●非正規雇用の拡大と労働運動【中】

「不平等な競争」に参加する「平等な権利」

−現在にまで貫かれた戦争被害の格差−

(インターナショナル第173号:2007年5月号掲載)


 5月6日深夜、フランスの大統領選挙はサルコジ氏の勝利で終わった。争点の1つは雇用問題で、サルコジ氏は「より働けば、より稼げる」のスローガンを掲げ、「改革派の女性」ロワイヤル氏をかわした。5月8日の『朝日新聞』は、現地の声を紹介している。「彼女は失業者と生活保護で暮らす人に語りかけた。でもサルコジ氏は低賃金で働く者に語りかけた」。
 出口調査にもとづいた報道は、働き盛りで安定した職に就いた人が多い35歳〜59歳ではロワイヤル氏がやや優性か互角。だが不安定な雇用にさらされ、現状脱出を望む25歳〜34歳と、治安の悪化に不安を抱く60歳以上の高齢層がどっとサルコジ氏に流れたことを紹介している。
 サルコジ氏は、低賃金の若年労働者からも支持をえた。社会の底辺階層に置かれている労働者は、必ずしも「改革派」に投票しなかった。失業者と生活保護で暮らす人と、低賃金労働者とでは「期待」が違っている。
一言で「格差是正」とスローガンを掲げても、問われているのはその内容である。

▼戦争被害「格差」の継続

 日本の格差社会は、いつから発生したのだろうか。
 昨年、佐藤純弥監督の映画『男たちの大和』が公開された。第二次世界大戦末期、広島・宇品港から沖縄への航海中、米軍の攻撃をうけて沈没させられた軍艦「大和」の史実が描かれている。最初から無謀とわかっている作戦で、多数の若い兵士が国家・軍の命令で殺されていった。
 戦地の息子からの送金で狭い田んぼを買った三反百姓の母親が、田の草取りをしているシーンがある。そこに息子の死亡が、息子の同僚から伝えられる。夫を亡くし、働き手の息子を失った母親はどのような戦後を送ったのだろうか。戦争で親・兄弟を失った農民、労働者は沢山いた。

 岩手県の、夫を戦争で殺された妻から聞き書きをした『あの人は帰ってこなかった』(菊池敬一・大牟羅良編・岩波新書1964年刊)のなかで、伊藤俊江さんが語っている。

 「死ぬベと、思ったことも何回もあったナス。小さい4人の子供達にまで這うようにして稼がせて、・・・
いつだったか、暗くなってから4人のワラシたち並べて、『おまえたち、みんな一緒によ、仲良く死んでしまわねェか。そうすればこんな苦労することも無ェんだし、とうさんのところさ皆して行くにいいんだじェ』
ってだました(なだめすかした)ことあったナス。そうしたら、小さいやつら黙って泣いてばかりいたったけども、一番年とった卯吉(夫の弟、当時8歳)、
 『おらあ、なんぼ(いくら)稼いでもいいから死にたくないモ。田の草取りでも、草刈でももっともっと稼ぐから死にたくないモ。』って言ったモ。・・・
 康幸(長男)、ろくに学校さも行けないでしまったけども、勉強は割合出来よかったもんだから、中学校卒業する時先生に高校さやったらどうだっていわれたったども、どうして高校さやれるべスヤ。・・・
 可哀想だったンス。夜、寝言にまで友人と高校さはいることの話してるの聞くと、とうさんさえ生きて帰って来ていてくれたら、この子供達――と思ってナス。それでも康幸、オレには一言もその話出さねェでナス。それがまた余計可哀想だったナス。そしてオレには、『大工になる』とばかりいってくれたったモ。・・・
康幸は自分は高校さはいれなかったども、弟にははいったほうがいいんだって、大工して助けたりして康範バ高校卒業させてくれたノス。昨年卒業して東京さ就職に発つ時、やっとここまで来たな、と思ったら、涙でてナス。」
小原ミチさんが語っている。
 「人の話で、戦争遺族に役場から金下りるようになるということ聞いたので、恥ずかしい話だども、何ともしようがなくてすぐに役場さ行って聞いて見たったナス。そうしたれば、国では早く金下げてェんだが、アメリカの許しを受けねェば下げられねェから、もう3年待ってけろ、という話だったモ。
 その3年待ったンス。
 なんぼ待ったか、ほんに、ほかの人にはわからなかんべナス。・・・
 3年目、その3年目にちゃんと話通り国から金下りたったナス。ほんとうに金くれて下さったモ。未亡人さ1万円、親さ5千円で、1万5千円下がったモ。」

 遺族年金が支給されることが決まったのは、1952年のサンフランシスコ講和条約発効と同時である。この軍人恩給・遺族年金は、軍隊における階級によって「格差」がある。
 安全なところで「殺せ」と指揮をとっていた高級将校は高く、「殺した、殺された」側は低い。高級将校や官僚の2世・3世が、今、政界や経済界で指揮をとっている。
 夫を、息子たちを奪われた生活が苦しい遺族にとって、遺族年金は本当にありがたかったという。しかしそれで、残された家族が保障されるということはなかった。
 戦争行為が貧富の格差を拡大した。この大きく違う「与えられた運命」が、戦後の「格差社会」の出発点だった。そして、政府の、「格差」が大きい軍人恩給・遺族年金以外の戦後補償の立ち遅れは、戦争の爪跡を放置し続けさせた。

