な影響を及ぼす市場の急激な変動は、いつでも、どこでも起きる可能性が強まっている。しかもその最大の要因は、純経済的な要因というよりは世界各地で日々生起するであろう政治的・社会的諸事件であり、それが呼び起こす人々の不安な心理なのである。
 例えば「ドル暴落」の可能性は純経済的には小さなものではあれ、イラクでアメリカの戦争目的が達成されそうもないという不安が増幅すれば、つまり来年1月のイラク国民議会の選挙が実施できなかったり、実施されても武装抵抗闘争や社会的混乱が拡大すれば、それはたちまち「イラク原油の供給停止」の不安や思惑と結びつき、原油価格の暴騰やドルの急落と言った市場の「過剰反応」として現れる可能性は十二分にある。それはまたアメリカの双子の赤字を一挙に膨れ上がらせる事態を誘発する可能性もある。
 そしてこの場合は「小規模な」原油市場や「弱含みのドル」という経済的事実が、混乱を助長するテコとして作用するのだ。
 要するに経済のファンダメンタルズという客観的で有力な根拠が、世界を股にかける投資家たちの主観的不安や思惑によって撹乱される可能性は少しも減じはしない。そしてこれこそが、世界経済に対する悲観論の最も有力な根拠なのである。そしてもちろん幾つかの幸運に恵まれて、楽観的予測が現実となる可能性も当然ある。

 だが以上見てきたような悲観論と楽観論の交錯には、近代経済学(もちろんマルクス経済学を加えてもいいが)の衰退もしくは「転機をはらんだ危機」が映し出されているように思われる。

▼人間社会を見ない「経済学」

 世界を駆け巡る不安心理の背後には、20世紀後半に「豊かな大衆社会」を築き上げた大量生産・大量消費の資本主義的好循環が過剰生産(需要不足)の壁に突き当たり、今後数十年におよぶ好況など誰も期待できないという本質的な「経済的要因」がある一方、その豊かな大衆社会という工業的先進諸国が甘受してきた特権の防衛が、反面では人類史上稀に見る規模の経済格差を世界中に作り出し、それを温床とするテロリズムの増殖が社会不安を助長するいう、経済と社会との間には明らかな関連がある。
 ところが現代の経済学とくに新古典派と呼ばれる近代経済学の一派は、連動して変化する経済と社会の動向を「純経済的」に説明して事たれりとする。
 例えば「実物的景気循環理論」(リアル・ビジネス・サイクル理論=RBC)は新古典派マクロ経済学の到達点と言われる理論で、サプライサイド(供給側)の「実物的要因」を景気循環の決定的要因であるとする理論である。その最大の特徴は、現実の経済の上昇と下降を経済的均衡それ自身の変動ととらえる点にあると言われるが、その論理的帰結は、不況はそれ自身が「新しい均衡」であって「経済問題」ではなく、失業率の上昇も、低下した労働分配率(賃金水準)を忌避して「余暇を選択した」均衡状態に過ぎないというとんでもない内容になる。
 経済の変動を実物的要因で説明しようとする点ではケインズ経済学派もマルクス経済学派も人後に落ちないが、この両者はRBCとは全く逆に、生身の人間が生活する社会の実態に「経済はどう作用するか」を決して忘れなかったし、だからまた政策的か制度的かいずれにしろ何らかの変革を通じて社会的危機の緩和や打開を実現する理論的根拠を提唱しようとしたのだし、ケインズと並ぶ著名な経済学者・シュンペーターが、資本主義経済は常に新たな均衡に向かう運動であり、したがって資本主義は「純粋に経済の内的要因で破綻することはない」と唱えても、それで人間社会の均衡も保たれるということを主張した訳ではなかったはずだ。
 だが今年、学術的権威であるノーベル賞の経済学賞を受賞したのは、他ならぬRBC理論の功績を認められたカーネギーメロン大学のキッドランド教授とアリゾナ州立大学のプレスコット教授の2人であった。
 彼らの「厳密なモデル分析」は、経済活動全体を代表するような個人(=代表的個人)を想定し、その行動を「厳密に」分析するというRBCの典型的手法を「更に厳密にした」のだそうだが、現実には絶対に存在しない「代表的個人」モデルをどれほど厳密に分析したところで、多様な人間の多様な活動の結果である経済的変動を予測できるとは到底考えられない。だからまたより均衡のとれた人間社会を構想したり、そうした人間社会を実現しようとする政策や手段を考案する助けにはなりようもない。
 いまや経済学は、人間社会の最も基礎的な活動である経済活動を分析し、それによって将来を見通す社会科学であることを自ら捨てて、グローバル化した経済が生み出す人間社会の諸問題を言い繕う「屁理屈」に堕落したのであろうか。楽観論と悲観論の経済的予測が交錯する事態は、こうした現代経済学の歪んだ現実の投影でもあるのだ。

(12/19:きうち・たかし)


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