●アフガン戦争開戦と国際反戦闘争●
報復戦争とテロの応酬か 労働者による社会変革か
開戦は、パクスアメリカーナ終焉のはじまり

(インターナショナルNo.122/2001年11月掲載)


 10月7日、アメリカ・ブッシュ政権によるアフガニスタンへの報復戦争が始まった。例によって、主要な対空防衛施設を夜間に急襲・破壊して制空権を確保し、後は対空砲火のとどかない安全な高々度から精密誘導弾を投下するという卑劣な軍事攻撃は、報復戦争に反対する人々が懸念していたように、世界で最も貧しい国のひとつであるアフガニスタン民衆に多大な犠牲を強いて、周辺諸国のムスリム(イスラーム教徒)のアメリカへの敵意をかきたてつつある。
 国際貿易センタービル(WTC)を襲ったテロを「民間人を標的にした卑劣な行為」と非難したアメリカが、爆撃から避難することすらできない貧しい民間人の頭上に数千発もの新鋭爆弾を投下しつづける現実は、ブッシュの掲げる「アメリカの正義」が、アメリカ国民とアフガン国民とでは生命の尊さが違うとでも言わんばかりのダブルスタンダード(二重基準)であることを強く印象づけずにはおかない。パレスチナ問題と湾岸戦争で暴かれた欧米諸国のダブルスタンダードと二重映しになるこの事態は、イスラーム原理主義を標榜してジハード(聖戦)を呼びかけるテロリズムにむしろ新たな確信と支援者を与え、テロリズムの伸長を助長するだろう。
 ブッシュとその政権中枢にある産軍複合体の利害代弁者たちの主観的意図がどうあれ、そして彼らが繰り返し「文明の衝突」を否定しようとも、10月7日にはじまったアフガン戦争は、キリスト教とイスラーム教の「宗教戦争」の様相をはらみつつ、報復テロと報復戦争の応酬という悪循環に世界を追いやる門戸を開け放ったのである。

アメリカの揺れる心情

 ところでアフガン戦争の開戦前から、いわゆる軍事専門家たちですら、戦争の帰趨は、テロの首謀者とされるビンラーディンらアルカイーダ幹部たちの所在を突き止める情報力が決め手だと主張していた。
 つまり報復戦争を支持する彼らの多くもまた、空爆であれ地上戦であれ軍事力を行使すればテロとは無縁な民間人が巻き込まれるのは不可避であり、アラブ諸国の反感を強めるそうした犠牲を最小限にとどめて報復の実効をあげるには、テロ組織幹部たちの所在をいち早く補足し、これに打撃を与えることが肝心なことを認めていたのだ。
 そしてテロ直後は、愛国心とテロへの報復一色に塗りつぶされたかに見えたアメリカにおいて、戦争によるアフガン民衆の犠牲というジレンマが、徐々にだが認識されはじめているように見える。それはアラブ諸国とイスラーム世界ばかりではなく、アメリカにとって身近なラテンアメリカ諸国にすら「アメリカへの敵意」が広範にあることが知られる度合いに応じて、怒りに任せた報復と、テロの撲滅に真に必要な課題との間で揺れ動く心情が、ほかならぬアメリカ民衆の間に現れはじめたからである。
 『Newsweek』誌は、アメリカの中道右派を代表する週刊誌として有名だが、早くも開戦直前に発行された日本版(10月10日号)に「吹き出した『自業自得論』」と題する記事を掲載し、ラテンアメリカ諸国の首脳たちが対テロ戦争支持で一致した一方、リオデジャネイロの反戦集会に「アメリカの死者には1分間の黙祷を、アメリカの政策の犠牲者には59分間の黙祷を」との旗が掲げられたと報じ、「アメリカもこの機会に、少しは謙虚さを学ぶといい」というコロンビアの人気コラムニストの主張を紹介した。その後も同誌は、自爆テロの背景を彼らなりに理解しようと「憎悪とイスラムの政治学」といった特集(10月17日号)を組むなど、軍事力では決して撲滅できないテロという厳しい世界の現実に目をむけつつある。
 それは新聞などで報じられる、対アフガン戦争を圧倒的に支持するアメリカの世論調査の背後で、アメリカの労働者・民衆が、WTCを崩壊させた自爆テロが自分たちに何を突きつけたのかに、少しづつだが目をむけはじめていることを示唆している。
 もちろんアメリカ国内では、9月のテロ事件直後から、テロにも報復戦争にも反対する反戦運動がいくつもの大衆行動として組織され、開戦の緊張たかまる9月29日にはワシントンで1万人、サンフランシスコで5千人、ロサンゼルスの連邦政府ビル前で300人など全米各地で報復戦争に反対する集会やデモが行われ、開戦当日の10月7日にも全米各地で緊急反戦行動が組織された。
 だがこうした報復戦争反対を闘うアメリカ民衆自身の行動が、イスラーム原理主義を標榜するテロリズムと「殉教作戦」という自爆テロを生み出す土壌となっている金融グローバリゼーションを撃つ運動として発展するには、言い換えれば国際金融資本の身勝手な利潤の追求によって生まれる地域格差や社会的不公正を是正する闘いを発展させ、開け放たれたテロと戦争の悪循環の門戸を再び閉ざすインターナショナルな運動として成長するには、アメリカ国内つまり国際金融資本の城塞の内側で、とりわけ反グローバリゼーションの闘いに踏み出しはじめた労働者階級の大衆的支持を獲得する必要がある。
 アメリカ民衆の間に生まれつつある揺れ動く心情は、客観的にではあれアメリカの報復戦争反対運動が、大衆的支持を獲得する可能性を示すものなのである。

