【後期資本主義の時代ゆさぶる自爆テロの衝撃】
テロと軍事報復の悪循環に抗し 金融資本を規制する民主主義を
AFL-CIO組合員にも多数の犠牲者

2001年9月(121号)掲載


甚大な犠牲、報復の限界

 ニューヨーク現地時間9月11日朝、日本時間では11日夜半、ハイジャックした旅客機で国際貿易センター(WTC)の2つのタワーに突入する「殉教作戦」(自爆テロ)のTV映像が、世界に大きな衝撃を与えた。
 その後の報道によれば、旅客機の衝突による爆発と火災で倒壊した110階建てタワーに取り残された人々、救助のために現場に駆けつけタワーの倒壊に巻き込まれた消防士や警察官、ハイジャックされた旅客機の乗客と乗務員など行方不明者は6千人以上にものぼり、同時刻に同じような旅客機の突入によって炎上したアメリカ国防総省(ペンタゴン)でも、数百人の死者・行方不明者がでたと報じられる惨劇となった。
 ブッシュ大統領は、この事件を「テロを越えた戦争行為」と断じて大規模な軍事的報復の決意を表明し、15日までにはアメリカの上下両院も、大統領に武力行使の権限を与える決議をほぼ満場一致(下院で反対1)で採択した。さらにアメリカ政府は事件の首謀者として、アフガニスタンに活動拠点をもつ「イスラム原理主義」ゲリラ組織「アルカイダ」(アラビア語で「基地」の意)のリーダーであるオサマ・ビンラーディンを名指し、軍事報復の準備を本格化させている。

 われわれは、数千人にものぼるテロの犠牲者に心から哀悼の意を捧げ、その遺族たちの深い悲しみと怒りに同情を禁じえなが、むしろこのテロによって、2千人とも言われるアメリカの仲間を一瞬にして失ったことに大きな衝撃をうけ、深い悲しみと悔しさに身の震える思いでいる。
 それはNAFT(北米自由貿易圏)に抗し、グローバリゼーションと対決する闘いに踏み出したAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)の多数の組合員が、この無差別テロの犠牲になったからである。詳細は不明だが、この中には日米をむすぶ国際連帯を担ってきたHERE(全米ホテル従業員・レストラン従業員労組)に所属しWTCタワー最上階のレストランで働いていた100人の組合員が、そしておそらく多国籍企業・UPSと闘ったチームスター労組の組合員が、さらに救助に向かった勇敢な消防士たちが含まれている。
 われわれはこれまでもテロリズムを批判してきた。なぜなら、アメリカを盟主とする国際資本主義が生みだす不公正は、労働者運動と切り離されたテロリズムによっては正されないだけでなく、むしろこれに立ち向かう抑圧された人々の連帯にかくも重大な打撃を与えることにもなるからである。
 にもかかわらず、アフガニスタンのタリバーン政権やゲリラ組織・アルカイダに対する軍事報復は、今回のような惨劇が繰り返されることを抑止できないばかりか、アラブ諸国とイスラム世界のアメリカへの敵意をかき立てるだけであることも明らかである。そしてなにより、いかに強大な軍事力をもってしても、自爆という究極のテロを根絶することは絶対に不可能だと断言できる。
 なぜなら、今日くり返し敢行される「殉教作戦」は2つの意味でアメリカ資本主義が主導したグローバリゼーションが育み準備したのであって、このグローバリゼーションが国際社会にもたらした諸問題、いうなれば自らの命をも投げ出すテロ志願者たちを生みだしつづける国際社会の歪みや病巣に目をむけ、これを是正しようとする粘り強い努力なしには、殉教作戦の志願兵が絶えることはあり得ないからである。

