【台湾総統選挙と台中関係】

拡大する中国との経済関係と台湾アイデンティティの動揺

(インターナショナル第146号:2004年7月号掲載)


▼僅差の選挙と台中関係

 4月20日の総統選挙を僅差で制した中華民国(=台湾)の陳水扁(チェン・ショイビエン)総統は5月20日、二期目の総統就任演説を行い、「中華民国の存在は否定できない」「武力で脅し続け、政治的に孤立させるなら、台湾人の心は(中国から)離れる」などと中華人民共和国(=中国)政府を厳しく非難したが、選挙戦の争点であった「公民投票による新憲法制定」という公約については、大きくトーンダウンさせた。
 この演説で陳総統は、新憲法には「主権、領土、統一・独立は範囲に入れない」と言明し、「公民投票」についても「新憲法には公民投票を盛り込む」とだけ述べ、台湾独立の是非を問うことになると見られた新憲法制定と公民投票の関係を曖昧にし、さらには中国政府の「一つの中国」原則について「放棄できないのは理解できる」と配慮までして見せたのである。
 もっとも、党の綱領に台湾独立を掲げる民主進歩党(=民進党)の党首である陳が、僅差とは言え総統に再選されたことは、台湾独立に対する中国政府の強い警戒心を刺激せずにはおかない。その意味で陳の総統再就任は台中関係の政治的緊張の持続を意味するが、同時に就任演説のトーンダウンは、陳総統と民進党もまた、「台湾独立」を強力に推進できるほどの社会的基盤を持ち得ていないことを示唆している。

 4月の総統選挙における有権者総数は1649万人で投票率は80・28%だったが、再選された陳候補の得票が647万票(得票率48・86%)だったのに対して、中国国民党(=国民党)主席の連戦(リエン・チャン)候補は644万票(同48・64%)を獲得、その差わずかに3万票、得票率では0・22%という僅差であった。
 それは選挙直前の「連候補の優勢」という世論調査を覆す陳の勝利だったが、投票日前日の銃撃事件で負傷した陳に同情票が集まったのは明らかだし、3万票の僅差に対して33万票もの「無効票」があった事実も選挙の不正疑惑を増幅した。
 したがって選挙で敗れた国民党が、銃撃事件の自作自演疑惑と集計作業の不正疑惑を追及する激しい抗議運動を展開したのは事の成り行き上必然的だったが、総統就任演説で陳が対中政策について選挙戦の主張を大きくトーンダウンすると、国民党が主導した不正選挙抗議運動はすぐさま矛先が鈍ることになったのである。
 こうした、民進・国民両党の政治的思惑とは必ずしも一致しない台湾民衆の政治的動向は、台湾政治最大の争点が台中関係にあることを確認する一方、その結論はなお曖昧にする以外にない台湾社会の実情を印象づけることになった。
 つまり総統選挙に現れた僅差の二極分解と不正疑惑への抗議行動が垣間見せた台湾社会の〃分裂〃は、今日の台中関係とくに台湾民衆にとってのそれが、「ひとつの中国」原則や「台湾独立」に収斂できるほど単純ではないことを物語っている。
 ではいったい民進党の掲げる独立は台湾社会のどんな状況を反映し、それはまた陳の再選にどんな影響を与えたのだろうか。

▼台湾アイデンティティの動揺

 かつての台湾は中国革命と対峙する反共の砦であり、同時に戦後資本主義の経済的繁栄を中国大陸とアジア諸国に見せつけるショーウィンドとして、半世紀にわたって西側反共同盟の手厚い保護の下にあった。
 とくに繁栄のショーウィンドとしての存在意義は、中国が国連に加盟し台湾が安保理常任理事国の座を失っても、冷戦の終焉によって反共の砦の意義が低下しても揺るぎないように見えた。だが中国共産党の改革開放政策への転換によって大陸沿岸部でめざましい経済成長が始まると、その存在意義は根底から揺さぶられることになった。
 台湾経済は、中国大陸沿岸部の経済成長とともにショーウィンドに甘んじることができなくなったのである。

 昨年2003年の台中貿易の取引総額は前年比23・8%増の463億2千万ドルで全貿易額の17・1%を占め、これまで常に1位と2位を占めてきたアメリカと日本を追い抜いて初めて首位になった。同じように台湾資本の対中直接投資額も増加の一途をたどり、今年5月には10億2千万ドルと過去最高を記録、6月も6億3千2百万ドルと過去2番目の高水準を維持し、今年上半期の累計では前年比68%増という驚異的な伸びを記録した。
 しかも経済的な対中関係の急拡大は、生活拠点を台湾から中国大陸に移す人々を大量に生み出すことにもなった。現に大陸に渡ってビジネスに従事する台湾住民は、家族を含めると100万人に達すると言われ、それはそのまま、いわゆる「三通問題」を政治的焦点に押し上げる圧力である。
 台湾と中国間の通商、通航、通信の3分野にわたる直接交流を意味する「三通」は、文化大革命終結宣言から2年後、米中の国交が正式に回復した79年に早くも中国側から提案された。だが当時の国民党政府は対中関係改善に慎重な姿勢を崩さず、金門、祖馬島を経由する「小三通」=部分的交流が実現するのはようやく2001年になってからである。しかもこの部分的緩和は台中経済交流の拡大に押された受動的な措置であり、すでに香港をモデルとする「一国二制度」論で中台の「平和統一」を主張していた中国にくらべ、台湾の政治的立ち遅れは明白であった。
 アメリカと日本の手厚い援助によって支えられてきた経済的優位は中国沿岸部の経済成長によって掘り崩され、経済的境界線がますます希薄化するグローバリゼーションの進展と大陸への資本の流出がこれに追い打ちをかけた。こうして中華民国という国家の存在意義が根底から揺さぶられ、台湾社会はアイデンティティ・クライシスの危機に直面することになったのである。

