エリツィン辞任と大統領選のゆくえ
「プーチン人気」と「プリマコフ人気」の脆弱性


 1900年代最後の日となった昨年12月31日、ロシア共和国のエリツィン大統領は唐突に辞任を表明し、これに伴って3月に行われることになった大統領選挙までの大統領代行に、ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィッチ・プーチン首相を指名した。
 エリツィンの大統領辞任とその後継者としてのプーチンの指名は、5人の首相の首を次々とすげ替えてきたときと同様にまったく唐突であったが、副首相や下院の第一副議長などを歴任したアレクサンドル・ショーヒン下院議員だけは、昨年12月25日づけの「モヴォードニャ」紙のインタビューの中でこれをピタリと言い当てていた。
 「私の予測では、エリツィン大統領が12月31日に辞任する可能性がある。ロシア国民への『新年のプレゼント』となるこの日付を強調したい。なぜだろうか?。 国家院(下院)選挙勝利の波に乗り、チェチェン作戦の目に見える失敗がない現状で、(プーチン)首相を大統領代行に変身させるならば、大統領選挙で120%勝利する可能性を得られるからである」(『世界』00年3月号「論壇月評」)と。そしてエリツィン辞任後のロシアの各マスコミの論調は、おおむねこのショーヒンの見解を踏襲していると言っていい。
 もちろん98年の通貨危機以降、世論調査での支持率が2〜3%にまで低下していたエリツィンの大統領辞任は、いかに唐突なことではあってもロシアでは誰もがありうることとして予想していた事であり、同時にショーヒンが指摘したように「新年のプレゼント」として歓迎されもしたし、エリツィンもまた辞任にあたって、自らの政策的失策について率直に国民に謝罪をするという、ロシア政治史上まれにみるパフォーマンスを演じる役者ぶりを発揮してもみせた。
 そしてこうしたエリツィンの「余裕ある態度」の背景に、昨年12月19日に投票が行われた下院選挙で、プーチン人気の追い風を受けた与党「統一」の圧勝というべき勝利があったことは疑いがない。

与党が圧勝した下院選挙

 昨年9月にモスクワで起きた爆弾テロと、その直前にチェチェンの武装勢力が隣国のロシア・ダゲスタン共和国に侵攻して「対ロシア聖戦」を宣言するまでは、下院選挙前哨戦の争点は、98年の通貨危機に象徴される経済危機を招き、あるいは汚職や犯罪の増加に対処できなかったばかりか、エリツィンファミリーの汚職疑惑も持ち上がる状況のもとで、通貨危機にともなう混乱を老練な政治家として収拾してみせたプリマコフ元首相を看板にした中道勢力「祖国・全ロシア」が、エリツィン政権の失政を批判しその責任を追及するという展開であった。
 そのエリツィン与党は、下院選挙にむけた選挙連合「統一」を旗あげしたが、期待していた地方首長たちが、プリマコフ人気で高い支持率を得ていた「祖国・全ロシア」との間で動揺して「統一」への参加を逡巡するなど、きわめて困難は状況に直面していた。事実、昨年10月上旬のモスクワ世論財団の調査では、「祖国・全ロシア」の支持が20%を越えたのに対して「統一」の支持はわずか7%程度にすぎなかった。その「統一」が急速に支持率を伸ばしたのは、プーチンが11月24日、「統一」の支持を表明した直後の世論調査からである【図参照】。
 「統一」はただちに「統一はプーチンを支え、プーチンは統一を頼る」との声明を発してプーチン人気に便乗し、その勢いで下院選挙で圧勝するのだが、このプーチン人気の背景が、チェチェン侵攻作戦の「勝利的」遂行であったのは明らかである。
 というのも8月に首相に就任したばかりのプーチンは、前述したモスクワでの爆破事件が「チェチェン武装勢力による爆弾テロ」と断定されると、96年には甚大な被害を被って撤退せざるをえなかったチェチェンに対して9月から本格的な軍事攻勢を開始し、少なくとも当初は順調にこの侵攻作戦が遂行され、エリツィンが大統領の辞任を表明する昨年末までは、ショーヒンの指摘どおり「目に見える失敗がなかった」からである。
 それは、エリツィンがもたらした経済危機下での生活苦に呻吟し、96年のチェチェンでの惨めな敗戦の屈辱に甘んじ、爆弾テロに不安を募らせていたロシア民衆にとって、つかの間とはいえ、果断な決断と実行力で民衆を指導する「鉄の指導者」の登場を期待させるに十分な「成果」だった。

大統領選挙のゆくえ

 だがこのプーチン人気が、当初はエリツィン与党の惨敗と「祖国・全ロシア」の台頭が予想された下院選挙の状況を一変させたとすれば、プリマコフの大衆的人気に依存していた「祖国・全ロシア」もまた、ロシアの労働者民衆が直面する困難を抜本的に解決しうる勢力たりえないことを、労働者民衆自身が本質的には見抜いていたことを意味しているとは言えないだろうか。
 たしかに「祖国・全ロシア」は、エリツィン政権がもたらした経済危機を厳しく批判し、その政策転換を掲げていたし、有力な大統領候補と見なされていたプリマコフは、首相時代にエリツィン側近たちの汚職や腐敗の追及も行ってきた。にもかかわらず「祖国・全ロシア」は、エリツィン与党ではなかったにしろ、有力な共和国や都市の首長たちが構成メンバーの主力をなしていることに端的に示されるようにノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの一分派であり、結局はロシアの国家資産を纂奪した利権の再分配を要求する反主流派に過ぎないからである。
 こうして、3月に予定されている大統領選挙の行方は混沌としたものとなった。プーチン人気の唯一の背景といっていいチェチェン戦争には陰りが見え始めているし、「祖国・全ロシア」もまた、プーチン支持とプリマコフ支持をめぐって分裂状態に陥っている。
 両者の本質、つまりノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの内部抗争を見抜き、20%強の支持率で頭打ちになっている共産党にも期待できない現実の中で、ロシアの労働者民衆はいかなる選択をするのだろうか。

  (みよし・かつみ)


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