【戦後資本主義の危機とイラク戦争】

世界化した経済と国民国家の限界

−アメリカは何故「帝国化」したのか−

(インターナショナル第134号:2003年4月号掲載)


●フセイン政権の崩壊

 3月20日に始まった米英軍によるイラク侵攻作戦は、首都・バグダットの占領とフセイン大統領最後のより所と言われるイラク西部の都市・ティクリートの制圧によって、ほぼ3週間で軍事的戦闘局面の終焉を迎えた。もっともイラク戦争の軍事的側面だけなら、この結末は開戦前から明らかだった。
 なぜならアメリカのイラク攻撃は、フセイン政権が「一時も放置できないほど危険」だからではなく、ブッシュ・ドクトリンのいう「悪の枢軸」3カ国の中で最も攻撃し易い政権だったからこそ強行されたと言えるからである。例えばイランの現政権を軍事的に壊滅させようとすれば、民衆革命によって誕生したイスラム政権を防衛しようとするイラン民衆の大衆的で激烈な抵抗に遭遇せざるをえないし、アラブ民衆とイスラーム世界の反発もイラク戦争とは比較にならないほど強いだろう。あるいは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への侵攻も、日本以外の周辺諸国に出撃拠点を確保できないアメリカ軍は、強襲上陸作戦という高いリスクを考慮しなければならないだけでなく、韓国や中国をはじめとしたアジア諸国の反米感情を一挙に高め、極東・アジアにおける軍事的関与の根幹が揺らぐ危険さえ覚悟しなければなるまい。
 それと比較すればフセイン政権は、90年のクゥエート侵攻以降はアラブ連盟など近隣諸国との関係でも孤立し、10年におよぶ国連査察と経済制裁で軍事的にも弱体化していたのは明らかである。つまり最新装備の米英軍とイラク軍の戦闘は、小型拳銃しか持たない町の「嫌われ者」を何丁もの重機関銃で一斉射撃するようなものだったのだ。それでもフセイン政権が予想以上にあっけなく崩壊したのなら、それは潤沢な原油輸出代金を使ったバース党の「バラマキ政治」が経済制裁によって解体され、フセイン政権の基盤が秘密警察の恐怖支配に切り縮められていた結果だということである。
 だがアメリカの軍事的勝利が、対イラク政策の成功を保障しないのも明らかである。
 「戦争は違った手段による政治」だとすれば、イラク戦争でのアメリカの勝利は、当面という限定をつけても、「(選挙で選ばれた)民主的で親米的なイラク新政権」の樹立という政治目的の達成にある。そして言うまでもなくこの政治目的の達成は、すでに様々な障害と困難に直面している。しかもこうした障害の多くは、イラク戦争を推進した新保守主義イデオロギーのもつ無知と矛盾から生じているとさえ言える。

