【ホワイトカラー・エグゼンプションの導入】

成果主義の貫徹と労働基本権の清算

−格差の是正ではなく、基本的人権の擁護が必要だ−

(インターナショナル第170号:2007年1・2月合併号掲載)


▼WE法案提出の先送り

 政府・与党が、1月25日にはじまった通常国会に「ホワイトカラー・エグゼンプション」(以下:WE)法案の提出断念を表明したのは、1月16日のことである。
 連合、全労連、全労協など労働団体のみならず、労働弁護団が「過労死促進法だ」と反対してきた法案の提出が見送られたことは、もちろん歓迎すべきことである。
 だが、法人税減税要求とあわせてWEの導入を要求してきた経済団体連合会(経団連)など経営側の狙いは、後述するような巨額の残業代を「節約」して労働分配率をさらに低下させようとするだけでなく、労働時間に基づく賃金体系を労働の「成果に対する報酬」とする賃金体系に転換し、90年代から顕著になった「成果主義」を低所得層にも貫徹しようとするものである。
 それは同時に、98年に労働基準法(労基法)が改悪されて以降、常態化した差別雇用の諸制度が必ずしも日本企業の労働生産性を強化しなかったという、経営側の「誤算」に対する「修正」の側面もある。
 正規雇用労働者を減らし、それを派遣、請負、パート等の非正規雇用労働者に置き換えた90年代後半のリストラは、人件費の削減=労働分配率の低下を通じて企業の業績と財務内容を改善し、これを好感した金融投機の拡大=平均株価の上昇を促し、企業の業績低迷に歯止めをかけはした。だが反面では、「企業への忠誠心」や「多能工的働き方」など、労働密度の極大化を自発的に達成させようとする日本的「動機づけ」の強みをも棄損したからである。
 かくして、経団連の新会長・御手洗(キャノン会長)は、「年功賃金は廃止すべきだが、終身雇用は守る方が良い」と公言し、返す刀で「労働密度の極大化」を達成する新たな動機づけとして、「管理職としての成果を評価する制度」と称してWEの導入を声高に要求するのである。

 以下、「ワーキング・プア」を大量に生み出すことになった労基法改悪後の雇用形態の多様化と、WEという労働時間規制の廃止を切り口にして、日本の労働者運動が直面する課題について考えてみたい。

▼ブッシュ政権の労働法改定

 すでに周知のことではあろうが、WEは一定条件以上の労働者を週40時間・1日8時間以内という残業規制から除外(=エグゼプション:exception)する制度で、管理職や専門職(=ホワイトカラー:white-collar)がその対象である。
 この除外規定の起源は、1938年にアメリカで成立した「公正労働基準法」である。当時のルーズベルト大統領が、ニューディール政策の一環として最低賃金を設定したり残業代の支払いを義務づける労働者保護政策を打ち出したのだが、代わりに管理職や専門職の一部高収入層は「例外」としてこれを適用しない制度も設けられた。これが「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼ばれるようになったのである。
 その後この除外規定は、戦後のサービス産業の勃興に伴う大量のホワイトカラーの誕生にもかかわらず、1949年に一部改正されただけだった。まさにその結果として、90年代になると「残業代支払い請求訴訟」が続出することになり、90年には1257件だった訴訟は、2002年には4000件近い数にまで増加したのである。
 こうして、雇用者側が訴訟費用に悲鳴を上げる中で登場したのがブッシュ政権であり、チャオ長官の下でアメリカ労働省が改正原案を公表したのが、03年3月である。この原案の目玉は「簡素化」と「低所得者の保護」だとチャオ長官は自賛したが、実態は法改正案ではなく省令のたたき台であり、除外規定の改訂は、労働長官の判断に一任されることになったのである。
 アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)と民主党の反対はあったが、04年4月には最終案が出され、8月からは新ルールが施行された。その新ルールでは、週給455ドル=年収2万3千660ドル(1ドル=120円で284万円)以下なら無条件で残業代をもらえるが、それ以上は@エグゼクティブ(管理職)、A専門職、B事務管理職、Cコンピューター関連職、D外勤営業職に分類し、業務内容など条件を明確にした除外規定が盛り込まれた。
 例えば、いま日本でも残業代をめぐるトラブルが多発しているレストランチェーンの店長は、日常的にレジ業務などをこなしていても、従業員の採用や解雇の権限をもっていれば「エグゼクティブ」と見なされ残業代はもらえない。シェフ(コック長)も、4年制の料理専門学校を卒業していれば「専門職」と断定される等々である。
 労働者の大半が年収2万4千ドルから10万ドルの範囲内におり、アメリカ国民の年収の中央値が3万2千ドルという現状でこの規定が意味するのは、年収300万円程度の「低所得エグゼクティブ」を大量に生み出し、同時に残業代支払い請求訴訟を劇的に減少させるだけである。
 事実、雇用者側はこれを「快挙」と称賛するが、改訂に批判的なシンクタンクの試算によれば、労働協約などで残業代を認められてきた労働者のうち600万人が、新たにその権利を失うと言う。

