立ちはだかる経済危機と未知数の政治手腕
金大中大統領への期待と忍耐

(インターナショナル第97号:1998年2−3月号掲載)


韓国社会の変遷と大統領選挙

 韓国大統領選挙は昨年12月18日に投票日が行われた。結果は金大中が1032万票(40・3%)で当選、次点の李会昌は993万票(38・7%)だった。
 当選した金大中にとっては、1971年に朴正熙と争って以来四半世紀の間に、民主化の旗手として実に4度目の挑戦で選挙による「政権交代」を実現したことになる。しかしこの政権交代は、いったいどのような意味をもつ政権交代なのだろうか。これを考えるために、70年以降の韓国大統領選挙の歴史を振り返ってみよう。
 60年代から80年代前半の朴正熙、全斗煥政権は、軍部・国家官僚そして財閥による独裁政権であった。朝鮮戦争の終結後、冷戦構造の最前線に位置した韓国は、安全保障を確保することを至上の課題として、北部朝鮮にまさる重化学工業の発展を国家建設の中心として推進してきた。そこでは金大中が人格的に代表した学生や在野勢力による民主化運動への譲歩はまったく問題にすらならなかった。そうした条件のもとで「漢江の奇跡」と言われた経済成長が実現した。
 この急激な工業力の増大は、労働者勢力を社会的に台頭させた一方で、狭い国内市場では消費しきれない工業製品の輸出を拡大させた。労働者勢力は社会的領域での民主化を拡大させ、輸出は東南アジアにとどまらず中国大陸にも進出するまでに拡大した。朝鮮半島の軍事的緊張とその均衡は、韓国経済の急成長によって突破されることになった。さらに北部朝鮮の政治的経済的不安定さが次第に明らかにもなった。
 このような中で、87年6月には労働者、学生、民主勢力の闘いが大統領選挙の間接選挙から直接選挙への移行を実現させたが、その一回目は民主勢力の金大中と金泳三が分裂して選挙戦を闘い、結局与党の盧泰愚が36・6%の得票率で当選した。

金大中への国民的期待

 92年の選挙は金泳三が与党から立候補し、金大中と財閥候補をおさえ42・6%の得票率で当選した。軍部、財閥を代表しない「文民大統領」が誕生したと言われた。経済成長が市民の生活水準を押し上げ、「中流意識」を蔓延させていた。金泳三はまさにこのような時期の旗手として大統領に就任した。そしてこの「文民大統領」は、光州蜂起を弾圧した全斗煥と、財閥と癒着した収賄で盧泰愚を逮捕させたのである。
 しかし経済成長が行き詰まり、労働法制の改悪で公共企業の民営化を強行しようとする金泳三の試みは、民主労総に結集する労働者を中心にした総反撃に直面し、さらに親族と財閥との癒着が暴露されるにおよんで、金泳三の政治生命は尽きたのである。
 こうした状況下で迎えた今回の大統領選挙に対して、与党はクリーンイメージを売り物にする最高裁判事、監査院長そして首相という経歴をもつ李会昌を推した。だがこの与党の切り札は、家族の懲役免除問題が発覚して支持が降下し、京畿道知事である李仁済がもう一人の候補として出馬を表明した。
 野党と民主勢力、民主労総などは金大中を推した。長期の事前運動中には、金大中は元韓国中央情報部(KCIA)だった金鐘泌と手を結び、また以前に財閥から政治献金を受けていたことも暴露された。もちろん財閥は献金の事実を否定しなかった。
 選挙戦はテレビなどを使い、公正なものだったと評価された。しかし実際には、途中で金大中の優勢が動かし難いと判断した財閥勢力が、李会昌への運動資金の提供を止めたことで勝敗が決したと言われている。いまや財閥勢力は、金大中が大統領となっても脅威はないとの結論をもったのである。政治手腕が試されていない金大中大統領が、文字通り国民的期待の中で登場することになった。
 金大中は当選後、全斗煥、盧泰愚の赦免を了承した。国民統合のための政治的バランスを意識しての政策の手初めだろうが、そうした問題が全くささいなこととしか思われないほどの経済的危機という難題が、すでに選挙期間中から金大中・新大統領の前に立ちはだかっていた。

労働者・市民の期待と忍耐

 日本経済のバブルがはじけたと騒がれていた後でも、韓国の新聞には高度経済成長、好景気の見出しが踊っていた。だが日本でリストラが話題となり、銀行の不良債権処理問題が焦点化しはじめると、後を追うように韓国の新聞にも同じ見出しが登場した。企業倒産と失業の見出しは日韓同時に登場、そしてこの問題は、韓国では日本以上の加速度を増しつつ広がっている。
 韓国市場経済の基盤である巨大財閥グループは金融部門もかかえているが、経営は閉鎖的であり、金融、資本市場の開放には慎重であった。国内市場の狭い韓国では、過剰な設備投資は輸出志向を強めるが、その輸出の低迷が財閥グループ全体の経営破綻を導いた。具体的にはそれは自動車産業において典型であり、投資の不良債権化による金融機関の倒産、そして財閥グループの倒産へとなっていった。 民主化を推進したと評価された金泳三も、財閥企業の民主化、経済の民主化には立ち入ることはできなかった。この課題に、しかも財閥の破綻によってどろ沼化した現状に、金大中は立ち入らなければならない。
 韓国は4月21日、タイ、インドネシアにつづいてIMFの支援を受けることになった。その条件は、個別企業の救済のために補助金を投入しないこと、財閥の解体である。財閥グループの抵抗は必死である。
 他方では、こうした中で失業者は増大しているが、さらに企業の都合で労働者を解雇できる整理解雇法案が、2月2日からの臨時国会に上程される。民主労総の支援を受けて当選した金大中は、自らの手でその彼らを失業に追いやろうとしており、抗議の闘いは開始されている。
 そして現在、生活物資をはじめとして物価の上昇が日々つづいている。労働者、市民は金大中に期待と忍耐を同時にもちつづけている。はたしてこの期待と忍耐はいつまでつづくのか。
 「政権交代」を実現したと言われる金大中だが、問題は、直面している課題への政策と執行の中味である。それを評価するのは労働者と市民であり、金大中の大統領選挙での当選を「政権交代」と呼ぶか、もう一度それを要求することになるかは今後の問題である。こうした中で2月25日、金大中は正式に韓国大統領に就任する。

  (2・15/いしだ・けい)


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