大統領選挙をめぐる混乱と、アメリカ民主主義の綻び


 長かったアメリカ大統領選挙に、ようやく決着がつけられた。
 連邦最高裁が12月12日、総ての疑問票の再集計を認めたフロリダ州最高裁の決定を「疑義がある」として差し戻し、民主党のゴア候補が再集計によって逆転できる可能性が、完全に断たれたからである。
 もっとも連邦最高裁の「疑義がある」との決定は、「選挙人が次期大統領を選ぶ18日の期限まで、公正かつ正確にこの疑問票を数える時間がない」のに再集計作業を命じるのには「疑義がある」という、いわば「時間切れだから選挙結果を確定しよう」というに等しい内容であった。だから当然、連邦最高裁の9人の判事の意見は5対4と二分され、この決定に反対した、民主党系といわれる4人の判事たちは、「この判断は法的というより政治的なものであり、司法の中立性という公的な信頼を危うくさせかねない」と、怒りも露にコメントしている。
 ところがゴア自身も、この連邦最高裁の決定を「民主主義のため」(!)に受け入れると敗北宣言を出すに及んでは、2つの世界大戦後、民主主義の理念を振りかざして政界に覇をとなえてきたアメリカなる国家の、民主主義感覚そのものが不可解なものに見えたとしても不思議ではない。

アメリカと日本

 筆者を含めて日本の多くの人々は、アメリカ大統領選の仕組みがこれほど大雑把だったことを初めて知ったと思う。
 もちろん人々が投票するのは各州ごとの選挙人を選ぶものであり、大統領はこの選挙人が投票で選ぶ間接選挙であり、その選挙人は各州で最高得票を得た大統領候補が独占(総取り)するといった程度の知識はあったのだが、得票差が大きければ疑問票どころか海外からの不在者投票すら集計の対象外になるとか、文字通り機械的(machine)なミスや限界をほとんど考慮せずに大量の票が疑問票と判定されることまでは、恥ずかしながらまったく知らないできた。
 実際に日本の選挙に関わりをもったことのある者の「常識」は、いわゆる疑問票も、開票立ち会い人の承認(合意)を前提にだが、各候補の得票率に準じて「案分」までして再分配し、それでも分類できない票や立ち会い人が認めない分だけが「無効票」となり、各候補者の得票数は最後の一ケタに至るまで、もちろん最初から最後まで手作業で集計される、というものであろう。
 しかし、国家による「民衆意志の代行」に正統性を与えるための道具である代議制民主主義下の選挙は、国家権力という政治的代行装置を運営する「多数派」の確定を目的としており、とくに小選挙区の場合は、大量の死票を出してでも「唯一の勝者」を確定することが目的だから、票差や得票率は決定的な要素ではないとも言える。それは投票に現れる大衆の「体温」を分析する有効な資料ではあっても、こうした選挙の目的に照らして意味のある指標ではないのだ。
 と考えればアメリカの選挙制度は、資本主義的な代行主義の制度としては合理的といえば合理的だろうし、日本の「丁寧な開票や集計方法」は、合意にもとづく「人の和を重んじる文化的伝統」ならではの産物と言えるのかもしれない。むしろ案分といった疑問票の再分配は、「客観的基準のない再集計」に反対しつづけてきたブッシュ陣営からは、投票者の意志を無視した「日本的な談合」と非難されかねない制度かもしれない。
 あるいは今回の選挙で、全国の得票数ではゴアがブッシュを20万票も上回りながら、各州選挙人の総取りと間接選挙という「制度的欠陥」でブッシュが勝ったかのような論調が日本にはあるが、それは合衆国という統治形態が各州の強い独立性を保証している結果なのであり、各州ごとに「唯一の勝者」を決め、その勝者を支持する各州ごとの選挙人の総数で国家元首を選出する方法は、この統治形態ならでは芸当とさえ言える。

中道への傾斜と僅差の選挙

 泥沼の訴訟劇にまで至ったアメリカ大統領選挙の問題点は、そうした日本的常識で判断した様々な「欠陥」にではなく、むしろ日本ブルジョアジーが、55年体制と呼ばれた戦後日本の政治支配を再編しようとした際、そのモデルにしようとした二大政党制や行政権力の長を直接選挙で選ぶといったアメリカ的制度が、大きく揺らいでいることの中にあると思われるのである。
 今回の大統領選挙で、選挙制度の大雑把さが問題としてクローズアップされたのは、大統領を安定した権力機関にするために、各州選挙人の総取りなど、人為的に「大差で」唯一の勝者を決めようとする選挙制度が、僅差の争いを想定していない結果である。前回クリントンが再選された選挙でも、選挙人獲得数では大差がついたが、得票率の差はわずかに8ポイントであり、ここに人為的な多数派形成の仕掛けがあるのだ。
 ところがブッシュとゴアは、文字通り僅差で争うことになった。というのも中間層と呼ばれる浮動票もしくは無党派票の獲得を狙って、つまり51%の得票率をめざして民主・共和両党がますます「中道寄り」の政策を掲げるようになり、結果的に両陣営の争点はますます曖昧になり、二大政党の候補者の一騎打ちで社会が変わるといった大衆的幻想が掘り崩されてきたからである。
 まさにその結果がブッシュ、ゴア共に決め手を欠く接戦であり、得票率どころか選挙人獲得数までが僅差の争いになってしまったのである。実際に、選挙人獲得数で大差がついていれば、フロリダ州の僅差がこれほど問題視されはしなかったはずである。フロリダ州の25人の選挙人の行方が、対立候補の選挙人獲得数での勝敗を左右しないのであれば、選挙システムが「大雑把」であることなど問題ではないからだ。
 だがこうして、アメリカの選挙システムの大雑把さや不可解さが集計作業の混乱と共に暴き出され、それがアメリカ民主主義の権威を大いに傷つけ、その信頼性への疑問が世界中から突き付けられる可能性にまで発展した。新政権も継承するアメリカ的価値観が、今後様々な試練に直面するだろうことは疑いない。
 そして前回の大統領選挙でも今回の選挙でも明らかになったアメリカ政治制度の問題点は、二大政党制が「民衆の意志」を代行主義的に収斂できなくなりつつあり、むしろ選挙結果をめぐる両陣営の支持者同士の激しい対立や司法の「分裂」さえもが見られたように、ブルジョア民主主義潮流の分岐と対立があらわになり、アメリカ民主主義に対する不信が、国内でもさらに拡大する可能性を暴露したことである。      

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