グローバリゼーションとテロ

 「グローバリゼーションが育んだテロ」という評価は、かつてアフガンに侵攻したソ連軍に対抗し、アルカイダなど今日のテロ組織に連なるゲリラ組織をアメリカ自身が支援してきたという、いま世界中に流布されている解説と同じではない。
 たしかにアルカイダやタリバーンは、ソ連軍のアフガン侵攻に際して、パキスタンなどとともにアメリカ政府自身も武器の供与や軍事訓練をふくめて積極的に支援したムジャヒディン(イスラム聖戦士)ゲリラの中から登場した。だがこうした皮肉な例は今回が初めてではない。イラン・イラク戦争でアメリカが軍事的にも支援したフセイン政権が、後にクゥエートのアメリカ石油権益を侵害したことで引き起こされた湾岸戦争も、アメリカがテロ組織と非難した「コソボ解放軍」への鎮圧を、ミロシェビッチ大統領の民族浄化と非難する以外になくなってはじまったNATOのユーゴ空爆も、ご都合主義的な欧米外交のツケという同様の事例である。
 しかし「グローバリゼーションが育んだテロ」という場合、注目すべきことは第一に、金融グローバリズムが生み出した「南北経済格差」の急激な拡大であり、第二は、この金融グローバリズムと不可分の関係にあるインターネットという情報技術(IT)の国際的な普及である。つまりこの2つの条件こそ、ジハード(イスラム聖戦)とイスラム的殉教とされる自爆テロ、国際金融の象徴にして中心であるウォール街という標的、大規模テロを実行しうる国際ネットワーク「ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線」を結びつける、現代社会の現実的基盤に他ならないからである。
 以下、この2つの問題に焦点をあてながら、国際貿易センタービルへの衝撃的な自爆テロの背景を検証し、その歴史的な意味を考察してみたい。

最貧国の債務問題

 90年代に世界で進展したグローバリゼーションが、ヘッジファンドなどを手先にした国際金融資本の無政府的な利潤追求の結果として、いわゆる発展途上国を経済的破綻に追い込んだことは、97年夏のアジア通貨危機を思い起こせば十分である。
 しかもこうした途上国や低所得国の破滅に対する国際金融資本の対応策は、自らの債権を無慈悲に回収するために、IMF(国際通貨基金)や世界銀行といった国際金融機関に債務返済に必要な資金を提供させ、それと引き換えに、医療や産業育成への補助金など民衆の生存に欠かせない政府支出の大幅削減と、国際金融資本の自由な利潤追求を認めさせる規制緩和をセットにした「構造調整プログラム(SAPs)」を、IMFや世銀が債務国政府に強要するというものである。
 「世界金融システムの指導者をもって任じる世銀とIMFが、まるで裁判所から任命された破産管財人のように介入して、事実上の破産に追い込まれた国々の清算事業に乗り出す」(デビット・コーテン著『グローバル経済という怪物』97年シュプリンガー東京刊)のである。
 そしてこれが、ASEAN諸国よりもはるかに経済基盤の脆弱なアフリカ諸国やラテンアメリカ諸国、そしていまアメリカの軍事報復の危機に直面しているアフガンなどの中央アジア諸国に強要された場合、そこに暮らす人々がどんな困窮に陥ることになるかは火を見るよりも明らかであろう。
 昨年7月、沖縄・九州サミット福岡蔵相会議に対して、最貧国の債務帳消しを求める「フラワーマーチングin福岡」と銘打った集会とパレードが行われたが、これは「債務のない公正な21世紀を」を合言葉に、WTO(世界貿易機関)閣僚会議やG7(先進7カ国蔵相中央銀行総裁会議)に申し入れを行うなどの活動つづけてきたNGO(非政府組織)「ジュビリー2000」が、労働組合や日本に「出稼ぎ」にきているアジアの女性たちを支援する団体などに呼びかけて行ったものであった。
 この最貧国の債務帳消しの要求は、重債務国全体では毎日1万9千人もの子供たちが死に追いやられているという悲惨な現実への同情をこえて、グローバリゼーションの進展が最貧国債務を急激に膨張させ、この国々に苛酷なSAPsが押しつけられた結果であるとの認識にもとづいた要求である。
 アメリカを筆頭とする国際金融資本が、90年代のグローバリゼーションの展開をつうじて世界中の富を手中にした結果として、毎日2万人もの子供たちが死んでいるという現実は、それだけで国際金融資本とその利益を全面的に擁護するアメリカへの敵意が、大衆的に育まれるに十分である。しかもこうした悲惨な状況に追いつめられた人々が、圧倒的にイスラムベルト地帯と呼ばれる地域に集中していることが、「イスラム原理主義」台頭の土壌をつくりだしたのである。
 殉教作戦の志願兵予備軍の多くは、まずこの最貧国の悲惨な現実に対する純真な怒りを抱く。だが同時に彼らは、その原因をつくる国際金融資本の道具がかつての帝国主義支配のような銃やムチではなく、建前としては国連専門機関たるIMFや世銀という秘密のベールに包まれた巨大機構であり、国際金融資本ともどもアメリカの強大な軍事力に守られていて、これと有効に闘う手段を見いだせない絶望的状況にも直面する。この純真な怒りと絶望的無力感の中で、彼らは自らの命を投げ出して同胞を救済する殉教イデオロギーへの共感を強めるのである。
 それは19世紀末、資本主義的近代化のために農村からの収奪を強めたロシア帝政下で、苦難に喘ぐ貧農たちの救済をかかげて帝政の打倒をめざしたナロードニキ(人民主義)運動が、ついには皇帝の暗殺というテロに突破口を求めたことを思い起こさせる、反資本主義的闘争ではあるのだ。

