国連の関与はイラクと世界に安定をもたらすか?

―ブッシュの「転換」の意味を問う―

(インターナショナル第142号:2004年2月掲載)


▼多国間協調への「転換」

 2002年9月のブッシュドクトリン発表以後、国連機関や従来の同盟国の多くの意向を無視して単独行動主義的に動いてきたアメリカのブッシュ政権が、ここにきて「多国間協調」路線へと「転換」を始めた。イラクの「戦後統治」において、アメリカはその主導権を国連に引渡しその主導の下で動く用意があることを表明し、国連はこの了解の下に「調停」に乗り出したようだ。
 国連本部で1月19日(日本時間20日未明)に開かれたアナン国連事務総長と米英、イラク当局の三者協議で、米英とイラクは、6月30日までに予定される暫定政府の樹立を直接選挙で行うことができるかどうかを見極める調査団を派遣するよう国連に要請した。これは直接選挙の実施を主張するイスラム教シーア派に配慮し、国連に「仲介役」を求めるものである(朝日:1月20日)。そしてその後の国連調査団の調査を踏まえ、アナン国連事務総長は2月19日、イラク統治のあり方について6月末の主権移譲期限を尊重し、それ以後早期に直接選挙を実施すべきだとの勧告をまとめた。アナン事務総長はまた主権移譲後の統治を担う「暫定管理政権」を発足させる必要性を指摘、イラク人自身がそのあり方をまず議論すべきだとの認識を示した。さらに彼は、「選挙や新憲法起草などについて、法的な枠組みが求められることになるだろう」と語り、安全保障理事会で新たな決議採択が必要との考えを示唆した(毎日:2月20日)。
 イラクの戦後は明確に国連の主導下で動き出し、そしてブッシュ政権も国連の主導を認め、安全保障理事会を構成する諸国との協議によって事態の打開を計っていく「路線」に「転換」したようである。
 これはブッシュ政権の「戦略の転換」なのであろうか。

▼戦略目標は「自由な世界の建設」

 以上のようなブッシュ政権の動きを、彼らが単独行動主義をやめて従来の多国間協調主義へと戻ったと評価し、戦略的転換であると評価するむきがある。また一方ではこの「転換」は、大統領選挙でのブッシュ再選を目指すための当面の戦術的転換に過ぎず、ブッシュが再選されればふたたびアメリカは単独行動主義を取る。戦略の転換はされていないとの批判もある。
 だが何がアメリカの戦略であるかについては、誤解があるのではないだろうか。いやむしろ「戦略」と「戦術」という語の意味を誤解したまま論じている人々が多いのではないだろうか。
 2002年9月に発表された「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」(通称ブッシュドクトリン)は、「単独行動主義」「先制攻撃主義」を戦略としたもので、国連も主権国家の主権をも無視したものだと非難されてきた。だがはたして単独行動主義や先制攻撃主義は戦略なのだろうか。
 戦略とは実現すべき目標のことであり、その目標を実現するための様々な方法(これが戦術である)をも包括的にまとめたものを指している。そしてブッシュドクトリンはその第一章「米国の国際戦略概観」において、米国の目標が目指す所として「政治・経済的自由、他国との平和的な関係、そして人間の尊厳の尊重」であると明確に記している。
 つまりこれが戦略である。
 そしてこの戦略を最も平明に説明しているのが、この文書の冒頭に掲げられている序文である。
 序文の冒頭で彼は、「21世紀において、基本的人権を保護し、政治的経済的自由を保障する国々だけが、自らの国民の潜在的な力を解き放ち、国民の将来の繁栄を確実なものとすることができるだろう」と宣言する。そして「こうした自由の価値は、すべての社会の、すべての人にとって真実で」あり、「こうした価値を敵から守る責務は、全世界の、年齢を超えた、自由を愛する人々の共通な欲求」だとする。そしてアメリカは比類のない力を持っているがそれを一方的な優位のために使うのではなく、「人間の自由にとって有利に働く力の均衡を創造する道を模索する」と述べ、自由な世界の創造とその防衛のために、世界の国々と協調していくことを明確に述べている。
 さらに彼は、序文の最後の部分で以下のように述べる。「米国は自由の恩恵を世界中に広げるため、今まさにある好機を利用する。我々は、民主主義、発展、自由市場、自由貿易の夢を世界の隅々までもたらすため、積極的に行動する」。「自由貿易と自由市場に、社会全体を貧困から救う力があることは実証済みだ。米国は自由に貿易ができ、繁栄する世界を作るため、個々の国、地域全体、グローバルな貿易社会全体とともに努力する。米国は、正統に統治され、自らの国民に投資し、経済の自由を促進する国々に対し、『新千年紀チャレンジ会計』を通じてこれまで以上の開発援助を行う」と(世界週報:02年12月10号掲載の翻訳による)。
 アメリカの戦略は「自由貿易・自由市場の拡大」という「自由な世界の建設」である。そして、この世界の多くの国々にとっても意味がある目標の実現を阻もうとしている脅威、すなわち「ならず者国家」と「テロリズム」という二つの脅威をいかにして克服し、世界中を政治的に経済的に自由なものにしていくか、この目標の実現の中にアメリカという国の国民国家としての存在意義もあるというのがブッシュの主張なのである。
 この戦略目標を実現する方法の基本は国際協調であるが、目標の実現を拒む脅威を取り除く上で必要があれば、アメリカは単独でも行動する用意があるし、場合によっては先制攻撃も辞さないというのがブッシュドクトリンの趣旨なのである。
 このブッシュドクトリンを、「先制攻撃戦略」や「単独行動戦略」と呼ぶこと自体が間違いなのである。クリントン政権の国防次官補であったジョセフ・ナイが「専門家の多くにとっては、単独行動主義と多国間主義は外交戦術の両極端のアプローチを意味するに過ぎない」(フォーリン・アフェア―ズ03年7月号掲載「イラク後の合衆国のパワーと戦略」)と述べたのが真実をついている。
 ブッシュ政権は、手段をめぐる政権内部の対立に起因するジグザグによる国際協調のほころびと、イラク国民の抵抗によるイラク統治の破綻という危機の前に、明確に戦術的転換を図っていこうとしているのである。しかし戦略目標としての「自由な世界の建設」は微動だにしてはいない。