●パンドラの箱

 ネオコンと呼ばれる新保守主義のイデオロギーは、「アメリカの正義」に対する無条件の信仰と、それを世界で実現するには「経済的にも軍事的にも強いアメリカ」が積極的に国際社会に関与しなければならないというものだろう。そこには第二次大戦で欧州帝国主義列強の植民地支配体制を打ち破り、世界中に「豊かな資本主義国家」をつくり上げ、共産主義から民主主義を守り抜いたパクス・アメリカーナの栄光への憧憬と、1970年代半ば以降の資本主義経済の衰退の原因を「国際社会に対するアメリカの無関心」に求める、実に単純化された歴史観がある。
 たしかにフォーディズムと形容されるアメリカ型資本主義は、戦後資本主義の再組織を通じて20世紀初頭の欧州資本主義を越える歴史的進歩性を示しはしたが、それは2つの世界大戦を通じてアメリカに集積された莫大な金融資本と圧倒的な生産力を基礎にしていたのであり、70年代半ば以降の世界資本主義の経済的停滞は、そのアメリカ資本主義の卓越した経済的優位性の衰退と軌を一にしていたのである。
 だが新保守主義のイデオロギーに照らせば、フセイン政権は「アラブ民族社会主義」を唱える「全体主義的独裁」だし、それが膨大な原油資源を握って国際社会に復帰するのを傍観するのは、非難されるべき「国際社会への無関心」となる。
 ところがネオコンが厳しく非難したイラクのバース党が、激しい党内闘争を通じて官僚的独裁へと変貌したのは、民族社会主義や共和制といったバース党綱領のためではなく、イラク国内の社会的抗争が激化し、この社会的抗争を暴力的に押さえつけて秩序を維持する強権的独裁が必要になったからに他ならないのだ。
 しかもアラブ地域に広く潜在するこうした社会的抗争の基盤は、石油資源がもたらす莫大な富とは対照的な貧富の格差にあり、その抗争の多くは宗派対立や民族主義の衣装をまとって現れている。つまりフセインの独裁は、こうした社会的混乱を押さえつける「ビンの蓋」なのであり、アメリカによるフセイン政権の解体は、当然のようにイラク国内の社会的抗争を解放することになる。
 フセイン政権崩壊直後から、南部を中心にしたシーア派勢力が政治的に活性化しているのも、アメリカ軍との共闘関係の下で自制されてはいるが、クルド反政府勢力がアメリカ主導の政権づくりに批判を滲ませるのもそうした社会的抗争の胎動なのであり、当初は政権に対する憎悪からバース党や官庁施設が標的になった略奪にも、貧困層の富裕層に対する憎悪が潜んでいることも見落とすことはできない。
 結局「先制攻撃戦略」にもとづくアメリカのイラク戦争は、グローバリゼーションの展開の中で旧来的な社会構造や共同体が破壊され、それによって液状化した社会を基盤に現れる社会的抗争という、アラブ社会のパンドラの箱を開いたのである。そしてこの混乱をいち早く収拾し、「アメリカの正義」をイラク民衆に実感させ、親米的政権が選挙で選ばれるようなイラク社会の育成に必要な膨大な費用を、今日のアメリカ経済が賄えるかどうかは、はなはだ疑わしい。

 しかし階級的労働者は、アメリカの予測される失策に期待してばかりもいられない。とくにアフガン戦争とイラク戦争によって示された圧倒的な軍事力と、国連という国際的枠組みを逸脱してでも自らの利害のために行動する覇権国家・アメリカといかに対決すべきかが、深刻に問われる事態が現実となったからである。
 以下では、本紙の132、133号に掲載された「アメリカの一国支配か、多国間協調か」「アメリカは何処へ行くか?」という2つの[すなが論文]の問題提起について、補完をふくめたわたしの見解を述べたい。

●世界市場と世界権力

 いわゆるブッシュド・クトリン(先制攻撃戦略)の特徴は、単独行動主義と軍事力の重視である。前者はアメリカ的価値観(アメリカン・スタンダードと言い換えてもいいが)を唯一の基準に世界を再編・統合する志向性だし、後者はその主要な手段を軍事力に見い出しているということだが、ブッシュ政権をこうした《世界の再編・統合》へと突き動かしているのは、いうまでもなくグローバリゼーションが育んだ反米テロの温床に対する強い危機感である。
 90年代のグローバリゼーションの展開が旧植民地諸国(発展途上国)の国民経済を破壊した結果として、これら諸国・地域の伝統的生活基盤(地場産業や旧共同体)が解体されて社会的荒廃が促進され、それが反米テロの温床となっているのは誰の目にも明らかなのだが、問題なのは、こうした国際社会の不安定要因への対処方法の違いが、第二次大戦後にアメリカ資本主義のイニシアチブで再組織された国際社会の中に、「自由と民主主義」をめぐる深刻な政治的分岐を生み出しつつあることである。

