●「派遣村」から見えたこと

生命と衣食住を脅かす人権問題としての失業

−モノ言わぬ労働者群を生んだ労働政策−

(インターナショナル第185号:2009年1・2月合併号掲載)


 昨年末、突然契約解除された派遣労働者を取り上げたテレビは、バックミュージックにショパンの「木枯らし」を流していた。しかしこの曲は、窓外の光景を描いたもの。
 2008年年末から新年5日まで、行政機関の窓口が閉鎖されている期間中の緊急避難策として、日比谷公園の「派遣テント村」は開設された。期間中、天気には恵まれたが底冷えがした。
 サブプライム問題の影響を受け、製造業界で生産調整が始まった影響を真っ先に受けたのが、派遣労働者だった。突然雇用契約の中途解約を通告されたり期間満了で解雇され、同時に住居を追い出された。
 なぜ彼らは、解雇に素直に応じたのか。

 契約の解除されしを告ぐる息子の
   顔に羞らいの色あるが哀し
(『朝日歌壇』09年1月12日より)

 派遣労働者の職場は「よその会社」。そのため遠慮しながら、不満を言わずに働くという。派遣先との関係は「引いている」のだという。だから解雇を言われても「引く」。派遣労働者である自分の責任で、やむをえないと受けとめるという。
 納得いかないと声を上げるには、時間的にも経済的にもゆとりがない。それよりも、次の仕事を探すのが先と判断をする。しかし状況は追いつめられる。
 派遣労働者の問題は、契約が物扱いだ、雇用責任が曖昧だというような法律問題が本質ではない。生活維持のための労働の尊厳と人権否定、物言わぬ労働者群を作り出す労務管理が可能な状態を作り出しているということにこそ、問題の本質である。
 正規労働者で組織されている労働組合が、組織率アップのために非正規労働者の組織化をスローガンに掲げても成功しない理由が、ここにあることに気付いていない。

▼住宅確保は「自己責任」か

 今回明らかになったのが、労働者の住宅問題である。

 日産をリストラになり流れ来たる
    ブラジル人と隣りて眠る
(『朝日歌壇』09年1月19日より)

 行政改革が叫ばれたとき、担当大臣の石原伸晃は、具体的に何から始めるのかとの記者からの質問に、「たとえば住宅金融公庫や雇用能力開発機構とか」と答えた。いずれも労働者の生活に影響を及ぼす部署。
 これらの部署の一部の問題点をクローズアップさせる裏で、労働者の住宅問題や職業訓練の切り捨てが促進されていった。同時期に論議が開始されたのが、かつて炭鉱閉鎖で大量に失業者が出た時に住居を保証するために建てられた雇用促進住宅廃止問題で、現在は2021年の全廃が決定されている。
 住宅金融公庫は、労働者が住宅を入手しようとする時、便宜を図るものであった。廃止後は、労働者が住宅を入手するには、建設・不動産業界と金融業界に相当の金額を支払うことを余儀なくされた。労働者の衣食住の確保を「自己責任」と位置づけ、建設・不動産業界と金融業界の自由市場へと誘導することになったのだ。
 住宅問題の「自己責任」は、阪神淡路大震災においてもそうだった。その結果、住民の格差は拡大した。一方、建設業界にとってはチャンスが降ってきた。

 残るもの切られ去るもの言(こと)言わず
    見守る守衛も無言にて立つ
(『朝日歌壇』09年1月19より)

