【連合春闘】日本的賃金体系の精算

ベアの消滅、定昇の廃止
企業業績で伸縮する賃金と格差の拡大

(インターナショナルNo.125/2002年4月掲載)


ゼロ回答の続出

 過去四半世紀にもわたって、日本の賃金相場を牛耳ってきた自動車、電機など大手製造業労組の春季賃上げ交渉は、戦後日本の労働者の多数派を企業社会につなぎ止めてきた賃金体系がついに解体されはじめ、それとともに、連合型労働運動の終焉のはじまりを見せつけることになった。
 労組側要求への集中回答日となった3月13日、金属労協(JC)や電機連合の事務局にかかがられた交渉妥結のボードには、本来はベースアップ(残業手当など各種手当やボーナス算定の基準となるベース賃金、主要には基本給の引き上げのこと=ベア)の金額が記入されるはずの「賃金」の項目に、「賃金体系維持」の文字ばかりが次々と書き込まれることになったのである。
 賃金体系維持つまり現行どおりの賃金で交渉が妥結したとの意味だが、それは労組側のベア要求に対するゼロ回答である。
 なかでも3月決算で、日本企業としては初めて連結経常利益が1兆円を越えるとみられているトヨタ自動車と、過去最高益と言われるホンダ自動車の労組がゼロ回答で押し切られたことが、今年の春季賃上げ交渉=春闘の結末を雄弁に物語っていた。
 この交渉結果について、経営側は当然高い評価を与えた。トヨタの木下常務が「国際競争力を再生させるため。多少なりとも他の民間経営者の参考になれば」と余裕の説明をすれば、日経連の奥田会長も「点数で言えば90点くらい」と評した後、「定期昇給がある以上、来年もベアは必要ない。業績が良ければボーナスで報いればよい」とつづけ、ホンダの大久保常務は「今後、ベア論議が復活することはないだろう」と、春闘イコールベア交渉の構図はすでに過去のものだとの認識を披露した(3/14:朝日新聞)。
 他方、まったくいいところなく押し切られた労組側は、トヨタ労組の井村書記長が「トヨタというより日本株式会社と交渉しているようで、最後までかみ合わなかった」と振り返り、自動車総連の加藤会長は「連合がすべてを仕切る時代は終わった」と、日本の賃金相場に対するJC派イニシアチブの歴史的終焉を自認したとも受け取れる発言をするほどであった(同前)。

連合賃金論の破産

 かつて、日本資本主義の「労使安定帯」ともてはやされたJC派労働運動は、全国的な賃金相場イニシアチブとしては消滅したと言って過言ではあるまい。ところが連合が直面する現実はもっと厳しい。それはベア・ゼロ回答にとどまらず、定期昇給(年に1−2回、定期的に基本給を上げる制度=定昇)の廃止も提案されはじめたからである。
 三菱電機労組は先月、要求書を提出したときに経営側から、「定昇を1年見送りたい」との逆提案を受けた。結局今年は定昇を維持したものの、定昇や家族手当のあり方を見直す議論をつづけることになった。また精密機器部門で「勝ち組」とされるキャノンは定昇を廃止、組織内の役割に応じた「役割給」を4月に導入することになった。

 「定昇+ベア」という日本独特の賃金決定方式は、経済成長が持続している間は、長期勤続とともに安定的に増加する収入を日本の労働者に保障し、資本にとっても製造現場の技術伝承や労働者自身による品質管理を効率的におこなう装置でもあった。だからこの賃金体系は、企業内正規職員を主な組織対象とする企業内労組の物質的基盤ともなってきたある種の制度でもあった。
 逆に言えばこの制度が解体され、持続的で安定的な増収が保障されないのであれば、資本のリストラ解雇すら積極的に受け入れる労働組合に高額の組合費を払ってまで止まりつづける必要性は、ますます希薄になるというものである。それは連合とくにJC派労組の組織基盤の大衆性を掘り崩し、この労働組合を一部の上層労働者の特権的待遇を擁護する組織へと切り縮め、労働組合組織率の低下に貢献することになろう。
 もっともこれは、パイ分配の賃金論(企業が得た利益=パイは、労働者と資本に公平に分配すべきだとする賃金論)という、高度経済成長の波にのって広がった総評時代の春闘の中で生まれ、連合の成立によって主流となった賃金論が、国際競争力の再生やグローバルスタンダードへの適応といった資本の論理に対抗できず、歴史的な破産を宣告されたことを意味している。
 グローバリゼーションによる厳しい国際競争の下では、いつ減益に転じるか判らない。だから下方硬直性が強くその分だけ削減が難しい基本給への分配は極力押さえ、業績が良ければ一時金(ボーナス)を出すというのが資本側の主張である。現にトヨタとホンダは、それぞれ過去最高額となる一時金を回答、企業の業績に応じて伸縮する賃金体系への移行を明確にしたのである。
 労働者の生活の必要ではなく、企業収益の良し悪しが前提の賃金論であれば、この資本の論理に異を唱えられるはずもない。