国際ネットワークの威力

 以上が、ジハードと殉教作戦の志願兵を生み出す国際的な社会的基盤だとすれば、この強い反米感情に依拠しつつ、ハイジャックした中型旅客機を正確に操縦して標的に突入できるパイロットを事前に確保し、少なくとも4機の旅客機を同時にハイジャックするグループを支援部隊を含めて組織し、かつこれを確実に実行できる威力をもった国際的ネットワークは、インターネットに代表される情報技術の世界的普及なしには組織されなかっただろうという点である。
 今回のテロを実行する技術的側面に限っても、多少おおげさに言えばだが、連携して行動するグループもしくは個人がたがいに衛星回線をつかったインターネットの端末さえ持っていれば、時間と費用を費やす合同作戦会議の危険を冒す必要はないし、作戦司令部を一カ所に設置する必要すらない。それは世界中のどこかに密かにバラバラに設置され、インターネットによって結ばれてさえいればいいのだ。
 だがより重要なことはこうした技術的側面にではなく、インターネットの普及が、前述したような最貧国の悲惨な現実と国際金融資本の横暴をリアルタイムで世界中に伝え、これに対抗するジハードと殉教を説くイデオロギーもまた、このネットワークを通じて世界中の「イスラム同胞」に伝えることが可能になっている現実にある。
 アメリカのポトマック研究所の調査では、アルカイダと提携している組織は少なくとも15カ国の31グループあり、その活動家は55カ国にいるといわれ、中東とアジアのみならず旧ソ連邦、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカと文字通り世界中に点在し、ゆるやかなネットワークを形成しているという。だがこのネットワークは、いわゆる過激派相互の連携と見なされるものであって、国際ネットワークのもつ真の威力は、このネットワークの周辺にさらに広範なネットワークが連なっているところにある。
 この広範な国際ネットワークは、最貧国の窮状と国際金融資本の横暴に対する純真な怒りを共有し、微力ながらもこうした闘争を支援したいと考える、それこそ多種多様な人々を包含している。だからそれはテロを実行する能力という以上に、大規模なテロを可能にする専門的知識や情報の提供から、殉教作戦への確信を深めさせるに足る、多くの共感が込められた少額だが無数の資金提供まで動員できる、まさにネットワークの「威力」と言えるものなのである。
 ブッシュが壊滅させると豪語した敵とは、実はこうした広範な国際ネットワークなのであって、「テロリストをかくまう者も支援する者も区別しない」報復を本当に実行しようとすれば、「21世紀の戦争」は、国際金融資本に対する怒りを共有する者すべてを殲滅するまで継続される以外にない。
 いかに大規模な軍事的報復も、諜報機関と治安機関の総力を上げた弾圧も、国際金融資本を標的にする自爆テロを絶対に根絶できない理由がここにある。

