●労働基準法と労働者(その4)

    労働基準法36条の改正を

(インターナショナル第200号:2011年5月号掲載)


▼ 残業を想定しなかった労基法

 昨年出版された濱口桂一郎著『新しい労働社会』(岩波新書)は、労働時間について面白い指摘をしている。
 戦前の工場法は、何よりも長時間労働で健康を害した女工らの健康を守るために設けられた。しかし戦後の労働基準法における1日8時間労働は、健康確保ではなく「余暇を確保しその文化生活を保障するため」のもので、残業については規制をもうけなかったが、そのことが無制限(の残業)を許してしまう結果になった、と。第36条にもとづく協定を結べば、使用者は制限のない残業を命じることができることになった。
 確かに法制定の段階では、民間企業でも公務員も1日の労働時間は8時間に至っていない。戦時中はさておき戦前と比較してもかなり短く、この状態がずっと維持されると推定された。しかし1948年になると、週休1日制で週労働が48時間を超える状況、つまり残業が恒常化するに至った。
 年間総実労働時間は、1960年には2・432時間となるまで増加し続け、その後は第一次オイルショックまで減少を続けて横這いになる。所定内労働時間も同じ傾向を示した。
 
▼ 「失業まで輸出した」長時間労働

 1979年3月、ECは日本を「うさぎ小屋とあまり変わらない住宅に住んでいる仕事中毒(workaholics)」という非公式な報告を行い、「日本は長時間労働で失業までも輸出している」と非難した。
 確かに78年は、日本の製造業・生産労働者の年間実労働時間は2,137時間で、アメリカの1,924時間、イギリスの1,955時間を約200時間上回り、旧西ドイツの1,719時間、フランスの1,772時間を約400時間も上回っていた。
 「失業までも輸出」した原因がもうひとつある。
 「1980年代末、ドイツの三洋電機の工場で聞き取り調査をしたことがあります。そのとき、実に率直な性格の日本人社長は言っておりました――男性の正社員で比べたら人件費は日本のほうがドイツよりも高いと思う。しかし、日本はなんといってもパートさんと下請けがありますからね。パートタイマーの活用と下請け利用によって、日本企業は人件費を断然安くしているというのです。」(熊沢誠著『各差社会ニッポンで働くということ』岩波書店刊)
 当時さかんに語られた貿易摩擦の原因は、長時間労働以外にもパート労働と下請けの存在による低人件費=低価格があったのである。
 他方国内ではプラザ合意後の円高の進展で、名目賃金水準は上昇したが労働者の購買力は上昇しなかった。理由は消費者物価が低下しない、住居費や教育費が異状に高い、生活不安や老後の不安から家計貯蓄を増やしたことなどだった。労働者は残業をいとわず、使用者は残業を景気動向による雇用の調整弁にしていた。
 プラザ合意の翌年の86年の年間実労働時間は、日本2,150時間、アメリカ1,930時間、イギリス1,938時間と改善されずに横ばいだが、旧西ドイツでは1,655時間、フランスでも1,643時間とさらに大きく減少している。
 「年間自由時間」は、《「年間総時間(8,760時間)」−「家事時間の2分の1」−「生活必需時間」−「年間総労働時間」−「通勤時間」》で算出される。
 1985年の年間自由時間は、日本1,858時間、アメリカ2,284時間、イギリス2,403時間、西ドイツ2,696時間、フランス2,712時間であった。日本はアメリカより400時間、イギリスより550時間、西ドイツとフランスより850時間少ない。
 日本は住宅事情により、正規労働者の通勤時間は長い。一方、家事時間の2分の1の計算は、日本の多くの男性労働者にはなじまない。まさに仕事中毒である。こうした長時間労働が世界各国から批判され、ILO(国際労働機関)からは長時間労働の改善を迫られるのは必然だった。
 