 「自己責任」=セルフ・ヘルプという思想は、アメリカが、自立した個人による建国を目指していた19世紀末に登場した。産業、企業、労働市場においても、個人対個人の自由取引が理想とされた。労働契約も自由契約で、その結果、労働者の団結権の抑圧にもつながった。
 100年後、グローバリゼーションが拡大すると「自己責任」の思想が再登場し、世界を席捲していった。結果は様々に格差を拡大させ、労働者や市民の横の繋がりは崩壊させられた。派遣労働者は、その中に存在させられた。「二度目は悲劇として」。
 サブプライムローンとは、アメリカでの低所得者層向けの住宅等への融資を指す。信用力が低いので高い金利で貸し付ける、このハイリスク・ハイリターンのつまずきが金融危機を招いた。
 アメリカでの住宅問題の「自己責任」論に端を発した問題が、日本の派遣労働者の住居を奪うに至った。浮かびあがってくるのは、金融資本に翻弄された労働者の住宅問題。はたして労働者にとって、いかなる状況でも衣食住が「自己責任」ということなら、国家は存在意義が問われることになる。
 今後も予想される事態で住宅問題を解決するためには、まず労働者に対して安い家賃での住居の保証を行わなければならない。そのためには、労働者の住宅問題を利潤追求優先の国土交通省の管轄から、生活保障のための厚生労働省の政策として位置付けなければならない。雇用促進住宅の機能は縮小ではなく拡大させ、民間の空室を雇用促進住宅として借り上げ、低家賃で貸与されるような政策が取られなければならない。 

▼お粗末な日本の公的職業訓練

 失業保険は、対象者、給付期間の延長に加え、増額しなければならない。なぜなら、解雇後も税金、社会保険料等を支払わなければならないのだから。
 現在、資金がない労働者が職業訓練を受けるには、公的職業訓練校か雇用保険受給中に民間の委託訓練校しかない。その期間は3か月から1年。しかし一端解雇・退職に至った事情がある労働者が、これだけの期間でキャリアアップが充分にできるはずがない。
 職業訓練は、期間の問題ではない。どの業種がどのような労働者を求人しているかを把握し、どのような職能を身に付け磨くかを含めた適応性の検討が必要だし、新たな技術開発や制度の変化に対応するものでなければならない。
 職業訓練などのための公共支出は、GDP比で北欧が2〜3%、大陸ヨーロッパが1・2〜1・3%、アメリカが0・21%に対して、日本は0・09%でしかない。日本では、公的職業訓練がほとんど行われていないといっても過言ではない。それでも現在は、さらに縮小の方向で検討が進んでいる。
 イギリスなどでの職業訓練は、まずは、労働者の現在の職能レベル、適正、適応性、自己開発などを細かく分解・分析しながら能力アップをはかる。労働者の権利と義務などの知識も習得したうえで、労働者と指導者は一緒になって再就職にはどの業種・職種がふさわしいかを検討し、自信をもって再スタートさせる。
 再就職のためには、生活苦の状況にある労働者にこそ公的機関での職業訓練が必要であり、制度を拡充させることは緊急な課題である。さらに企業が雇用保険に加入していない雇用条件で解雇になった場合には雇用保険受給資格も発生しない。

▼失業と自殺−命を奪う負の連鎖

 現在の派遣労働者を巡る問題のもうひとつに、自殺問題がある。
 昨年9月14日、第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウムが開催され、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクが作成した『自殺実態白書2008』の分析と、その中から見えてきたものについて報告があった。
 管轄警察署ごとの自殺者数が分析されているが、被雇用者(失業者を除く)の多い警察署をリストアップすると(警察署の規模、人口数が違うことを踏まえなければならないが)、1位が愛知・豊田、2位が山梨・富士吉田(富士山での自殺者)、3位が福岡・筑紫野の順になっている。
 この結果について、首都大学東京の宮台教授が分析・報告したが、特徴として、@工業地帯(隣接)が多い、A地方都市が多い、B製造業が多いなどがあげられる。そこの製造業の特徴は、@国際的競争から長時間労働が多い、A24時間交代の深夜労働がある、B誘致してもらったという地域性が労働法規を守りにくくしている、C非正規労働者(特に派遣労働者)が多い、D成果主義・ノルマに負われている。
 この地域性は、地域ごとの精神障害等の労災申請数でも裏づけられている。そして労災申請における業種ごとの順位は、製造業がトップになっている。
 12月25日、参議院議員会館で「緊急集会“自殺者急増の危機”に立ち向かう」が、自殺対策を考える議員有志の会と、NPO法人自殺対策支援センター「ライフリンク」の主催で開催された。
 ライフリンクの調査では、「自殺の危機経路」の「無職者(就業経験あり)」の事例のなかに、「派遣切り(失業)→生活苦→多重債務→うつ病→自殺」の連鎖がある。この連鎖を断ち切ることが自殺対策になるが、現在それに対応しているのは民間団体が中心である。
 実際に、「派遣テント村」とその存在のニュースは、多くの自殺をくい止めることになったとも思われる。
 自殺問題を捉える時、「鍵となる3つの数字」のひとつに「98・3」がある。98年3月、金融不況で貸し渋り・倒産が相次ぐ中で、決算期に自殺者が一挙に1000人増えた。それ以降毎月1000人づつ増えつづけ、97年と比べて98年は1万人増えて3万人台に至り、現在も続いている。まさに社会構造が、自殺者を生み出している。
 今年は、この後さらに大量解雇、3月には倒産が続くと予想されている。政府の対策は急がれなければならない。
 しかしこの年末年始の実態についても、現在はわからない。なぜなら警察は、自殺の実態を翌年度の6月頃に、前年度の通年実態報告としてしか発表しないからだ。対策を取るための資料をどこよりも持っている部署で、深刻性を欠くこのような対応をしていることも、これまで自殺対策を遅らせてきた要因のひとつになっている。
 そして「派遣村」と自殺問題に加えて、「秋葉原事件」も忘れてはいけない。それは、ファクターが逆方向に追いやられただけの問題だからである。

