●待遇格差と どう闘うか

均等待遇・「同一労働・同一賃金」を目指して

ー太平洋炭鉱、広島電鉄−その闘いの教訓ー

(インターナショナル第188号ー2009年6月号掲載)


 非正規労働者の全労働者に占める割合が、3割を大きく超えて久しい。賃金を見るなら、かつて我慢の限界のように言われた年収300万円での生活は、現在の非正規労働者にとっては夢物語になっている。さまざまな格差が取りざたされているが、「自助努力」では突破できない。現在社会問題になっている賃金格差の解消は、大幅なベースアップで解決されなければならない。 
 最近、労使で賃金格差是正の挑戦が開始されている。経営者も職場の軋みを感じているのである。実際、労働組合が均等待遇・「同一労働同一賃金」の要求を掲げて実現に至らせるのは簡単ではないが、それぞれの労働組合が成功の経験を共有し、社会運動としてさらに大きな取り組みに挑戦することが急務となっている。

▼広島電鉄−格差縮小への挑戦

 2007年3月、『朝日新聞』は「労働運動再生/広島電鉄の好例に学べ」の見出しで、広島電鉄の格差縮小に向けた挑戦を紹介した。
 広島電鉄では2001年、契約社員制度が導入された。1年ごとの契約更新で、月額賃金は何年働いても昇給しない。その後、組合の要求で「契約社員としての契約3年後に、契約期間の定めのない正社員に登用する」ということにはなったが、ただ「正社員U」という身分が増えただけで、その他の労働条件は他の契約社員と同じだった。
 06年秋闘で、広島電鉄の労使は「正社員・契約社員の賃金体系と労働条件の統一を目指す」方向を合意した。組合の見解は、「労働条件は必ず低い水準に並んでいく。契約社員が多数になれば、労働条件は契約社員の方にそろえられる。契約社員の組織化は正社員にとっても死活問題なのだ」という視点で労組が取り組んだ成果だという。
 組合はボーナスの決定に際して、正社員の賃上げ分を契約社員に加算させることで格差を少しは解消させてきた。
 そのような中で今年の3月、06年の労使合意を踏まえた3年にわたる交渉の結果、労使は契約社員全員の正社員化、賃金・労働条件の一本化を今年度中の早い時期から実施に移すという合意に至った。@年功と能力を加味して昇給する賃金制度に一本化する、A定年を5年延長して65歳とする、B正社員の中には賃金が下がるものもいるが、調整給を支給しながら10年かけて穏やかに減額する、などの内容である。これで人経費総額は4%増になったという。
 本来、職務に大きな差はない。06年秋闘のころは中途採用者が多く、若年労働者が先輩で、生活が切迫する齢上の契約社員が後輩というような構造も登場し、正社員と契約社員の溝は深まり、不満と生活不安が増大していた。契約社員はやりがいを失い、せっかく人材を養成したのに依願退職者も増え、人材確保が難しくなった。この状況を何とかしなければならないと捉えたのが、労働組合の側だった。
 今回の合意に向けての組合の挑戦は、組合員の長期の生活保障と平等観をもたらし、お互いの理解と信頼関係を回復することができた。それは仕事に対する満足度を高め、経営者にとっても生産性の向上に結びつく。

▼「月給制にしたらヤマの事故はなくなる」

 後藤正治著『はたらく若者たち1979〜81』(岩波現代文庫)は、北海道・北炭夕張新鉱の情況を紹介している。
 81年10月16日、北炭夕張新鉱でガス突出事故が発生し、死者93人を出した。
 「夕張新鉱は、75年に開鉱した全国でも最も新しいヤマだった。その採炭技術と機械力においては最新鋭のヤマだった。炭もカロリーの高い原料炭である。カロリーの高い炭ほど、炭にふくまれるガスの含有量も多い。
 最新の採炭技術と機械力の資本投下と同じように、悪い自然条件に対応するための保安面における設備投下はおこなわれたのだろうか。事実は、採炭部門の設備投資と逆比例するかのように、保安面は手抜きされていた。…では、そのような保安上の問題について、現場の労働者はなぜ声をあげなかったのだろうか。この点は各方面からも指摘されている。…答えは、馬の鼻づらにニンジンという請負給制度にある。……
 どのヤマでも、収入の6割以上は請負給という仕組みになっている。さらに北炭のばあいは、切羽請負のほかに、ヤマごとの全山請負という他のヤマでは例をみない得意な二重の請負制度がしかれている。
 『請負給やめて全部月給制にしたらヤマの事故の大半はなくなるよ』―村上清人・三井砂川炭鉱労組書記長はいいきる。
 唯一月給制がひかれているのは、釧路にある太平洋炭鉱である」
 太平洋炭鉱は、日本で最後に閉山になったヤマである。ガスが少ないので事故が少なかった、機械の導入が早く、早期に合理化を進めることができたので他の炭鉱に勝つことができたなどの理由が言われてきた。しかし人事政策が、一番の理由である。

