【連合春闘】賃下げ圧力とベア要求の放棄

非正規雇用労働者を組織する社会的労働運動は可能なのか

−労資関係の再編、守勢の連合−

インターナショナル第133号(2003年3月号掲載)


 金属産業大手労組への集中回答日となった3月12日、金属労協(IMF-JC)の鈴木議長は記者会見で「勝った負けたの物差しはもう捨てた。要は経営側が働く人の声に耳を傾けたかどうかだ。その点で評価している。経営側は真摯に対応したと思う」(3月17日付『週刊労働ニュース』)と、要求書提出から1ケ月に及んだ今年の春季労資交渉の結果を高く評価した。もちろんこれは、金属労協組合員の実感とも掛け離れた評価だ。
 だが同時にこの鈴木の発言は、毎年春の労働条件改定交渉いわゆる連合春闘が、「賃金体系の見直し」という名の労資関係再編交渉へと大きく姿を変えつつあり、90年代後半から急速に進展した産業再編で広がった労働条件の企業間格差を当然のものとして、企業内正規社員の利益にだけ目を向けるJC派労働運動のなれの果てでもある。
 連合と傘下主要産別の統一要求からはベースアップ(=ベア)要求が消え、「賃金体系維持」という定期昇給(=定昇)確保に要求を絞り込んで賃下げの圧力に抵抗するのが精一杯だった実情のなかで、自動車など一部の「勝ち組」企業で出された一時金の満額回答はこの格差をあからさまに示すものが、鈴木の言い分はこれを評価してのことなのだ。しかしその背後では、派遣やパートといった雇用形態による差別賃金が労働者間の格差をさらに広げ、他方では差別された非正規雇用労働者が職場の多数派となりはじめ、正規社員労働組合たるJC派労組の基盤はますます少なくなる企業内正規社員という上層労働者層へと切り縮められていく。
 こうしてJC派主導の連合傘下労組は、変容する職場の労働者構成に対応する労資関係の再編を、資本と手をたずさえてすすめる以外になくなっている。労働組合としては本末転倒だが、労働者間の差別と格差を積極的に協約化し、それによって正規社員の「雇用を守る」ために!である。

▼非正規雇用の増加、組織率の低下

 ところがこうした労資関係の再編は、戦後日本の労働運動の特徴でもあり、日本的な労働生産性向上の基盤でもあった企業内本工主義労働組合の基盤を揺さぶり、ナショナルセンター連合の内部分岐を一層深めることにもなるのである。
 2月28日に総務省が発表した「労働力調査の詳細結果速報(2002年10〜12月平均)」によれば、役員を除く雇用者4955万人のうちパート、アルバイト、契約社員、派遣社員などの非正規雇用は1510万人で30・5%を占め、はじめて全体の3割を超えた。また2月24日に内閣府が発表した指標=厚生労働省の「毎月勤労統計調査(2002年分結果速報)」をもとに試算した指標=では、一般労働者の割合が前年比1・8%減なのに対してパートタイム労働者は実に4・1%と大幅に増加する一方で、時給は一般労働者の2460円に対してパート労働者は981円と、ほぼ4割にとどまっていることも明らかになった。
 こうした労働力構成の変容は、企業内本工主義労組の組織率を当然のように低下させてきた。昨年6月現在の労組組織率は20・2%と前年同期の20・7%をさらに下回り、戦後の最低記録を更新した。
 そしてこれは、連合にとっても非正規雇用の未組織労働者をいかに組織化するかという課題をつきつけることになる。もちろん全国一般やUIゼンセン同盟など、中小企業労働者やパート労働者組合員を多くかかえる産別組織は、今春闘でも「格差是正のベア」要求を掲げたし、パート労働者の組織化に取り組んできた実績もある。だがそれは、今後の労働法制の改定によって促進されることになるだろう変化の中で、更なる対応の転換を求められる可能性が強い。
 最も注目すべきことは、現在は禁止されている製造業に対する派遣労働の全面的解禁である。もっとも製造業への派遣労働は、すでにアウトソーシング(下請け化)を隠れみのにして急増しているが、こうした非正規雇用労働者を企業内労組という組織形態で組織することは、たとえ本工主義に固執しないとしても不可能だろう。少なくともパート労働者や派遣労働者の正社員化を求める旧来的な手法では、「柔軟な雇用形態」の導入によって労働分配率を低く押さえ込み、これを雇用確保の大義名分にする資本の論理を打ち破ることはできないし、資本の側もそうした要求をますます受け入れないからだ。