時代を画する衝撃の核心

 アフガン戦争それ自身の帰趨もだが、階級的労働者がテロにも報復戦争にも反対する闘いの今後を展望するにあたって、アメリカにおける大衆的反戦運動の発展は決定的な重要性をもっている。
 それはかつて、アメリカ本土の反戦運動がベトナムの民族解放闘争に対する最大の支援になったという歴史的経験のアナロジーからではなく、「グローバリゼーションが育んだテロ」(本紙前号)の根絶にとって、アメリカ本土の、とりわけ労働者階級による反グローバリゼーション運動のイニシアチブが、最も重要な要素だからである。

 9月のテロ事件以降、それこそ国籍や専門分野をとわず様々な人々が「世界が変わった事件」という見解を表明した。もちろんそこには雑多な傾向がふくまれるが、多数派を構成しつつあるのは「ポスト冷戦の終わり」といった見解であろう。
 だが冷戦終焉後の「平和の配当」幻想を打ち砕いた湾岸戦争(91年1月)を契機に、「ならず者国家」と「欧米的民主主義国家」の対決として成立した「ポスト冷戦の国際秩序」が崩壊し、「国家対国家」の対決から「国家対テロ組織」の対決、要するに「欧米的民主主義国家」と「見えない敵」が対決する時代が訪れたとする認識は、アメリカを盟主とする先進資本主義諸国の国際戦略の破綻と時代の転換を混同した、アメリカ的利害で世界を眺めた発想にすぎまい。あるいはテロ撲滅で合意したロシアとの関係を問われたパウエル国務長官が、記者会見で「冷戦は終わった。ポスト冷戦も終わった」と述べたことに便乗し、それを単純化したロジックとして受け売りする輩の言説である。
 しかしWTCテロ事件が「時代を画する衝撃であった」(本紙前号)とすれば、その核心は、第二次世界大戦後およそ半世紀にわたって、経済と政治ばかりか大衆文化まで含めた国際社会の「進歩的リーダー」を自認してきたアメリカが、いわゆる南北格差が呼び起こしたテロによって決定的な不信と拒絶を突きつけられた事実にある。
 しかもこの「アメリカへの不信」は、WTCテロを非難する国際世論にすら広範な共鳴の基盤をもっていることは、前述した中南米の事情でも明らかである。ところがアメリカ自身は、圧倒的軍事力による報復戦争でこれに応えることしかできず、国際社会の「進歩的リーダー」として社会正義を貫く価値観を提出できずにいるのだ。
 こうして新しいリーダーシップが、とりわけアメリカを敵視する自爆テロを呼び起こした金融グローバリゼーションを、社会正義と公正を実現する観点から統制する国際的イニシアチブが求められる時代が幕を開け、だからまた金融グローバリゼーションと対決する反WTO(世界貿易機構)の闘いに踏みだし、数千人ものテロ犠牲者をだしながらもアフガンでの報復戦争に反対する、アメリカ労働者階級のイニシアチブが決定的な重要性をもつ情勢が現れるのである。