▼ まやかしの実労働時間と残業代未払いの合法化

 その後、政府が発表する年間実労働時間は減少傾向を示す。しかし労働省のデータは当にならない。そこには目暗ましや騙されたり、隠されている実態がある。
 目暗ましとは何か。
 1973年の第一次オイルショック後からパート労働者が増え始め、第二次オイルショック後の、いわゆる減量経営が開始された頃から急増した。パート労働者の総労働時間は平均1,100時間後半でほぼ一定しているが、この数字が全体の年間実労働時間のデータ計算の分母に含まれ、平均実労働時間を押し下げる形になっている。
 そして1985年頃には、男子の超長時間労働者と女子のパート労働者の二極化が状態化し、年間労働時間が3,120時間以上の超長時間労働者が目立つと同時に、長時間労働者の割合も上昇している。
 このような中で、1988年4月、大阪で弁護士有志が「過労死110番」のホットラインを開設、10月には過労死弁護団全国連絡会議が結成された。

 ところで1985年は世界的に、そして日本にとっても大きな転換期となった。アメリカによる「構造改革」の要求を受けて、日本では労働法制の改訂が進められた。「戦後政治の総決算」という新たな秩序を作り上げようとする動きが、労働者の働き方、働かせ方にも大きな転換を迫った。
 ところが87年頃から始まった「バブル経済」という未曾有の、しかし見せかけの好景気が続くと、労働者の危機感は大きく後退していった。「中流意識」が支配的になり、消費も拡大した。そして労働法制は、労働者の抵抗が小さい中で「保護主義」から規制緩和に拍車がかかり、改訂、制定が相次いだ。
 このころから常用雇用、臨時雇用という呼び名に変わって、正規雇用、非正規雇用なる用語が登場してくる。
 87年4月に発表された「経済構造調整特別部会報告」いわゆる「前川レポート」は、労働時間短縮の目標として「2000年に向けてできるだけ早期に、現在のアメリカ、イギリスの水準を下回る1,800時間程度を目指す」と謳っている。
 このような中で、世界的世論をかわす方法として、労働基準法の改正作業が進められた。
 改正点は、労働時間について「1日について8時間、1週間について48時間をこえて労働させてならない」から「1日について8時間」に優先して「週40時間の労働制の原則」が定められ、88年4月から施行された。
 1か月単位の非定形的変形労働時間制や、フレックス制の“弾力化”が新規に導入された。これによって労働者は、繁忙期には労働時間が増えても残業代が支払われない不規則な労働時間を強制されて行くことになった。
 さらに87年の労働基準法改正では裁量労働制が導入され、残業をしても賃金を支払わないことが合法化されてしまった。
 裁量労働制は、それまでの賃金が労働時間への対価としてあったのに対して、業績に対して賃金が支払われることを承認することになり、労働基準法の根幹を揺さぶる転換であった。それは、後の成果主義賃金制度の導入に道を開いていったのである。
 これが騙された実態である。
 
▼ 「ホワイトカラーエグゼンプション」を阻止

 1997年12月11日、労働時間法制と「労働契約法」の見直しについて審議していた中央労働基準審議会が建議を行なった。そこでは裁量労働制の対象業務の拡大を打ち出すとともに、対象労働者の範囲、賃金、評価制度等については事業場内に設けられる労使委員会で決めることが謳われていた。労働時間とその対価としての賃金を保証する労働基準法、使用者と労働者の関係を整理した労働組合法とは別個に、会社が労働組合を無視して牽引できる労働法規である「労働契約法」が提案された。
 労働基準法や労働組合法に則さない労使委員会による就業規則の制定・変更は、労働組合をないがしろにするものである。実際に現在の労使の力関係の中では、労働基準法・労働組合法を無視した会社の言いなりの労働条件が強制されかねない。
 最終的には反対運動が盛り上がり、成果として当初の内容を大きく変更した「労働契約法」が2008年3月1日から施行された。
 この時の反対運動の焦点が、年収が一定以上の労働者に対して残業代支払を免除するのを合法化しようとした、いわゆる「ホワイトカラーエグゼンプション」であった。
 