▼格差の背景と新たな賃金論

 では今後の非正規雇用労働者の組織化の核心的課題は何なのか。
 一言で言えばそれは均等待遇、つまり同一(価値)労働・同一賃金は当然ながら、有給休暇や社会保障まで含む一切の差別的待遇の撤廃という課題である。
 だがこの課題に日本の労働組合が共同して取り組むためには、最低限2つの伝統的論理(意識と言い換えてもいいが)を克服しなければならない。ひとつは、フォーディズム資本主義とともに戦後日本に移植された生産性基準原理(成果配分)賃金論であり、いまひとつは、企業内福利厚生制度に象徴される個別資本に大きく依存する社会保障制度の社会的開放、あるいはセーフティーネットを含む社会保障の一本化である。

 同一(価値)労働・同一賃金の原則は、「労働に対する対価としての賃金」という本質的な賃金論の復権でもある。
 春闘はなやかなりし総評時代の賃金論の主流は、生活賃金論であった。日本国憲法が保障する健康で分化的生活に必要な賃金を支払えという論理である。だが当時から賃金相場を決定してきたJC派の拠点・金属大手では、労働生産性に見合う賃金という生産性基準が労資に共通する賃金論だった。ところが労働生産性が上昇し企業業績が上がればその成果=π(パイ)の配分比率を労資が交渉して決めるという論理は、90年代の労働生産性の低迷とともに、むしろ賃金抑制の論理として連合賃金闘争の足かせとなった。同ように生活賃金論も、長期のデフレ下では物価下落に見合う賃下げの論理にからめ取られた。
 もちろん90年代に日本資本主義が直面した労働生産性の低迷は、過剰生産(需要不足)による設備稼働率の低下が主要な原因だったのだが、95年に当時の日経連が「新時代の『日本的経営』」を提唱すると、事態は大きく転換することになる。「年功序列」と呼ばれた日本的な労働力構成を3つの階層に分割し、低賃金の非正規雇用下層労働者層の比率を高めることで、グローバルスタンダードに対抗しうる労働生産性を実現できるとする日経連の提唱は、労働者間の格差を急速に拡大する契機となった。以降、非正規雇用労働者は増加の一途をたどり、それとともに生産性基準原理賃金論や消費刺激の賃上げ論は、非正規雇用労働者にとってはますます無縁な、むしろ差別と格差を正当化する論理として立ち現れるようになった。
 だから日本的な労働力構成の再編とともに蔓延しはじめた差別賃金や格差を放置して、未組織の非正規雇用労働者の組織化は不可能なだけでなく、非正規雇用労働者を企業内に取り込むよう求める正社員化の要求もまた、結局のところ労資運命共同体論から逃れられない企業内労組へと労働組合を退化させることしか意味しない。
 同一(価値)労働・同一賃金にもとづく賃金論は、労働力商品としての労働者が労働の対価として賃金を求めるという労資の本質的関係に根差すことで、企業業績に連動した賃金格差はもとより、雇用形態による差別賃金も正当化しない。だから同一(価値)労働・同一賃金論は、労働者の間に賃金に関する限り均等な待遇を要求することで最も広範な労組への結集を可能にするし、生活賃金論も、本来はこの賃金原則の上に健康で分化的生活を要求するものだったはずである。