▼抵抗権を奪う「猿まね改革」

 ブッシュ政権によるWEの改訂は、残業代未払いのグレーゾーンを逆に「合法化」することで、訴訟などによる労働者の抵抗権を奪おうとするものである。
 つまり日本のWE導入は、政府が05年3月、規制改革・民間開放推進3カ年計画で「米国の制度を参考に検討する」との方針を打ち出したことでも明らかなように、このブッシュ政権の「快挙」を日本でも再現しようということに他ならない。
 それは、厚労省がWEの適用範囲を年収700万円〜1000万円で検討していることが明らかになった一方で、05年6月に発表された経団連の提言には、「年収400万円以上」と例示されていたことからも明らかである。そしてもちろん各労働団体が指摘するように、法案には年収を明記せずにWEを導入し、適用範囲はその後の改訂で拡大する狙いも透けて見える。
 「労働運動総合研究所」の試算によれば、仮に400万円以上がWEの対象になれば、残業代を受け取れない労働者は1013万人にものぼり、「節約」される残業代総額は、年間で11兆6千億円の巨額になる。

 だが問題は、そればかりではない。
 フリーターと呼ばれる時給払いの非正規雇用労働者を「店長」に仕立て、「過労死ライン」と呼ばれる月80時間以上の残業を強いながら、「長時間労働は店長の能力の問題」と言ってはばからない大手ハンバーガーチェーン店が、残業代未払いで提訴された(『週刊朝日』1月26日号)ように、あるいは個人加盟労組に「フリーター」が駆け込み、残業代支払いを含めて労働条件の改善を要求する事態が増加しはじめているように、雇用形態を無視した名目的「管理職」が、過密労働と残業代無しの減収に耐えかねて抵抗を始めつつある事態が、経営側にWE導入を急がせる背景にあるのは確実である。
 つまり労働者が超過密労働に抵抗する法的根拠をWEによって奪い、残業代支払い要求などを先取りして封じ込める意図が、むしろ問題の核心であろう。
 実際に、「店長」と呼ばれる時給払いの非正規雇用労働者を含む5人の「フリーター」が首都圏青年ユニオンに加入し、団体交渉で残業代の支払いを求められていた牛丼チェーンの「すき家」は、昨年11月、「賃金制度に一部問題があった」として1日8時間を越えた分を残業とする一般的賃金制度に改め、ユニオンに加入した5人には過去2年分の割増賃金を支払っている(『朝日新聞』1月10日)。
 つまり残業代不払いは、「すき家」のような変形労働時間制の不当な拡大解釈や、名目的な「管理職」への任命を口実にすでに常態化しているのだが、それは労組などに指摘されれば違法性を認めざるを得ない「グレーゾーン」であることも明らかである。だからまたこれに対応して、常態化している「半違法状態」をWEによって合法化する必要が、経営側の切迫した課題になっているということでもある。
 しかもWEの導入は、前述のとおり相も変わらぬアメリカのキャッチアップ、いや、ブッシュ政権に追随する「猿まね改革」に過ぎないが、それを、「アメリカ式経営がベストではない」と公言する御手洗会長を先頭に経団連が要求する事態は、皮肉と言うよりも悪い冗談のたぐいである。