▼賃金抑制で定額給を導入

 では、唯一月給制がひかれている釧路にある太平洋炭鉱は、どのような経緯で月給制になったのだろうか。
 「1953年に太平洋炭坑では完全請負給は廃止された。作業の基準量に追いまくられる請負給の廃止は、労働者の年来の要求であったが、他のヤマに先がけていちはやく実現したのは、資本の側にもカッペ採炭の本格化と切羽集約によって大幅な能率の上昇ができ、しかも将来の機械化を展望すれば、能率の上昇にともなってどんどん上がっていく請負給よりは定額給にしておさえたほうが得策だという太平洋資本の独自の蓄積の方向にもとづく事情があったためである。」(太平洋炭坑労働組合編集『太平洋炭坑労働組合/三十年史』)
 1950年頃からアメリカやドイツ製の機械が導入され始め、特にドイツ製で発達したカッペ採炭法は大手炭鉱で採用された。これにより切り羽の出炭量は増えたが、請負給も増加した。経営者は人件費を抑制するために、定額給を導入したのである。労働者は実質的な賃下げになった。しかし労働組合は、見積もり単価を決定する際には職場代表を交えて決定せよという要求を掲げて交渉し、一旦は下がった単価を上げさせた。この闘いが、職場闘争の端緒となった。
 1954年8月31日、ガス爆発事故が発生して、39人が犠牲となった。この事故を機に、職場闘争は本格化した。
 それまでの職場保安自治会は会社の協力機関だったが、職場の大衆的な力で保安委員会や自治会の決定事項を実行させ、それを闘いの場へ変えていった。組合は、それまで有名無実だった各抗口、抗外の職場闘争委員会を再編成するとともに、抗口に労働部担当執行委員を常駐させて指導を強化した。そして各抗口に集まる要求を組合でまとめ、会社との交渉に当たっていった。
 経営者にとっては、機械化をはかっても職場闘争が発展し、生産性向上には障害となった。そのため職制支配を強め、職場規律の確立を推し進め、さらに石炭のコストを引き下げるため、坑外の付属施設を切り離して独立部門にするなどの提案を行った。
 西で三池闘争が闘われている最中、北でも反対闘争が繰り広げられたが、資本の攻撃は続いていった。

▼「災害をなくすことはできます」

 三池闘争の敗北後も、太平洋炭坑では合理化反対闘争が闘われていた。しかし62年4月から災害が相次いだ。この年の4月から11月までに7人が死亡し、1日あたり6件強の災害が発生した。合理化に災害は付いてくる。まさしく人災である。
 63年1月27日、労働組合は重大災害に抗議して1時間ストを決行した。ストに際し、執行委員会は幹事会に文書を提出した。
 「われわれの内部にも、炭鉱には災害がつきものという観念があります。本当に炭鉱から災害をなくすことはできないのだろうか。いやできます。それは科学的技術的に可能です。われわれはそのためにこそ保安第一を唱え、技術的対策を要求してきました。これまでの災害について〃労働者を人間として尊重しているのかどうか〃という観点から分析してみると、真の原因が本人の不注意とか不可抗力によるものはほとんどありません。われわれのなかに、災害はカンと経験だけで防げるという考えやまちがった度胸と誇りや責任をもったり、作業要綱や対策を正しく運営する積極的な姿勢を欠いているところに問題があります。今度の抗議ストは保安確保への会社にたいする抗議と、われわれ内部の意思統一を目指しておこすものです。」

▼差別と無権利のなかで事故は起きる

 63年11月9日に三池三川坑で451人、65年2月に北炭夕張で62人、6月に山野で237人がガス爆発事故で死亡した。
 66年には太平洋炭鉱でも死亡事故が続いたが、この年の死亡者4人はすべて社外員と呼ばれる下請労働者だった。低賃金を個人で克服するために長時間労働を行っていた。そして危険とわかっていても、改善要求が出来ない従属関係のもとで沈黙を続けていた。事故は、直轄労働者との大きな差別のもとで、低賃金と無権利の状態が引き起こしたことは明らかだった。
  ♪「地の底から 地の底から 
   怒りが燃え上がる
   この切羽で この切羽で 
   仲間が息絶えた
   金のためなら 人の命も奪い去る
   やつらに怒りが燃える」
 この『人とし生きるために』の歌は、このときの情況を歌ったものである。
 労働組合は、「同じ坑内に働いていて死んでからも社外員という差別で弔慰金が少ないのでは、労働者の結束はない」と弔慰金を炭労と同額にすることを要求しストライキを構えて獲得した。労働組合は、以後もこの姿勢を貫いた。

