●非正規雇用の拡大と労働運動【下】

「人の尊厳を大切にする労働」へ

−社会的責任と投資としての職業訓練−

(インターナショナル第174号:2007年6月掲載)


▼いくつかの統計資料

 景気は回復しつつあり、ベースアップも復活し、失業率が下がっていると言われている。
 しかし、5月31日に厚生労働省が発表した『毎月勤労統計』によると、4月の正社員やパートを合わせた常傭労働者の所定内給与は、前年同月比1・0%減の25万969円だった。1%台の減少は、2年7カ月ぶりだという。しかし所定内給与は減小しているが、残業代などの所定外給与は増えている。
 所定内給与の減少分を、所定外給与でカバーして生活維持をはからざるをえないのが、長時間労働の原因の1つにもなっている。
 事業規模別で見ると、従業員30人以上の企業は前月比0・2%減だが、5人から29人の企業では2・1%減である。「企業間格差」は明らかである。
 また、同期の雇用形態別労働者数は、パート労働者が前月比3・6%増の1135万2000人、正社員や派遣社員などは0・8%増の3277万人だった。中小・零細企業で、パート労働者は増加している。「雇用形態間格差」が言われて久しいが、その傾向も拡大している。
 これに「男女間差別」が加わり、格差が拡大し続けているのが現在の労働者の状況である。
 もうひとつの資料をあげる。
 『法人企業統計調査』では、いま資本金10億円以上の大企業は空前の高収益をあげている。株主優遇政策を進め、役員報酬も増大している。しかし労働分配率は55%で、過去30年間の平均を5%下回る歴史的な低水準になっている。労働者の労働の成果が、労働者にではなく株主に配分されている。労働者は、株主配当が欲しければ株を購入しなければならない。
 社員株主制度を導入している会社も増えているが、配当は株主配当収益に対して行なわれるため、社員株主はその収益のためにますます懸命に仕事に邁進しなければならない。社員株主制度を、社員に忠誠心を迫る手段にしている。
 そしてこのような意識を持つ労働者群のための労働法制が、ホワイトカラーエグゼンプションである。労働基準法を基盤にしたを労働者の意識が、株主配当をエサに経営者的に変えられようとしている。労働者の意識基盤が変えられようとしている。まさしくアメリカのグローバル経済化による雇用政策の導入である。
 これを「役職間格差」というかどうかはさておくとして、「持てる者」と「持てない者」の差は、労働者の状況を無視してどんどん拡大している。

▼ある生産現場の実態

 2000年代になると、「リッチ」と「ミゼラブル」、「勝組」と「負組」などと格差が客観的に語られた。その「ミゼラブル」、「負組」の底辺を「フリーター」、「ニート」が構成していた。
 しかし経営陣と政府は「フリーター」を、当事者の切実さとは裏腹に、雇用の流動化を推し進める中で、雇用関係に縛られず、自由な生活スタイルを「選んだのだ」ともてはやした。
 実態はどうであろうか。
 「請負会社の短期契約スタッフとして、毎日の行動は時間で厳しく管理される。
(仕事初日)眠そうな顔をした若者たちを乗せて、バスは工場へと向かって行った。
 ……(中略)
 請負会社が下請けをしている携帯電話の組み立てラインで働くことになった。
  ラインメンバーは15人。
 ……(中略)
携帯電話の頭脳にあたる部分の組み立ては高度な技術が必要なため完全に機械化されていたが、その他の部分は手作業が中心だった。携帯電話はモデルチェンジが頻繁に行なわれるため、すべての工程をいちいち機械化していてはとても採算が合わないからだという。
 ……(中略)
 組み立てに限らず、通話テストや梱包などの作業も、請負会社の下で働くフリーターの仕事になっていた。
 メーカーはこの3年間で20%のコストダウンに成功していた。
 山端さんが携帯電話の組み立てラインで働き始めて3日目、請負会社の担当者が急遽工場に呼び出された。
 ……(中略)
 『私も今日の朝、現場の方から始めてくわしい事情を聞きました。もういまの機種の仕事がなくなってしまうので、ラインを中断して、新機種のラインを応援してもらいたい』
 ……(中略)
 『こちらのラインの方の仕事は今日で終了になります。今日でまあ終りと、あの、いちから出直しと言うか、またまったく新しい仕事にチャレンジすることになりますけど、まあ、ご理解を頂いてですねえ…』
 ……(中略)
 『もう異動しますからね』
 ……(中略)
 その姿は生産変動のなかで働くフリーターを象徴しているようだった。」(松宮健一著『フリーター漂流』旬報社刊)