▼ワーキング・プアと外国人労働者

 とは言え、WEの導入が「低所得エグゼクティブ」を量産し、過労死に至るような過密労働を「個人的能力の問題」として企業の雇用責任を免罪するとすれば、それはグローバリゼーションの本家・アメリカに倣って、日本でもサービス産業における労働力構成の再編が本格化することである。
 日本におけるワーキング・プワ(WP)=働く貧困層の増加は、まずはブルーカラー層つまり生産現場の労働力構成の再編として、労基法改悪による雇用形態の多様化をテコに加速した。そしてWEの導入は、WPが生産現場から溢れ出し、サービス産業の現場に広がることを意味している。
 しかもそれは、出生率の低下と急速な高齢化社会の到来を背景に、日本の労働力不足を補うように流入してサービス産業に従事する外国人労働者の多くが、WPとして社会の底辺に滞留するという問題をはらんで進展することになるだろう。
 現に、「ニッポン製造業復活」のシンボルとなったシャープ亀山工場がある三重県の亀山市では、外国人労働者家族の未就学児童の増加が問題になっているが、それは「偽装請負」という違法な雇用とWPの上に、「亀山ブランド」なるシャープの成功神話が作られたことを物語っている。と言うのもここで働く日系ブラジル人請負労働者は、1日12時間拘束の2交替制、月勤務25日で平均年収は312万円と、日本人の非正規雇用労働者の平均年収381万円(1日12時間拘束の月勤務21日)の8割程度しかなく、WPの典型と言えるからである。
 ちなみに同工場の正社員の平均年収は736万円で、日系ブラジル人請負労働者の2.4倍である。

 もちろん「偽装請負」はシャープだけでなく、松下電器など他の家電メーカーでも発覚したが、ブラジル人労働者を工場周辺に集団で居住させ、直営工場のみならず下請け企業も含めて「組織的に」ブラジル人労働者を就労させてきたという意味では、亀山工場は突出した事例と言える。
 例えば亀山工場が稼働し始めた04年、工場で働く正社員が550人だったのに対して非正規雇用労働者は1100人もおり、正社員が2200人になった06年でも、なお1800人の非正規雇用労働者が就労していた。しかも、亀山工場本体からは請負や非正規雇用を極力排除し、近隣の下請け工場に移動させる「請負隠し」も行われている。
 亀山工場に隣接し、液晶テレビ生産の一端を担う下請け会社「カメヤマテック」には、シャープとの契約を切られたブラジル人労働者が約300人就労しており、亀山工場むけに液晶偏向フィルムなどを生産する日東電光亀山事業所は、全就労者1700人中請負労働者が1000人もおり、そのうちの800人がブラジル人労働者である【以上『週刊東洋経済』06年9月16日号】。
 この亀山の事例は、すでに多くの外食チェーン店などサービス産業に従事する外国人労働者の、明日の姿でもある。

▼低所得層への成果主義の貫徹

 WPは、外国人労働者を含む最下層労働者の問題であり、かたやWEは「中流」労働者層の問題と言えなくはないが、それはやはり皮層な見方であろう。
 なぜなら、導入されようとしているWEの主なターゲットは、中高年の現職管理職ではなく、フリーターや専門学校出身の若年非正規雇用労働者と、パートや派遣で働く女性労働者だからである。
 長時間の過密労働にもかかわらず、収入の全く増えないこの労働者層は、直ちにWPには陥らないとしても、過労死に至る危険と隣り合わせである。つまり病気やケガに対する賃金保障などのセーフティーネットが全く無い現状では、病気やケガが失業に直結し、家計を直撃するのも目に見えている。要するに彼・彼女らはWPどころか、いつでも「無収入の貧困」に突き落とされる可能性がある労働条件を、WEによって押しつけられようとしているのだ。
 彼・彼女らを名ばかりの「店長」や「管理職」に仕立て上げ、あるいはIT関連の単純作業労働者を「専門職」と見なし、「時間で拘束されない多様な働き方」と言った耳障りの良い言葉で、成果主義賃金体系に組み込もうしているのである。
 経団連の提言が「年収400万円以上」と例示したのは、WEがこうした労働者層を狙った制度であることを示唆しており、この水準でWEが実施されれば、「管理職」や「専門職」の人件費は劇的に軽減されるだろう。つまりWEの本当の狙いは、日経連が提唱した「新時代の『日本的経営』」が「高度専門能力活用型」と分類した中間労働者層を、年収400万円程度の非正規雇用で構成しようとすることなのである。
 パートやアルバイトなど、多様な雇用形態の労務管理を名目的な「管理職」に丸投げしたり、あるいはIT関連の単純労働も「技術職」と断じて長時間労働にともなう割増賃金の負担を免れ、さらには過労死などの労働災害を「個人的能力の問題」にすり替えることができれば、サービス産業の職場の様相は一変するに違いない。
 こうして、WE導入を要求する経団連の本音が明らかになる。それは、製造現場の労働力の主軸を請負や派遣など「雇用柔軟型」へと再編したのにつづいて、「新時代の『日本的経営』」が提唱した労働力の3類型をサービス産業にも貫徹しようと、ブッシュ政権の「快挙」に便乗してWEを日本にも導入しようというのである。

