ロシア経済の危機とプリマコフ内閣

共産党経済閣僚の誕生

(94号:98年11月号掲載)


ストライキと共産党経済閣僚

 10月7日、ロシア独立労組連合や共産党が呼びかけた賃金と年金の遅配や欠配に抗議する大規模なストライキが全土で行われた。時差の関係でストライキは、シベリア地方から徐々に西に向かってリレーされるかたちで拡大したが、同労組連合のシマコフ議長によれば、東部だけで「一千万人が参加する史上最大規模になった」。
 これまでもロシアでは、公務員と国営企業の労働者に対する賃金の遅配や欠配がつづいており、独立労組連合などによる抗議行動が繰り返されてきたが、今年9月末までの未払い賃金の総額は約860億ルーブル(1ルーブル=約10円)、未払い年金の総額も305億ルーブルに達していると言われる。加えて8月の通貨危機と、これにともなう銀行(といっても実態は小規模金融が大半だが)の破産や支払い停止が相次ぎ、なけなしの年金や預金の目減りや損失が急増、一段と深刻な事態が拡大していた。こうした事態をうけて、シマコフ議長はスト前日の6日、「給料の未払いは悪化するばかり。大統領辞任と大統領選・下院選の同時実施を要求する」と語り、デモ行進のプラカードにも「エリツィンは退陣せよ」と言った政治的要求が掲げられるなど、国際通貨基金(IMF)に指導されて市場経済化を推進してきたエリツィン政権に対する不信が前面に押し出された。
 さらにこのストライキでは、次期大統領候補のひとりと目されているクラスノヤルスク地方の知事・レベジがデモ行進の先頭に立ったり、九割以上の炭鉱がストを実施したクズバス炭鉱のあるケメロボ州の集会では、トレーエフ知事が「大統領権限を縮小し、内閣権限を拡大する憲法改正」を訴え、サラトフ州のアヤツコフ知事も労働者らの集会に参加するなど、野党の有力政治家たちの参加が目立ったのも特徴的であった。レベジをはじめとするこれらの政治家たちのねらいが次期大統領選挙に向けた人気取りにあることは疑いないが、それはまたエリツィンの権威下で進められてきた改革が、決定的な転期を向かえていることを示すものでもある。
 こした全土ストライキに対してロシア内務省は、スト中の労働者に遅配賃金の支払いを約束するなど切り崩し工作を展開、6月から政府庁舎前に座り込んでいたボルタク炭鉱労働者のストを中止させるなど、ストの影響を最小限に抑えようと奔走した。結果として各地で行われたデモ行進参加者数は主催者側の予測を大幅に下回ったようだが、これは政府側の切り崩しによるだけでなく、プリマコフ内閣が、これまでの改革路線のかなり大胆な見直しや転換を含む新政策を打ち出しはじめたこともあって、しばしの間様子を見ようとの空気が、労働者民衆の側にもあったためと言われている。
 エリツィンが最初に指名したチェルノムイルジンの首相就任が否決され、その後下院の圧倒的支持(賛成:317、反対:63、棄権:15)で9月11日に首相に就任したプリマコフは、基幹的企業の一部国有化や国家による金融管理強化を含む下院諸勢力との合意を基本に共産党を含む連立内閣を組織したが、さらに10月6日には、ザドルノフ蔵相の留任に抗議して辞任した対外金融機関担当のショーヒン副首相の後釜に、共産党のマスリュコフ第一副首相を任命した。これによって、IMFをはじめとする国際金融機関との折衝や、財政問題、産業政策など経済全般を担当し、首相の不在時にはその職務を代行できるという重要ポストが、ソ連邦崩壊後でははじめて、共産党の手に握られたのである。

共産党閣僚が直面するジレンマ

 96年の大統領選挙が、事実上エリツィンと共産党のジュガーノフの一騎打ちとなり、僅差とはいえエリツィンが勝利してからわずか2年余りで、ロシアの状況は一変した。エリツィンの権威は地に落ちて実権の空洞化がすすみ、かたや共産党はロシア経済を左右する実権を手中にしようとするに至った。にもかかわらず、この共産党の権力中枢への復帰が、ジュガーノフに次期大統領の椅子を自動的に約束するわけでもない。なぜなら、チェルノムイルジンの首相再就任をめぐる共産党内部の分岐が、マスリュコフの経済政策いかんによては決定的な対立へと発展する可能性も否定できないからである。
 ジュガーノフら「穏健派」と呼ばれる共産党主流派は、新興の金融・産業グループ「ロゴバズ」の代表で独立国家共同体(CIS)執行書記でもあるベレゾフスキーら、反キリエンコのノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力のチェルノムイルジンかつぎ出しに同調しようとしたと言われるのに対して、イリューヒン下院保安委員長ら共産党内の「強硬派」は、あくまでエリツィンの退陣を求めて反発を強めたと言われ、共産党の別動隊と見なされている農民党と「人民権力」でも、同様の穏健派と強硬派の分岐が現れた。しかし当初は、チェルノムイルジンが経済政策の転換を打ち出せば、穏健派が強硬派を説得できると予想されていたのに反して、強硬派はチェルノムイルジン首相を容認しなかったために、結局はプリマコフ首相の構想が浮上してきたという。こうした共産党内の分岐は、権力復帰のためにはノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力との協調をも辞さない穏健派と、エリツィンが、そしてチェルノムイルジンが推進してきた改革路線の全面的変更を要求する強硬派の対立があるのは明らかであり、事実ジュガーノフら穏健派は、チェルノムイルジンとも密接な関係を維持してきており、ベレゾフスキーらノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力によるチェルノムイルジンかつぎ出しは、それを前提とした画策でもあった。
 だがこうしたノメンクラトゥーラ・ブルジョアジーの予測に反して、共産党強硬派の基盤である下部の党員たちの反発は強く、それはまたロシア経済の深刻化で賃金や年金の未払いに苦しむ労働者民衆の気分の反映でもあったろう。したがって、経済全般を担当する重要ポストに共産党閣僚が就任したことは、むしろこの党の内部分岐を拡大することになるかもしれない。なぜなら、当面する経済政策の転換が、ノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力の利益を防衛し、経済の悪化を多少減速させることができたとしても、いずれはそのツケは、大衆収奪の強化によって埋め合わせる以外にはなくなるからである。国際金融資本の要求と、ノメンクラトゥーラ・ブルジョア勢力の要求との板挟みばかりか、大衆的要求の圧力をも受けざるをえない共産党の経済閣僚が、追い詰められてあげくに決断する経済政策は、はたして労働者民衆の要求に応えることができるだろうか。

(K.M)


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