後期資本主義の分解のはじまり

 しかしブッシュは、アフガニスタンのタリバーン政権の解体を意図した、大規模な軍事報復を敢行するだろう。それは今回のテロの直接的契機となったパレスチナ和平問題での無策の責任を逃れるためにも、このテロを可能にした国際ネットワークの威力を過小評価してきた安全保障上の失策をおおい隠すためにも、ブッシュ政権にはどうしても必要な政治的行為だからである。
 だがこの軍事的報復は、冒頭に述べたようにアラブ諸国とイスラム世界でアメリカへの敵意と憎悪をかき立て、さらなる報復の連鎖を呼び起こすことになる。この報復テロの標的には、世界中に展開する国際金融資本と多国籍企業のすべてが含まれ、ブッシュが強行する軍事報復に同調したすべての同盟国政府も、だから当然日本も含まれる可能性がある。そしてすべてのテロを事前に摘発し、未然に防止することは不可能である。
 こうして、国際金融資本の本拠地であるOECD諸国のすべての労働者が、この絶望的な報復の応酬に巻き込まれる危険から解放されるためにも、国際金融資本の身勝手な利潤追求を規制し、グローバリゼーションがもたらした最貧国の悲惨な状況に終止符をうつ、テロリズムに代わる国際社会の変革の展望を見いだす必要に迫られることになる。それは、いわゆる先進国の労働者が、国際金融資本がもたらす悲惨な最貧国の実態には目を向けることもなく経済的繁栄を謳歌し、資本と協調して豊かで安全な人生を享受してきた後期資本主義という時代の、深刻な動揺と分解の始まりを意味しないだろうか。
 その意味で9月11日の自爆テロが与えた衝撃は、時代を画する衝撃であったと言えるのかもしれない。
 そうであれば、ナロードニキの台頭と破産を経て、ロシア帝政の打倒を真に実現しようと社会民主党の結成へと向かったロシアのマルクス主義者と同ように、階級的労働者は、金融グローバリゼーションに反対し抵抗するあらゆるカードルを結集して国際社会を変革する戦略的展望を見いだそうとする、今後数十年を要するかもしれない粘り強い闘いに踏み出さなければなるまい。

 すでに国際金融資本の規制を要求し、その無政府的利潤追求が生み出す貧困、失業、環境破壊に反対する反グローバリゼーションの闘いは、AFL-CIOの組合員も多く参加した99年12月のWTOシアトル閣僚会議への大衆的抗議行動を契機に、前述した債務帳消しを要求する運動も含めて国際的な広がりをもちはじめている。これはもちろん、国際社会を変革する戦略的展望の構築にとって貴重な客観的基盤である。
 そこに現れている鋭い対立は、後期資本主義と手をたずさえて発展してきた戦後の自由と民主主義が、2つの傾向に分解しはじめている現代国際社会の反映である。その一方には、私的欲望を追求する自由な権利を擁護し、国際金融資本のグローバルな展開を支持する傾向があり、他方には社会的公正と基本的人権の擁護のために、私的欲望を動機とする金融資本の動向を統制する、より広範な民主主義を求める傾向がある。
 それは、国際金融資本の擁護者と「イスラム原理主義」者が無自覚のうちに共有する、「文明の衝突」という不毛な対決の虚構を越えて、より広範でより徹底した民主主義の社会か、財産権と企業秘密を神聖化する競争と弱肉強食の社会かという非和解的対立をはらんだ、公然たる現代階級闘争へと発展する可能性を秘めてはいないだろうか。
 そしてもちろん歴史的任務を自覚する階級的労働者は、コミューンの歴史的経験を継承する「大衆自治と自己決定」の社会の実現にむけて、より広範で徹底した民主主義の前進のために闘うのである。

(9月25日)


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