 ところでWEは、たしかに「残業代ゼロ」を意味する制度だし、この名称は人々の即時的反感を呼び起こす効果もある。あるいは労働弁護団が命名した「過労死促進法」も、前述したように、WEのひとつの核心をついた名称ではある。
 だがここまで述べてきたように、WEの導入によって現実となるのは、厚労省と経団連の主観的意図がどうあれ、8時間労働制の制定など、人間の奴隷的労働を規制する労働基本権の思想が「成果主義」の名によって全面的に清算される事態であり、あるいはWPの増加に象徴されるように、「社会的生存権」が脅かされる基本的人権思想の解体状況に他ならない。
 そうだとすれば、日本の労働者運動が今日直面する課題は、この問題を真っ向から見据えて、ILO(国際労働機構)条約に明記された労働基本権を擁護し、基本的人権思想の解体に抗する、新たな人権闘争の展開であるとは言えないだろうか。

▼価値観の逆転との思想的対峙

 労働基本権の擁護と基本的人権の確立は、「過去の課題」と見なされるかもしれない。少なくとも戦後日本では、これら人間の普遍的権利は、「民主国家の常識」として広く受け入れられてきたと言えるからだ。
 だが1998年9月、自民、民主、平和・改革、自由、社民の5党共同修正案として労基法が改悪されて以降10年も経ずに、WPという名の「貧困」が深刻な社会問題となり、過密労働による過労死という労働災害は増加の一途をたどり、自殺に追い込まれる人々も増えつづける事態が現実となったのである。
 しかもこの過程は、新自由主義イデオロギーの攻勢と手を携えて進展し、「社会的再分配機能」や「相互扶助の文化」を否定する意識を蔓延させもした。
 「社会的生存権」を保障する社会的再分配制度と、生活インフラに関わる水道などの公営事業が、国家による市場への介入と混同されて「経済的停滞の原因」として排撃され、労働組合の自立的互助機能は「個人の自由」に反する特権的機能だと非難され、代わって「個人的能力」をアピールして「自由に競争する」市場原理こそが、「社会を進歩させる最良の原理」とする価値観が社会に押しつけられたのである。
 それは同時に、労働組合や社会保障の土台となってきた労働基本権や基本的人権といった思想を卑(いや)しめ、失業、過労死、貧困など、社会と経済の仕組みが生み出す社会的問題を「個人的能力」や「個人的責任」へと転嫁し、個々の労働者が自らの経済的価値をめぐって市場で競争する「労働力の商品化」を肯定して、人間労働に関わる「価値観の逆転」をもたらした。
 いまや労働者は、自尊心ある人間である以前に「企業が必要とする経済的価値」の優劣で競い合い、その評価次第で「勝者と敗者」に分類される「差別的な文化」が、やむなくではあれ、多くの人々が容認する社会が出現することになった。
 こうして日本の労働者運動は、まず何よりもこの新自由主義イデオロギーと思想的に対峙し、労働者と市民の「自立した共同体」を形成するのに必要なイデオロギーの再構築を迫られていると言える。
 労働基本権に関する「グローバル・スタンダード」であるILO条約の遵守や、日本国憲法のみならず世界人権宣言(1948年)にも明記された基本的人権の思想を盾にした抗議と抵抗とは、その意味で「過去の課題」ではなく、「人間の尊厳を回復する」古くて新しい闘いになるのである。
 しかも、歴史的闘争を通じて確立された人権思想を新自由主義イデオロギーに対置することは、グローバリゼーションという現実の中でこれらの思想を実践的に適用し、新たな現代的体系へと鍛え直す意味をもつことにもなるだろう。