 大量消費で景気回復をねらうIT関連企業の生産現場は、このようにして維持されている。親会社は、労働者の大量解雇などの問題に関与することはない。一方で末端の労働者に対しては、労働基準法が守られない契約解除がまかり通っている。もちろんこのような生産現場の状況は、IT関連企業に限ったことではない。
 消費者の欲望を刺激して商品の購入回転を早める親会社の行為が、不安定労働者を必要とする一因となっている。

▼「再チャレンジ」の現実

 格差社会が社会問題となっている現在、「ミゼラブル」や「負組」の当事者は、自分たちの置かれた状況は「自己責任」だけではない、「再チャレンジ」とか「自助努力」が可能な社会的条件は確立していないと主張し始めた。「ワーキングプア」が語られるようになっている。
 前回、佐藤俊樹著『不平等社会日本』(中公新書)を紹介し、「選抜社会をうまく運営していくためには、『敗者』とされた人々が、意欲と希望と社会への信頼をうしなわないようにしなければならない。……そこには敗者を『再加熱』するしくみが欠かせない。」との部分を引用した。
 しかし政府の無策の中で、「努力すればナントカなる」と「再加熱」させること、「再チャレンジ」の提案は虚妄でしかない。
 同じく前回紹介した本田由紀著『「ニート」というな』(光文新書)は、現在の若者労働市場の現状分析すると非典型(非正規)雇用が拡大しているが、離就時に非典型雇用だった労働者は、典型(正規)労働者になりにくい状況があると指摘する。
 そして最近さらに深刻なのは、ニート・NEET(Not in Employment, Education or Training)に「House」が加わっていることである。社会問題化している「ネットカフェ難民」などである。

 しかしこのような問題に対して、政府の政策はまったく不充分としか言いようがない。
 現在、資金がない労働者が職業訓練を受けるには、公的職業訓練校か、雇用保険受給中に民間の委託訓練校に通うしかない。その期間は33カ月から1年。しかし、いったん解雇・退職に至った事情がある労働者が、これだけの期間でキャリアアップが充分にできるはずがない。
 ましてやフリーターや請負労働者などが、企業が雇用保険にすら加入していない条件の下で解雇になった場合、雇用保険受給資格すら発生しない。
 一方、駅前には大学・大学院の社会人講座が開設され、高価な授業料にもかかわらず、多くの労働者が通っている。「勝組」の労働者は「自己責任」で「さらなるチャレンジ」に挑戦しようとしている。
 この「職業訓練格差」は、究極の「リッチ」と「ミゼラブル」の格差である。
 佐藤俊樹著『不平等社会日本』は、「実績主義には高い学歴の人間が多く、……その父親の学歴も高い。……実績主義の人々も別の資産の『相続者』なのである。」と述べているが、そのようななかで格差は拡大しているのである。