日本的能力主義の欠陥

 もちろんJC派は、すでにこの事態に対応しはじめている。ただし新たな賃金論を再構築するのではなく、資本の動向に順応するという方向でである。
 電機連合は、来年の春季賃金交渉のモデルから「勤続年数」と「学歴」をはずし、年功から職種を基準にして労働力の流動化につなげるのだという(同前)。資本の意向である賃金コストの上昇を押さえるための「労働力の流動化」、要するに不安定雇用の拡大を自ら促進し、成果主義や能力主義などの賃金体系を積極的に受け入れることに踏み切るというのである。
 ところでこうした賃金体系への転換は、労働者に安定的な増収をもたらさないということが問題なのではない。同じ会社に長く勤めるだけで一定の増収が保障された旧来的制度は、能力や活力のある労働者には不公平感をもたせ、あるいは公務員や大企業への就職がある種の既得権となり、同業種の中小企業や下請け労働者との間に不平等をもたらすなどの弊害もあったからである。
 むしろ成果主義や能力主義賃金体系の問題点は、労働者間の格差を著しく拡大し、高額の収入を得る少数の上層労働者をつくりだす一方で、多くの労働者には最底辺の賃金にむけた競争、あえて言えば賃金のダンピング競争を強いることにある。 賃金コストを低下させることが資本効率を高める手っ取り早い方法と考える資本にとって、高い失業率を背景にした低賃金は当然の対応策であり、労働者も失業よりはマシな低賃金に甘んじるしかないからだ。
 しかも日本の場合は、同一労働同一賃金の原則さえ未確立である。正社員と派遣社員あるいはパート労働者の賃金格差は雇用形態による賃金差別にほかならないが、それが平然とまかり通っている事態は、成果や能力の比較さえ不平等だということである。幸運に恵まれ、あるいは学閥や人脈を通じて企業の幹部候補生となった上層労働者予備軍は、常に高い成果や能力を要求されはするが「正規の基準」で評価される。だが他方で人脈もなく幸運にも恵まれなかった多数の労働者は、いかなる能力も成果も、その数分の一としてしか評価されないのだ。
 これこそが同一労働同一賃金を前提にしない、日本的な成果主義と能力主義賃金体系の行き着く先であろう。

生存権擁護か、格差賃金か

 ところで、電機連合の職種を基準にした賃金体系は、同一労働同一賃金を前提にしているのだろうか。
 おそらくそうではあるまい。なぜなら派遣やパート労働者の成果や能力もこの原則にもとづいて平等に評価することは、電機連合組合員である正規社員との賃金格差の平準化を意味するからである。
 資本が決める賃金コスト総額を前提に、その枠内で成果や能力を比較して格差賃金が決められるなら、平準化は正規社員の一定の賃下げを容認して非正規雇用労働者との格差を是正するしかない。だがこれは、企業内の上層労働者の特権的待遇を擁護する組合に純化しようとするJC派にとっては、自滅と解体への道でしかない。

 60年代以降の日本の経済成長の中で定着した「定昇+ベア」で決まる賃金体系は今春闘で清算され、それと共に「大衆的で戦闘的な企業内労組」という、日本独特の労組形態の基盤も失われはじめた。
 そしてローバリゼーションへの対応と称する新たな賃金体系は、70年代後半の欧州と80年代のアメリカの経験で明らかなように、労働者の大多数を賃金のダンピング競争に追い込むだろう。しかも日本では、生活の必要に応じた最低賃金の歯止めも、同一労働同一賃金という公平性の確保もない、企業の業績で収入が増減する賃金になる可能性が極めて高い。それは資本の側が恣意的に、自らの利益の観点からだけ賃金を決める制度といって過言ではあるまい。
 この事態は、否応なく日本の労働運動に新たな対応を迫ることになる。企業の業績に従属するのではなく、労働者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(日本国憲法第25条/生存権)を保障しうる賃金と社会保障のために闘う広範な労働者の共同行動が必要なのは、このためである。

(さとう・ひでみ)


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