▼ 実態とは違う36協定と労働秩序の崩壊

 では、隠された実態とは何か。
 1988年(平成元年)、労働省は告示6号で36協定による労働時間の延長の目安を明示した。そこには1週間では15時間、1ヶ月では50時間、2ヶ月では95時間、3ヶ月では140時間、1年間では450時間となっている。しかし同時に適用除外の業種・業務が明記され、会社側の逃げ道が用意されていた。
 そして現実には、月間残業時間が100時間を上回る、正規労働者に長時間労働を強制する36協定を締結している労働組合も存在している。最近、体調を崩した労働者が起こした裁判では、会社だけでなくこうした協定を締結していた労働組合も被告として責任を追及されている。
 さらに言えば、労働省の目安に基づいて36協定を締結しているから、それ以上の時間外労働はしていないということではない。いわゆるデータには表れない、「賃金の返上」とでも言うべきサービス残業がはびこっている。
 さらに36協定による残業代支払いの対象から外すために、役職付与の昇格だけで一般の労働者を中間管理職と位置付け、労働基準法41条の管理監督者を拡大解釈し、労働省からの判断通達も無視して騙し、労働時間管理を放棄させている。

 厚労省は、2009年の平均年間総労働時間を1,754時間と発表した。
 それによると実労働時間が長い業種は、輸送業・郵便業2,094時間、建設業2,048時間、鉱業1,966時間、製造業1,938時間、情報通信業1,938時間の順となっている。逆に短い業種は飲食サービス業等1,282時間、教育学習支援業1,530時間、医療・福祉1,646時間、卸売・小売業1,664時間の順。
 一方、総務省が発表した2010年の「労働力調査」では、労働時間が週60時間以上の者は502万人で9・4%、週35時間以上60時間未満の者は3,383万人で63・6%となっており、30代男性労働者では、週60時間以上の者は153万人で18・7%となっている。
 「産業別・週60時間以上就業する雇用者数・割合及び平均週間就労時間(パートタイム労働者数を含む)」の資料では、週60時間以上(月間残業時間80時間以上)就労する雇用者数の割合が多い職種は、運輸業18・2%、建設業12・9%、情報通信業12・5%、宿泊業・飲食サービス業11・3%、教育・学習支援業10・7、卸売・小売業10・5%の順である。
 厚労省と総務省の2つの資料を比較すると、長時間労働の実態が見えてくる。
 輸送業・郵便業、建設業は規制緩和が行われた結果労働条件は悪化しているし、製造業、情報通信業は親会社と子会社等の従属性がある。そして製造業のジャスト・イン・タイムは子会社を長時間労働に追いやっている。
 1992年の連合の調査では、大企業の関連中小企業への発注は「休日前発注・休日後納入」や「就業後発注・翌日納入」が半分以上で、“しばしば”または“時々”おこなわれているという結果がでたという。大企業とその労働者は、関連中小企業とその労働者を「系列」に取り込んでも「仲間」とは見ていないのである。
 子会社等の労働時間の短縮を含めた労働条件の改善のためには、労働者の健康維持やライフワークバランスの観点からの労働法制による規制強化と、親会社の“わがまま”を規制して企業としての社会的秩序維持、責任を果たさせなければならない。
 また、飲食サービス業等(宿泊業・飲食サービス業)、教育学習支援業、卸売・小売業は、平均年間総労働時間は短いが、その一方週60時間以上の労働者は10%以上もいる。ここにも平均年間総労働時間1,754 時間のまやかしが隠れている。
 ちなみに、週60時間をめぐる資料は、日本にしかない。週50時間以上働く労働者の割合を国際比較した資料がある。
 2006年の先進18ヶ国を比較したもので、日本は28・1%でトップ、ニュージーランドは21・3%、アメリカとオーストラリアが20%、イギリス15・5%、次がアイルランドの6・2%と続く。日本とアングロサクソン労働法制諸国で労働時間が長くなっている。

▼EUとは雲泥の差 週60時間労働が250万人

 昨年6月18日に「『成長戦略』 『元気な日本』復活のシナリオ〜」が閣議決定された。その中の「(6)雇用・人材戦略〜『出番』と『居場所』のある国・日本〜」には「【2020年までの目標】として『週労働時間60時間以上の雇用者の割合5割減』と記載されている。
 『成長戦略』は、労働者の残業の存在を景気対策の調整弁として捉えている。だからあと9年後の2020年にも「週労働時間60時間」つまり月間残業時間80時間の労働者が、数にして250万人も存続させることになんの疑問も感じていない。5割減の戦略として、正規労働者のあと半分を非正規にすることで実現しようとでも考えているとしか思えない。
 そしてこの『成長戦略』の委員会には、連合の代表も参加している。