 アメリカの先制攻撃戦略は、グローバリゼーションの成果であるアメリカ的基準にもとづく「単一化された世界市場」と、この世界市場が保証する不等価交換を擁護すること、なによりも多国籍資本の利潤追求の完全な自由を確保するために、市場原理と呼ばれる世界経済の無政府性を防衛することと一体である。
 ところで世界市場の無政府性が旧植民地諸国や地域からの収奪を強め、社会的混乱や矛盾を引き起こして反米テロを生み出すのなら、その混乱や矛盾を上から統制する暴力装置《世界権力》なしには、安定的な世界市場の安全は保障されない。その意味でブッシュ・ドクトリンが目指すのは、《世界政府》と言い換えてもいい。
 だが現実世界の政治権力は国民国家に細分化され、国際社会の安定システムを自認する国連といえども、結局は安保理常任理事を構成する5つの国民国家による抗争と妥協を追認するに過ぎない。グローバリゼーションの展開で経済が世界化する一方で、世界経済の不均等発展が呼び起こす経済格差を富の再配分によって是正して社会的安定を図るべき国際政治は、なお国民国家の枠に縛られたままなのである。

●「帝国」に還流する危機

 「アメリカの帝国化」と言った評論は、いまではまったくポピュラーなものになった観がある。しかし「新たな帝国」として行動しはじめたアメリカは、20世紀初頭に現れたヨーロッパの帝国主義列強とも、よく引き合いに出される古代ローマ帝国とも違う「帝国」である。だとすれば現実の「アメリカ帝国」の本質を、戦後資本主義の歴史的変遷の中で捉えかえす試みこそが「帝国化」の解明にとって重要だろう。
 わたしは前述したブッシュ・ドクトリンの分析にもとづいて、今日の「アメリカ帝国」の本質を、《単一化された世界経済》と《国民国家に細分化された世界政治》の矛盾と乖離に対する、アメリカによる《世界政府》の僭称もしくは代行として捉え、その視点から英米と仏独(EU)の対立として現れた戦後資本主義の政治的分岐を解明しなければならないと考えている。
 国民国家のひとつに過ぎないアメリカが《世界政府》として行動すれば、国際社会が身勝手な単独行動主義を非難するのは戦後国際政治の常識に照らして当然だが、《世界を再編・統合する世界権力》として行動しようとするアメリカにとっては、先制攻撃戦略が表明した単独行動主義と軍事の重視は必然的な行動様式である。
 当然のことだがこれは、アメリカを盟主とした冷戦時代の国際反共同盟が掲げた「自由と民主主義」とは違うの価値観にもとづく行動様式である。国際反共同盟の「自由と民主主義」は、形式的ではあれ民族自決や国家主権の不可侵を前提に、相互に対等・平等な国家間の協調を同盟関係の土台にしていた。
 しかし市場原理に基づく世界単一市場が、経済的な民族自決を許容しないのなら(そして実際に国際通貨基金(IMF)の「構造調整プログラム」は、国民国家の金融・財政政策の自主権を認めないのだが)、アメリカが代行する世界政府が、国連憲章で保障された国家主権の不可侵を侵犯するのを躊躇する理由はない。さらにIMFや世銀に出資する国家と借金をしている国家の間には、反共包囲網形成に必要だった軍事的経済援助が不要になった今では、ますます対等・平等な協調関係は成立しない。それは確かに経済格差を無視した不平等な関係だが、この不平等に対する反抗には先制攻撃という「予防弾圧」が発動される。これがブッシュ・ドクトリンの内実である。
 しかし反面で、イラク戦争でその内実を露にした先制攻撃戦略は、世界中から移民を受け入れ、多民族国家として形成されたアメリカ合衆国自身の内部に新たな差別と偏見と抗争の火種を無数に生み出し、国際政治に現れたと同様の「自由と民主主義」をめぐる分岐をアメリカ社会にもたらすことになる。要するにネオコン勢力が先制攻撃戦略によって世界に押しつけようとする「アメリカの自由と民主主義」が、ほかならぬアメリカ国内で人種と民族と宗教と伝統文化ごとに分裂し、白人キリスト教徒の自由と民主主義がアラブ人やイスラーム教徒やアジア人の自由と民主主義と衝突しはじめ、新たな差別と偏見が助長されるのである。
 それは現実には、60年代から70年代にかけた人種差別撤廃運動の急進的高揚の圧力をうけて、連邦政府が採用した差別撤廃措置をめぐる攻防を軸に、アメリカ社会運動が達成した民主的諸成果をめぐる社会的抗争の激化となって現れるだろう。
 かくして、戦後資本主義の低迷と危機を突破しようとする《アメリカによる世界の一元的支配》の努力が、人種、民族、宗教、文化と言ったあらゆる回路を通じてアメリカ内部に危機として還流する時代、言い換えれば世界を欲するアメリカ資本主義に世界の危機が還流する時代の扉が、イラク戦争によって開かれたのである。