▼職業訓練という「社会的投資」

 では、『格差』解消のためには、どのようなことが必要なのか。
 かつて会社は、社会的責任を含めて、新入社員の教育を行なっていた。
 しかし最近は、新卒者に対しても即戦力を要求する。会社そのものが、経営の先行きがはっきりしない中でゆとりが失われている。このような中で、会社のニーズに叶わない労働者は、能力不足を理由に簡単に解雇・退職勧奨される。「社風」に適合しない、仕事に自信を持てない労働者は、適応性に欠けると判断されて退職に至る。
 職業訓練は、期間の問題ではない。イギリスなどでの職業訓練は、まずは労働者の現在の職能レベル、適正、適用性、自己開発などを細かく分解・分析しながら能力アップをはかる。
 労働者の権利と義務などの知識も習得したうえで、労働者と指導者は一緒になって、再就職にはどの業種・職種がふさわしいかを検討し、自信をもって再スタートさせる。
 当然、職業訓練は、どの業種がどのような労働者を要求しているかを把握して方向性が定められる。そして訓練に要する期間は、33カ月や半年では少ない。
 NEETをNEED(必要)な人材に養成することが、問題解決の根本課題である。
 かつて日本は、明治維新以来、事業体、会社の内部に訓練制度を確立し、その終了生が技術力と献身性で経済成長を支えた。この歴史を忘れてはならない。もっとも、こうした労働者が、企業内労働組合を支える基盤でもあったが…。
 数年前まで、東京の高校では就職する卒業生に対して、労政事務所の紹介で労働法に詳しい弁護士を招いて労働基準法等の講習会を開催して社会に送り出した。しかし石原都政となり、学校現場も萎縮する中で、いつのまにか消えてしまった。
 労働者が、権利と義務を自覚して働き続けるためには、最低限の知識である。この習得をどこかで保証しなければならない。
 職業訓練は、離職・失業者に対してだけではなく、希望者に低資金で保証されなければならない。そのためには、公的職業訓練校の充実がはかられなければならないし、例えば高卒の労働者に対してでも、定時制高校などで、働きながらの教育・職業訓練の機会が与えられる必要がある。
 教育・訓練に対しては奨学金制度の拡充も必要である。
 また、ニート・NEETにHouseが加わっている労働者のために、住居の保証が行なわれなければならない。労働者が安心して、安定した生活を維持するのに必要な衣・食・住のなかで、日本では「住」はステータスや投資の手段とされ、高価な売買、賃貸が当たり前のようになっている。
 しかし本来「住」は安価なもの、生活困窮者に対しては、国家が貸与するものでなければならない。日本でもかつては、雇用促進住宅や、部落解放同盟が要求して実現した解放住宅などの例がある。そのような住宅・寮を復活させて対応しなければならない。
 このようなことを実行に移すことは、無理ではない。前述の、所定内給与の減少分を、所定外給与でカバーしている労働者や雇用形態はさておくとして、雇用労働者の増大は、国家財源の基礎である所得税の増大をもたらしている。さらに納税可能な労働者を養成するための職業訓練の支出は、政府としては先行投資でもある。
 このような考えが、ヨーロッパでは雇用政策の基礎になっている。同じ捉え方は、現在問題になっている年金問題にも当てはまる。

▼どんな運動をつくるのか

 前々回に述べたように、経営者と政府は、使用者にとって使い勝手がいいように、労働法制の改正を行ってきた。労働者の権利は奪われ、労働者が分断支配されている。
 労働者の働きづらさが増している。それは状態は違うが、「勝組み」も「負組み」も、正規も非正規も、生産性向上システムに組み込まれて、そうなっている。
 労働者の権利は会社内だけで、部署だけで守られるものではない。そこでは自分たちの状況を標準ととらえ、社会的、法律的問題では目くらましに合っていることが多い。そして社内組合は、往々にしてもうひとつの管理支配装置になっている。
 前々回述べたように、どのような働き方をしていても安泰ということはないし、それぞれの立場で権利や生命までが奪われている。そのような中で、労働者の権利の視点から、あらためて自分たちの働き方を検証しなければならない。
 歴史的に検証するなら、1944年のILOの「フィラデルフィア宣言」は、「労働力は商品ではない」と、労働者の尊厳を宣言した。置かれている状況を相互に理解しながら、「人の尊厳を大切にする労働」=ディーセント・ワークを共同で要求する原点がここにある。
 グローバルがすすむなかで、「富の分配・再分配」が 地球規模、地域間、1国内、労働者間で広がり、格差は複合的である。成果主義賃金制度に見られるように、絶対的人件費の削減は進行している。人権、生きる権利が否定されている。このようななかで、もう一度労働者・生活者の観点から問題を捉え直さなければならない。
「フィラデルフィア宣言」は、賃金のダンピングが戦争を招いたという教訓にもとづいていた。格差の拡大は、様々な衝突を招請するのだ。
 人権、生きる権利にたいする緊急かつ最低限の生活権の要求として、最低賃金の大幅アップをとおして、格差の停止、生活権の回復を社会的運動として構築していかなければならない。

(6/20:いしだ・けい)


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