▼「正規雇用」に戻れない現実

 戦争で親・兄弟を失った農民、労働者の子供たちは学校を卒業すると「金の卵」といわれ、就職のために上京、都会の荒波に放り出された。55年には、特別仕立ての集団就職列車第1号が盛岡駅を発車した。
 日本の雇用状況は「終身雇用」といわれてきた。しかし「金の卵」は決してそうではなかった。
 東京オリンピック(1964年)直後の、集団就職を受け入れた工場地帯の実態調査である『川崎市統計書』(43年版=鎌田慧著『ドキュメント労働者』収録「川崎・鬱屈の女工たち」より)によると、「(東芝)小向工場は戦前、軍の無線機関係の生産の主力工場だったが、いまは、白黒、カラーTVの受像機、カメラなどの放送機器、防衛庁関係の無線機からホークまで生産していて、労働者数は4300人、うち女子が60パーセント。平均年齢は女20・1歳、男26・5歳、勤続年数は女2・9年、男6・6年」「労働省の『新規学校卒業者の離職状況』によれば、66年3月中卒者の男子は3年間で58・6パーセント、女子で49・6パーセント、高卒男子51・9パーセント、同女子54・1パーセントと、それぞれ半数以上が離職している」。
 労働条件が劣悪ななかで、若年労働者は定着しなかった。だから恒常的に低賃金労働者が求人され、職場環境の実態を知らない「金の卵」がターゲットになった。
 戦後60年が過ぎたということは、定年退職が60歳とすると、職場から戦争の影響をうけた労働者が消え、戦後派だけになったということになる。しかしこのかつての「金の卵」たちは、退職を間近かにしてバブル崩壊の状況に投げ出され、リストラの憂き目に会わされたのだった。

 戦後の鉄鋼の労働現場は、1948年に人夫供給事業が禁止されるまで職夫とか組人夫と呼ばれる労働者が働いていたが、そのあとは現業員とか職夫と呼ばれた直傭(ちょくよう)労働者となった。直傭労働者は増え続けた。職務は本工と同じの場合が多いが、労働条件は大きく違う。
 日時ははっきりしないが、『鉄鋼』(市川弘勝著・岩波新書、1956年刊)によれば、九州産労と鉄鋼労連が共同して八幡製鉄の荷役現業労働者について調査をした結果、前職が工業労働者15・4%で、かつて賃金労働者であったものは31・6%に達し、さらに「主婦」が25%を占めていたという。そして学歴が高いものが比較的多かったと言う。
その結果から浮かび上がる実態は、一度離職をすると本工にはなりにくいという状況が、すでにこの頃から始まっているということである。そしてその離職者にはレッドパージ対象者なども含まれている。
 2004年頃から、いわゆる「ニート」が台頭してきていると言われ、不活発な者たちの代名詞とされている。しかし実際ニートはこの10年増えていない。増加が著しいのは「就職しようにもできない」若者である。
 一昨年刊行された本田由紀東大助教授著『「ニート」って言うな!』は、現在の若者労働市場の現状分析をしている。非典型(非正規)労働者が拡大しているが、離就時に非典型雇用だった労働者や、典型(正規)労働者から非典型雇用に転職した労働者は、典型労働者なりにくい状況があるという。
 まさに「ニート」の原型は、すでに終戦直後に作られ、続いている。
 前号で述べた、95年に発表された「新時代の『日本的経営』」のグループ化は進行し、さらに細分化している。A「高度専門能力活用型グループ」には非正規労働者が侵入し、B「雇用柔軟型グループ」の末端に請負労働者・個人事業主が加えられ構造は、@→A→Bの一方通行で、その逆はかなり難しいことである。