 だがいずれにしろ決定的なのは、新自由主義イデオロギーが醸成した「差別的文化」を逆転させようとする思想的対峙が、否応無しに「成果主義」に組み込まれつつある「フリーターや専門学校出身の若年非正規労働者とパートや派遣の女性労働者」自身の運動として展開されるか否かである。
 なぜなら、彼・彼女たちが「時間で拘束されない多様な働き方」と言った「耳障りの良い」謳い文句に引きつけられる現実は、それ自身として、新自由主義イデオロギーの攻勢の結果だからである。

▼転機を迎える新自由主義

 新自由主義イデオロギーが、労働組合の互助機能を「個人の自由に反する」と非難できたのは、戦後日本の労働運動が熟練工を核とした徒弟的関係を基盤に成立してきたことと合わせて、獲得した既得権が「男子本工労働者」に偏って再分配され、非正規雇用と女性とが、そこから排除されつづけてきた現実があったからである。
 労働組合の互助機能とは全く無縁であった彼・彼女らが、労組の正統性を説く労働基本権や基本的人権の思想を、「特権的」な既得権を擁護する「旧い思想」と考えても不思議ではない現実があったのだ。
 したがって新自由主義イデオロギーとの対峙は、労働組合の「主体的欠陥」を改めようとする自律的運動を伴うことで、初めて大衆的反抗の呼び水になることができる。しかも昨今の情勢は、これを差し迫った課題にしていると言わなければならない。
 なぜなら、前述のように「フリーター」と呼ばれる若年非正規労働者が、過密労働や残業代不払いへの抵抗を始めつつあり、あるいは労働組合への駆け込みが、個人から「若年層の集団」へと変化しつつある状況があるからである。それは新自由主義イデオロギーの攻勢が、新しい世代の抵抗に遭遇しつつあることを示唆している。

 イデオロギー攻勢をともなったグローバリゼーションの展開が、ある転機を迎えつつあるとすれば、昨年11月と12月には、これを象徴する出来事があった。
 経済学者のミルトン・フリードマンと、73年にチリのアジェンデ政権を軍事クーデターで打倒したピノチェト元大統領が、相次いで死亡したのである。
 M・フリードマンは、シカゴ学派と呼ばれる新自由主義経済理論の最高権威であり、グローバリゼーションの展開をイデオロギー的に主導したと言っても過言ではないが、彼の経済理論の最初の実験場が、クーデター後のピノチェト政権下だった事はあまり知られていない。
 クーデターから2年後の75年3月、フリードマンは「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれたグループの招きでチリを訪れたが、このグループは、インフレに悩むピノチェト政権の下で、フリードマンがすでに「ショック療法」と呼んでいた経済政策を遂行するイニシアチブを取ったのである。国家支出を一挙に20〜25%削減し、数万人の政府職員を解雇し、賃金と価格統制を廃止して国営企業の民営化をすすめ、資本市場の規制を緩和した政策は、「完全な自由貿易」という多国籍資本の要求に応えるものであった。
 その後「ショック療法」は、インフレと超過債務に翻弄される南米各国に「構造調整プログラム」として押しつけられ、1985年から92年の間に南米全体で2000以上の公営企業体が売却され、90年代にはソ連邦崩壊後のロシアでも猛威を振るった。
 もちろんピノチェト政権の強権的抑圧に補完された「ショック療法」は、「抑圧と一対の市場絶対主義」との批判に直面したが、フリードマンは「経済的自由は政治的自由の基本的前提条件だ」と、資本の自由と人間のそれを同一視することでこの批判に答えたのである。そしてこのフリードマンの論理は、今や新自由主義を正当化する「常識」として世界中を覆っている。
 だが今日の南米には、「構造調整プログラム」が生み出した差別と貧困に立ち向かう左翼もしくは中道左派政権が次々と成立し、多国籍資本を規制しはじめている。四半世紀の苦難を経て、南米ではグローバリゼーションへの反抗が始まったのであり、フリードマンとピノチェトの死は、そうした時代的転換の象徴に思えてならない。

 南米・チリを最初の実験場として始まった新自由主義の攻勢は、世界中で急増した差別と貧困という現実によってその破壊的効果があらわになりつつある。
 わたしたちは、この時代の転機を捉えるために、思想と実践の両面において再武装を加速させなければならない。

(2/10:きうち・たかし)


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