▼民主党も支持する「戦略目標」

 しかし今後の世界の行方を占う上で、このブッシュの戦略が、実はアメリカの政治家の多数の支持を得ているということと、EUの主要な国々の政治家の支持を得ているということを確認しておくことは重要である。
 例えばクリントン前政権の国務長官であったマドレーン・K・オルブライトは、「架け橋か、爆弾か、それとも空騒ぎか?」(フォーリン・アフェアーズ:03年9月号)という論文で以下のように述べている。
 「大統領が遠大な構想を表明し、引き受ける必要のない政治的リスクをあえて引き受けたことは評価できる。大統領が誠実な意図を持っていることは疑う余地がない。『アメリカは独りよがりになってはいけない』という彼の立場にも『敵対勢力に反対するだけでなく、打倒しなければならない』とする彼の立場にも私は同意する。アメリカのために、大統領の路線が成功することを私は望んでいる。しかし大統領は、目的の実現へとつながる道程に不必要な障害物をつくりだしていると私は思う」。「いまからでも遅くはない。ブッシュ政権はまだ路線を修正できるはずだ」。「アメリカの国家安全保障戦略から先制攻撃ドクトリンを外して、かつてのような慎ましやかな路線に戻れば、状況を改善する助けになる」と。
 つまりクリントン政権とブッシュ政権とでは、実現しようとする戦略目標は同じだが方法が異なる。クリントンのように、民主主義を拡大するには国際的な協力を持ってすべきだというのが彼女の主張である。そして同じ論文でオルブライトは、イラクと中東の民主化について「WMD(大量破壊兵器)に関する国連安保理決議をサダム・フセインが長い間踏みにじってきた以上、今回の戦争は正当化される」。「イラクの政権交代策をめぐって、ワシントンは、効果的な国連査察ができない以上、『安保理決議を順守させ、国連の信頼性と国際法を強化するには、武力行使しかない』と反戦派を説得すべきだった」。「民主主義とはボトムアップ式に少しずつ下から形成されていくものだ」。「私はクリントン政権の外交政策に誇りをもっているし、民主主義を外から強制できないことも理解している。しかしアラブ世界の内からの自由化をもっと支援すればよかったと心残りに思っている」と述べている。
 この最後の中東民主化についての見解は、2月9日にパウエル国務長官が中東民主化についての新たな構想を検討中で、この新構想は押しつけではなく関係諸国とともに実現をはかるものだと強調した(毎日:2月10日)こととほとんど同じである。
 クリントン政権とブッシュ政権とは対照的な戦略をとったと考えがちであるが、それは方法の違いにすぎず、戦略目標はほとんど同じなのである。大きな違いがあるとすれば、オルブライトが先の論文において述べたように、ブッシュ政権が「質的に異なるテロとならず者国家の脅威をひとまとめにして、イラクとの戦争を正当化した」ことにあった。だからこそイラクとの戦争にあたって民主党の多数派も賛成したのだし、民主党の反対派の反対理由も「査察はまだ有効」「手段を尽くせ」「テロは戦争ではなく国際協調で」という事に過ぎなかったのである。