▼労組が賃金体系案を提案

 66年、経営者は賃金体系を変更し、人事考課を折り込んだ「新職能給」制度を提案してきた。これに対して労働組合は月給化の方向をめざす要求をまとめ、勤続・年齢に基づく「基礎給」の新設を勝ち取り、部分的ではあるがはじめて月給制を実現させた。
 68年、経営者は第3次長期計画を提起した。機械の高能率化のなかで、人員体制のアンバランスが生じていた。
 これに対して労働組合は「なすがままにして、なし崩しに『合理化』を受けるより、私たちの力でそれをくい止めてできるだけ労働条件を引き上げる」方針を選択し、「大職種制」と、それにともなう賃金体系の改訂に取り組んだ。
 「大職種制」は、機械化の進展によって各職種の人員と作業範囲にアンバランスが生まれ、基本的には切羽から人がはじき出され、間接職種は切羽の作業スピードについていけない状態にあったのを、人員はそのままにして作業範囲を大幅に改訂し、協業部門を取り入れることによって解決しようとするものである。
 これに伴なって、賃金も職種給の改定や生活保障給の賃金体系要求がおこなわれた。それは、@年齢・勤続給を大幅に引き上げて「基礎給」とし、この月給部分を大きくして完全月給化を目指す、A職種を少なくすることによって低賃金職種の賃金引下げを重点的に行い、これにともなって高賃金職種の引き上げを行う、B職種・職場ごとに分断され、尻をたたかれる制度(集団職能給)、出勤が少ない時の罰金制度(精勤手当)をなくし、工数払いの手当とする、という基本要求にまとめられた。交渉では、組合の要求がほぼ受け入れられた。
 経営者の労務課長は後日、次のように述べている。「今回の大職種編成のような問題は、普通、学者やコンサルタントに頼んで、面倒な職務調査や職務分析を経てつくりあげられるのが常識であるが、当社の大職種編成は、実際に毎日坑内の現場で働いている労働者自らの手によって組み立てられた。ここに私は大きな意義があると思う」。
 組合員の一部からは「労使協調」と批判されたが、労働組合が具体的対案を提出して改善を勝ち取っていった。労使協議を経営者のヘゲモニーで行なわせるか、労働組合が仲間作り、心身ともに働きやすい職場環境作りの方向から取り組むかでは、結果が大きく違ってくる。

▼お互いを認め合う仲間づくり

 後藤正治著『はたらく若者たち1979〜81』はつづける。
 「炭鉱で爆発事故があっても、炭鉱労働者は『ヤマがあるかぎりヤマで働きたい』…。石炭産業がどんなに不安定な産業であったとしても、なおひきつけるものがここにはある。…早くヤマに見切りをつけたいという声は意外にもまったくなかった。その理由として彼らがあげたものを整理すれば、稼ぎがいい、暮らしやすい、人間関係がいい、の3点になるだろう。」(『はたらく若者たち1979〜81』)
 経営者は、使い勝手のいい労働力を大量に登場させている。
 労働者は、かつての金に支配されて労働力を売るというレベル以上に、労働に支配されている。時には高価な機械の肩代わりを、安価な労働力が担わされている。
 現在「雇用格差」は、「賃金格差」を初めとする重層的「格差」を作り出している。特に非正規労働者は、自助努力では克服が無理な情況に落とし込められている。労働の尊厳が失われている。グローバル化は、資本主義の基礎である私的所有関係を破壊し、労働者の団結を破壊し、市民社会を破壊した。そのなかで、人権も破壊された。
 労働の尊厳は、「勝ち組」においても、エンドレスの「マネーゲーム」によって失われている。
 炭鉱労働者にかぎらず、労働者は「稼ぎがいい、暮らしやすい、人間関係がいいところで働きたい。そして安全なところで働きたい」という「安定・安心」の労働を希求する。安定が存在しない状況下だからこそ、自分だけが「勝ち組」になることで安堵を得ようともがく労働者も登場してくる。
 しかし「安定・安心」と「勝ち組」はイコールではない。 
 経営者は分断管理を行い、不満や不安が解消できない状況下で労働者間の対立を煽る。だから労働者は、同じ場所、時間帯に働いていても人間関係作りは簡単ではない。しかし労働者は、経営者の支配体制下に留まる必要はない。
 では「安定・安心」の実現のためには、何が必要か。
 「安定・安心」は個人の労働者の中に存在するものではなく、多くの仲間と一緒に職場や社会で築き上げるものである。
 そのためにもう一度、労働者同士がお互いの存在を認め合い、労働とは何かの討論の中から団結・連帯・共生を探り出していかなければならない。お互いの立場からの問題提起や、不満を出し合う中から相互理解を勝ち取り、仕事の平等感、満足感を追求する雇用構造を要求していかなければならない。
 そしてその要求は、社会的運動として展開しなければならない。それに人々が呼応する可能性の萌芽は、年末年始の年越し派遣村へのボランティアの参加でのなかにすでに覗うことができる。
 仲間の存在こそ「安定・安心」の第一条件であり、その要求は均等待遇・「同一労働・同一賃金」に至るだろう。
 その挑戦は、困難さを経ながら、太平洋炭鉱や広島電鉄で成功している。

(7/3:いしだ・けい)


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