私たちは、どのような世界を望むのか?

―「アメリカ民主主義」の輸出か「戦争否認」の思想の再構成か―

(インターナショナル第140号:2003年11・12月号掲載)


▼ブッシュを追い詰める先制攻撃戦略

 アメリカのブッシュ政権の外交政策が大きく動き始めた。
 ブッシュ大統領は10月20日、北朝鮮に対してその安全の保障を文書で確認する用意があることを表明した。これはすでに9月5日にパウエル国務長官が表明していたことだが、政権内のネオ・コンや保守派の反対にあって頓挫していた構想であった。
 つまりこの1ヶ月半の間のブッシュ政権内の外交政策をめぐる駆け引きは、「中道派」の勝利に終わったことを意味している。
 そしてこの動きは北朝鮮だけではなく、イラクをめぐる状況でも言え、アメリカはイラク人に早期に主権を委譲することを表明し、来年2004年6月を持って暫定統治評議会に主権を委譲し、5年以内に憲法を制定するとした。また国連がイラク復興に主体的に関与するように求める動きも始まり、今まで頑なに譲らずに来たイラクにおける軍事的指揮権すらアメリカが国連に譲る気配さえ見え、この線に沿った新たな国連安保理決議を求める可能性も出てきた。
 しかしこの新たな動きは、ブッシュ政権が「先制攻撃戦略」に表現される自国の国益を優先させ、同盟国ですらそれに従属させようとする戦略を放棄しはじめていることを意味してはいない。ブッシュ大統領は、11月6日にワシントンで講演し、そこではじめて「世界民主革命」という言葉を使用して、アメリカ的な民主主義を世界に「輸出」し、そのためには独裁的な政権に対して軍事力を行使することをもためらわない事を改めて表明しているのである。
 では、ブッシュ政権が外交路線を表面的ではあれ変更し始めた理由は何であろうか。それは「世界に民主主義を広める」試金石であったはずのイラク情勢が混沌とし、さらにはアフガン情勢も混沌としているからである。イラクは今や「ゲリラ戦」状況に陥って、毎日アメリカ兵が死傷し、それだけではなく国連や民間団体さらに同盟国の軍隊や、トルコで激発しているような在外公館やホテルへのテロすら発生し、その戦略の破綻が誰の目にも明らかになって来つつある。
 そしてこのことは、アメリカ経済が思ったほどには回復をしないこととあいまって、このままでは来年秋の大統領選におけるブッシュ再選が危うくなってきているからである。
 ブッシュ政権の外交政策の変更はその戦略の変更ではなく、「先制攻撃戦略」の破綻がそのままアメリカ国内情勢にはねかえり、自らの足元すら脅かしかねない状況に追い詰められつつあることが背景にある。

▼罠に飛びこんだアメリカ

 しかも、衝撃的な事実が暴露されはじめている。
 それは崩壊したかに見えたイラクのフセイン政権が、実は計画的に政権を解体し、地下に潜って組織的なゲリラ戦を遂行する準備をすでに1990年の湾岸戦争の直後から準備し、今回のアメリカ軍の侵攻に際してその計画を実行したのだというものである。さらにこのゲリラ戦計画があることをブッシュ政権の中枢は事前に知っており、この重大な情報を無視してイラク戦争は行われた可能性が高いことが暴露されたのである。
 国連査察団の一員であった元海兵隊員スコット・リッターは11月10日、アメリカのクリスチャン・サイエンス・モニター紙に以下のように書いた。

 『1996年、わたしは国連査察団の一員として、バグダッド郊外にある(M-21)と呼ばれるイラク諜報機関の複合施設を調査した。そこで、大量破壊兵器の証拠は見つからなかったが、もっと別なものを発見した。わたしたちがその諜報施設に入るなり、3人のイラク人が書類を抱えたまま逃走しようとした。しかしわれわれは彼らを捕獲し、その書類を押収した。それは、いま毎日のように米兵を殺しているIED(自家製爆破装置)についての文書だった。どのようにして道路脇に爆弾をしかけるか、既存の爆発物からどういうふうにIEDを組み立てるか、爆弾をどのように偽装して敵軍団を罠にはめるか、どんなタイミングで爆破したら最大の被害を敵に与えられるか・・・など、それは高度に洗練された計画案だった。わたしが見たこの情報は、イラク戦争後の反乱を予期してのゲリラ計画書とも呼べるものだった。
 この経験から、二つの重要な事実が引き出されるだろう。
(1)今日、イラクで米兵を殺している武器や作戦は、前政権によるものであり、海外から流れ込んだものではない。
(2)今日の反米レジスタンス運動は、イラク人自身によるものであり、占領軍が認識しているよりも、より広範囲に、より深くイラク民衆に根付いた動きである。(中略)
 上記のM-21だけが、爆破作戦を立案していたわけではない。1997年にイラク諜報員養成学校の査察をおこなったとき、生徒たちはIEDの製造法から実戦までを学んでいた。彼らは人形やぬいぐるみに爆弾を仕込む方法や、自動車爆弾の作り方の訓練を受けていたし、爆弾を爆発させる実行犯の勧誘方法まで学んでいたのだ』と。