 EU(イギリスを除く)の労働時間指令は、労働者の健康と安全の保護を目的としている。そこでは週労働時間の上限は48時間である。しかし恒常的に48時間働いている労働者はいない。例えばドイツの場合、1日当たりの労働時間は8時間を超えてはならないとなっているが、6ヶ月間の平均で8時間を超えなければ1日の労働時間を10時間まで延長できるとい形になっている。
 そしてEU指令は、1日につき最低でも連続11時間の休息期間を求めており、さらに1週間ごとに最低24時間の絶対休日を求めている。
 日本でも情報労連傘下の7社は、2009年春闘から残業終了から翌日の勤務開始までの勤務間インターバル制度の導入を経営者と妥結している。2社が10時間、7社が8時間である。まだまだ短いが、確立した制度を今後さらに延ばす交渉をしていけば労働者の健康は守られていく。

▼ 日本政府には労働政策がない

 日本の労働法制・通達等は建前と本音が混在している。
 例えば、繰り返すが労働省は、88年の告示6号で36協定による労働時間の延長の目安を明示した。そこには1週間では15時間、1ヶ月では50時間、2ヶ月では95時間、3ヶ月では140時間、1年間では450時間となっている。
 一方、厚労省は2006年3月、「過重労働による健康障害防止のための総合対策」を策定し、具体的には1ヶ月100時間、2〜6ヶ月平均では月80時間、長期間では月平均45時間以上の時間外労働は健康障害のリスクが高く、時間が長くなるほどリスクが高まるということを踏まえ、適切な就業上の措置を総合的に講じることを提案している。
 ところが現在の精神疾患における労災認定基準では、残業時間月平均100時間、120時間で申請が行われても認定になっていないこともある。
 月平均100時間の残業がどのような生活を強制するのかは、1日24時間、1ヶ月720時間から逆算すると明らかとなる。
 使用者と厚労省は、労働者の最低限の睡眠時間以外はすべて自分たちの管理・支配下におけると捉えている。労働者は、ゆとりある生活や文化活動から物理的に遮断されている。しかし使用者と厚労省の主張は、自助努力が足りないからだという。だがこのような中で創造的労働、社会的必要性に応える労働は不可能である。
 一方に過重労働と体調不良者が大勢いて、他方には5%を超える失業率と就職浪人がいる。日本政府には労働政策がない。
 月平均45時間以上の残業は、健康障害のリスクが高い。残業の上限を45時間にさせなければ労働者の健康は守れない。このことを踏まえて、労働基準法36条は早急に上限を設ける改正をさせる必要がある。

 1944年のILOの「フィラデルフィア宣言」は、「労働力は商品ではない」と労働者の尊厳を宣言した。この宣言は、賃金のダンピングが進み、労働者を貧困に落としこめたことが戦争を招いたという歴史的教訓から出ている。
 今、グローバル化がすすむなかで、資本は社会的役割、社会的地位を放棄している。「富の分配・再分配」は地球規模、地域間、国内、労働者間で秩序なく進められている。そのため格差は複合的になっている。それを追認するようにこの間、労働法制は規制緩和を繰り返してきた。
 そのなかで労働者間の格差拡大は様々な衝突を招請し、人権・人格を破壊し、生活を奪っている。
 その結果、資本の生産力の低下をもたらす事態にまで陥っている。しかしもはや政府や資本の側からの労働問題だけでなくて社会的、経済的秩序維持も不可能な状態になっている。労働の価値が全く否定されている。
 労働組合は、この間、労働者と労働組合が持っていた権利の放棄を続ける中で抵抗手段も失ってしまった。
 今、労働者は奪われたものを奪い返す闘いを構築していかなければならない。そのスタートが、労働時間の短縮、生活時間のゆとりによる人権と人格の回復・確立である。
 労働組合からではなく、労働者が「個にとって譲れないもの」に固執するなかから自己を社会、企業から自立させ、もう一度労働者・生活者の観点から労働と労働者の連帯=労働組合を捉え直し、生きる権利の獲得に向かわなければならない。

【おわり 4/30:いしだ・けい】


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