▼外国人と正規雇用にも広がる解雇

 日系のブラジル人らのおしゃべりに
  時折「クビ」という日本語混じる
(『朝日歌壇』09年2月1日より)

 派遣切りは、まだまだ続くことが予想されるが、同じように深刻さを増しているのが、外国人労働者の問題。
 日本人の職業訓練の制度は縮小されても、「外国人研修生」は大量に受け入れている。日本人には職業訓練は必要ないが、外国人には研修が必要なのか。そうではない。
 「外国人研修生」の世界では、最低賃金も保障されない低賃金労働で、労働条件、人権などはまったく保障されていない強制労働がはびこっている。そして今、彼らに対する「解雇」も起きている。しかし、要求のための声を上げる方法すら奪われている。彼らに対する基本的人権を確立させる闘いを、大きく登場させなけれならない。
 正規労働者の大量解雇問題も、時間の問題になっている。現在の「滑り台」社会は、正規労働者が「滑り落ちる」傾斜も大きくなっている。
 解決方法は、生存権、人権の確立、生活権の拡充をし、「落下地点」のセーフティーネットを強化することである。そのセーフティネットは、派遣労働者も外国人労働者も正規労働者にも共通である。

 不当解雇を叫ぶ人あり
    黙々と出社する門を隔てて
(『朝日歌壇』09年1月19日より)

 大量の契約解除は、行政改革・構造改革に後押しされた、労働者を人間と見ない企業が強行した「人災」だ。それは行政改革・構造改革の帰結である。そしてそれらを支持した者たちの責任でもある。
 今回の「派遣テント村」に寄せられた支援は、「村民」が「自己責任」では解決できない被害者であることが明らかだから、寄せられたのである。
 駆け付けたボランティアのすべてが、行政改革・構造改革への反対・批判者だと言うことはできない。だが生存権を脅かされている労働者の姿を見せられたとき、その存在を肯定できない人たちだった。そして「村民」は、ちょっと前まで自分たちの近くにいた人たちだった。

 「村」で体感したのは、政治の非情さと人々の実行力が持つ可能性だった。
 労働者の生活権を共に守ったのは市民。その市民は、「頑張っているのは小さなユニオン、大きな労働組合が見えない」と語っていた。そのことが、今後の労働問題にどう影響してくるか。
 力が小さい者たちでも、一緒に声を上げた時、困難さは突破できた。議会を越えて、政治が目の前で動いた。議会や大きな組織に依存しなくても、社会を動かせる。この実感の共有が、グローバリゼーションに対抗する運動潮流を登場させる萌芽になることを期待したい。
 残念ながら、まだ「大きな」労働組合の姿が見えないが、階層を越えて、市民と一体となって取り組もうとするのに、躊躇はいらないはずだ。

(2/5:いしだ・けい)


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