●アメリカとEUの対立構造

 世界を組織しようとするアメリカに世界の危機が還流するという、国際階級闘争の新たな展望を指し示そうとした最初の試みは、ロシア革命の指導者・トロツキーの『ヨーロッパとアメリカ』と題した1926年の講演であった。
 トロツキーはこの講演で、没落するヨーロッパ帝国主義列強に対抗して、圧倒的な労働生産性を誇るアメリカ資本主義が世界を再組織するだろうと予見したが、第2次大戦後に世界の資本主義を再組織したのは、たしかにアメリカ資本主義であった。
 トロツキーが指摘したアメリカ資本主義の歴史的特徴は、本紙の「アメリカはどこへ行くか?」(4-5頁)にあるとおりだが、そのアメリカ資本主義は、自らの姿に似せてヨーロッパ資本主義を再組織した。だがこの再組織は他方では、第二次大戦後も残存した旧い民主主義(=レーニンが帝国主義論で喝破したような、植民地から収奪した富で労働者階級の上層部を買収することで成立した)の基盤を、旧植民地の独立と資本主義化への援助を通じて解体もした。「古いヨーロッパの民主主義」は、アメリカ資本主義による世界再編の中で経済的基盤を奪われたのである。
 フランスを例にとれば、アメリカの「干渉」によってエジプト(スエズ運河)や仏領インドシナからの撤退を余儀なくされて植民地主義が打撃を被ったのだが、それだけがヨーロッパ連邦をめざす今日のヨーロッパ、国連安保理でアメリカと対立したフランス、ドイツに代表されるヨーロッパの政治構造を形づくった訳ではない。
 旧植民地の独立や解放後も、欧州文明至上主義や官僚的権威主義といった古い政治的上部構造はなお残存したが、これに決定的な転換を強制してヨーロッパの経済統合を促進した政治構造を生み出したのは、1968年の「パリの五月」に代表される、直接民主主義の要求をはらんだヨーロッパ規模の急進的大衆運動だったのである。
 重要なことは、この急進的大衆運動の基盤もまたアメリカ型資本主義によるヨーロッパの再編によって準備されたことである。つまり極めて高い労働生産性がもたらす高い利潤率が高賃金の労働者を大量に生みだし、その労働者たちの大衆消費を新たな資本主義市場として拡大再生産を推進するアメリカ型資本主義が戦後のヨーロッパに定着し、それが直接民主主義の要求をはらむ急進的大衆運動の基盤を形成したのである。いわば大衆消費社会と言われる大量生産・大量消費の社会的生産関係が、大戦以前の資本主義的生産関係を基礎にした古い諸制度の解体的再編を強制したのである。
 この急進的大衆運動は間もなく、凋落著しかったヨーロッパの社会民主主義勢力へと流入し、ここでも反共主義に凝り固まった旧勢力を圧倒して「新しい社民」の強力な基盤となった。その典型がフランス社会党とドイツ社民党(SPD)であり、フランスではミッテランの社会党を、ドイツではブラントの社民党を政権党へと押し上げ、キリスト教民主同盟などの古い保守派に代わる社民党の一時代を切りひらいた。
 こうして戦後のヨーロッパ資本主義は、大衆的な直接民主主義の要求を「参加型民主主義」などの形で政治支配構造の中に積極的に組み入れ、古い政治構造を自ら改編して安定的な資本主義的経済発展の一時期を謳歌するが、この時期の経済的政治的な成功こそが、国家主権の自主的制限を含む多国間協調主義や、EUの統合に向かう政治的求心力の強力な基盤なのである。フランスとドイツが保守派と社民派とを問わず、アメリカによる国際協調主義の破壊に頑強に抵抗した核心的理由がここにあるが、本紙前号の「アメリカは何処にいくのか?」には、その点の指摘がなかったと思う。
 蛇足ながら付け加えると、ヨーロッパにおける急進的大衆運動の台頭と社民党の復権過程は、反ナチ・パルチザン闘争を戦って戦後ヨーロッパに大きな権威を築いた共産党を、長期的な低迷に直面させた。それは、欧州帝国主義列強とロシア革命が直接対峙した帝国主義論の時代の終焉を告げていたのかもしれない。