 また、こうも述べている。

 『フセイン忠誠派の兵士や諜報員は、バグダッドの隅から隅まで、誰がどこに住み、誰が反政権派で、誰と誰がつながりがあるかまでを把握していたのだ。またそれは、バグダッドだけではなく、イラク全土でも同じことがいえる。これらの情報を握っているフセイン忠誠派は、彼らに同情的な住民の間に隠れて、痕跡を残さないままレジスタンス活動ができる。実際、対ゲリラ活動の専門家の見積もりでは、100人のゲリラ戦士に対して、だいたい1000人から1万人の割合で地元のサポーターがいるということだ』と(以上TUP速報211号より転載)。

 そして彼は、このことを報告書にして政府に報告したという。
 つまり現在イラクで行われているテロはフセイン政権による計画的・組織的なゲリラ戦争であり、それは広範なイラクの人々に支えられて展開されているということである。そしてフセイン政権がこのような行動に出ることをブッシュ政権は事前に予測できたのに、これを無視して戦争をしかけた。
 言い換えればブッシュ政権は、自ら罠に飛びこんだのである。

▼アメリカの戦略は変わるのか?

 ブッシュ政権の先制攻撃戦略は、その試金石とも言えるイラク情勢が混沌とし、イラクに派兵していた同盟国から「撤兵」を検討する声すら出て、急速に軋みを見せている。
 「終戦」以後の米兵の死者は公式発表以上の数に登り、おそらくは250人ほど。そして傷を負った兵士は7500人を上回るとも言われている。アメリカ国内の米軍の基地では毎日のようにイラク出征兵士追悼の式典が行われており、毎日空輸される「死体袋」の多さに、ついに米軍はそれを「移送袋」と呼んで、死者の多さの実態から眼をそらそうとさえし始めた。
 これにともないブッシュを支持する人の数は急激に減少し、9月上旬には支持率50%と過去最低を記録し、10月上旬の調査では56%に持ちなおしたものの低迷したままである。そして「イラクがテロとのたたかいで最も重要」と答えたものは7人に1人になり、アメリカ国民の多くはイラク戦争が自分たちをテロから守ってくれる、というふうに思わなくなりつつあることを示している。
 そして民主党は急速にイラク戦争批判を強め、その大統領候補の多くはブッシュを批判し、世論調査で民主党の候補者はブッシュと互角の戦いを演じている。
 しかしこの情勢を、単純にブッシュ落選への動きと見るのは早計である。なぜならアメリカ大統領選はそれぞれの州における民主党と共和党の支持者の数で決まるのであり、全米的な民主党の退潮傾向は今も続いており、有権者の中に占める両党の支持者の数は共に30%台と互角である。
 アメリカは2000年の大統領選挙で見られたとおりに二分されたままなのであり、ブッシュが「世界民主革命」と言えば拍手が沸き起こる状況は今も変わらないのである。
 またたとえ民主党の候補が大統領になったとしても、急速にアメリカの外交戦略が変更されるわけでもない。なにしろアメリカ民主主義を世界に広げるということを国家の使命とする考えかたは近年、民主党と共和党とを問わず強まっており、2000年の大統領選挙では両党の候補とも、先制攻撃を辞さずとの政策を掲げて闘ったのである。
 両者の違いは、世界にアメリカ型の民主主義を広める時に国連などの国際機関の同意や同盟国の同意を得ながら「多国間協調」で行うか、場合によってはそれらを無視して単独行動に走るかの違いであり、いわば方法とその速度が違っているに過ぎない【これを詳しく論じたものに、フォーリンアフェアーズ2001年3月号掲載の、ウィリアム・パフ著「アメリカの覇権という『問題』」がある】。
 それはブッシュ政権の内部で、「多国間協調」を掲げる「中道派」と「単独行動」を掲げる「保守派」が戦いつつ、時には一方が力を得て、時には他方が力を得て、政権の外交政策が時に応じて変化しつつも、総じてアメリカのヘゲモニーを強化し、アメリカの国益を強化していく行動を取っているのと同じことなのである。
 おずおずと武力を行使するか、一気に武力を行使するかの違いに過ぎない。
 イラクにしたところで、アメリカが軍隊を撤退させ、イラクを放棄することはありえない。主導権を国連にゆだねつつも、形を変えてイラクの軍事占領を続けるであろう。万が一撤兵でもすれば、イラクは民族と宗教と地域利害が衝突する紛争激発地域となり、それも周辺諸国に広がっていくであろう。そして撤兵はアメリカの敗退と受取られ、アメリカのヘゲモニーを解体しようとするイスラム原理主義組織のテロ活動をさらに世界中で激化・拡大させるだけだろうからである。
 北朝鮮情勢も楽観はできない。
 当面は12月に行われる6ヶ国協議に向けて、北朝鮮の体制保障と検証可能な核廃棄とを両立させる方策の模索が続き、外交による解決が追求されようが、これも北朝鮮の出方一つである。もし北の政府が、アメリカのこの動きを「アメリカの弱さ」の結果だと思いこみ、過剰な要求を吹っかければ交渉は難航し、半年後になっても妥協が成立せず、しかもイラク情勢がいまだ泥沼化したままであれば、ブッシュ政権はその存続をかけてどんな手に打って出るかはわからない。ソウルが火の海になろうと、日本にテポドンが撃ちこまれようと、戦争を起こすことで国民的支持を得られるのならば、それもブッシュ政権の選択肢に入っているだろうからである。
 世界は混沌として、楽観的な見方は許されない状況である。