▼価値観を共有する米欧諸国

 このように見てくれば、EU諸国もほとんど同じ目標を持っていることを理解するのはたやすい。イラク開戦を巡る安保理での議論は今すぐ攻撃するのか、査察を継続して大量破壊兵器の脅威を取り除くのかという、解決方法をめぐる対立にすぎなかった。なのにフランスのドビルパン外相をして「今や世界には二つのパワーしかない。一つは横暴で抑圧的なアメリカ、もう一つは、まどろみからまだ覚めていない兵士たち、そう、イスラムの兵士たちだ」と言わしめ、イスラム原理主義者のテロとアメリカの横暴な動きとが世界の安全に対する脅威だと発言をさせ、米欧対立を決定的にさせたのは、ブッシュ政権の、軍事力ばかりを重視して国際協調を軽視する路線に原因があったのである。
 国際秩序を破壊するおそれのある「破綻国家」に対して先制攻撃をかけることについては、国連の多数の国の合意をえている。少なくとも米欧の間ではそうだ。国連はコソボ紛争への軍事介入の際、拒否権の発動によって安保理の承認がえられずアメリカとEUすなわちNATOの有志連合によってするしかなかった現実を踏まえ、2000年9月に、カナダ政府を中心として軍事介入と国家主権に関する国際委員会を組織していた。そしてこの委員会は、人道的悲劇から民衆を「保護する責任」に基づいて、「極端な場合」には軍事介入も行うべきであるとの報告を01年末に出している。破綻国家で大量虐殺や大規模な飢餓、レイプ、民族浄化などの悲劇が置きかねない時、手段をつくしてもそのような悲劇を阻止できない場合には、国連安保理の決議もしくは国連総会での決議を基礎に、当該の主権国家の主権をも無視して、悲劇を阻止するために軍事介入をする「責任」が国際社会にはあるという論理である。(詳しくはフォーリン・アフェアーズ02年12月号掲載の元オーストリア外相のエバンズとアフリカ問題担当国連事務総長特別顧問のサハヌーン両氏の共著『保護する責任』を参照)。
 この見解は直接イラクをどうこうというものではないが、この「保護する責任」に基づいてイラクの問題を処理することも可能であったろう。
 中東の民主化についても、先のパウエル国務長官の発言の直後フランスのドビルパン外相が、「マグレブ(北アフリカ)、近東、ペルシャ湾岸諸国を同じように扱うことはできない」と中東域内の多様性に言及し、中東政策での対米協力姿勢を示しながらも「西側が外から既成の解決策を押し付けようとする戦略には反対だ」と発言、「中東諸国との多角的なパートナー関係を樹立する必要性を強調した」(毎日:2月20日)が、これとて方法の違いの問題に過ぎず、さらに言えばアメリカとフランスの主導権争いに過ぎない。「自由な世界」「民主化された世界」をつくることにおいては、少なくとも米欧間において価値観の差はないのである。
 「国際機関によってアメリカの行動が縛られることから逃れたい」と考えるネオコンの路線だけが、今日の米欧の中において浮いた存在なのである。なぜこのようなアメリカ単独主義・軍事力偏重主義が生まれたのかは別途研究する必要はあるが。