●欧州社民勢力とアメリカ民主党

 こうした政治的経済的基盤に立つヨーロッパ諸国政府、とりわけEU統一市場と通貨統合を積極的に推進してきたフランスとドイツが、アメリカによる一元的世界支配との対立を深めることになった。この対立の構図は、本紙掲載の二つの論文(132・133号)で述べられているが、両者の相違を生んだ歴史的背景の解明は、現代の階級闘争の主体的課題を明確にするために必要なことと思われる。
 つまり欧米政治構造の相違の歴史的背景として、ヨーロッパでは急進的民主主義運動を政治的に収斂する受け皿として社会民主主義が歴史的に準備されていたのに対して、アメリカでは大衆的社民政党が成立しなかったことが挙げられるが、それは階級的労働者にどんな主体的課題を提起するのか、ということである。
 前述したトロツキーは1930年代、アメリカ労働組合産別会議(CIO)の反乱を基盤に労働者党の建設を展望したが、それは共和党に対抗するもうひとつのブルジョア政党・民主党に収斂され、以降もアメリカでは共和・民主両ブルジョア政党から政治的に独立した大衆的な労働者政党は、ついに成立しなかった。この歴史的条件の違いが、アメリカでも60年代に高揚したベトナム反戦運動や人種差別撤廃運動を中心とした直接民主主義の要求を内包する急進的運動が、ヨーロッパのような新たな政治構造をつくるには至らなかった大きな要因になった。つまりヨーロッパの急進的大衆運動が、社民勢力の再編を通じて大衆参加型の民主主義を一定程度制度化するのに成功したのに対して、アメリカの急進的大衆運動は、連邦政府のイニシアチブによる差別撤廃措置=言わば国家権力による上からの大胆な改革の遂行によって民主党へと収斂・吸収されたのである。
 「下からの参加」が制度化されたヨーロッパと、「上からの代行」で進歩的政策が推進されたアメリカ。直接民主主義を部分的に取り込んだヨーロッパと、ブルジョア代行主義を堅持したアメリカ。この相違は、歴史的文化的相違だけではなくアメリカ資本主義の強力な経済基盤にも関係するが、ここではそれには触れない。
 それではアメリカの急進的運動に内包されていた直接民主主義の要求は消滅してしまったのか?。答えはノーである。
 60年代以降に世界を席巻した急進的運動は、ヨーロッパだけでなくアメリカにおいても、シングルイシュー(環境や女性差別などの個別的課題)に自己限定する傾向はありながらも、非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)の運動に姿を変えながら社会の底流を連綿と流れる運動として継承され、それが今日のグローバリゼーションやWTOに対する批判的運動の大きな裾野を形成しているのは疑いないからである。