▼世界の未来はどこに?

 ではこのような状況を打開する道筋はどこにあるのだろうか。まだまだ小さな初歩的な動きではあるが、筆者は以下のような動きに注目したい。
 10月9日から3日間、イタリア中部の町ペルージャで、第5回「人民の国連総会」が開かれた。世界から集まった非政府組織や労働組合や農民運動、そして大学などの代表250人とイタリア市民との間で「平和のためのヨーロッパ」のたどるべき道が話し合われた。総会がその実現のための第1歩として提案したのは、戦争を否認するEU憲法の制定であったという。
 この運動は国連設立50周年の1995年に、国連憲章冒頭の「我々連合国の人民」にヒントを得て開始されたという。今回の大会の冒頭で世界社会フォーラムの創設委員グルジボウスキ氏は、「政府が選んだ代表の代わりに、全人類に一人一票の法則を適用して、市民社会を真に代表する人を送りこむ国連を」と訴えたそうだ。
 この会議のテーマにヨーロッパの平和が取り上げられたのは、EUが今、独自の軍隊を創設し世界第二の軍事力を目差そうとしていることに対して、それはEU創設の精神に反するという疑念が出てきたからだという。欧州統合は戦争を許さないという決意から産まれたのに何故…という疑問だ。そして戦争を否認するEU憲法のアイデアは、イタリア憲法第11条の「国際紛争を解決する方法として戦争を否認し…」という条項にヒントを得ているという(「世界週報」2003年11月18日号の斉藤ゆかり論文による)。
 つまりこの運動は、日本国憲法第9条の精神と同じ「平和主義」の精神を現代に生かし、EU統合の初発の理想に立ちかえって、EUをアメリカに代わって、国民国家を超えた平和の主体として組み替えようという動きなのである。
 海の向こうで、第二次世界大戦の惨禍を踏まえた「平和主義」を現代の世界紛争を解決する方法へと読み替えていく作業が始まっている。しかもこの運動が、世界中で広がっている自治を求める運動や持続可能なシステムへの転換を求める地球環境を守る運動とも一体となって進んでいる所に、新しいもう一つの世界が垣間見得ていないだろうか。
 すでに新しい世界システムを求める動きは、世界各地で始まっているのだと思う。それらの運動を評価し、そこで構想されていることを統合発展させ、一つの言葉で表現できるものにした時、「もう一つの世界」は誰の目にも見えるものになっていくだろう。

(11/22:すなが・けんぞう)


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