▼中東「民主化」は世界を安定させるか

 11月のアメリカ大統領選挙において、現職のブッシュが勝つか挑戦する民主党のケリーが勝つかどうかに関わらず、アメリカ政府の路線は、従来の多国間協調主義に戻って行くに違いない。政権の内部にいるネオコン勢力が完全に政権外部に放逐されればこの動きは直線的であろうし、もし内部に残存勢力があれば多少の紆余曲折も予想される。
 しかし今、多国間協調が必要なのは「ならず者国家」や「破綻国家」そしてテロの脅威だけではない。狂牛病や鳥インフルエンザ、エボラ出血熱やエイズなどの破壊的伝染病の蔓延、そして環境破壊の問題、さらには飢餓と貧困の問題。これらの深刻な問題の克服の過程では、主権国家を超えた国際協力が不可欠であり、場合によっては主権国家の主権を超えて、国際的に介入することも必要である。世界が一つに緊密につながってしまった現在、どの問題の解決も一主権国家だけの手にはおえず、主権国家を超えて、国際的な同一歩調による克服策が取られる必要がある。いまや世界は、「世界政府」を要求している。しかしその「世界政府」がない以上、既存の国家の協調や国際機関を通じた協調によって「世界政府」を代行していくしか、当面は問題を克服する道はない。
 この意味で、今後は紆余曲折があるにせよ、この方向に進むであろう。イラクや中東の問題にしても、国連が全面的に関与し、当該の国々の人々の意思を尊重しつつ「民主化」は進められるであろう。
 では問題は、これによってイラクは、そして世界は安定するのかということである。
その行く末は楽観はできない。いやむしろますます不安定になっていくに違いない。特に中東の民主化については。
 なぜなら米欧が今後も進めて行こうとする「民主化」とは、つまるところ「自由貿易と自由市場」、つまり「市場経済」の世界化に過ぎない。そしてそれは、ブッシュ大統領が述べた「自由貿易と自由市場に、社会全体を貧困から救う力があることは実証済みだ」というような楽天的な展望を持つことはできない。この間の「自由貿易と自由市場」の世界化は、アメリカ一国に富みを集中化するものであり、アメリカの金融資本が世界中に同一の条件で資本を動かし利益をあげることを容易にするためのものであり、「自由貿易と自由市場」に組みこまれた地域はかえって経済的な従属を強め、拡大する貧富の差に国内は不安定になっていったのが事実なのであるから。
 そしてイスラム原理主義者のテロもこの事実を背景にしている。イスラム原理主義者がアメリカに対してテロを起こす直接の動機は、世界が「自由貿易と自由市場」に組みこまれることからくる貧困の拡大ではない。彼らが憤っているのは、「西欧という『文明』と、アラブ・イスラムの社会や文化との百年以上におよぶ軋轢」である。
 「西欧という『文明』の側が、それ自体を普遍的なものとみなすという、ほとんど無意識の優越感を内包しているのに対して、『文化』の側に立つ者は、まさにその無意識の優越感によって自己の誇りを傷つけられ、そのアイデンティティイを蹂躙されたと感じるからである」(以上:佐伯啓思著「新『帝国』アメリカを解剖する」ちくま新書)。

▼必要な先進諸国の自己犠牲的援助

 しかし彼らのテロを容認し、そこに新たな要員を補給する背景は、まさにイスラム世界が「自由貿易と自由市場」に組みこまれる過程でおきた貧困であり、伝統社会の破壊であり、その中での自国政府の腐敗・無策・西欧への従属である。
 アメリカがそして西欧諸国が、その資本主義的力の優越を背景に、その力の展開を可能にする「自由貿易と自由市場」を世界に広げることを通じて欧米的価値観を世界に広めようとする限り、世界の他の地域とのあつれきは増えることはあっても減る事はない。
 西欧諸国がかつて世界を植民地化し、世界を暴力によって支配して、世界各地の文化を破壊し富みを奪い取ってきたことは、たかだか60年ほど前までの出来事であり、人々の記憶から決して消えない。そしてその植民地主義からの世界の解放者として擬せられたアメリカもまた、同様であったことに世界の多くの人々は気がついている。
 たしかに欧米の資本主義がもたらした文明は世界に比類なき豊かさを生み出した。その技術的優位は揺るがない。しかしその背後では、欧米以外の国々の文化を破壊し富みを奪い取り、その国々に今日にまで至る苦難を押しつけたことは、国連の環境会議や貿易会議などで、かっての植民地諸国が主張するとおりである。
 欧米諸国が世界の多くの問題を多国間協調によって克服しようとするのであれば、その過去を反省し、多くの国々の文化や伝統を尊重しつつ、自らが犠牲となってその国々の発展に尽くす覚悟がなければならない。例えば環境問題を克服する時、先進各国が環境問題を起こさない技術を無償で発展途上国に提供し、それを実施する資金を無償で援助するというのは、そのような自己犠牲の具体的な姿なのである。
 このような自己犠牲の姿をあらゆる問題で示すことなくして、世界の主導権を握っている欧米諸国と他の国々との協調、そして世界の安定はありえないであろう。
 イラクは国連の主導下において、いよいよイラク国民自身の政府で統治されはじめる。内部に深刻な対立を抱えたこの国にどのような自己犠牲的援助ができるのか、これが今後の世界を国連の主導の下で安定できるかどうかの試金石になるであろう。
 そして同じ作業は、すでにアフガニスタンという国家の再建においても試されつつあるのである。

(2/23:すなが・けんぞう)


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