●民主主義の攻防と国民国家

 グローバリゼーション時代の国際戦略をめぐるアメリカとEU(仏独)の対立は、戦後半世紀におよぶアメリカ型資本主義の下で達成された進歩的諸成果、とくに民主主義をめぐる鋭い政治的分岐をつくり出すことになった。
 世界化した経済に対応して、達成された民主主義の諸成果を国際政治にも適用し、諸国間の相互理解と協調で安定と安全を追求するのか、それとも一元的基準で世界化した経済を安定させ、これに対する反抗を軍事的に制圧して安全を手にしようとするのか。これが、グローバリゼーションがつくり出した世界市場の今後をめぐって、アメリカとEUの間に現れた対立の構図ではある。
 だが不安定化する国際社会の本質的矛盾が、《経済の世界化と政治の国民国家による細分化》にあるとすれば、EU(仏独)のアメリカに対する抵抗が「国家主権の不可侵」という国民国家の擁護にとどまるかぎり、EUは国際協調主義と強権(軍事)の必要性の間で揺れつづけるだろう。それはコソボ紛争への軍事介入をめぐって紛糾し、イラク戦争では分裂した「EU統一外交」の現実が教えている。
 もちろんアメリカの一元的支配に抗する現実的対案は、地域的な歴史や文化に根差す地域経済ブロックを単位とした世界的協調であり、EUはその現実的可能性である。だがそれが「アメリカの帝国化」に対抗する真実に力ある対案となるには、労働者民衆による直接民主主義の登場が不可欠である。
 細分化された諸国家の利益すなわち国益に従属する国家官僚機構が、国家主権の不可侵を盾にアメリカ的一元支配への反対を「代行」する現実を越えて、いま現に世界各地でグローバリゼーションの被害に対する様々な支援・連帯活動を展開しているNGOなどの自立的組織と運動を基礎にして、そこにはらまれる大衆自治と自己決定を保障しようとする直接民主主義の拡大と発展が必要なのである。
 それはWTOの非民主性への批判などとして端緒的に現れている、世界経済にも適用されるべきより広範な民主主義の要求をベースにして、直接民主主義的な大衆自治を基礎にしたヨーロッパ連邦をめざすのか、それとも国民国家の代議制(代行主義)に固執し、強大な国民国家たるアメリカ合衆国の《世界権力の代行》に翻弄されるかの分岐を、ヨーロッパ全体に問いかけているのである。
 「アメリカ帝国」の一元支配に対抗して、EUや「アジア経済圏」のような地域経済ブロックが有効な対案となるためには、当面という限定をつけても、ヨーロッパでは旧東欧諸国との経済格差を是正するような民主的な協調関係が、アジアでは日本・中国とアジア諸国間の民主的協調関係が必要となる。とくにアジアでは、そうした協調関係の最大の障害が戦後処理をめぐる日本の対応にあり、対アジア侵略戦争という明快な歴史認識と真摯な謝罪・反省を外交的軸心に据えることなしには、アメリカの市場と国際戦略に依存する外交戦略からの転換は不可能である。
 その上で階級的労働者は、国家官僚機構に代わる、NGOのような民衆の自発的な支援・連帯運動に基礎を置く、極東・アジア地域の国際的協調関係を展望しなければならないのではないだろうか。そしてそれは「アジア社会主義合衆国」という、理想ではあってもまったく観念的だったスローガンを、戦後資本主義の現実に即して、現代の可能性ある展望として再構成することでもあると思う。

 時間と紙幅の制約上、この小論では全く触れることができなかったが、検討しなければならない問題や課題は多くある。
 例えばグローバリゼーションの先駆とも言えるサッチャー、レーガン、中曽根の戦略と、ブッシュド・クトリンの関連である。資本主義経済の停滞に対応しようとしたこれらの80年代の戦略とその帰結というべき先制攻撃戦略の関連を、戦後資本主義の下で達成された民主主義的諸成果をめぐる攻防として捉え返すだけでも、労働者が自らの歴史的任務を自覚するうえでは重要である。あるいは「アメリカに還流する世界の危機」とアメリカ労働者階級の主体的形成、要するにアメリカ労働者党はどのように展望されるのかの検討は、アメリカ本土の階級闘争に絶望した反米テロリズムを越える国際運動の形成にとって、極めて重要な意味をもっているだろう。
 いずれにしろ「アメリカの帝国化」という論調は、いまやポピュラーとなった。だが階級的労働者にとって必要な「アメリカ帝国」の解明は、戦後資本主義の勃興と衰退の分析と、その中に潜んでいる現代階級闘争の萌芽を通じて見いだされるだろう。

(4/30:きうち・たかし)


世界topへ hptopへ