▼職務職能給とQC・ZD運動

 では鉄鋼現場の本工労働者はどのような職場環境で働かされていたのか。
 50年代から鉄鋼の職場を中心に、アメリカで発展した活動・運動である統計的品質管理の手法、いわゆるQC(Quality Control=品質管理)活動、ZD(Zero Defect=無欠陥)運動が導入された。
 アメリカでは会計、人事、法務、調査研究などの基本機能を補佐する職能や部門であるいわゆるスタッフが創意工夫を積極的に生産過程で生かすためのインフォーマルな小集団活動だった。適性品質の設定とその維持、効率的検査と品質保証を目的とした。
 日本に導入された当初も、スタッフである技術者の意識を品質管理に向けさせる目的であった。しかしまもなく違うものに変形させられていった。会社主導のQC運動、ZD運動、改善提案、目標活動、危険予知機訓練などを統合し、自主管理活動と呼ばれ運動が展開された。
 そして企業の枠を越えた全国的なQCサークル運動として発展し、各会社においては60年代に入り、小集団の集団主義的運動として財務、製造、販売などの、いわゆるラインの職場末端まで導入されていった。
 職場の問題解決と、インフォーマルな紛争処理の解決としてのグループの役割が強調された。職場の問題が、労働組合ではなくQCサークルに持ち込まれた。同時に水平な監視機能と共同責任として作用し、きわめて過酷な労働強化と企業への従属を強いられた。サークルの仲間全員で残業をする、遠慮して休暇は取れない。「やりがい」の競争は賃金に跳ね返った。結局は会社の意図、目的に自己同一化することが強制された。このようにして1つづつ、ものが言えない「企業文化」が醸成されていった。
 そして同時期に、職務職能給制度が導入されていった。
 職務給制度は、仕事の範囲、責任、遂行などの知識、技能など、職務遂行能力を評価基準として労働者の身分を分割する制度で、各職務ごとに本給額を決定する。さらに各職務ごとに査定幅があり、上級職能への登用をめざして競争心をあおる狙いがあった。
 しかしその競争心は会社、査定権をもつ上司、推薦をしてくれる直属の上司への忠誠心を仲間と競わせるものであった。戦後のベビーブームに生まれ、同期の競争者が多い若年労働者は、自分はより早くいまの職位から飛び出そうと必死になった。職位と賃金額が自分への客観的な評価となり、労働の目的がそれになった。
対抗する労働組合の活動は阻害物となり、労働者から無視された。さらに戦後職場の労働者の権利を勝ち取り、労使のルールを確立してきた労働組合から離れ、会社主導で労使協調の新しい労働組合が結成されていった。労働組合の違いは忠誠心の違いと受け止められ、評価の大きな判断基準となった。賃金格差は見せしめとなった。
労働組合がさらに位置を失ったとき、労働者の権利は無視された。
 そして労働者の人間関係がミクロ化している現在、自主管理活動は個人を対称にした、目標管理の成果主義制度として導入されている。

▼「敗者」の「再過熱」

 ちょうど学生運動が隆盛だった頃の60年代後半、国立の東京大学入学生の親の年収平均が、私立大学の慶応大学のそれを上回ったという調査結果が発表された。
 55年から10年おきに、全国の20歳から69歳の人を対象に職業キャリア、学歴、社会的地位、両親の職業や学歴などのデータを集める「社会階層と社会移動の全国調査」(略称SSM調査)がおこなわれている。
佐藤俊樹著『不平等社会日本』(中公新書)は、その調査結果を分析・研究しているが、学歴は関係ないということではないと結論づける。
 地位や経済的豊かさを得ようとするとき、「戦後の日本では『努力すればナントカなる』部分が拡大し、『努力してもしかたがない』部分が縮小したとのべた・・・しかし、実績主義の人々は本当に自分の力だけでやってきたのか。・・・・痛烈な反論が、1つは、女性の側からあがるはずである。――スタート地点が平等だなんてとんでもない。女性が専門職・管理職になるにはさまざま壁がある。・・・
 男性の実績主義者の社会的地位を手放しで実力だとはいいがたい・・・・。むしろどこかに既得権の匂いがする。」「実績主義には高い学歴の人間が多く、・・・・その父親の学歴も高い。・・・・実績主義の人々も別の資産の『相続者』なのである。」
 「実はこの学歴社会批判、日本の学歴社会、学歴―昇進の選抜システムをささえている重要な装置の一つだからである。その意味では、偏差値批判や学歴批判派ほとんど『お決まり』の話になっている」
 「選抜システムは、どういうものであれ、必ず重大な問題を一つかかえる。選抜は少数の『勝者』と多数の『敗者』をつくりだす。『敗者』とされた人々は、そのままだと、当然やる気をうしなう。その結果、経済的な活力が大きく殺がれ、社会全体も不安定になる。『努力してもしかたがない』という疑惑にとりつかれていれば、その危険はいっそう高まる。
 選抜社会をうまく運営していくためには、『敗者』とされた人々が、意欲と希望と社会への信頼をうしなわないようにしなければならない。・・・・そこには敗者を『再加熱』するしくみが欠かせない。」
この問題を、現在各会社が導入している「成果主義」の問題と重ねたらどうなるだろうか。みな性格、経験、スキル、得手不得手、家族関係など差があるなかで、ましてや強制的に配置された部署で、「対等」の競争を強いられることは決してフェアではない。
 「現実は実績主義、理想は努力主義」の中途半端さのなかで、少数の勝者と多数の敗者の出現が、自己管理の名のもとに自己責任とされている。自己責任は、労働時間、健康管理などを含む。
 現在の成果主義は、個人の「再加熱」のための手段でしかない。職場の雰囲気は殺伐とし、露骨な性差別、身分差別、労働組合差別はまだまだ公然と行われている。そのなかで競争に挑戦する権利だけは、常に誰にでも「保証」されていることになっている。
 小泉政権の「自己責任」、安倍政権の「再チャレンジ」はこのような中にあっては空虚にしか響かない。

【つづく】

(5/10:いしだ・けい)


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