▼労資運命共同体論の基盤

 もうひとつの課題である社会保障制度の企業依存からの脱却は、現実にはすでに労働組合が資本の側から強制されはじめていると言うこともできる。
 自動車総連の要求書一斉提出日だった2月12日、トヨタ自動車の会長でもある奥田・日本経団連会長は朝日新聞のインタビューに答え、「国が確固とした社会保障のグランドデザインを示し、老後や失職後の不安をなくすことが消費を喚起する一番の方法だと思う」(2月13日:朝日)と述べた。要するに奥田は「賃金は労働時間の対価でなく、成果に対するものという考え方に代わっていく」(同)ことを前提に、厚生年金などの老後保障も含めた企業の社会保障負担分も削減されるのだから、「その穴埋めは国がするべきだ」と明け透けに語ったのだ。
 これは年金の問題だけではない。貧弱な日本の社会保障制度を補完するように、個別企業の負担で拡充されてきた住宅・教育資金貸付制度や社宅提供などの企業内福利厚生は、労働者構成と賃金制度の変更とともに次々と廃止や削減がおこなわれ、これが労働者大衆の将来不安を助長し、奥田が指摘するような労働者大衆の消費意欲の低下に貢献した。だが、その将来不安の払拭を名分に労組側が存続を要求する企業内福利厚生は、「企業忠誠心」などと呼ばれる労働者の企業への隷属意識を醸成し、労資運命共同体論の基盤を強化してもきたのである。
 ところが新時代の日本的経営は、社会保障負担も必要な正規雇用を減らして非正規雇用労働者の比率を高め、企業内福利厚生も「ゼイ肉」として切り捨てることを目指しているのであり、企業内労組は未組織の非正規雇用労働者にとっては、ますますメリットのない存在に成り果てているのだ。
 こうした現状を考えれば、連合にかぎらず日本の労働組合に色濃く残る企業内福利厚生への期待と正社員化の要求は、労働者全体を均等に処遇し網羅するような、新たな社会保障制度の制定の要求へと変えられる必要があると言うしかない。
 この、均等な待遇で労働者全体を網羅するような社会保障制度は、連合が主張するように制度政策要求で実現できるかもしれない。その可能性をあらかじめ排除するのは最後通牒主義におちいる危険だが、少なくともJC派イニシアチブによる制度政策要求がそれを実現することがないことだけは、先に紹介した鈴木・金属労協議長の発言が明らかにしている。労働者間の差別と格差を積極的に評価する労組幹部が主導する対政府交渉で、均等待遇を原則とする労働者の社会保障が実現されないだろうことは、子供でも理解できる道理である。

▼協同を基礎にした社会保障

 企業内労組を主流にした労働組合運動は世界的には珍しいが、今日の日本の労働組合運動の体たらくは、90年代に進展したグローバリゼーションの圧力を受けて、日本的経営の特徴のひとつだった企業内労組という労働組合の形態が解体的危機に直面していることの表現と言って過言ではない。
 そしていずれにしろ、労働者間の差別と格差の問題を放置して非正規雇用の未組織労働者を労働組合に組織することはできないとすれば、雇用形態による賃金差別の撤廃と、均等待遇を原則とする全労働者を網羅する社会保障制度の要求を掲げることが、労働組合に必要な政策となる。

 03春闘が定昇を確保するのが精一杯だった現状は、連合の内部、とくに旧総評「左派」が中心となった新しい産別組織などに強い危機感を呼び起こし、「年収300万円時代」に対応した政策と制度、とくに住宅資金と教育資金をいかに保障できるかの議論がはじまりつつあると言う。
 だがこうした政策や制度の制定で問題になのるは、700兆円にも及ぶ債務をかかえる国に、高度経済成長当時なみの社会保障を要求すること自身にどれほどの現実性があるかである。というよりも国に社会保障を要求するだけでは、乱暴に言えばだが奥田・日本経団連会長の主張とそれほど代わりはしないし、結局のところJC派主導の制度政策要求に期待することになろう。そしてなによりもそれでは、労働者大衆が自らの生活と権利のために闘いを担うような運動をもって登場する可能性が見えないことである。労働者大衆による社会的運動の登場なしには、こうした歴史的転換は不可能である。
 しかもこうした運動のためには、例えば住宅問題でも、個別資本に対する社宅建設要求から、国家に対する公営住宅建設要求へと転換するのではなく、労働者大衆のより自発的で自立的な参画を促すような協同組合的組織を設立し、政府や自治体の補助金を効果的に利用するなどの非営利組織(NP0)的な発想、小規模零細工務店と提携したリフォーム住宅供給による無駄の削減、入居順位の公開抽選による透明性の確保など、これまでの労働組合にはなかった社会的視点に立った再武装が求められもする。
 もちろんこうした労働組合の再武装と労働者の大衆的な社会運動が現実となるにはまだ時間がかかる。だが日本労働運動の深い低迷の大きな要因でもあった企業内労組がグローバリゼーションの圧力で解体的危機に直面しているのと同ように、グローバリゼーションの展開過程で世界に波及したNPO、NGO(非政府組織)などの社会運動は確実に日本にも浸透するなど、社会的労働運動を組織するための客観的基盤は日ごとに強化されているのも現実ではないだろうか。
 そこには労働組合が社会的課題を改めて自覚し、様々なNGOやNPOを担う若い世代が労働問題の社会的重要と有用性を見いだすことで出会うチャンスが無数にある。

  (ふじき・れい)


労働topへ hptopへ