▼二律背反する台湾の課題

 このアイデンティティ・クライシスの危機にいかに立ち向かうのか? これこそが、台中関係を争点にして繰り返し現れる、台湾政治の最大の課題である。そして陳総統と民進党は、この課題に「一辺一国」論つまり台湾と中国は別の国でり、その基盤は「台湾人」というアイデンティティにあるという「ひとつの回答」を示し、僅差とはいえ国民党に代わる多数派として台頭した。
 だが今回の総統選挙で現れたこの「新しい多数派」は、強固な社会的基盤をもつ安定的な勢力とは言い難い。
 というのも、中台の経済的相互依存の拡大はむしろ台中関係の緊張ではなく平和的安定を求めるからであり、台湾独立を含む一辺一国論はこの安定を脅かすからである。政治的緊張が高じて経済交流が阻害されれば、双方に甚大な損害をもたらすのは明白である。だが他方では、大陸に進出する台湾資本が増えれば増えるほど、その投資資産を守ることのできる強力な国家的後ろ盾の必要が、言い換えれば「台湾人」の私有財産を擁護する国際的に認知された独立国家の必要が、強く意識されるのも必然的である。
 今年3月の全国人民代議員大会で改正された憲法に「私有財産の不可侵」が明記されたとはいえ、翌4月には「一国二制度」のモデル・香港の行政長官と立法会(議会)の直接選挙が07年から08年に突然先送りされ、景気の過熱がバブル崩壊の懸念を広げて中国政府による急激な景気抑制策がはじまったことも考えれば、大陸に進出した台湾資本の投資資産の防衛は、漠然たる不安を越えた極めて切実な問題なのである。
 つまり選挙戦では挑発的な「台湾独立」論を叫びながら、就任演説では一転して「ひとつの中国」原則に理解を示す柔軟姿勢を見せた陳水扁は、中台関係の緊張緩和と強力な国家の必要という二律背反する課題の間で揺れ動く、台湾の経済と政治が直面するジレンマを象徴していたのである。

▼地域経済協力と台湾の自治

 必要なことは、中国と台湾の間に発展しつつある経済関係を基盤にした相互の政治的信頼を醸成することであり、台湾社会の未来を台湾民衆が自ら決める政治的民主主義が保証されることである。だがそのためには、日本を含む周辺諸国も加わった東アジア規模の、相互に自立的な経済協力圏の展望を見いだすことが必要でもある。相互牽制を含む多国間の協力関係は、中国と台湾の双方に必要な妥協や自制を促し、民主的な対話を通じた信頼関係の構築しかないことを納得させることができる唯一の方法だからである。
 だがそうだとすれば、中国が香港の直接選挙を一方的に延期した4月の決定は、「一国二制度」という提案の信頼性を傷つけ、大陸に進出した台湾資本のみならず台湾民衆の政治的不安を大いに助長することで、陳水扁と民進党を多数派に押し上げる要因のひとつとなったのは疑いない。
 つまり陳総統の再選は、台湾アイデンティティの再構築にとって、国民党独裁を終わらせた政治的民主主義の擁護は不可欠の条件であると考える台湾民衆の存在を示しているのであり、陳水扁の挑発的な台湾独立論には同調せずとも、不安が露になった中国の「一国二制度」に妥協しない陳水扁に支持を与えた可能性は無視できない。

 最後に、中国共産党の「ひとつの中国」論は、植民地・中国の解放と統一という民族解放革命の貫徹という意味を持つだけでなく、内戦に敗れた亡命政権であった国民党独裁下の台湾においては、ひとつの進歩的展望であったとは言える。だが国民党の独裁が他ならぬ直接選挙によって覆され、さらにこの10年間で自らを「台湾人」と考える台湾民衆が急増している現実を直視するなら、すべての台湾民衆に「中国人」というアイデンティティを強制することは、政治的民主主義の抑圧なしには不可能である。
 陳水扁の挑発的言動に過敏に反応して「ひとつの中国」を強調する対応は、台湾民衆を陳水扁の側に押しやり、台中の経済関係にも悪影響を及ぼすだけである。

(7/28:さとう・ひでみ)


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