パクスアメリカーナの両輪

 それでは、WTCテロによって決定的な不信をつきつけられたアメリカの「進歩的リーダー」の地位とは、いったいどのようなものだったのだろうか。

 戦後冷戦下でのアメリカは、反共軍事同盟の盟主として、史上最強の軍事力でその主役の座を占めてきた。
 だがある意味で戦後左翼運動が見逃してきた戦後アメリカ資本主義の真の強力さは、植民地を支配する軍事力に資本主義的繁栄の主要な手段を見いだしていたかつてのヨーロッパ帝国主義列強を超越して、旧植民地の民族的独立を支持し、独立後の資本主義的近代化と開発に惜しみない援助を与え、この援助を通じてアメリカン・ライフスタイルと呼ばれる「健康で文化的な生活様式」で世界の民衆を魅了し、いわば世界の憧れを動員する大衆消費社会を自由と民主主義の名の下に拡張してきたことにあった。
 戦後資本主義の数十年におよぶ繁栄を保障したパクス・アメリカーナは、核ミサイルが象徴する最悪の軍事力だけではなく、アメリカン・ライフスタイルが象徴する豊かな生活や大衆文化という、2つの車輪によって構成されていたのである。
 戦後アメリカ資本主義の、国際社会における「進歩的リーダー」としての地位は、この世界の憧れの上に成立した。だから長くヨーロッパ帝国主義列強の支配下に呻吟してきた中東アラブ世界でも、初代エジプト大統領・ナセルが唱えた汎アラブ主義の下で、社会主義やイスラームを標榜した同様の近代化が推進されてきたのである。
 WTCテロ事件は、この大衆消費社会を生む資本主義的近代化を命を賭して否定しようとする、アメリカへの憧れの終焉を象徴する事件と言えるが、その背景には、中東アラブ諸国の権力を握る部族支配や王制の腐敗と堕落が、そして欧米の自由な社会へのアラブ民衆の深い幻滅がある。
 前者は、すでに湾岸戦争当時のわれわれの見解でも明らかにした【本紙17号:くずれた神話「アラブはひとつ」:90年9月】が、これに追加されるべきことは、膨大な石油利権を欧米石油メジャーと共に独占し、民衆の困窮をかえりみない「イスラームの富者たち」の政府が、これを批判する「過激派」を弾圧する一方、原理主義的イスラーム宗派を支援して自らの堕落を隠ぺいしつづけたことが、イスラーム原理主義を標榜する国際的なテロリズムに重要な基盤を提供した事実である。
 しかし後者は、その原油利権の動揺をともなった70年代の石油ショックを契機に、長期的不況に直面したヨーロッパ諸国でアラブ諸国からの移民労働者に対する差別と排斥攻撃が強まり、グローバリゼーションの進展の下でこうした民族拝外主義がさらに勢いを増したという意味で、重要な現実的課題を提起する問題でもある。
 なぜなら欧米での拝外主義の台頭が、非欧米系労働者の自由と民主主義への幻滅を促進したことは疑いないが、そこには国際金融資本の下で繁栄を謳歌する帝国主義本土の労働者階級に対する根強い不信と、労働者階級の社会変革能力に対する絶望が含まれていると考えられるからである。そしてこの階級への絶望こそは、無差別テロを正当化するテロリズムの核心のひとつだからである。
 ここでも階級的労働者は、金融グローバリゼーションと対決する、アメリカをはじめとする先進資本主義国労働者のイニシアチブの構築という重要な課題に直面る。
 テロにも報復戦争にも反対する階級的労働者は、拝外主義を内包する対テロ報復戦争支持の傾向と格闘すると同時に、帝国主義本土労働者の社会変革能力への絶望とも闘う必要に迫られているのである。
 労働者階級の社会変革能力に対する絶望の体系でもあるスターリニズムとの歴史的闘争を継承しようとするわれわれは、今後も労働者階級の国際的イニシアチブのために闘うであろう。

(きうち・たかし)


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